089:おでかけ
「それじゃあ、行ってきます、薫さん」
「はいはい、楽しんでらっしゃいな」
皆瀬さんに見送られ、私と初音は外出へと出発する。
まあ、若者風に言えばデートと言った所だろう。婚約者としては、仲良くしていても別段何もおかしいところはない。
尤も、一緒に暮らしている以上、何を今更と言った所ではあるのだが。
同棲と言うと学生の身では少々生々しいが、我々の距離感はかなり近い。
それが今更デートとは、と――私は思わず苦笑を零していた。
「どうしたの、仁?」
「ん? ああ、いや……」
どうやら、私の声は聞こえてしまっていたらしい。
まあ、腕を組んで密着している距離なら、それも無理はないだろうが。
いつになく積極的な様子の初音にも笑みを零しながら、私は笑い混じりの声を上げていた。
「いや、随分と唐突に、一緒に暮らすような仲になってしまったが……それにしては一緒に出かけることもしていなかったのだな、とね」
「仁も私も、ずっと忙しかったからね。それは仕方ないよ。でも――」
そう告げながら、初音は組んでいる私の腕をさらに強く引き寄せる。
服越しとは言え、感じる彼女の柔らかな肢体に、私は思わず唸り声を上げていた。
初音は、まだ十五歳という割には、それなりに発育がいい。
今の服装も相まって、大学生ほどに見えるような容姿なのだ。
肉体にしても発育は十分であり、肉付きや胸の大きさなど、既に大人の領域に足を踏み入れているといっても過言ではないだろう。
まあ、要するに――非常に感触がよいのである。
私が内心で密かに感心していると、それを知らない初音は、少しだけ照れたような表情で声を上げる。
「今からだって取り戻せるでしょ? これから三年間、私たちが貰った最後の自由。ずっと遊び呆けるって訳にも行かないけど……これまでの十年間を取り戻したいって、私は思うんだ」
「そうか……そうだな、確かに。これまではずっと、若者らしいことはしてこなかったか」
修行の期間を否定するつもりはない。初音とて、自ら望んで課してきたことなのだ、それは同じだろう。
だがそれでも、私たちが子供としての十年を犠牲にしてきたことは紛れもない事実だ。
人間兵器たる四大の一族とて、心はある。娯楽に興じることを否定されるような謂れはない。
私と初音が得たこの時間――これは誰よりも初音のために、大切にしなければならないものだ。
「勿論、ずっと遊んでいるつもりはないよ? 仁だってお仕事があるし、私だって灯藤家の人員集めは頑張らないといけないから。でも……」
「ああ、その中でもきちんと、お前との時間は作って行くさ。せっかくの三年だ、出来る限り楽しみたいからな」
「っ……うん! ありがとう、仁」
さらに強く腕を抱きしめてくる初音に苦笑しつつ、私は空いている左手で彼女の頭をぽんぽんと叩く。
家にいるときは比較的距離が近いとは言え、外に出ながらこれほど甘えてくることは珍しい。
どうやら、デートということで少し興奮している様子だ。
まあ、それもいいだろう。せっかく上機嫌でいるというのに、水を差すような野暮はすまい。
初音は、本当にこのデートを楽しみにしていたのだろう。私としても、これまで十年間、男女らしいことは殆どしてやれなかったのだ。
今日は思う存分、彼女に付き合うこととしよう。
「さて、初音。どこか行きたいところはあるか? 私としては、街の様子を見るのに歩き回るつもりではあったのだが」
「うん、私もだよ。仁はこっちに来てからまだ短いから、私が案内してあげようと思って!」
「おや、それではエスコートの座を奪われてしまうな」
「ふふふっ! この街に関しては、私のほうが先輩だもの。と言っても、隅々まで歩き回ったわけじゃないんだけど」
最後に苦笑しながら付け加える辺り、正直者と言うか何と言うか。
初音は水城の宗家であるし、自由時間はかなり少なかったことだろう。
学校への行き帰りも殆どは送迎車を使っていた筈だから、この街を歩き回った経験は少ないはずだ。
それでもまぁ、学校にいれば噂話も入ってくるし、詩織から色々と話は聞いていることだろう。
「なら、共に探索するとしようか。色々と発見があるかもしれないな」
「そうだね。仁、それじゃあまずはこっちだよ」
