086:詩織の私見
さて、久我山のことを気にし始めた私ではあるが、生憎と彼のことは殆ど知らない。
久我山はそこそこ情報通な部類であり、私たち四大の都合に関しても通じている。
とは言え、内部情報までは流石に知らず、一般的に知られている情報だけであるのだが――そこに限って言えば、ほぼ全ての情報を握っていると言っても間違いではないだろう。
のらりくらりと面倒ごとを躱してはいるが、成績そのものは中々に優秀。
目立たないながらも、クラス内ではトップクラスの成績を収めていることだろう。
総じて、そこそこ優秀な人物である、という評価に落ち着くだろうか。
だが――そんな彼の素顔については、全くと言っていいほど見えてきていないのだ。
「……それで、私に久我山君のことを?」
「ああ。私よりも、君の方が付き合いが長いからな。多少は事情も知っていると思ってね」
「あー、久我山君、最近はちょっと思いつめた表情してましたしね」
というわけで、私は久我山のことについて、図書館への道案内を頼むついでに、詩織に質問を投げかけていた。
久我山が授業中に読んでいた本。あれは、大学機関レベルの専門書だった。
当然根が張る代物であり、高校生程度の学生がおいそれと手を出せるようなものではない。
となれば、その出所は自然と知れるというものだ。
この学校には、非常に大きな図書館が存在しており、様々な書物の閲覧が可能になっている。
当然、医術系の専門書を借りることも可能なのだ。となれば、恐らく久我山が本を借りている場所もそこだろう、
そう考えて、同じクラスである詩織に道案内を頼んだわけだが――観察眼に優れる彼女なら何か分かるかもしれないと、私は質問をしていたのだ。
「うーん……正直、久我山君のことについては、灯藤君の知ってることとあんまり変わらないと思いますよ?」
「そうなのか?」
「久我山君って、基本的に自分のことは隠しちゃうタイプですから。自分語りしないって言うか……苦労を愚痴ったりしないタイプ?」
「ふむ……成程な」
中々、珍しいタイプであると言えるかもしれない。
人は、己の苦労については他人に話したがるものだ。
不幸自慢、というと聞こえは悪いが……要するに、人間は己の辛かった経験に対して同情や共感を求めることで、自分自身の正当性を保ち、精神の安定を図るというプロセスを行いたがる傾向にある。
それは決して悪いことではない。総じて、そういった行為は大きなストレスの解消に繋がり、社会を生きていく上で重要な行動であるとも言えるのだ。
だが一方で、そういった『自分の弱み』を見せたがらない人間も一部に存在する。
詩織曰く、久我山はそういったタイプの人間であるということなのだろう。
「基本的に聞き上手で、色々こっちの話は聞いてくれますし、向こうも時々話題の提供はしてくれますけど……でも、自分の経験談みたいなことは全然ないんですよ」
「そうか……あの飄々とした性格だからな。他者からの評価にはあまり拘泥しないと思っていたのだが」
何しろ、彼は自分の成績を誇るようなことはしない。
間違いなく優秀な生徒であると言うのに、それを自慢するようなことはなく――同時に隠そうとしているわけでもない。
どちらの反応もないが故に、結果としてあまり目立ってはいないのだが……そのスタンスゆえに、私は彼が、他者の評価を気にしないタイプの人間であると考えていた。
だからこそ、自分を話題の中心にすることも、あまり気にはしないと思っていたのだが――詩織は、そんな私のイメージに対し、首を横に振っていた。
「久我山君は、何て言うか……ちょっと、難しいんですけど……恥ずかしいと思ってるみたいな」
「恥ずかしい? シャイなタイプには見えなかったが」
「あ、えっと、そうじゃなくて……そう、自分の何かを恥だと思ってる、って言う感じなんだと思います」
「――――っ」
