(4)
ベラが住む町は、観光地として有名なブロードウェイの隣町だった。
ベラは異人管理局に所属する保護官ではあるが、本業とは別にアンティーク・ショップを経営しているらしい。「遊びに来てね、おまけしてあげるわ」と、待ち合わせに五分遅れてきた彼女が言う。
ベラは、朝着ていたフェミニンなワンピースではなく、ハイネックのセーターと動きやすいジーンズのボトムに替え、歩きやすそうなブーツを履いていた。
件の桜はフットパスの途中にあるらしく、車の出入りはできない。ここからは歩いて向かうのだ。
日の入りにはまだ時間があるが、空には雲がかかってきて、辺りは薄暗くなっていた。LED式のランタンを提げて、ベラが先頭に立つ。
「こっちよ」
足元は暗く、茂った草やぬかるんだ土に足を取られそうになる。転ばないようにと慎重に進めば、歩みはどうしても遅くなった。
ベラは暗さも道の悪さも物ともせず、すいすいと歩いていく。追いつこうと焦る私に、斜め前を歩いていたジャックが手を差し出した。
「よかったら掴まって下さい。私は夜目が効くので」
「あ……ありがとうございます」
一瞬躊躇ったが、躓いたり転んだりする方が迷惑になるだろう。差し出された手を取ると、軽く握られる。骨ばった大きな手に支えられながら、暗い道を進んだ。
三十分ほど歩いて辿り着いたのは、小高い丘の上だった。桜の木が五本並んでいる。薄闇の中、細い枝に白い蕾が膨らみ、いくつかは綻んで小さな花を咲かせていた。
その左から二本目の桜の下に、小さな女の子が座り込んでいる。黒髪のポニーテールに、水色のワンピース。輪郭はぼんやりと揺らいでいた。
彼女が、日本人少女のゴーストだ。
「あとはお願いしてもいいかしら? ……あら、ずいぶんと仲が良いのね」
振り返ったベラがくすりと笑う。
何のことだろうと首をひねった後で、ジャックと手を繋いでいたことを思い出した。この年で手を引かれて歩くなんて、子供っぽく見えただろうか。
急に恥ずかしくなったが、すかさずジャックがフォローしてくれる。
「彼女は人間ですよ。夜道を私達のように歩くのは難しい」
「ふぅん?」
ベラは目を細めて、楽しげに唇の端を上げただけだ。
その間に、私はジャックの手をそっと離す。ジャックは特に気にした様子はなく、ゴーストへ視線を向けたまま尋ねてくる。
「サキ、見えますか? ……ああ、失礼、愚問でしたね」
ジャックの問いに、私は曖昧に頷き返した。
異人管理局の保護官になるための条件の一つに、第六感を有していることとある。
普通の人間には見えないもの――ゴーストや精霊、悪魔や妖怪などの存在を感じとり、見ることができる能力だ。霊感や魔力、第三の目とも呼ばれる。
町長の孫のトニーのように、幼い子供はゴーストが見えることもある。しかし、大人になるにつれて見えなくなるのが常だ。
私は生まれつき、その能力を持っていた。そのため、何も知らない頃はただただ恐ろしくて、辛い思いをしたものだ。
もっとも、その能力のおかげで私は異人管理局に入ることができた。
総務課や調査課、捜査課に勤めるなら、第六感が必須というわけではない。ただ、経済や法律、司法に関する豊富な知識や経験が必要で、入局時の試験の難易度は高い。しかし第六感を持っていると一部の試験をパスできて、入局はかなり有利だ。
とくに保護官は直接異人と関わるため、第六感は必須だった。
各地の治安維持を担う保護官は、必要人数が他の課よりも必然的に多くなる。しかし、保護官として赴任する人間の数は少ない。
第六感を有する人間の数が少ないせいだ。人口の〇.〇一%に満たず、異人管理局内ですら一〇%を切る。そのため、保護官の半数以上は、ジャックやベラのような異人が多い。対処する内容からいっても、異人の方が有利である。
