090:久我山と数式魔法
憩いの場には似つかわしくない、乱暴極まりない言葉。
それを耳にした私と初音は、同時にその方向へと振り返っていた。
先ほどまでの和やかな雰囲気は微塵も無い、鋭い視線と表情で。
尤も、澄ました表情の初音も、胸中では先ほどの時間を邪魔された苛立ちを秘めている様子であったが。
まあ、それに関しては私も同じであるため、特に言及はせずに声の方へと視線を向ける。
その先にいたのは、柄の悪い二人ほどの男達だった。
「全く、こんな場所で騒ぎを起こすとは……」
「仁、待って。ほら、絡まれてる方!」
「む……久我山?」
初音が指し示したのは、二人の男に絡まれている者達の方。
そこにいたのは、紛れも無く久我山、そしてその背に庇われている詩織だった。
まさかの二人に思わず目を見開き、私は状況を精査するために視線を走らせる。
周囲に他の人間が集まってくる気配はない。どうやら、あの騒ぎで離れていったようだ。
これならば多少荒っぽくしても問題はないと判断し、私は手に持っていたたい焼きを初音に渡して立ち上がる。
「初音、近くの交番で警官を呼んできてくれ。あれは私が治める」
「うん。二人のことをお願いね、仁」
「任せておけ」
あの程度の相手には、私の身の心配など必要ないということだろう。
まあ、実際その通りであるため、初音には笑みと共にそう返しながら、私は久我山たちの元へと向かう。
しかし、場を治めるにも色々と手順が必要だ。いかな四大とは言え、何もしていない連中に対していきなり武力行使をするわけには行かない。
とりあえずは説得の方向で動く必要があるが――と、そう考えた瞬間だった。
久我山の視線が、一瞬だけ私の姿を捉え、そして口元に歪んだ笑みを浮かべていたのだ。
「あれ、もしかして聞こえなかったのかな? その年で耳が遠いなんて大変だねぇ。耳鼻科に行くことをお勧めするよ。ああ、それとももっといい病院の方がいいかな。そこそこ伝手があるから紹介してもいいけど。『街で絡んできた見ず知らずの人の、耳と頭が悪いんです』ってさ」
「な――」
そして次の瞬間に放たれたのは、まるで立て板に水とばかりに放たれる暴言。
ガタイのいい、威圧感のある二人組みを前に、久我山はまるで恐れることもなく煽るような――というよりは最早挑発としか言えない台詞を言い放つ。
その言葉に、私も、そして相対していた男達も、動揺に表情を引き攣らせていた。
まさか、そんな堂々と挑発を行うとは思ってもいなかったのだ。
案の定、男達の表情がさっと変化する。無論のこと、それは青ざめたわけではなく――怒りに真っ赤に染まったのだ。
「テメェ……ッ、いい加減にしろよ、このクソガキが!」
金髪に髪を染めた男が、懐から何かを取り出す。
手の平大の機械――若干スマートフォンにも似た形状のそれを目にし、私は舌打ちと共に走り出していた。
あれは、数術機と呼ばれる道具だ。
数式魔法を使うための補助器具であり、術者に代わって術式を編む演算装置だ。
その性質上、魔力さえ扱えれば誰でも魔法を使用できてしまう、便利でありながら危険な道具。
(挑発されたとは言え、あんなものを持ち出すとは……!)
公共の場での魔法使用、特に攻撃魔法の使用は許可が無い限り厳罰に処される。
独自裁量での魔法使用が認められているのは私たち四大の一族や、一級以上の資格を持つ魔導士などの高位の魔法使いのみだ。
とてもではないが、数術機を使うような魔法使いには許可が下りるはずも無い。
にもかかわらず、強引に魔法を使おうとするとは、私も考えていなかったのだ。
「間に合うか――」
数術機の術式構築速度は凄まじい。
一度実行すれば、瞬時に術式が構築されるといっても過言ではないだろう。
後は魔力さえ注いでしまえば完成する。流石に殺すような威力は使わないだろうが、それでも学友に魔法が放たれる場面を見過ごすわけには行かない。
地面を踏み砕くことも致し方ないと足に力を込め――
「――危ないなぁ」
――瞬間、男の取り出していた数術機の術式が弾け飛んで消滅していた。
理解の及ばぬその状況に、しかし私は足に込めた力を若干緩めながらも強く地を蹴る。
地面は砕かぬように気をつけながら肉薄した私は、瞬時に勢いを殺しながら足を払い、男を地面に叩きつけていた。
一応、打ち身で済む程度の威力にはしたが、しばらくは動けないだろう。
そのまま、私は状況を掴めずにいるもう一人の男へと接近し、腕を取って間接を捻り上げる。
「いっ!? いででででで!? やめっ、止めろッ!」
「ならば大人しくすることだ。暴れると余計に痛みが増すぞ……四大の一族、火之崎が分家、灯藤の者だ。お前達の市街地における魔法行使に関し、無許可での使用の疑いがある。魔導士ライセンスを出せ」
「な……そ、それは……な、何でこんなところに四大の一族がいるんだよ!?」
「そんなことはどうでもいい。お前達が一級以上のライセンスを持たないならば、現行犯逮捕となるが――さて、数術機頼りで魔法を使っていたお前達が、果たして一級の資格を持っているのか?」
「っ……!」
そこまで告げた瞬間、男の体から力が抜ける。
誤魔化しは効かないと理解したのだろう。そして、四大の一族相手に戦いを挑むほど愚かでもなかったらしい。
とはいえ、油断はしないようにしながら取り押さえ、私はようやく一息ついていた。
流石に、久我山たちに対して魔法が使われそうになった時はぞっとしたが――先ほどの現象は、一体なんだったのだろうか。