その言葉に、僅かに心臓が跳ねるのを感じる。
自己嫌悪とも呼べるその感覚は、私自身が感じているものでもあったからだ。
そして、だからこそ理解できる。その感情を生み出した原因は、かなり根が深いものとなっているだろうと。
感情はねじれ、思いは歪み、抜け道の無い袋小路にはまっている。
だとすれば、それを解決するのは簡単ではないだろう。
――それはきっと、己自身でしか決着のつけられぬ感情だから。
「だから、ごめんなさい。どうして久我山君が悩んでるのか、って言うのはちょっと……」
「……いや、十分だ。参考になった。ありがとう、詩織」
「あはは、そんな大したことは出来なかったですけど。あ、ほら、もう図書館に到着ですよ」
言われて詩織の示す方向へと視線を向ければ、そこには三階建ての大きな建物が待ち構えていた。
体育館ほどもあるであろう大きさの建物は、どうやらそれ自体が全て図書館となっているらしい。
まるで国立の図書館だ、と考え――そもそも国立の学校であったことを思い起こして苦笑する。
それほどまでに、立派な建物だったのだ。
「アレが丸ごと図書館なのか。凄まじいものだな」
「でしょう? 蔵書も何万冊とか、凄い珍しい専門書も揃ってるとか、噂になってるんですよ」
「君は利用してはいないのか?」
「あ、あはは……べ、勉強は初音ちゃんに教わったりしてるので」
まあ、学生レベルならばそれの方が正解かもしれないが、相変わらず大した度胸の少女である。
いや、もしかしたらその意味に気づいていないのかもしれないが……それはそれで大物というべきなのだろうか。
まあ何にせよ、彼女は中のことまでは詳しくないようだ。
これ以上時間をとってしまうのも申し訳ないし、ここまでにしておくべきだろう。
「案内ありがとう、詩織。非常に助かった。そちらも、何か困ったことがあれば声をかけてくれ」
「あ、はい。それじゃあ、私は戻りますね……っと、そうだ、一つだけ」
「む?」
ぺこりと頭を下げて踵を返しかけた詩織は、僅かにつんのめるようにしながらも立ち止まり、もう一度私の方へと振り返っていた。
一つ一つの仕草が大げさな様子に苦笑しながらも、私は彼女の言葉を待つ。
詩織は――まっすぐに私の瞳を見つめ、表情を引き締める。
普段のぽやっとした印象には似合わぬ、その姿。だからこそ、発せられようとしている言葉が純粋に、真剣に願っている言葉であると理解できた。
「――どうか、久我山君の助けになってあげてください。きっと、久我山君は苦しんでるから……でも、灯藤君ならきっと、助けられると思うんです」
「……君は、随分と私を買い被るな」
「初音ちゃんと凛ちゃんの話を聞いて、総合的に判断した結果ですから! でも、本心からそう思ってますよ。だからどうか、よろしくお願いします」
再び頭を下げる詩織の様子に、私は思わず苦笑する。
私はそう大した人間ではないのだが……だが、礼をすると言った手前、無碍にすることも出来ない。
元より、できる限り助けるつもりではあったのだ。
久我山が私の手を取るつもりであるのならば、全力を尽くすとしよう。
「……そうだな。彼が私を必要とするなら、それに全力で応えるようにするよ」
「ホント? 良かった……お願いします、灯藤君」
「ああ。改めて、案内ありがとう、詩織」
「うん、どういたしまして。それじゃあね」
機嫌よく笑顔を見せた詩織は、軽く手を振ってその場から去ってゆく。
何ともまあ、相変わらずの観察眼だ。
詩織がいなければ、今の友人関係も出来上がってはいなかったことだろう。
まあ、何はともあれ、目的地には到着することが出来た。
早速、中を見ていくこととしよう。
『しかし、あるじよ。お主、あの久我山に手を貸すつもりなのかの?』
『あくまで、久我山がこちらに助けを求めた場合は、だ。四大として、理由もなく手を貸すことは出来ないからな』