少し先輩風を吹かせながら私の腕を引く初音に、思わず笑みを零しながらも歩調を合わせて付いて行く。
今のところ通学路程度しか見たことはなかったが、学校があるこの街は、中々に新しい街であると言えるだろう。
車道も歩道も広く、かなりスペースを大きく取っている街並み。
街の構造そのものが整然としているため、最初からこのように作ることを想定していた都市なのだということが窺える。
都心に近い場所にどうやってこのような街を建造したのかは分からないが、中々に綺麗な街並みだ。
「私たちのマンションもそうだが、中々新しい街だな。娯楽もそれなりか」
「学校が真ん中にあるからね。それに合わせて街も綺麗になってる感じかな」
「魔法使いを対象としているのであれば、娯楽の提供は少々意外だったが……」
何しろ、今もなお富国強兵を続けているような国なのだ。
娯楽関連よりも、魔法使いを強くするために金を使いそうなものだと考えていたのだが。
そんな私の疑問に対し、初音は苦笑しながら続けていた。
「娯楽方面が後回しになっていたのは事実だけど……やっぱり、適度な息抜きは必要だしね」
「ふむ。確かに、それはそうだな。何事もバランスか」
生まれながらに兵器として育てられてきた四大の一族ならばともかく、市井の魔法使いたちには生き抜きも必要だろう。
あまりにも鬱屈した環境では、育つものも育たなくなってしまう。
だからこその娯楽施設の数々、ということだろう。
まあ、後回しにしていた辺り、やはりこの国らしいと思えてしまうのが現実だが。
「とりあえず、こうやって散歩するのに退屈しない街であるのには安心した。せっかくの休日を楽しめないのは勿体無いからな」
「遠出すればいいんだけど……でも、それだと家に連絡入れないといけないしね」
「おまけに監視役までついてきそうだからな、面倒なことこの上ない」
既に宗家としての籍を失っている私はともかく、初音はそう易々と遠出するわけには行かないだろう。
しかも集団行動を常とする水城の場合、相当な人数が付いてくる可能性もある。
わざわざそんな状態で出かけるぐらいなら、近所で済ませておいたほうがいいだろう。
幸い、近所でも十分に遊べるようであるしな。
「さて、それじゃあ仁、まずどこに行ってみる?」
「そうだな……やはり、駅前からかな。あの辺りならば色々と揃っているだろう」
「そうだね。それじゃあ、行ってみようか」
やはり、人の流れが多い分、駅前というのはかなりの店舗が集まってきている。
あそこならば、色々と何があるのか確認することが出来るだろう。
互いに同意した私たちは、連れ立って駅――法泉院前駅へと向かう。
法泉院というのは、あの魔導士養成学校の前身となった機関だ。
簡単に言えば私塾のようなものであり、実力ある魔法使いが後進を育てるために集まりを開いていた、という程度のものだったのだが――今では街一つ巻き込むほどの巨大な学校へと変貌している。
かつては外部に公開せずひっそりと行われていた教育も、カリキュラム化されて大々的に行われているのだ。
時代の流れというものを感じる話である。
「やっぱり、こっちのほうに来ると人の数が多くなってくるね」
「それはそうだろうな。店も集まっているし、駅前はいつでも人の流れが途切れん場所だ。ここに人が少ないようでは、商業としては成り立たないだろうさ」
住宅街と直結したような駅ならばまだしも、この街ともなればそうも言っていられない。
何しろ、根本的に人の数が多いのだ。
学生というものは手持ちの金は少ないが、情報の流れ方は早い。
一度話題になれば、その店には多くの人間が殺到していくことになる。
安くて楽しめる学生料金の店は、それだけで繁盛するような立地なのだ。
「あ、仁。ほら見て、行列があるよ」
「休みの日ともなれば、そういう店も増えてくるだろうな」
大通りを入って、駅前へ。
中央に背の高い時計の立つ広場と、その周囲に広がる店舗の数々。
駅そのものは、決して大きいものではない。入っている路線は二本程度で、まあどこにでもあるような普通の駅だ。
そのおかげか、駅そのものが巨大な建造物になるということがなく、周囲に集まる建物も巨大なものは多くない。
