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汝、不屈であれ!  作者: Allen
第5章 銀糸の支配者
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097:深夜の治療












 先生から許可を貰った、その日の夜。

 私は、リリの隠蔽結界を最小単位まで縮めつつ、先生の屋敷で待機していた。

 一ヶ月前まで暮らしていた屋敷であるが、既に懐かしく感じてしまうこの場所。

 十年間も暮らしていただけに、私にとっては第二の故郷とも言えるような場所となっていた。



(いや、第三と言うべきか)



 前世の光景を脳裏に浮かべながら、私は小さく苦笑する。

 気付けば、私は既にこの世界で十五年も過ごしていたのだ。

 長いようではあるが、私の主観では、それこそ矢のごとく過ぎ去っていった時間。

 あの無意味で空虚な八つ当たりの日々と比べれば、驚くほどに充実した毎日であると言えるだろう。

 この当たり前の日々がどれほど幸福なことか、そして無為に過ごす日々のどれほど不幸なことか。

 今の私には、それが痛いほどに理解できる。だからこそ――



(あの懸命に生きる若者に、あのような思いをさせる訳には行かんよ)



 リリがこちらへと近寄ってくる。僅かな緊張の見えるその視線に、私は視線を細めて立ち上がっていた。

 どうやら……全ての準備は整ったようだ。



「じん、向こうは準備完了」

「分かった。すぐに作戦を開始しよう……先生」

「はい、準備できていますよ」



 黒い鞄を手に持った先生は、しかしいつも通りの割烹着姿で姿を現す。

 本当ならもう少しそれらしい格好をして欲しいところなのだが、まあ先生の場合、格好程度でどうこうなるようなことはないだろう。

 先生の治療の場合、体を切開するようなことはまずない。

 おおよそ、外部から魔法による干渉だけで、あらゆる症状を治癒してしまうのだ。

 自身で殺菌消毒の結界を纏うことも可能であるし、緊張感が皆無であること以外の問題はないだろう。



「よし、では行きましょう。リリ、こちらに残した分体は、隠蔽結界の維持を頼む」

「ん、わかってる」

「頼んだぞ。では先生、こちらへ」

「ええ。ぐーちゃん、お留守番をお願いね」



 ぎー、と良く分からない鳴き声を上げるぐー師匠に見送られながら、私と先生はリリの敷いた刻印術式の絨毯の上に立つ。

 リリが完成させたこの転移術式は、刻印と言う非常に安定した術式形態ながらも、かなり大量の魔力を必要とする。

 私の場合、三度発動させればそれで限界となってしまうだろう。

 先生の場合は多少使ったところで堪えることはないだろうが、それでも治療の前に無駄な魔力を使わせることは避けたい。

 幸い、私は昼にこちらに移動してきたのだ。魔力もそれなりに回復している。



「では先生、先ほど説明しましたが……転移先は、件の患者の病室になります。向こうでは、既にリリの分体が待機し、部屋を確保隠蔽してある状態です」

「移動したら、すぐに治療を開始するということでいいのですね?」

「はい、それでお願いします。向こうには患者の事情に詳しい関係者が一人待機していますので、話の聞き取りはそちらからお願いします」

「ええ、確認しました。では、向かうとしましょう」



 先生の言葉に頷き、私は足元の術式へと魔力を注ぎ込む。

 かなり大量の魔力を注ぎ、その魔力が逃げぬように制御を継続して――ようやく、魔力が臨界点へと到達する。

 その瞬間を逃すことなく、私は転移術式を発動させていた。

 感じるのは一瞬の浮遊感。視界は一瞬で消え、落下するような感覚を覚え、そしてその次の瞬間には視界内の景色が一変していた。

 魔法による証明で照らされていた木造建築ではなく、暗闇に包まれた病室。

 足元の刻印術式が放つ魔力の残光に照らされたそこは、紛れもなく目標の入院している個室だった。



「っ、灯藤君、やっと来たんだね」

「済まない、待たせてしまったようだな」

「ああ……いや、ごめん。正直、緊張しっぱなしだったから……けど、君の従者は本当にすごいね。巡回に来たナースたちが誰も僕たちに気づかなかったよ」