四大の一族は、国防のための戦力。
その存在そのものが国民を護るためのものであり、一個人に手を差し伸べることは許可されていない。
例外は、一族が一族の関係者を助ける場合のみだ。
つまり、私が久我山に手を貸すならば、久我山は一族の――灯藤家の関係者にならざるを得ない。
私に助けを求めるということは、私が手を差し伸べるということは、つまりそういうことなのだ。
『久我山に、その覚悟があるならば……受け入れるのもやぶさかではないさ』
『四大で、しかも火之崎の一員として生きていくには力不足ではないかの?』
『何、やりようはいくらでもある。後は、本人の覚悟次第だ』
千狐と言葉を交わしつつ、私は図書館の中へと足を踏み入れる。
他の後者と同様、施設はかなり新しい。入って正面に見えるのは、いくつもの窓口が並ぶ受付だ。
恐らく、あそこが貸し出しの申請などを行う場所なのだろう。
上は吹き抜けになっており、意外と図書館にありがちな閉塞感は無い。
小さなデパートのようなようそうだが、周囲にあるのは全て本ばかりだ。
「つくづく、学校の施設とは思えん規模だな」
『他の所もじゃがな。それだけ力を入れておるということじゃろうて』
相変わらず、この国は魔法使いの育成には金を惜しまない様子である。
まあ、それもいいことではあるのだろう。
少なくとも、学べる機会が増えているのだ。それだけ、子供が望みを叶えられる機会も増えるということでもある。
やりすぎという面は否めないが、少なくとも現状は維持するべきだろう。
「さて……ああ、案内板はあそこか」
『検索端末もあるようじゃな』
千狐に促されつつ、検索端末を操作する。
どうやら、この三階建ての建物はほぼ全てが書架になっているようだ。
一応、一部に読書スペースや個室なども存在しているようだが、大部分は蔵書によって埋め尽くされている。
大学生が使うことを考えてか、専門書などもかなりの量が用意されているようだ。
確かに、本を探すつもりならばここでやった方が早いだろう。
学生には非常に助かる施設だ。
「さて、医療関係は……三階か」
『かなり専門的な内容じゃからな。奥の方にあるということか』
エレベータに乗り込みつつ、目的の区画を目指す。
書架のあるスペースへと足を踏み入れれば、そこには重厚な本棚が無数に立ち並ぶ場所となっていた。
本棚自体もかなりの高さがあるが、レールで移動する踏み台などもあるため、高い場所の本を取るのも苦労はしないだろう。
辺りには、それなりに学生の数が多い。テスト前ではないのだが、それでも読書スペースで一人も座っていないテーブルは無いというほどだ。
これは恐らく、この学校において、成績がそのまま将来に直結しているためだろう。
『成績自体も学年カーストへの影響がある……向上心のある人間はかなり多いようだな』
『一部にとっては死活問題じゃからのぅ。こうしていい意味で競争しているうちは、まあ安心なのじゃがな』
『不正をしようとする輩はどこにでもいるからな。まあ、その辺りは学校側が何かしらしているのだろうが』
魔導士としての将来を明るくするには、やはり上位の成績を取るのが手っ取り早い。
ある程度将来の展望を抱いている学生たちにとっては、ここでの勉学は非常に大切なものなのだろう。
軽く肩を竦めながら、私はさらに奥へと足を踏み入れていく。
大学レベルの専門書となると、流石に読む人間は少なくなるのか、この辺りの読書スペースは若干人がまばらだった。
それでも、少なからず学生の姿があるのはさすがというべきか。
まあ何にしろ――多少人の姿が少なければ、目的の人物を探すのも難しくはない。
『……あるじよ、あそこにいたぞ』
『ふむ、やはりここにいたか』
立ち並ぶ読書スペースの机の上、まるで周囲を囲む砦のように本を積み上げた久我山は、一心不乱にそれらの書物を読み漁っていたのだった。




