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汝、不屈であれ!  作者: Allen
第5章 銀糸の支配者
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094:少女の体

予約ミスってちょっと遅れました。












 人々の寝静まった真夜中。

 しかし、常に人の動き回る病院では、例え真夜中であろうとも、一定数のナースが巡回を続けている。

 そんな病院の一室、病室の主が寝静まっていることを確認し、ナースが退出した後の部屋。

 その部屋の隅に落ちていた、ビー玉程度の大きさの黒い塊が、突如としてぼこぼこと気泡を発するように膨れ上がっていた。

 ほんの数秒で1メートルほどの大きさに膨張した塊は、徐々にその姿を変え――その場に、一人の少女の姿が現れる。

 それは、久我山から離れて部屋に留まっていた、リリの一かけらから発した分体だった。



(さて……これでしばらくは、この部屋に入ってくる者はいないでしょう)



 近くに気配が無いことを確認し、リリは胸中でそう呟く。

 ショゴス・ロードであるリリは、その体が一かけらでも存在していれば、己の分体を作り上げることが可能だ。

 流石に、分体から分体へと次々と作り出して行った場合、徐々に己の意識が弱まってしまうのだが、孫に当たる程度の分体ならば全く問題はない。

 意識の薄まりを感じることすらなく、己の分体を完全に制御したリリは、そのまま音を立てずに部屋にあるベッドの傍へと近づいていた。



(雲井優奈……この少女の入院が、久我山雪斗にとっての問題ということですか。確かに、中々難しそうな問題ではありますね)



 傍に立つリリに気づく様子もなく安らかに眠り続ける少女の様子に、リリは胸中で嘆息する。

 治癒系統の魔法というものは、自分自身以外にかけるとなるとそれなりに難易度の高い魔法となる。

 自分自身の肉体であれば、その治すべき形というものを己の肉体と魂が覚えているのだ。

 そのため、魔法を使えば自然と、その治すべき形へと近づいていくこととなる。

 だが、他者の場合はそうは行かない。高度な人体に対する理解、そしてあるべき形を思い浮かべて魔法へと反映させる制御力。

 これらを以ってして、初めて他者への治癒魔法は本来の力を発揮するのだ。


 リリは治癒魔法に対する知識は持っているが、かつての古き時代と、現代を生きる人間の肉体の組成は完全に異なっている。

 その意識の乖離がある異常、リリが治癒魔法を扱うことには幾分彼の危険が伴うのだ。

 下手をすれば、人にあらざる怪物に変容してしまう可能性もある。



(まあ、簡単に治療できる程度の問題ならば、私でも制御しきる自信はありますが……さて)



 リリは手をかざし、少女へ向けて解析の魔法を発動する。

 今、彼女の体で起こっている問題が何なのか。

 一体どのようにすれば、それを解決させることが出来るのか。

 もしも己の手に負える内容であるならば、それを交渉材料とするために。

 そう考えながら少女の体へと術を走らせ――リリは、思わず絶句していた。



(これは……)



 理解する。これは、己の手に負える問題ではないと。

 否、それどころか――この世に存在する魔法使いの大半は、解決の糸口すら見つけることは出来ないだろうと。

 何故なら、この少女は、死んでいなければおかしい状態なのだから。



(……生きていることが奇跡。少しでも間違っていれば、彼女は今ここにはいない……凄まじく危うい均衡の上に、辛うじて成り立っている状態、ですか。これは、下手に手を出すことは出来ませんね)



 むしろ、この状況を安定させているこの病院の医療体制に対して、リリは感心を覚えていた。

 下手な――否、一流の魔法使いであろうとも、下手に手を出せば彼女の命はないだろう。

 現在の彼女、そしてこの状態になる前の状態を想像しながら、リリは胸中で呻く。

 この状態では、リリには手を出すことができない。

 もしも、この状態を解決できる存在がいるとすれば――リリの知識の中では、そんな存在は現在と過去を含めてたった一人しか存在していなかった。



(まあ、彼女に手出しが出来なければ、この世の誰にも手が出せないことと同じではありますが……一応の目星は付きましたね)