ある種、憩いの広場といったような雰囲気となっているのだ。
あまり大きな駅でも、人の数が増えすぎて落ち着かない。私としては、これぐらいの人口密度の方が落ち着けて好みではあった。
初音と共に行列の店へと近づいていってみれば、どうやらたい焼きの店であったらしい。
ラーメンの店を想像していた私は少し拍子抜けしながらも、隣で店を覗き込もうとしている初音に声をかける。
「どうする、初音。買っていくか?」
「うん、そうだね。行列のお店だし、期待できそう」
学校ではそうそう無いような距離感の会話に内心で苦笑を零しながら、私は初音と共に行列に並ぶ。
まあ、家で映画を見ている時などは大体これぐらいの距離であるため、決して慣れていないというわけではないのだが。
上機嫌に鼻歌を歌っている初音の様子を横目に眺めつつ、行列が進むのを待つ。
遠目に見える店のメニューには、どうやらたい焼きしかないようだ。だが、中身の種類はそこそこある様子である。
オーソドックスな餡子も捨てがたかったが、私は気分で抹茶餡を。そして初音はカスタードを選んで購入していた。
まだまだ焼きたてのたい焼きを手に列から離れ、落ち着いて食べられる場所を探しに駅前の広場へと向かう。
花壇やベンチなどが並ぶあの広場ならば、落ち着いて食べることが出来るだろう。
「熱々だね。大きさもあんまり大きすぎなくて、お手軽な感じ」
「値段も結構安かったしな。大きさを抑えているのは、複数種を買って食べ比べが出来るようにとの配慮だろう。まあ、学生にも手が出しやすい手頃な店だな」
あれならば人気も出るだろう。駅前にあると、電車通学の学生たちの目にも止まりやすいからな。
帰りに買って帰る学生もそれなりにいるはずだ。
あの学校の授業の場合、魔法実技でもあればかなり疲れて帰るものも多いだろう。
疲労に効く甘いものはそれなりに需要もあるためか、周囲にはそういった店がそれなりに多いように感じられた。
「これは……全部制覇するには、かなり時間がかかるだろうな」
「でもせっかくだし、他の所も一通り回ってみたいよね」
「まあ、時間はある。ゆっくりと楽しめばいいさ」
空いていたベンチに腰掛け、私たちは一緒にたい焼きを食べ始める。
サクッとした衣の食感と同時に口の中に広がるのは、適度な苦味の残る抹茶の味と香りだ。
決して苦すぎず、されど甘すぎることも無い。
個人的には、甘いものはそれほど多く食べられない性質なのだが、これなら二つ三つぺろりと平らげられそうだ。
対する初音の方は、甘みの強いカスタード。一応火之崎の一族であり、熱にも強い私は普通に食べていたが、水城である初音ははふはふと口の中で冷ましながら食べている。
だが、その表情に浮かんでいるのは満足そうな笑顔だ。どうやら、満足できる味だったらしい。
「あふいけど……美味しいね。並んでるのも頷けるよ」
「ああ、これだったらまた来たくなるな。他の味も期待できそうだ。初音、これも一口どうだ?」
「あ、うん。ちょっと気になってたんだ。お願い、仁」
「ほら、食べてみるといい」
告げて、私は持っているたい焼きを初音の口元へと差し出していた。
そんな私の行動に、初音は一度たい焼きへと視線を向け、そして私へと視線を戻し――ぴたりと硬直していた。
徐々に赤くなっていく顔の様子を見るに、どうやらようやく状況をつかめたらしい。
しかしまぁ、自分からは積極的に来る割に、こちらから寄っていくと耐性の無い初音である。
いつも嫌がりはしないため、満更でもない様子であったが、今回も唐突な攻撃を受けて思考が停止してしまったようだ。
私がくつくつと笑みを零していると、ようやく再起動した初音が、拗ねたような視線でこちらを睨んできた。
「もう、仁ったら……時々いじめっ子なんだから」
「ははは、済まんな。要らないなら止めておくが」
「要る、要るよ!」
たい焼きを下げようとした私の手を捕まえる初音。
相変わらずだが、素直でいい子だ。苦笑交じりに手を戻し、たい焼きを彼女の口の前へ。
「ほら、あーん」
「あ、あ――」
頬を紅く染めつつも、満更でも無さそうな表情で初音は口を開け――
「――ああ!? 舐めてんじゃねぇぞ、テメェッ!」
――そんな声が響き渡ったのは、ちょうどその瞬間だった。