「はは、自慢の従者だよ」



 深く溜息を吐く久我山の様子に、私は苦笑しながらそう返す。

 久我山は、このベッドで眠る患者――雲井優奈の関係者であり、彼女の病状を最も良く知る人間の一人だ。

 彼女の状態に関して先生に説明するためには、久我山に話してもらうことが最も都合が良かったのである。

 先生と接触させることのリスクはあったが、やはり治療を確実にするためにはこうする必要があった。

 先生がこちらに来る時間を最小限に留め、その上で久我山に説明してもらうために、彼にはこうして病室で隠れて待機して貰っていたのだ。

 私が来たことで安堵した様子の久我山は、ようやく緊張が解けたのか胸を撫で下ろし――そして、私の後ろに立っていた先生の姿に目を見開いていた。



「っと……灯藤君、彼女が?」

「ああ。この人が、私の知る限り最高の腕を持つ治癒術師だ。生憎、名前を明かすことはできないが……私は、この人のことを『先生』と呼んでいる」

「先生、か……あの、僕もそう呼ばせて頂いても?」

「ええ、構いませんよ。先生と呼ばれるほど大層な人間でもありませんが」



 先生が大層な人間でなかったら、この世に『大層な人間』など十人もいないだろう。

 そうは思ったものの、その言葉は胸の内に留めておく。

 ちなみにだが、先生の容姿については、あらかじめリリに説明させておいた。

 先生の見た目は、殆ど女子中学生と変わらない程度のものなのだ。それを世界一の名医だと言っても、到底信用できないだろう。

 この場で押し問答をしてしまっては、あまりにも時間が勿体無い――少し雑談してしまったが、時間が惜しいことは事実なのだ。



「先生、早速ですが――」

「はい、診ていくとしましょうか」



 頷き、鞄を私へと手渡した先生は、そのままベッドに眠る雲井優奈へと近づいていく。

 彼女の傍にはリリが控えており、催眠の術式によって彼女を深い眠りへと落としていた。

 こうして周りに幾人もの人間がいても、彼女が起きる気配はない。

 リリの術式ならば、彼女に気づかれる心配はないだろう。

 とは言え、ここは病院だ。ナースが定期的に巡回していることに変わりはない。

 一応、無意識かに働きかける結界によって異常がないことを誤認識させているらしいが、それでもいつまでも余裕があるわけではない。



「さて――」



 ふわりと、黄金の魔力を纏う先生の右手が、雲井優奈の体の上へとかざされる。

 頭の上から、ゆっくりとなぞるように腰の方へ。

 しかし、先生の手はそこで一度止まり、再び腹の方へと戻されていた。



「……久我山君、でしたね」

「は、はい!」

「彼女がこの状態になったのはいつのことですか?」

「え? ええと……四歳から五歳の頃、だったかと」

「成程。原因は、魔法を使おうとしたことですね?」

「っ!? は、はい、合ってます」



 驚いた表情で、久我山は何度も首肯する。

 どうやら、先生は今の僅かな診察のみで、彼女の病状の原因を把握してしまったようだ。

 しかも、その原因までも特定してしまうとは、流石としか言いようがない。



「先生、彼女は幼い頃に魔法を使い、暴発させたと言うことですか?」

「それは間違いではないでしょうが……ただ暴発させただけの怪我なら、とっくに完治しているはずですよ。彼女のこれは、もっと根が深いものです」



 視線を細めながら、先生はそう呟く。

 確かに、単純な怪我であるならば、魔法医療が発達したこの世界ならば問題なく完治することだろう。

 だが彼女は、今もこうして病床についている。

 それには何か別の原因があると、先生はそう言っているのだ。



「原因は、魔力暴走による体内魔力回路の寸断ですね。人工的に魔力を供給しなければ、彼女の体は内側から壊死していく」

「それは……本来、即死していないとおかしい状態では?」

「ええ、体が出来上がった大人であれば、間違いなく即死しています。ですが、彼女がこの状態に陥ったのは、まだ幼い子供の頃。魔力回路も細く、保有する魔力も少ない状態だったからこそ、彼女は死なずに済んだのでしょう」



