095:久我山の決意
休日の明けた月曜日、私は早速、久我山に対する対応に乗り出していた。
やるべきことはまず二つ。久我山の意思確認と、先生への依頼だ。
後者については、あくまでも久我山が助けを求めてきた場合のみに収めておくべきことになる。
先生に対して、患者の存在を告げた上で『やっぱりいいです』などとは流石に言うことはできないからだ。
先生との接触には色々と気を遣わねばならないし、準備時間的な意味でも先に久我山との話をしておくべきだろう。
ともあれ、まずは久我山との接触だ。
先日と同じように図書館の一角を陣取っていた久我山を発見した私は、話があると告げて、彼と共に図書館の個室へと足を運んでいた。
流石に、先生の話を他の耳がある場所でするわけには行かない。
「で、何だよ、灯藤君? わざわざ個室まで借りちゃってさ」
「他には聞かせづらい話だったからな。私にとっても、お前にとっても」
「……へぇ」
私の言葉に、久我山が目を細める。
警戒している様子だな。まあ、流石に無理もないだろうが。
一目を気にするような話となれば、それだけ込み入った話になることは目に見えている。
「さて、まずは確認だが……お前の抱えている事情は、医術に関連するものだな?」
「……まあ、こんな所でこんな本を読んでるぐらいだから、それは否定も出来ないね」
「そうだな。そして、これだけの専門書……研究機関ですらお目にかかれないような本すら漁れるこの場所だ。高校から読めるようになった本も含めて、それなりに調査も進んだだろう」
「……まあね」
久我山の表情が曇る。
リリからの話を聞く限り、久我山の悩みの種は、相当に難しい症状を抱えているはずだ。
となれば、知識が増えるにつれて、徐々に絶望し始めているのも頷ける。
先生にしか治せないような症状は、実質不治の病と変わらぬようなものだからだ。
久我山も、薄々気がつき始めているのだろう。問題を解決することがほぼ不可能であると言うことに。
故にこそ、彼に対して私の手札を告げる。部屋に張った結界が完璧であることをリリに確認し、私は声を上げた。
「では、率直に告げよう。私は、世界で最も優れた治癒術師との伝手がある」
「……え?」
「私の両親が誰なのかは知っているな? その伝手で、私はその人物の住居で十年間修行をしてきた。あの人の実力は、十分すぎるほどに理解している。あの人に治せぬものがあるなら、それは世界中の誰にも治せぬ症状だろう」
「……慎重派の君が、そこまで断言するほど?」
「ああ。何しろ、世界に頂点と認められている人物だからな」
十秘蹟の選考基準がどのようなものなのかは良く分からないが、少なくとも自分から名乗れるようなものではない。
先生が十秘蹟に数えられているのは、間違いなくその実力ゆえだ。
十秘蹟に他の治癒術師がいない以上、先生は間違いなく世界における治癒術師の頂点なのだ。
「……そんな凄い人物に、協力を仰げるって?」
「まあ、説得は必要だろう。難しい立場の人だからな……だが、お前が協力を求めるならば、私はあの人に頭を下げるつもりだ」
「……君の好意に対して、こう言うのは失礼だとは思う。けど、聞かせてくれ……どうしてそこまでしてくれる? 君に、僕を助ける義理なんてないだろう?」
半信半疑、と言ったところか。
まあ、彼はそこそこ世間慣れしている様子がある。
無償の好意など、警戒して当たり前のものだろう。
モノが大きければ大きいほど、警戒してしまうのは無理からぬことだ。
故に、私は正直に告げる。彼に対する、せめてもの誠意として。
「理由は二つある。一つは打算、一つは私の主義のようなものだ」
「打算とは、随分とはっきり言うね」
「利己的な理由がなくては、お前も信じがたいと思ってな。お前を引き込むことは、私にとっても利のある行為だ。言わずとも、分かっているだろう?」
