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英国カントリーサイドの吸血鬼   作者: 黒崎リク
第二章 めぐり出会う、四月
15/47

(3)



 ベラが担当する地区に、日本から送られてきた桜の木が植わっている。

 その根元に子供のゴーストが現れるようになったのは、つい先日のことだという。

 桜のつぼみが膨らみ始め、花が一輪咲いた夜。桜の下に現れたのは、小さな、六、七歳くらいの黒髪の女の子だった。

 まだ早朝には霜が降りる時期だというのに、水色の半袖のワンピースを着ている。少女の姿はぼんやりと淡く、片方だけサンダルを履いた足は地面から浮いていた。

 心細そうな顔で辺りを見回して泣いている。なぜ泣いているのかと尋ねても、答えない。

 いや、答えてはいるのだが、少女が話すのは生まれた国の言葉。日本語だ。しかも泣きじゃくりながらなので、余計に分からず、対処に困っている――。




 ベラは困り眉で息を吐く。


「私、日本語は少ししか分からないのよ。ジャックなら日本語分かるでしょう? あなたにゴーストの対応を頼みたいの。それに、今はうってつけの人材がいるじゃない! 日本語ばっちりの、日本人の子がね」


 ねえ、とベラが私にぱちりとウインクしてくる。

 私はジャックを伺うように横目で見やった。

 ジャックが日本語を話せるとは知らなかった。もしかしたら、友人である日本語ペラペラの公爵から習ったのだろうか。日本人の私の滞在を受け入れたのも、日本語が話せればいざという時に対応できるからだろう。

 ジャックは顎に手を当てて少し考えこんだ後、ベラに向き合った。


「分かりました。では、まずはゴーストに会ってみましょう。対応はそれからでよろしいですか」

「ええ。いいわ」


 ジャックの了承に、ベラは満足そうに微笑む。

 私の方を向いたジャックも軽く微笑む。いつもの柔らかな表情だ。


「サキ、一緒に来て下さい。状況によっては、あなたに協力してもらいます。ゴーストの保護も、私たちの仕事の一つですので」

「はい、分かりました」


 仕事と聞いて、身が引き締まる。

 かしこまって頷く私を、ベラは面白そうに見ていた。




   ***




 ゴーストが現れやすいのは、日が沈んだ後だ。

 よく目撃される時間帯に桜の木へ行くため、夜の七時にブロードウェイの近くの町で待ち合わせることになった。

 卵と野菜とベーコン、クリームチーズとサーモンの二種類のサンドイッチで軽めの夕食を取った後、私とジャックは車で隣の地区へ移動する。

 ジャックが運転するのは、四輪駆動の大きな車だ。

 普段は家から少し離れた空き地に置いてあり、大型スーパーマーケットに買い出しに行く時などに乗っている。

 オフロード用のごつい車を、老紳士然としたジャックが慣れたように運転する姿は少し意外で、今でも思わず見てしまう。

 助手席にいる私の視線に気付いたジャックに「どうかしましたか」と聞かれて、私は咄嗟に別のことを口にした。


「あ……その、アーティはベラさんが苦手なんですか?」


 ベラがいる間、アーティは結局、庭に隠れたまま出てこなかった。

 彼女が帰った後、ガーデンシェッドの裏手に迎えに行くと、リラの木の根元で小さく丸まっていた。ずいぶんと怯えた様子だった。

 その後、夕方にベラの所に行くといったジャックに、アーティは耳をぴんっと跳ねさせ、二階に上がってしまった。アーティはクッションを咥えて、私の部屋のベッドの下に伏せていた。行かないアピールだった。

 ブラッシングで機嫌は多少直ったものの、アーティは留守番を希望した。今はリビングの住人となって、ぴすぴすと鼻を鳴らして寝ていることだろう。

 私の問いに、ジャックは苦笑する。


「ええ。アーティが小さい頃に彼女に遊ばれ……いえ、可愛がってもらったのですが、そのときに苦手になったようで。その、ベラは愛情表現が少々激しくて……」


 ジャックはフォローを入れるが、私は何となくアーティの気持ちが分かった。

 初対面の私も、彼女には少し苦手意識を抱いている。もともと人づき合いが苦手なせいもあるが、あの琥珀色の目にじっと見られると、どこか落ち着かない。

 ふと思い出して、ジャックに尋ねる。


「あの、ベラさんはいったい何者なんですか?」

「ああ……彼女は、いわゆる『魔女』ですよ。もとは人間だったと聞いていますが……。私が最初に会った百年ほど前には、すでにあの姿で、魔女だと名乗っていました」

「魔女……」


 言われてみれば、たしかに魔女以外思いつかない。

 ジャックは西に向かう一般道路に車を乗り入れて走らせながら、言葉を続ける。


「彼女は保護官としては優秀な女性です。異人に関する知識は豊富で、保護官の経験も長い。今回の件も勉強になるでしょう」


 ジャックは淡々とベラを褒めた。その表情には、午前中のような苦い色は無かった。

 それ以上話すことも思いつかず、私は前を向く。

 アーティのいない、ジャックと二人きりの車内。何か話題を考える前に、ジャックがラジオのスイッチを入れた。流れるのは、静かなギターの音色だ。

 思えば、ジャックの家のリビングで過ごす時もこんな感じだ。

 ジャックは好きなレコードをかけたり、本を読んだりとマイペースに過ごしていた。次第に慣れてきた私も、タブレットでミステリーものの海外ドラマ(イギリス国営放送のものだから、国内ドラマと言うべきか)を見たり、膝に乗ってくるアーティをブラッシングしたりしている。

 一緒にいるからと、無理に会話をしなくてもいい。それぞれ好きなことをして、時折「今の曲、素敵ですね」「そのドラマの原作本、ありますよ」とぽつぽつ話す。気負いのないやり取りは、居心地が良かった。

 ふっと肩の力を抜いて窓の外を見ると、夕陽に照らされた緑の丘がある。珍しく綺麗に晴れていた。

 柔らかな黄金色の光に包まれたコッツウォルズの夕景は、何度見ても美しい。


「きれい……」


 遠くゆっくりと流れる景色を見ながら呟けば、「ええ、そうですね」とジャックがさりげなく返してくる。

 その後の穏やかな沈黙は、息苦しく感じなかった。



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