098:久我山の答え
深夜の治療が無事完了した翌日、私は初音と久我山を伴って、再び病院を訪れていた。
昨日は明け方近くまで作業を行い、そこから先生を送っていたため、私は完全な徹夜となってしまった。
久我山にしても、家に戻ってから眠る時間は殆ど無かっただろう。
その上、長年の悩みが解決し、さらには先生にあんな質問を投げかけられたのだ。
すっかりと舟を漕いでいた様子からしても、昨日はほとんど眠れなかったことだろう。
「さて……久我山、心の準備はできているな?」
「ああ、大丈夫だよ。僕なりに、ちゃんと考えたから」
目の下に隈を作ってはいるものの、久我山の表情はすっきりとしている。
どうやら、彼の言う通り、自分の中で決着をつけることは出来たらしい。
ならば、後はその答えを聞くだけだろう。そのためにも、まずは彼の十年間の戦いに終止符を打たねばなるまい。
久我山の言葉に頷きつつ、私たちは病院の受付へと足を運んでいた。
「こんにちは、今日も面会に来ました」
「あら、久我山君!? ちょっと来て、大変なことがあったのよ!」
既に顔見知りである久我山が受付を行った方が早かろうと、彼に頼んだのだが――どうやら、既に状況は知れ渡っているらしい。
まあ、不治の病と思われていた患者が、一晩で唐突に直っていれば話題にもなるだろう。
尤も、久我山はこの状況になっていることを既に予想していたようだ。
彼は落ち着いた表情のまま、受付の担当に対して言葉を返していた。
「はい、その事について話があります。この二人と一緒に面会したいんですけど、今は大丈夫ですか?」
「もう知ってたの? それなら良かった、面会ならいつもの病室よ。今日はご両親もいらっしゃるみたい」
「っ……分かりました、ありがとうございます」
にこやかに返事をする久我山ではあるが、その体は僅かに強張っていた。
エレベータの方へと向けて歩き出すその背中を追いかけながら、隣の初音が心配そうに声をかける。
「大丈夫ですか、久我山君。随分と緊張していますけど……」
「……ありがとう、水城さん。でも、これは最初から予想していたことだからさ」
緊張している様子ではある。だが、それでもその声は落ち着いていた。
これはどうも、今回の件で緊張していると言うよりは、雲井優奈の両親のことを苦手としている反応にも思える。
事情にはある程度踏み込みはしたものの、過去――雲井優奈が怪我を負った経緯については、私も未だ踏み込んではいない。
まあ、いざとなれば私が口を挟むとしよう。彼は既に、私の庇護下にあるのだから。
会話は少なく、私たちは病院の廊下を進む。この道を歩いたことは無いというのに、病室には既に行った経験があるというのは、何とも不思議な感覚だ。
「……む?」
強化されている私の聴覚に、幾人かの人間が話し合う声が聞こえてくる。
医学的な専門用語がいくつも出てきていることから、一人は医者であることは間違いないだろう。
声の出所は例の病室であるから、恐らくは雲井優奈の担当医の声であるはずだ。
では、残る声は――
「……行こう」
小さく、まるで自分に言い聞かせるかのように、久我山はそう口にする。
そして彼は、引き戸の前で一瞬手を震わせたものの、意を決したかのように病室のドアをノックしていた。
部屋の内部からは話し合っていた声が途切れ、誰何の声が上がる。
『……どなたかな?』
「久我山です。今はお邪魔しても大丈夫ですか?」
『雪斗君!? うん、入って!』
『こら、優奈――』
諌めるような声が聞こえたものの、久我山は軽く肩を竦めて部屋の扉を開く。
そうして視界に飛び込んできたのは、四人の男女の姿だった。
一人は雲井優奈、他には三人の大人が並んでいる。一人は白衣を着ていることから、この病院の医師であることが分かるだろう。
そして、残る二人は――
「お久しぶりです。おじさん、おばさん」
「……ああ、久しぶりだね、雪斗君。ところで、後ろの二人はどなたかな?」
どうやら、雲井優奈の両親で間違いは無いようだ。