「……あの時、目の前でやったのは失敗だったかな」
「それが幸となるかどうか、お前の選択次第だな。お前が私に協力を求めるなら、あの時の行動は間違いなく後押しとなったさ」
未だ物的証拠はなかったため、半ば鎌を掛けるような言い方をしたが、久我山はどうやらこちらが完全に気づいているものと判断したらしい。
刑事時代のやり口を思い出すようだが、自白してくれたのならば確証が持てる。
そして、そうなればますます、久我山は灯藤家に欲しい存在だ。
「あの人とのコネクションと言う切り札を切ってでも、お前は確保したい存在だ。納得しやすい理由だろう?」
「まあ、そうだけどね……と言うことは、君の主義とやらは、納得しがたい理由だってこと?」
「ああ、恐らくそうだろうな。本当に、ただの個人的な主義主張に過ぎん話だ」
久我山はどちらかと言えば現実主義者な人間だ。
私の個人的な干渉などが理由だと言われても、納得はし難いだろう。
だが、ここで隠し立てをするような理由もない。
彼の信用を得るためにも、正直に胸の内を明かすとしよう。
「私は、お前のことを友人だと思っている。そして、お前には初音と凛が世話になっていた。そんなお前が苦しみ続けなければならないことが、私には認めがたかったんだ」
「……それは」
「お前の抱えている問題は、とても大きいものだ。普通ならば、その問題を解決するためには長い……本当に長い時間が必要になる。遊びたい盛りの時期も、若人としての青春も、全てを捧げなければならないだろう」
こう言っては何だが、人生の浪費だ。
若い時期の経験と言うものは、何物にも代え難いほど貴重なものとなる。
そこで育んだ絆も、努力した経験も、全ては成熟していく為の糧となるべきものだ。
その全てを犠牲にしなければならないのは、私にはどうしても我慢ならない。
「私には、それが認められない。若者は決して、縛られて生きるべきではないのだ」
「……それを、四大の一族の君が言うのかい?」
「だからこそ、だ。私たちは兵器として生まれ、育てられた。それを否定するつもりもないし、そのあり方を義務とするだけの恩恵は受けてきた。なればこそ、私たち以外はもっと健やかに生きて欲しいと願う」
そこまで継げて、私は思わず苦笑していた。
久我山が手を取れば、厳密には異なるとは言え、彼も四大の一族に所属することとなる。
尤も、学生の時分からそこまでの仕事をさせるつもりはなかったが。
「まあ、四大に引き込もうとしている人間が言うことではないかも知れんが……少なくとも、お前に私たちのような生き方を押し付けるつもりはないさ。それは大人になってからで十分だ」
「……君と話していると、君が同年代だってことを忘れそうになるよ」
少し呆れた表情で、久我山は私に対してそう告げる。
だが、先ほどまで緊張で強張っていた彼の体は、弛緩したように背もたれへと預けられていた。
どうやら、一応は私の話を信じてもらえたようだ。
我ながら甘っちょろい理想論であったとは思うが……それでも、これは紛れもない本音。
ただの人として生まれたからには、せめて大人になるまでの時間は思うがままに生きてほしいものなのだ。
「私の胸のうちは、これで全てだ。後は、お前に任せよう」
「……その人は、治せる確証は無いんだよね」
「直接診ない限り、断言はできないだろうな」
いかな先生とは言え、この世にある全ての傷や病を治せるわけではない。
古くからの知識と技術があろうとも、病も医療も日々進化していくものだ。
それ故に、絶対などという言葉を使うことは決してできない。
先生とて、決して全能というわけではないのだから。
「その人が、協力してくれるかどうかも分からない」
「難しい立場の人だ。本来ならば接触することすら難しい。私ならば、接触することは可能だが――協力してくれるかどうかは先生次第だな」
