084:術式兵装
突如として発生した光に、私は警戒して距離を取っていた。
相手がただの魔法であれば、防御魔法を展開して突撃していただろう。
だが、今回的が使ってきているのは術式兵装だ。
例え《掌握》と言えども、発動されていない刻印術式は直接目視しなければ判別できない。
眩い光によってその光景も遮られている状態では、どのような術式なのかを読み取ることもできなかった。
故に、私は一旦警戒して動きを止める。術式兵装は、何が出て来るか分からないのだ。
「は、ははは……間に合った、こっちの勝ちだ!」
術式兵装を起動させた男は、その武器を手に勝ち誇った笑みを浮かべている。
手に持っているのは――長い、ロッドのような形状の武器だ。
それが一体どのようなものなのかは定かではないが、確かにかなり複雑な術式が構成されているのは見て取れる。
これまでに使われていた術式兵装の比ではない、かなり強力な兵装だ。
「よくも好き勝手やってくれたな、魔法院の犬が! だが、こいつで終わりだ!」
叫びながら、男は私へと向けて杖を振るう。
それと共に放たれたのは、氷交じりの暴風だった。
二種類の属性が混合された魔法を、ただ杖を振るっただけで発動する。
これは、かなり高度な術式の構築が必要になる。詠唱式では、恐らく二級に相当するレベルだろう。
それほどの術式を構築できる人間となると、かなり数が限られてくるだろう。
そして、それほどの術式を刻めるような素材もだ。
「……面倒な」
氷交じりの風を回避し、私は小さく舌打ちする。
風の中には小さな氷の破片が混ざっており、直撃すればかなりの威力となるだろう。
そして、風が通った場所は、冷気によって白く凍り付いている。
恐らく、人体程度ならば一瞬で凍りつくほどの威力があるはずだ。
「避けやがったか……だが、逃げ場は無いぜ!」
「……!」
男は杖を振るい、私が先ほど入ってきた壁の穴を氷で塞ぐ。
正規の入り口は周囲に罠が仕掛けられているし、閉まっていて出ることは難しい。
成程確かに、逃げ場は失われた状況だろう。
沈黙しながら《掌握》による術式解析を急ぐ中――男は得意げな表情で、私へと向けて言い放っていた。
「大人しく死ね、魔法院の犬! この古代兵装、『風歩みの錫杖』からは逃れられないんだよ!」
「……古代兵装?」
機械の上に着地した私は、周囲に残っていた魔法使いたちからの攻撃を弾き返しつつ、その言葉を反芻する。
古代兵装とは、今よりも遥か昔、神秘が寄り近い存在であった時代に作られた術式兵装だ。
その力は強力無比。ピンキリはあれど、おおよそ魔力の使い方を覚えた子供が一級の魔導士を圧倒してしまう可能性すらあるような代物だ。
現存する数は少なく、殆どが国によって管理されているのだが――
「……まあいい。【堅固なる】【耐冷の】【鎧よ】【遮れ】」
私は淡々と、対氷雪防御の魔法を発動する。
青白く輝く魔力障壁が私の体を包み込み、今一度男へと向けて構えなおしながら、私は静かに告げていた。
軽く周囲の状況を把握しながら、視線に僅かな憐憫を込めて。
「どうやら、お前にはあまり時間をかけている暇はないようだ」
「あ……テメェ、この状況が分かってねぇのか? お前はもう、詰んでるんだよぉ!」
男が杖を振り下ろし、それと共に放たれる氷の暴風。
私はそこへと、正面から避けることも無く突っ込んで――
「はッ、馬鹿が――」
「――それはこちらの台詞だ」
――そのまま、白い風の中を一直線に走り抜けていた。
驚愕に目を見開く男に、右の拳を一閃。瞬間、緊急用に仕込んでいたと思われる防御障壁が発動し――拳の一撃で、粉々に打ち砕かれていた。
そして、返す左の拳が、男の頬を逃すことなく打ち抜く。
成す術無く吹き飛んだ男は、そのまま壁へと叩きつけられ、ずるずると床に崩れ落ちていた。
あまり加減したつもりは無かったのだが……どうやら、まだ意識は保っているらしい。
「ご……がはっ、馬鹿な……防ふぇるはふは……」
「あの程度の力で、古代兵装などとは笑わせる。本物であれば、私にも防げるはずはない。要するに、偽物だ」
「な……」
床に転がった『風歩みの錫杖』とやらを拾い上げ、嘆息する。
確かに精緻な術式だし、並大抵ではない技術によって創り上げられた代物であることは分かる。
