082:最初の任務
残業&予約忘れ
「貴様は何とも……事あるごとに数奇な体験をする星の下に生まれているようだな」
「……まあ確かに、否定は出来ませんね」
地下の社、大精霊《八尾》が住まう領域を後にし、私と舞佳さんは『八咫烏』の管制室に戻ってきていた。
相変わらず多くの人が慌しく動き回っている場所であるが、今は先ほどよりもさらにざわめきが大きくなっているように感じられる。
いや、それも気のせいではないのだろう。先ほどの八尾の話が本当であるのならば、『八咫烏』はすぐにでも動かなければならないのだから。
事実、室長は束ねられた書類を手に、何とも苛立たしげな渋面を浮かべていた。
「先ほど大精霊から伝えられたとおり、どうやら密輸船が接近してきているようだ」
「八尾様の結界に引っかかった、と言うことですか?」
「まあな。かなりの隠蔽工作を重ねてきたようだが、ちょうど大精霊の目が向いている所だったようだな。不幸な連中だ」
目の前に放られた書類を拾い上げ、軽く目を通す。
武器の密輸、となれば背後関係が要ることは間違いないだろう。
需要があるからこそ、密輸と言う犯罪は行われる。品物によっては、ただ利を貪ろうとしただけの可能性もありえるのだが――武器となれば話は別だろう。
いかなる者を相手にしようとしていたとしても、それは国にとっての害悪となる。
厄介な思想家か、体制に不満を持つ活動家か、或いは海外から潜り込んだスパイか。何にしろ、厄介であることに変わりは無いだろう。
「それで、舞佳さんと私でこれの対処を?」
「そういうことだ。やることは単純に、船に乗っている乗組員の無効化だけでいいだろう。事後処理は魔法院が受け持つ」
「……船の到着は?」
「計算では三時間後。貴様と羽々音には急ぎ現場に向かって貰う必要がある。羽々音は既に準備に向かっているが、貴様の装備については今からここに届けさせる」
「装備、ですか?」
『八咫烏』は存在そのものが秘匿された組織だ。
流石に、組織そのものを表すようなサインなどは存在しないと思っていたのだが。
そんな私の考えを見抜いたのか、室長は口元を笑みに歪めて声を上げる。
「ああ、『八咫烏』として活動する際には正体を隠す必要がある。そのための仮面などがあるんだよ。まあ、羽々音などは他に武器などももってくる必要があるがな」
「なるほど、仮面ですか。なら、私には必要ないかと」
「何? 顔を隠す手段でもあるのか?」
「ええ。私の切り札の一つですが……正体を隠して戦うのに、あれほど便利なものも無いでしょう」
「ふむ……ああ、成程。報告に受けていたアレか。いいだろう、その方が邪魔にもならんだろうからな」
どうやら、室長は既にリリの存在について詳しく知っているらしい。
まあ、リリがショゴス・ロードであることについては国に届出を出しているのだ。
魔法院が、ひいては精霊府が知っていたとしても全く不思議ではない。
説明の手間が省けたと考えておくことにしよう。
「それで、移動はどのように?」
「ああ、それは――」
「現地近くまでは車で移動よ。時間がないから早くしなさい、灯藤君」
声をかけられて振り返れば、そこにはギターケースのような巨大なバッグを肩にかけた舞佳さんの姿があった。
どうやら、準備は完了したらしい。
私の道具類は全てリリが保管しているし、他の道具は必要ないだろう。
とりあえず、準備は完了したと言ってもいいはずだ。
「分かりました。室長、この資料は――」
「持って行け。移動の合間に、頭に叩き込んでおくことだ」
「分かりました。舞佳さん、よろしくお願いします」
「はいはい、よろしくね。色々と頼りにさせて貰うから、そのつもりで。じゃ、行くわよ」
そう告げて、舞佳さんは走り出す。
凄まじい速さで駆け抜けて行く彼女の後を追いながら、私は作戦行動の順序を考え始めていた。
* * * * *
車で移動すること約二時間、私たちは首都圏郊外にある港へと到着していた。
いくら大型船でないとは言え、船で接近する以上、港でもなければ停泊することは難しい。
荷物の積み下ろしには、それ相応の立地条件が必要になるのだ。
人目につかぬように物陰に隠れながら、私たちは現在の状況について精査していく。
相談する相手は、インカム越しに話しかけてくる『八咫烏』のオペレータだ。
「とりあえず、取り押さえるのであれば逃げ場の無い海上で行うほうがいいと思いますが……受け取り側の人間の確保はどうしますか?」
『現在、魔法院のエージェントがチームを組んで向かっています。そちらに関しては、彼らに任せて問題ありません』
「あたしたちだけじゃ手が足りないからねぇ。まあ、一人が船、一人が受取人って言うのも行けなくは無いけど……そうすると、手が足りなくて生け捕りが難しくなるからね」
舞佳さんの言葉を否定できず、私は肩を竦めていた。
いくら何でも、私たちだけで多数の人間を捉えるのは難しい。
逃げ場の無い海上ならばまだしも、陸地ではそれも困難だろう。
特級魔導士が二人いるとはいえ、無理なものは無理なのだ。
「それで、件の船は?」
『予定通りの進路で接近中。このまま来れば、三十分で港に到達します』
「となると、目立たないようにするにはそろそろ突っ込んだ方がよさそうな感じね」
「ですね。一応聞いておきますが、水上の移動は?」
「出来なきゃ言わないわよ。さて、それじゃあ突入準備と行きましょうか」