久我山に対する態度が少々硬いが……僅かに確執が有るようにも感じられるな。
まあ、娘が怪我を負った原因が久我山であると言うのならば、その態度にも多少は納得できるが、それでも十年間そのままというのは少々頭が固すぎる。
恨みや憎しみといった強い負の感情は、よほどのことが無い限りは風化するものだ。
それを維持し続けるほどの妄執があるようには見えんし、単純に意固地になっているだけにも見える。
何にせよ――あまり、大人らしい態度とは言えないかもしれないな。
内心でそう考えながら肩を竦め、私は二人に対して口を開いていた。
「初めまして、雲井優奈さんのご両親ですね。私は灯藤仁。四大の一族、火之崎が分家、灯藤家の当主です」
「私は四大の一族、水城初音と申します。灯藤家の当主夫人となる予定の者です」
「っ、四大の一族!? こ、これは、とんだご無礼を……」
その言葉に大きく反応したのは、雲井優奈の母親だった。
どうやら、彼女は四大に一族に対して敬意を持っている類の人間らしい。
これなら、多少はやり易いか。
「本日は、娘さんの現在の状態について説明するために足を運びました。今からお話をしてもよろしいですか?」
「な……と、と言うことは、彼女の病状が一気に改善したのは、あなた方の仕業だと!?」
「仕業とはまた大層な言い方ですが……否定は出来ませんね。人目を忍んで治療を行ったわけですから。ですが、それはご容赦いただきたい。火之崎が懇意にしている治癒術師ゆえ、外部にその姿を見せる訳には行かないのです」
肩を竦めつつ、畳み掛けるようにそう告げる。
まあ、実際は火之崎のお抱えではないのだが、別に嘘は言っていない。先生と火之崎が懇意にしていることは事実なのだから。
私の言葉を聞いた母親は、既に平伏せんばかりの様子だ。
だが一方で、父親の顔色は悪い。恐らくは対価に関する不安だろう。それほどの治癒術師が出張ってくれば、対価の金額はとんでもないことになる。
正式な手順を踏んで先生に依頼をする場合、実際に億単位の値段が動くのだから、無理も無い反応だと言える。
「さて、娘さんの状態ですが……この部屋に残しておいたカルテの通りとなっています。寸断していた魔力回路の復元は完了し、リハビリを続ければ完全な健康体となれるでしょう」
「……なぜ、四大の一族の方が、そのようなことを? 娘は、四大の一族とは何ら関わりは無いはずですが」
「ええ、その通りですね。私が今回手を出したのは、彼の……ここにいる久我山雪斗からの協力要請があったからです。彼の身柄と引き換えに、雲井優奈の治療を行いました」
久我山からの依頼が無ければ、そもそも関わることすらなかっただろう。
その場合、果たして雲井優奈はどうなっていただろうか。
想像することしかできないが――何にせよ、こうして約定は果たされたわけだ。
だが、その言葉に反応するものは、決して少なくはなかった。
「ま、待って。雪斗君の身柄って、どういうこと!?」
「こら、優奈! 貴方を治療してくれた方なのよ、何て言葉遣いをしているの!」
「あまり畏まる必要もありませんよ。私は、久我山のクラスメイトでもありますから。まあ、それはともかく……彼が将来我が灯藤家に所属することと引き換えに、彼女の治療の依頼を受けた、と言うことです。彼は既に灯藤の、ひいては火之崎の所属となっています」
雲井優奈の治療が果たされた時点で、久我山が灯藤家へ所属することは確定した。
まあ、仮に上手く行かなかったとしても、既に引き返せないところまで踏み込んできてしまってはいたのだが。
私としても、魔法消去を操れる久我山を手放すつもりは毛頭ない。
ここで逃せば、生涯手に入らないような人材なのだ。だが、雲井優奈はその言葉に過敏に反応してきた。
「そんな……雪斗君、どうして!? そこまですること……自分を犠牲にする必要なんてなかったのに!」
「犠牲、か。ねぇ、優奈ちゃん――」
久我山が、視線を伏せる。
けれど、その言葉は確かに強く――決意の込められた声音だった。