二級の術式を刻印にするなど、かなりの技術と時間を要することは間違いないのだ。
だが、それは難しいだけであり、決して不可能ではないのだ。
つまるところ――これは現代でも作成可能な代物なのである。
「氷の礫の威力は精々がサブマシンガン程度、冷気は確かに大したものだが、障壁を張れば防げるレベル。この程度のものが、古代兵装であるものか」
「ま、それでも囮になってくれたのは助かったけど。あたし、防御系はあんまり得意じゃないのよね」
「こちらも助かりましたよ。他の連中は全て制圧してくれたのでしょう?」
ちらりと横手へ視線を向ければ、そこには倒れ伏した魔法使いたちを積み上げている舞佳さんの姿があった。
彼女は、私が戦闘を始めてすぐの頃に、壁に穴を――否、壁を斬り裂いて機関室の中へと侵入してきていたのだ。
私が派手に大立ち回りを演じる中、彼女は私以上のスピードで室内を駆け回り、魔法使いたちを仕留めていたのだが、生憎とあの氷の風は喰らいたくなかったようで、動きが鈍っていたのである。
仕方なく私が正面から挑み、攻撃を集中して受けることで活動を再開していたが……ちらりと見えた動きは大したものだった。
二振りの直剣を、まるで手足のように自在に操りながら駆け回る姿。
スピードに関して言えば私以上――下手をすれば母上の領域にも達しているほどの実力。
恐らくは、特級魔導士の中でも高位の実力者なのだろう。
(さらにあの戸丸もいるのだから、精霊府は魔窟だな……一体どれほどの実力者を有しているのか)
流石に父上と母上には及ぶまいが、それに準ずる実力者は複数存在していることだろう。
私という戦力を抱えはしたが、この分ならば私が無理に狩り出されることは殆ど無いと思ってよさそうだ。
ふむ、しかし――少し、引っかかるな。
「灯藤くーん? 他に敵の反応は?」
「……良く私が索敵していたことに気づきましたね。他はありません。これで制圧完了です」
「ふーん、随分楽な仕事だったわね。もしもし管制室、聞こえてる? 船舶の制圧完了よ。曳航準備よろしく」
確かに、強力な術式兵装ではあっただろう。
これほどのものが量産されれば、かなりの問題になることは間違いない。
これを受け取る側が何を企んでいたのかは知らないが、未然に防げたことは喜ばしいことだろう。
だが――
「……管制室、これで本当に終わりですか?」
『はい? どういうことでしょうか?』
「あの御方から直々に命ぜられた任務が、この程度で終わるとは到底思えない。この術式兵装を受け取る側が何者だったのか――」
そこに問題があるのならば、まだいい。
先手が取れる状況であれば、いくらでも対処のしようがある。
だが――
「……もしくは、こちらの船が陽動だった可能性はありませんか?」
『は? 陽動、ですか?』
「……灯藤君。アンタそれ、どうしてそう思ったの?」
私の言葉に、舞佳さんが声を低く鋭いものへと変化させる。
決して茶化すものではなく、一つの可能性として捉えている、そんな声音。
その言葉に、私は小さく囁くように返していた。
「基本的にはただの勘です。ただ……この武器を古代兵装と思って運搬していたことがどうにも引っかかる」
明らかに古代兵装とは異なる術式兵装。
どうやら封印状態で持ち込まれていたようだが、一度でも使えば、多少知識のある人間ならば理解できたはずだ。
なのに、この男はそれを理解できていなかった。《掌握》で見る限り暗示系の魔法の痕跡は無く、この男はただの素人であるという判断しか下せない。
故に――あの大精霊が、この程度の相手を危険視するとは到底考えられなかったのだ。
「確かに、古代兵装とは大言壮語にもほどがあるが……見方を変えれば、この杖は研究さえ進めば量産できる可能性もある強力な兵器。魔法院の目を逸らすには十分すぎる」
「……けど、それにしては日本に接近してきた手段が杜撰、運び人の頭も素人、人員も術式兵装頼りの中途半端な連中ばかり……ルートを考えれば海は越えられる連中だけど、『捕まえてください』と言ってるようなものね」
「だからこそ、陽動の可能性を考えました。管制室、何かありませんか?」
『しょ、少々お待ちください!』
インカムの向こう側で、ばたばたと動き回る音が発せられ始める。