言って、舞佳さんは持ち込んだ装備を身につけ始める。
全身を覆う黒いコートと、目から鼻までを覆い隠すバイザー。
どう見ても怪しい出で立ちではあったが、まあ私よりはマシだろう。
「リリ、『黒百合』だ」
『てけり・り』
――何故なら、私が『黒百合』を展開した姿は、何処からどう見ても怪人にしか見えないからだ。
全身を覆いつくす黒い生物的な装甲は、夜に見れば怪物そのものだろう。
まあ、この姿で相手が怯んでくれるのであれば、それはそれで便利なのだが。
そんな私の姿を目にした舞佳さんは、僅かに驚いたように仰け反った後、口元を楽しそうな笑みにゆがめていた。
「へぇ、それが君の戦闘服って訳ね。面白い仕組みじゃない?」
「まあ、そこそこに苦心したものではありますね。さて……それでは行きますか」
「そうね。遅れないようにしなさいよ、灯藤君?」
「分かっていますよ、先輩」
互いに揶揄するように笑った後、私たちは互いに小さく頷く。
そして――強く地を蹴り、私たちは海上へと飛び出していた。
「【体躯よ】【水上を】【往け】」
水面を足で踏みしめ、確かな地面のようにけりながら、私と舞佳さんは海上を進む。
隣では、不安定な海上で、まるで何事も無かったかのように進む舞佳さんの姿があった。
どうやら、こういった戦闘もなれているらしい。流石は先輩と言うべきか、随分と手馴れている姿であった。
「ああそうだ、一つ言っておくけど――可能な限り殺さないこと。けど、必要なら躊躇わないこと。これを意識しなさい」
「そのつもりではありましたけど……態々言うということは、何か意味が?」
「まあね。そのうち知ることになるでしょうけど……とりあえず、基本は生け捕りよ」
「分かりました、注意しておきます」
まあ、言われずとも不要な殺人をするつもりは無かった。
私が即座に手を下すことがあるとすれば、それは私の家族に手を出された場合だけだろう。
今回は流石にその場合には該当はしない。精々、相手を生け捕りにしていくこととしよう。
と――そう決意を決めた私の目に、一隻の船影が映り始めていた。
「船影確認。アレですか?」
『こちらでも確認しました。方角、距離、共に問題ありません。それが目標の船舶です』
「了解。これより、作戦行動に移ります」
オペレータからの言葉に頷き、私はさらにスピードを上げる。
まずは――
「灯藤君、あたしが足を止めるわ。貴方は中に突っ込みなさい」
「了解です」
告げて、舞佳さんが武器を抜き放つ。
それは二刀一対の直剣。術式兵装と思われる、魔力を帯びた剣だ。
あの二刀の刃で戦うことこそが、舞佳さんの戦闘スタイルと言うことだろう。
彼女はそのまま、回り込むように船の後ろ側、恐らくはスクリューを目指して進んでいく。
彼女ならば、スクリューを丸ごと斬り落とすことも難しくは無いだろう。
それよりも私は――
「船内の制圧、か……行くぞ、リリ」
『てけり・り!』
リリに声をかけながら、私は船舶へと突撃する。
小型船ではないが、大型と言うほどでもない、おおよそ中規模程度の船舶。
一人で制圧するとなると、少々広すぎるとも言える場所ではあるが――まあ、どうとでもなる。
小さく頷き、私は辿り着いた船舶の船体を駆け上がっていた。
かつてリリが取り込んだ厳霊の霊核、その力により発した磁力で、金属の壁を駆け上がったのだ。
特に抵抗も無く甲板に飛び乗った私は――放たれた風の魔法を、拳の一閃で打ち砕いていた。
どうやら、私たちの接近は、この船舶側も認識していたようだ。しかし――
「ふむ……いきなり攻撃してくるとはな」
「ちっ、何なんだ、この化け物は!」
「会話はするだけ無駄だろう。お前たちは既に、我等が敵として認識されている」
大精霊によって敵と認識された存在だ。
相手の背景や、これまでの経緯などどうでもいい。
国を護ること。それは間接的ではあろうとも、私の家族を護るための行為だ。
この国に仇成す者であるならば――私は、私の意志で、その敵を打ち砕く。
「クソが! 【風よ】【集い】――」
「遅い」
甲板にいた魔法使いが術式を構築しきる前に、私は男へと肉薄する。
圧縮とは言え、距離が近すぎる上に、《属性深化》もできていない。
それならば、私が近づいて殴った方が遥かに速いのだ。
頬を打ち抜かれ、そのまま吹き飛んだ男は、甲板の隅に転がってそのまま沈黙していた。
『生きておるのか、アレは?』
「ああ。だが、半日は目を覚ませず、目覚めても口は開けまいよ」
頬骨を確実に打ち砕いた。あの状態では言霊を紡ぐことは出来ないだろう。
無詠唱で戦えるほどの魔法使いならばまだしも、あの程度の腕では何も出来ないだろう。
疑わしげな表情を浮かべている千狐には苦笑しつつ、私は周囲の状況を索敵していた。
こちら側の接近は気づかれていた。となれば、迎撃に失敗したことも向こう側は認識していることだろう。
となれば、向こうも対策を練り始めているはずだ。
ならば――
「リリ、索敵を頼む」
『ん、了解』
私の言葉に従い、小さな粘液塊を創り上げたリリは、それを船体の各方面へと移動させてゆく。
これで内部の状況は調べられるだろう。それまでに、先ず私は――
「脱出手段を潰すとしよう。ボートの破壊だ」
『くくく。狩りというのも中々楽しそうなものじゃのぅ』
――この逃げ場の無い棺桶と貸した船舶で、狩りを開始していた。