 それでも、かなり奇跡的な状態であると言わざるを得ないだろう。

 魔力回路は、人体にとっては血管――それも、非常に太い動脈に等しいものだ。

 そこから体の各器官に魔力が供給されなければ、人間は体の状態を維持することができない。

 魔力の枯渇が死に直結するのは、その魔力供給が途絶えてしまうためだ。

 少ない魔力で稼動できる子供の頃の事故だったからこそ、彼女は今こうして生きながらえているのだろう。



「ですが、これは……」

「な、何かあるんですか?」



 言葉を濁らせた先生の様子に、久我山が不安げに問いかける。

 ここまでで先生の技量は十分に理解できただろうが、実際に治療できるかどうかはまた別の問題だ。

 だが、そんな久我山の様子に、先生は安心させるように淡く笑みを浮かべる。



「大丈夫ですよ、私なら治すことができます。仁君にやったように、本来あるべきではない場所に魔力回路を移動させるような処置でもありませんから、負担も少ないでしょう」

「ほ、本当ですか!?」

「ええ、勿論です。ですが、彼女には注意して貰わなければならないことがあります」

「優奈ちゃんに注意して欲しいこと、ですか?」



 久我山の言葉に、先生はこくりと頷く。

 その、淡く燐光を纏う視線を、雲井優奈へと向け直しながら。



「詳しい話は、後ほどカルテに纏めましょう。ご家族への説明は……仁君、任せてもいいですね?」

「ええ。確かに伝えておきます。後で私にも資料をいただければ、読み込んでおきますよ」

「お願いしますね。立場のある人間が説明したほうが良いでしょうから」



 私も学生とは言え、四大の一族の分家当主だ。

 病院を納得させるにも十分なネームバリューはあると言えるだろう。

 先生のカルテの読み方については、十年間の内に教えてもらった。

 少々独特な書き方ではあるのだが、慣れてしまえばどうということはない。



「後処理のことはそのぐらいにして、処置にかかるとしましょう。少し、時間は掛かりますが」

「リリ、大丈夫か?」

「三時間ぐらいなら問題ない」

「それだけあれば十分ですね。あるべきものをあるべき場所に戻すだけなら、それほど時間も掛かりません」



 まあ、それができる人間がいなかったからこそ、彼女はこうして十年近く入院していたのだろうが。

 相変わらず源泉の良く分からない技術と知識ではあるが、今更その知識と技術を疑うようなことは無い。

 先生ができると言ったならば、必ず治すことができるはずだ。

 故に、私は安心感を持って、先生の処置を観察する。



(……私に行った施術と同じような術式だな。だが、彼女が痛みを感じている様子はない)



 金に輝く手の平をかざす先生が展開している術式を、《掌握ヴァルテン》を以って観察する。

 見えたのは、確かに私に対して施術を行った時とほとんど同じ術式だ。

 細部に違いはあれど、術式に込められた目的は変わらない。

 私があれを受けたときは、軽減のできない痛みに苦しむこととなったのだが……何か、改良でも加えたのだろうか。

 まあ、寸断していた魔力回路を元の状態に戻すのと、元々無かった場所に魔力回路を移すのでは、色々と勝手が違うということだろう。



「ああ、それと――久我山君」

「は、はい! 何でしょうか」

「先達者からの助言です――過ぎ去った過去を悔やむことは、決して悪いことではありません。それもまた、己の力となることはあるでしょう」



 手を止めず、視線を逸らすことも無く、先生は滔々とそう告げる。

 その言葉は、どこか久我山を通して、私自身に対しても語りかけてきているようであった。



「けれど、過去に囚われてはなりません。後ろを見続ければ、いずれは先に何もないことに気づいてしまうでしょう」

「先、ですか? 僕に、そんなことは――」

「未来を夢見る権利を否定することは、何処の誰にも出来ません。貴方の禍根には、私が決着をつけましょう。ならば貴方は、その私への報酬として、せめて前を向いてください」



 先生が告げた言葉に、久我山が息を飲む音が響く。

 そんな彼へと、先生はただ、淡く微笑みながら続けていた。



「貴方は今、何をしたいですか?」

「……僕、は」

「何をしたい、ただそれだけでいいのです。全てのしがらみを取り去って、その先にある単純な自分の願い。その答えを、仁君に聞かせてあげてください」



 言葉を受けて、久我山は沈黙する。

 これまで十年近く囚われて来た檻の中から、僅かに見えた光に目を眩ませて。

 沈黙の降りた病室の中――ただ、淡い黄金の光だけが、私たちの姿を照らしていた。





















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