先生は十秘蹟の第九位。あの人が禁域の奥に引きこもっているのは、その類稀なる技術と、不老の法が常に狙われるものであるからだ。
あの人を連れ出すにはそれ相応のリスクが存在する。
気付かれてしまえば、かなり大きな問題になる可能性も否定できないだろう。
「……ホント、分の悪い賭けだよね」
「ああ、否定はしない」
「とんでもなくリスクが上がってる」
「その通りだな。だが――」
「うん、でも……成功の確率も、これまでで一番だ」
久我山は、そう呟いて顔を上げる。
これまで苦悩に曇っていた彼の瞳。しかし今、その瞳の中には、強い輝き我と持っていた。
決意と、覚悟。これまでには無かった未知の領域へ、足を踏み入れようとする強い意志がそこにはあった。
その強い感情に、千狐の気配がじわりと揺れる。どうやら、強い魂の気配に高揚したらしい。
かく言う私も似たようなものだ。やはり、若者の立ち上がる様は美しい。戦いに挑むその姿は、何よりも尊重されるべきものだ。
「今までは、本当に勝算は何も無い状態だった。どうやったら助けられるのかなんて、これっぽっちも分からなかった。だけど……初めて、希望が見えたんだ」
「私は、お前ならばいずれ、時間がかかっても解決の糸口を見つけると思っていたがね」
「でも、可能性はそれよりも遥かに高い。僕が解決の糸口を見つけることができたとしても、君の紹介してくれる人には到底及ばないと思うからね」
まあ、それは否定できないだろう。
人間の人生で辿り着けぬ領域に、あの人は不老という性質によって辿り着いているのだ。
同じ条件で語ろうとするのは、流石に不利に過ぎるというものだろう。
それを理解したからこそ、久我山は私に対して手を差し出す。私への、協力を求めるために。
「お願いだ、灯藤君。僕に力を貸してほしい。その代わりに、僕は僕の力を……魔法消去の技能を、君のために提供しよう」
「分かった、私も、私の力の及ぶ限り、お前の抱える問題を解決することを約束しよう」
そう告げて、私は久我山と握手を交わす。
彼の手に残る僅かな震えは、思い決断をした名残か、将来に対する不安か――或いは、長年の悩みへと終止符を打てるかもしれない期待か。
何であろうと、これで賽は投げられた。後は、力の続く限り突き進むだけだ。
「では、今日は私たちの家に招待しよう。あそこでなら、色々と話をすることができるからな」
「君と水城さんの愛の巣じゃないか。お邪魔するのは申し訳ないね」
「はは、調子が戻ってきたか? それならまぁ、精々仲睦まじい所を見せてやるとしようか」
互いに笑い合いながら、私たちは頷く。
まずは、互いに情報の刷り合わせが必要になるだろう。
学校の後で我が家にて今後の行動方針について相談、そして早期に実行を開始する。
何にせよ、高度な情報封鎖が必要になるが――
『リリ、大仕事になってしまうが、任せるぞ』
『ん、勿論。大体のことは、わたしが何とかする』
『その意気だ……頼んだぞ』
先生に対する接触は、誰にも知られてはならない。
それこそ、火之崎にも、八咫烏にもだ。
本来、先生は国家レベルで秘匿・保護されているべき存在であり、いかな知り合いとて、その力を安易に使わせることはできない。
先生があの結界内から移動すれば、その所在はたちどころに国に知られることとなるだろう。
そんなあの人の力を、市井の一般人のために使おうとしているのだ。正式な方法を取ろうとも許可が下りるはずがない。
『自由になった途端にこれとは、お主も大層なことをしでかすのぅ』
『何、バレなきゃ大層でも何でもない。必要であれば、何でも利用すればいいだけだ』
さあ、するべきことは既に決まっている。
リリなら仕損じることはない。故に、後の問題は先生を説得できるかどうかと、先生に治療できるかどうかだ。
それを理解して――私は、その先に待つであろう久我山の出す『結論』に、思いを馳せていた。