地面に転がって呻いている金髪の男の方へと視線を向け――そこに、久我山が声をかけてきた。
「やあ、灯藤君。おかげで助かったよ」
「無茶をするものだな、久我山。まあ、ある意味では援護にはなったが……あまり危険なことをするものではないぞ?」
「あはは、ごめんごめん。君が助けてくれると思ったからさ」
あまり反省の色が見えない久我山の様子に嘆息しながら、私は視線を交番のほうへと向ける。
そちらからは、ちょうど初音が警官を連れてこちらへとやって来ている所だった。
まあ、流石は四大の一族の宗家といった所だろう。
どうやら、説得にも殆ど時間は掛からなかったらしい。
やってきた警官は、私と初音に対して敬礼しながら、緊張に満ちた声音で声を上げる。
「お、お疲れ様です。ご協力、感謝します」
「いえ、友人を助けるためでしたから。今回は魔法の発動までは行きませんでしたが、どうか厳重な注意をお願いします。同じことをしたら、今度は刑務所沙汰でしょうからね」
私の言葉に、男達はびくりと震える。
流石に刑務所に叩き込まれるのは勘弁して欲しいのだろう。
しかしまぁ、今回の件で数術機は没収されるだろうし、再度購入するにも非常に難しい試験をクリアする必要が出てくるだろう。
その辺りは、彼らのがんばり次第といったところか。
「では、本官はこれで!」
「ええ、よろしくお願いします」
警官には敬礼を返しつつ、男達を連行していくその背を見送る。
若干ながら前世の経験を思い返し、懐かしい気分に浸りながらも、私は安堵の息を吐き出していた。
とりあえず、何事も無く済んで良かった。
「あ、あの、灯藤君、初音ちゃん」
「ん、ああ……詩織も無事だったようだな。久我山が助けたのか?」
「あはは……はい、最初に絡まれてたのは私なんですけど、そこを久我山君が庇ってくれて」
「そうでしたか。ありがとう、久我山さん。詩織さんを助けてくれたこと、感謝します」
「いやいや、大したことはしてないよ。実際に助けてくれたのは灯藤君だしね」
からからと笑う久我山からは、特に恐怖の感情などを感じ取ることは出来ない。
緊張していた様子も無く、あの男達から数術機を向けられても、微塵も緊張していなかったようにも見えた。
私のように防御策を張り巡らせているならばともかく、普通は魔法を向けられれば緊張するものだと思うが――戦闘慣れしているのか?
いや、体の動かし方を見る限りは、戦闘系の訓練をしている気配は見えないのだが。
……しかし、ここでそれを追求する訳にも行かないか。適当に誤魔化されそうだしな。
「人々を護るのは四大の勤めでもある。警察に助けてもらったのと同じ程度に考えておけばいいさ」
「……うん。ありがとう、灯藤君。お礼がしたいところだけど……二人はデート中ですよね?」
「……まあ、そうだな」
頬を押さえて視線をそむけている初音の様子に苦笑しながら、私は詩織の言葉を肯定する。
まあ、事実その通りではあるのだ。流石に、それをクラスメイトに知られるのは少々恥ずかしくはあるが。
案の定というか、私たちの肯定に、詩織は嬉しそうに表情を綻ばせる。
「そっか! ふふ、それじゃあ邪魔しちゃ悪いですもんね。お礼は後日、ちゃんとしますから!」
「ああいや、そこまで気にしなくても――」
「それじゃあ久我山君、行こう! また学校で!」
「えっ、ちょっ、詩織ちゃん!?」
何故かやたらと嬉しそうな詩織は、そのまま久我山の手を掴むと、引っ張りながらその場を去っていってしまった。
まあ、変に茶化さないのは助かるのだが、ああやって妙に気を遣われるとそれはそれで複雑だ。
初音と曖昧な表情で苦笑しあった私は、ふと足元に一つの機械が落ちていることに気づいた。
どうやら、先ほどの金髪の男が使っていた数術機のようだ。
それを拾い上げて眺め――眉根を寄せる。
「……数式魔法か」
「仁? どうかしたの?」
「ああ。先ほど、あの男は魔法の発動に失敗していたのだが……機械演算の数式魔法の制御に、そうそう失敗するものかと思ってな」
「魔力を注ぎすぎたんじゃないのかな?」
「まあ、可能性としてはそれぐらいしか思いつかないが……」
数式魔法は、少ない魔力で魔法効果を発動させることを重きに置いた魔法体系だ。
機械によって複雑な術式を構築し、術者は魔力を流し込むだけでそれを発動させることが出来る。
術者に求められるのは魔法の発動と維持のみ。制御は全て機械によって補われる。
故にこそ、魔力の扱いさえ知っている人間であれば、ほぼ誰でも魔法を扱えるという代物なのだ。
主には、旧式魔法の扱えない四級、五級程度の魔力量の人間が対象となるため、魔力超過による術式崩壊というのはそうそう起きない。
「……後は、機械が故障していた可能性もあるか。まあ何にせよ、あの二人に怪我が無くて幸いだったな」
「うん、そうだね。それで仁、それはどうするの」
「どうせ警察に没収となるだろうが、まあ届けておいた方がいいだろう。下手に放置しておいても危ないからな」
「それじゃ、さっきの交番に届けようか」
「そうだな、それがいいだろう」
一応は彼らの持ち物だ。その後どのような扱いをされるとしても、私たちが持っていていいものではない。
扱いは警察に任せるとしよう。そう胸中で決めて、私は初音と共に交番の方へと歩き出す。
さっさと届けて、デートのやり直しとするために。
『…………』
――故に、私は気づかなかった。
一言も発さぬままだったリリが、久我山の方へと注意を向けていたことを。