殆ど根拠など無いような言葉、戯言と取られても仕方ないと考えていたが、どうやら取り合ってくれたようだ。
杞憂に終わればいいのだが……私の勘が警鐘を鳴らし続けている。
こういう時は、いつも何か悪いことが起こるのだ。念を押しておくに越したことは無いだろう。
そうして内心の不安を抱えて顔を顰めていた私へ、魔法使いたちを縛り上げた舞佳さんは、意外そうな表情で声を上げた。
「しっかし、驚いたわね。四大ってのはみんなそうなの?」
「そう、とは?」
「こんな仕事に、慣れた様子だったって話よ。初めての仕事だって言うのにまるで戸惑った様子も無し、私の指示も無しにしっかりと動ける、さらにはあんな指摘が出来るぐらいの冷静さも保ってる。高々十五歳の――あたしの娘と同い年の学生がよ? 驚くのも無理は無いでしょ」
「それは……まあ、確かに」
その視点で考えれば、異常と言わざるをえないだろう。
私とて、十五歳の少年が殺し屋まがいの仕事に慣れていたら驚きもする。
とてもではないが、普通とは呼べないのは事実なのだから。
だが――その理由までを説明するわけには行かないだろう。
「確かに、私は既に火之崎の分家当主に就いていますから。こういった仕事にも、多少は慣れていますよ」
「ほほぅ。成程、大したもんだわ」
実力ある魔導士ではあるが、舞佳さんは決して四大の事情に詳しいと言うわけではない。
私が未だ実務に就いていないことは知らないだろう。
「ま、今後の仕事については楽が出来そうで安心したわ。頼りにさせて貰うわよ」
「お手柔らかにお願いしますよ、先輩」
「そりゃあたしの匙加減次第ねぇ、後輩君?」
互いに笑みを零しながら、私たちは作業を再開する。
船を制圧したからと言って、いつまでも呆としていられるわけではない。
魔法使い達の完全無力化、寄ってくるかもしれない禁獣対策、後任への引継ぎ――やることは盛り沢山だ。
曳航可能な船を持っているのは国防軍だろうし、引継ぎにはそれなりに時間がかかるだろう。
帰るまでにどれだけ時間がかかるか、初音を心配させてしまうかもしれないと、私は思わず嘆息を零していた。
「まあ、これも仕事と言うわけか」
どこか懐かしい感覚を覚えながら、私は作業へと移って行く。
胸中にこびり付いたまま離れぬ不安を、拭い去ろうとしながら。
そうして結局、引継ぎは夜までかかり――
――その頃には、もう一つの密輸船に関する報告が、精霊府まで届いていたのだった。
* * * * *
『……そうですか』
巫女の守護役、戸丸白露からの報告を聞き、大精霊《八尾》は己が巫女にしか聞こえぬ声でそう呟いていた。
大精霊は、その力こそ強大ではあるが、性質は通常の精霊と変わらない。
人間に宿り、その術式を介することで、ようやくその力を発揮することが出来るのだ。
故に、精霊府は代々大精霊が宿るに足る巫女を輩出することにより、その存在を永らえ続けてきた。
――全ては、この国を守護するために。その思いは、大精霊たる《八尾》自身も共感しているのである。
「……八尾様?」
『いいえ、何でもありませんよ、我が巫女よ。案ずることはありません』
「……はい、全ては八尾様の御心のままに」
大精霊の言葉に対し、巫女はそう告げて視線を戻す。
その表情には、一切の動きが無い。まるで人形のような、無感動な動きだった。
けれど、それについて何か言うこともなく、大精霊は思考を巡らせる。
――日本全土を覆う己の認識すらも欺き、これほどの大事を成し遂げた存在のことを。
『回収できれば、良かったのですが……こうなりましたか』
密輸船を陽動に使った本命の密輸。
灯藤仁の看破により、『八咫烏』による発見自体は間に合っていた。
だが――駆けつけた人員により発見されたのは、密輸船側、受取人側、双方の人間が全て殺害された現場だったのだ。
そして、密輸されてきたであろう物品は、一つたりとも発見されることは無かった。
己ですら認識できなかったその事実に、八尾は静かに警戒心を高めてゆく。
『……貴方の仕業ですか、秘蹟の頂点よ。いいでしょう――貴方がこの国を乱すと言うのならば、私がそれを阻むまでです』
己が契約者にも聞こえぬ声で、八尾は静かにそう呟いていた。