「何故、僕が灯藤君に付いたことを、犠牲だって言うんだい? これは僕が十年間で初めて……自分の意志で決めて、望んだことだよ」
「え……でも、雪斗君は、私のために――」
「違うよ。君のためなんかじゃない。僕は、僕のために、ただ言われるがままに生きてきた人生を否定しただけだ」
告げて、久我山は顔を上げる。
微塵の迷いも無く、ただ心からの決意と共に、久我山は雲井優奈の視線を見つめ返していた。
これが己の答えであると、胸を張りながら。
「あの日から、僕の人生に、僕の意思なんて無かった。おじさんにどう責任を取るつもりだと、君を必ず治せと叫ばれたあの日から……僕は、貴方たち一家の意思にのみ従って生きてきた。治す方法を探せと言われたからひたすら知識を求めた、見舞いに来て欲しいと言われたから、必ずここに訪れた! 僕に、選択の余地なんて無かったから!」
「雪斗、くん……? 何を、言って」
放たれた言葉は激情だ。それは十年間押し込め続け、我慢に我慢を重ねてきた思い。
けれど、最早その枷は無い。だからこそ、久我山は心のままに叫んでいたのだ。
己の十年間を、目の前の一家に叩きつけるかのように。
「遊ぶ暇なんて無かった。必死に勉強を続けた。最高学府まで辿り着いて、それでも方法が見つからなくて、それでも僕に諦める選択肢なんて与えられなかった! 友達だって作れなかったさ、僕が求めたのは、君を治せる可能性のある、高位の魔法使いの家柄との伝手だけだったから!」
「……私欲を感じないはずです。貴方に、私欲なんて無かったんですね、久我山さん」
「ああ、その通りだよ水城さん。全て彼女を治すため。そこに僕の意思なんか無い。君たちはそれを、邪な感情は無いと評価してくれたみたいだけどさ」
自嘲するように、久我山はそう吐き捨てる。
久我山から、どこか空虚な気配を感じていた理由はそれだろう。
久我山はただ、己を支配する義務感にのみ従って生きていたのだから。
「真っ当に友達と呼べる人間なんて――ああ、でも一人だけいたか。始まりは、結局打算だったけどさ……何にせよ、僕はもうウンザリなんだ。こんなことを続けたくない。僕は、僕自身の決断で生きていたい。だから……僕は、こうして彼に助力を求めたんだ」
「な、何で? 仕方なく、やったんじゃないの?」
「理由なんて何だっていい。これは、僕が自分で下した結論だ。僕は――責任を果たしましたよ、おじさん」
じっと、父親の目を見つめて、久我山はそう告げる。
その言葉に、彼は思わず息を飲んでいた様子だった。
まあ、無理も無い反応だろう。今の久我山は、それほどまでに強い意志を示しているのだから。
「雪斗君……確かに、君は娘を救ってくれた。もう二度と日常生活には戻れないだろうと言われていたのに、それを覆して見せた。見事だ、返しきれないほどに感謝しているとも」
「ええ。そして……僕はもう、あなた方一家に関わるつもりはありません」
「ッ、雪斗君!?」
雲井優奈から、悲鳴のような声が上がる。
どうにも、人間関係そのものが随分とこじれている様子ではあるが、久我山の結論も無理からぬものであろう。
久我山にとって、この雲井一家は過去の過ちと凍りついた十年間の象徴だ。
好き好んで関わりたいと思うはずも無いだろう。ましてや、相手が自分を押し込めてきた存在だと言うのなら、それも当然のはずだ。
だからこそ――
「っ……待ちたまえ、雪斗君。確かに、優奈の体は癒えたが、すぐに退院できるわけではないんだ。ここで関係を絶つなど、無責任と言う――」
「――口を閉じろ、愚か者が」
――その発言を看過することは、私には出来なかった。
元より、この男のやったことについては相容れないと考えてはいたが、ここまでの愚か者だとは考えていなかった。
未だ、己の仕出かしたことを理解できていないと言うのなら――
「その恥知らずな口で私の部下を侮辱すると言うのならば、私はお前のことを敵と見做す」
――それを、骨身に渡るまで理解させてやるとしよう。




