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英国カントリーサイドの吸血鬼   作者: 黒崎リク
第二章 めぐり出会う、四月
14/47

(2)


 種をまき終えたコンテナに、じょうろでたっぷりと水をやって、換気のいい場所に移動させる。片づけを終え、軍手を外した時だった。

 ジャックとアーティが、はっと顔を上げる。ジャックは眼鏡の奥の目をわずかに見開き、アーティのブルーグレーの耳先がピクリと動く。

 アーティは勢いよく立ち上がり、ガーデンシェッドの裏手へと駆けていった。

 急にどうしたのだろうか。首を傾げる私に、ジャックは少し困ったような笑みを見せる。


「来客のようですね」


 ジャックの言葉の直後、玄関のノッカーを軽快に叩く音が聞こえてくる。


「ジャック~? アーティ~? いるんでしょう?」


 響いてくるのは若い女性の声だった。

 来客ならお茶の準備をしなければ。キッチンに向かおうとしたが、どこか苦い表情のジャックに止められる。アーティもジャックも様子がおかしい。


「ジャック、どうしたんですか?」

「あなたはアーティを探してきてくれますか? 来客の相手は私がしますので――」


 ジャックにそう指示された直後、ポーチの扉が室内からばんっと大きく開かれた。


「はぁい、ジャック! 元気にしてた? やぁだ、相変わらず年寄りくさい格好して! あら、アーティは逃げたの? 相変わらずシャイな子ねぇ。あとでたっぷり可愛がってあげる。ああ、あなたが例の子ね! やだボーイッシュね、可愛い! 歳はいくつ? ねえ、お姉さんと遊ばない?」


 扉から出てきた赤い巻き毛の女性が、勢いよくまくし立てながら、私の方へ詰め寄ってくる。


「あ、あの……」

「……ベラ、そこまでにしてください」


 驚く私の前に盾になるように、苦い顔をしたジャックが立ち塞がった。




   ***




「はじめまして。イザベラ・ミラードよ。ベラでいいわ」


 ベラは美しい女性だった。

 二十代後半くらいだろうか。背は高く、胸は大きく、腰はきゅっとくびれた見事な肢体を、白い花柄の緑色のワンピースに包んでいる。

 艶やかな赤茶色の長い巻き髪。長い睫毛に縁どられた大きな瞳は、赤みがかったアンバー。ふっくらとした唇には真っ赤なルージュがひかれて、暗いブラウンのアイシャドウとよく合っていた。

 黙って微笑んでいると妖艶な雰囲気があるが、表情がくるくるとよく変わる。快活な笑顔は彼女を華やかに見せるとともに、気さくな雰囲気を感じさせた。

 立ち話も何だから、とベラに先導されてリビングに場所を移し、今はなぜか二人並んでソファに座っている。別のソファに座ろうと思ったが、手招きされて断れなかったのだ。

 隣にいるベラに、私は軽く頭を下げた。


「サキ・シキシマです。日本から来ました。異人管理局の……」

「ええ、知っているわ。新人の女の子。保護官になるのよね?」


 ベラはにっこりと笑って「なんで知っているかって? うふふ、知りたい?」と悪戯っぽい笑みで聞いてくる。この若干強引な感じ。エルフのルカを思い出す。

 私が答えに迷っている間に、ベラは気にした様子も無く話し出す。


「私もね、管理局の保護官なのよ。ここの隣の地区……西側の、ほら、ブロードウェイを含む地区の担当をしているわ」

「そうなんですか?」

「ええ。だからジャックとは長い付き合いなの。私の方が保護官歴は長いから、いわば先輩ね」


 吸血鬼のジャックの先輩。彼女はいったい何歳なのだろうか。そもそも人間なのか。

 ベラの見た目は若々しい。エルフのように長命な種族の異人なのかもしれない。

 頭の隅で考えていると、ベラがぐいっと私の方へ身を乗り出してきた。


「ねえ、サキ。あなた、どうせならうちに来ない? 私の方が保護官の経験は多いから、いろいろ教えてあげられるわ。だいたい、あなたみたいに若い女の子が、こんな男やもめの家で一緒に暮らすのも不便でしょう?」

「いえ、そんなことは……」


 身体を近づけてくるベラの、白く豊かな胸元を間近で見ることになり、同性ながらもどぎまぎする。目線をさ迷わせながら返答に窮する私に、助け船が出された。


「サキ。キッチンにクロテッドクリームとジャムを忘れてきました。申し訳ありませんが、取ってきてもらえますか?」

「は、はい」


 テーブルで黙々と紅茶を入れていたジャックに硬い口調で言われ、私は急いでソファから立ち上がった。

 逃げるようにキッチンに入ると、テーブルの上にはお盆が用意されていた。

 スコーンに添えるクロテッドクリームと赤いベリーのジャム、マーマレード、それにレモン風味のバタークリーム……レモンカードの瓶が、銀色のお盆に整然と並べられている。ジャム用のスプーンと、クリーム用のバターナイフも。

 これだけきちんと準備しておいて、『忘れた』わけではないだろう。

 突然の来客に緊張する私への気遣いもあるだろうが、ジャックはあまりベラと関わってほしくなさそうだった。いつもよりも少し態度が硬い。

 ふと、ベラの台詞の一部を思い出す。『男やもめ』ということは、ジャックは結婚していたのだろうか。

 長い付き合いと言うだけあって、彼女はジャックのことをよく知っているようだ。先日のルカといい、ジャックの友人はいろいろと私に構ってくる。

 それも仕方のないことだ。

 私は異人にとって、決して無害な人間ではない。


 ……もしかしたら、ルカもベラも、ジャックを心配して来るのだろうか。私が〝危険〟かどうかを確認するために――。


「……」


 いや、考えすぎだ。それに、私はジャックを害するつもりは無いのだから、いちいち怯むことは無い。

 お盆を抱えてキッチンを出た時、ジャックとベラの会話がかすかに聞こえてきた。英語以外の言語だったので、会話の内容は分からない。

 だが、私に聞かれたくない話をしていることは分かった。

 入っていいのだろうかと足が竦む。入口の手前で立ち止まっていれば、「サキ」とジャックが呼ぶ声がした。

 そろそろと顔を出すと、ベラが笑顔で迎える。華やかな笑顔だが、今は少し怖く見えてしまう。「ありがとう、サキ」と、赤い唇から出る言葉は、聞きなれた英語に切り替わっていた。


「ジャックにこき使われて大変ねえ。やっぱり私のうちに来ない?」

「ベラ。あなたの方こそサキをこき使う気でしょう。だいたい、私の方があなたより家の中のことはできます」


 呆れたように眉を顰めるジャックの口調からは、硬さが抜けていた。

 ジャックは、お盆を置いた私を自分の隣にあるスツールへ座るよう、手ぶりで示した。ベラの隣に座らずにすみ、内心で胸を撫で下ろす。


「さて。ベラ、いったい用件は何ですか?」


 早々に話を進めようとするジャックに、ベラは優雅にスコーンを割って、クロテッドクリームとジャムをたっぷり乗せて一口齧る。

 唇の端についたクリームを舌で舐め取ったベラは、「やっぱりおいしいわ」と頬を緩ませた。少女めいた無垢な笑顔も、彼女によく似合っていた。


「ベラ」

「もう、そんなに急かさないで」


 食べかけのスコーンを皿に置いたベラは紅茶を一口飲んでから、ジャックと、そして私を見つめた。


「ジャック。あなた、日本語話せるわよね?」



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