 解決には程遠いが、この問題を解決させるための可能性は手に入れた。

 だが、こうなると少々面倒ではある。

 自分達だけで解決できるならばあまり気にする必要はなかったが、彼女・・を巻き込むとなれば話は別だ。

 存在そのものが秘匿されている彼女をこの場に引きずり出すとなれば、仁にも彼女にも危険が及ぶ可能性がある。

 それはどうしても避けねばならないだろう。



(そちらならば、私でも手の出しようがある……後は、彼女が応じてくれるかどうか、ですか)



 難しい立場にある彼女が、果たして仁に協力してくれるかどうか。

 だが、リリは、それについてはあまり心配はしていなかった。

 何故なら、彼女は基本的に、人間の存在を好いているからだ。

 助けを求められ、そして己の手によって助けられる存在があり、それによって周囲の人間に不都合が発生しないならば――彼女は、喜んで手を貸してくれるはずだ。



(方針は決まりましたね……帰還するとしましょう)



 小さく頷き、リリは瞳を閉じる。

 そしてその次の瞬間――彼女の姿は、この場から忽然と消え去っていた。











 * * * * *











 初音と出かけた日の翌日。昨日が土曜日であったため、今日もまた休日だ。

 とは言え、二日連続で出かける予定があるわけではなく、この日は二人でのんびりしようと、ソファで二人並んで座りながらまったりとしていた。

 昨日二人で買ってきた本などを一緒に読み、意見を交換し合う。

 主に呼んでいるのは、部屋の内装に関連する書籍だ。

 この部屋は非常に広く新しいが、家具はまだ最低限程度のものしかない。

 暮らす分には困らないのだが、これだけだと少し殺風景に思えてしまう。

 まあ、流石にいろいろと物を置こうとすると非常に広いスペースがあるため、買うにも困ってしまうのだが……まあ、精々カーペットとカーテンぐらいは遊び心を持たせてもいいだろう。

 そんなこんなで、初音と共に家具やインテリアのカタログや雑誌に目を通しているのだが――そこに、リリが念話で語りかけてきていた。



『じん、昨日の調査について、報告』

『今になって、か。随分と踏み込んで調べたようだな』

『……ごめんなさい』

『いや、いいさ。お前に調査を許可した時点で、そうなってしまうことは予想していたからな』



 リリは私に関することについては、少々やりすぎてしまうきらいがある。

 意欲があるのはいいことなのだが、あまり無茶はしすぎないでほしいところだ。

 まあ、何はともあれ、手に入れてきた情報は活用せねばなるまい。

 リリは、そのために潜入を行ってきたのだ。その行動を無為にすることこそ、彼女の忠心に対する不義となる。



『それで……まず、久我山の魔法については?』

『使っている場面には遭遇できなかったけど、状況証拠からは魔法消去マジックキャンセルの可能性が高い』

『その状況証拠とは?』

『久我山雪斗は、無色の魔力を持っている。そして、あの数式魔法カリキュレートスペルが発動した場において、彼の魔力が行使された痕跡が残っていた。また、念のため分体を分けて調べたけど、あの数術機カリキュレータも故障していなかった』