人間で最初から保護管を目指そうという者は少なく、たいていは別の課で長年の経験を積んでからなることが多かった――。
とかくも、第六感がある私にはゴーストが見えている。少女をじっと見ていると、ジャックが背中を軽く叩いた。
「見た限り、悪いゴーストではないようです。……サキ、あなたから話しかけてもらえますか? 日本人相手の方が、彼女も安心するでしょう」
「は、はい」
背中にジャックの気配を感じながら、少女にゆっくりと近づく。
膝を抱えていた少女が、はっと顔を上げた。目に怯えた色が浮かぶ。私達を見て、小さな身体を竦ませるのが見てとれた。すっと姿が掻き消えそうになる前に、私は咄嗟に口を開く。
「こっ……こんにちは」
久しぶりの日本語が口から飛び出した。緊張していたせいか、夜なのに昼の挨拶をしてしまった。私の間抜けな挨拶に、少女はぱちぱちと目を瞬かせる。
『……今は〝こんばんは〟じゃないの?』
「そ、そうだね……こんばんは」
『……こんばんは』
少女は不審そうに私を見ながらも、挨拶を返してきた。怯えた色の消えた目が、じっと私を見つめてくる。
「……」
『……』
しばらくの間、少女と無言で見つめ合った。次は何と話しかけよう。こんな時、ジャックだったら、お茶やお菓子や庭の話と話題が豊富なのに。ぐるぐると考えていると、少女がぽつりと呟く。
『何か喋って。みんな、何言ってるか、分かんないの』
「あ……」
そうだ。今まで少女は、英語でばかり話しかけられていた。
知らない場所で、知らない人達に、知らない言葉で話しかけられるのは、どれほど心細かったか――。
私は少女から少し離れた場所に屈みこんで、目線を合わせる。慣れない笑みを浮かべて、ゆっくりと話す。
「私は、サキ。あなたの名前、聞いてもいいかな?」
『……ユミ』
「ユミちゃん、だね」
歳はいくつか。家族は。好きな食べ物は。どこから来たのか――。
自分のぎこちない問い掛けに、ユミは最初こそぼそぼそとしか返さなかったが、少しずつ緊張が解けてきたのだろう。口数が増えてきた。
『うちね、犬が三匹いるんだよ。柴犬とミックス!』
「犬、好きなの?」
『うん!』
「そっか。……私がお世話になっている家にも犬がいるよ。アーティっていうの」
思いがけず犬の話で盛り上がり、ユミは目を輝かせてアーティに会いたいと言い出す。そんなユミに近づいてきたのはジャックだ。
「こんばんは、お嬢さん」
ジャックの口から飛び出たのは、綺麗な日本語だった。ユミはぽかんとジャックを見上げる。
「アーティの名前が出たので、つい話しかけてしまいました。私はアーティの飼い主です。ジャックと言います」
『……ジャック、さん?』
「はい。アーティは残念ながら、今日は留守番をしていまして。よかったら、明日連れて来ましょうか?」
『い、いいの?』
「ええ」
にこりと微笑むジャックに、ユミはようやく警戒を解いたようだ。日本語が話せるうえに物腰も柔らかいジャックに、ユミは最初泣いていたのが嘘のように明るい笑顔を見せた。
そんなユミに、ジャックは尋ねる。
「そういえば、ユミさんは家に帰らなくてよいのですか? ここに一人でいるのは寂しいでしょう」
『うん……でも、ここから動けないの』
「おや。それはどうして?」
『……サンダル、片方無くしちゃった。これじゃ、おうちに帰れない。お母さんに怒られちゃう』
ユミは再び涙を浮かべた。べそべそと泣き出したユミに、ジャックは言う。
「それなら、サンダルを探しましょう。サキと私が手伝いますよ」
『……本当?』
「ええ、もちろん」
ジャックが横目でこちらを見て来たので、私も急いで頷いた。
「うん。大丈夫、きっと見つかるよ」
サンダルを探す約束、そしてアーティを連れてくる約束をして、私達はその場を後にした。