 魔法消去マジックキャンセルの条件の一つである無色魔力。

 そして、そんな魔力があの場において行使されていた事実。

 更には、あの魔法が機械の不具合によって失敗したわけではないという証拠。

 成程、確かに状況証拠は揃っていると言ってもいいだろう。

 確定と断言するわけには行かないが、有力な可能性として考慮に入れておくべきだ。



『では、久我山が魔法消去マジックキャンセルを有しているという仮定で話を進めよう。彼を灯藤家に迎え入れることは有用か?』

『間違いなく有用。自身の動作を相手に悟られず――じんにすら悟られずに魔法消去マジックキャンセルを行使できるのは大きい』



 《掌握ヴァルテン》を使っていなかったとは言え、私は魔法消去マジックキャンセルの行使を感知することができなかった。

 即ち、あれが魔法消去マジックキャンセルであるとするならば、久我山は不可視の術によって魔法消去マジックキャンセルを行使することができるということになる。

 この有用性は計り知れない。リリの言う通り、是非とも灯藤家に欲しい人材だ。

 だが――



『久我山の能力がいかに有効であるかは確認できた。では――彼を引き入れられると思うか?』



 ――そこには、この問題が立ちはだかっている。

 久我山が私の手を取ろうとしない限り、彼を灯藤家に引き入れることはできない。

 だがその為には、彼の抱える問題を解決する必要がある。

 果たして、彼の抱える問題は私たちの手に負えるものなのかどうか。

 その問いに対し、リリは少し考えた上で返答していた。



『……ちょっと、難しい』

『ほう、その理由は?』

『じんは、彼が医術関連の書籍を読んでいたことを知っている。彼の抱える問題は、それに関連したもの』

『……ふむ』



 まあ、大方の部分は予想通りだ。

 医術関連の書籍を読み漁る姿。そして、過去の後悔に関する話。

 誰かに怪我をさせてしまったことがあるかと、久我山はそう問うていたが……まあ、あれは久我山自身の経験だろう。

 医術の書籍を読んでいたということは、その怪我をさせてしまった誰かを治そうとしている。

 だが、あれほどの専門書を何冊も読んでいたということは――



『久我山が救いたい相手は、非常に難しい症状を抱えている状態、ということか』

『その通り。そして、だからこそ彼から助けを求めてくる可能性は低い』

『それほど難しい症状だと?』

『彼は、そう確信しているはず』



 そもそも人材不足の灯藤家には、今のところお抱えの医療魔法使いはいないということもあるが――おそらく、火之崎のお抱えですら手が出せないほどのもの、ということだろう。

 成程、それは確かに難しい。というより、久我山本人からすれば絶望的な状況であるとも言えるだろう。

 それは最早、不治の病と形容すべきほどの状態なのだから。

 だが――



『……それは、先生ならば治せる症状か?』

『わたしは、そう考えている』



 そう、あの人ならば、治すことはできるはずだ。

 何しろ、この世にあの人以上の治癒魔法の使い手は存在しない。

 十秘蹟の第九位、世界で最も優れた治癒魔法の使い手。

 その力を持ってすれば、例え不可能といわれた症状であろうと、治すことはできるだろう。

 とは言え、問題なのは――



『いかにして協力を仰ぐか、か。無断で連れ出したことがバレた日には大変なことになる』

『方法に関しては、わたしが何とかする。だから、じんは――』

『ああ、頭を下げるのは私の仕事だ。これはあくまでも私の都合だからな』



 先生を頼るのであれば、そうするのは当然だ。

 正直、これまでにも返しきれないほどの恩があるというのに、これ以上世話になるというのも気が引けるのは確かだが。

 それでも、久我山が私を頼ってくれるのであれば、何とかして説得したいと考えている。

 彼はまだ若い。本当に年若い少年なのだ。

 そんな彼が、己のやりたいことも全て投げ打って、己の過去の過ちの償いをしようとしている。

 彼はひょっとしたら、私の助けがなかったとしても、己の力で解決できてしまうのかもしれない。

 だが、それはきっと、数十年をかけた後のことになるだろう。

 それまでの人生の全てを犠牲にして、彼は責任を果たすのかもしれない。



(――そんな愚か者は、私一人で十分だ)



 胸の内で自嘲して、私は決意を固める。

 やるべきことは見えている。後は――久我山の意志を問うだけだ。

 彼がどのような選択をするのか。果たして、一筋の希望があると知って、私の手を取る決意を決めてくれるのか。

 まずは明日、その確認をしなければならないだろう。





















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