080:地下に座す者
「さて、話はこの程度か。しばらくは、参加が可能な範囲で、そこの羽々音の仕事に同行することで作業を覚えろ。といっても、仕事の受諾と報告以外はかなり流動的だがな」
「ま、そういうことね。基本、あたしに来るのは戦闘系の仕事だけだから、準備はきちんとしてきなさいよ」
「ええ、分かりました。私も、戦い以外はあまりできない人間ですから」
私の言葉に対して、脇に浮かんでいた千狐がくつくつと笑みを零す。
まあ、千狐の力を使えば調査系の任務でもこなせる自信はあったが、ああいったものはかなり時間を食ってしまう。
『八咫烏』の場合は先行調査のような調べ物だけになるのかもしれないが、それでも素早く終わらせられるかどうかは分からない。
表の生活がある以上、あまり仕事を増やしすぎるのも難しいだろう。
「よし。では、追って連絡を――む」
この場は解散にしようとしたのだろう。椅子から立ち上がろうと身を前に乗り出した室長は、唐突に鳴り響いた携帯の電子音に動きを止めていた。
飾り気のないこの音を発しているのは、どうやら室長の携帯電話らしい。
軽く舌打ちをした室長は懐から携帯を取り出し――その画面を見て、一瞬動きを止めていた。
彼女らしからぬその動きに疑問を抱くが、生憎と質問ができるようなタイミングではない。
私が抱いた疑問を他所に、室長は通話ボタンを押して発信者との会話を開始していた。
「……こちら崎守だ。貴様から電話とは珍しいな、何用だ?」
室長の声音は相変わらず硬いものではあるが、その傾向は先ほど私たちと話をしていた時よりもさらに顕著なものとなっていた。
だが、通話相手に対する嫌悪感のような感情は感じられない。
どちらかといえば、緊張を隠しきれていないような、そんな印象だ。
だが、相手に緊張しているにしては、普段通りの口調を変えていない。目上の相手というわけではないだろう。
一体、電話を掛けてきたのはどのような相手なのか。
「……何? 灯藤を? それは――そうか、そちらから来るとはな」
『お主が絡んでおるようじゃな、あるじよ』
『……一体何事だ?』
私がここに来てから、それほど時間は経っていない。
当然ながら魔法院に……そして精霊府に知り合いなどいないし、面識などあるはずもない。
そこに私が絡んでくるとなれば、恐らくは私の素性を知っている人物だけだろう。
『八咫烏』の存在を知り、尚且つそこに私が今日所属することを知っている人物。
誰なのかは知らないが――少なくとも、相当な地位にいる人物であることは確かだろう。
「まあいい、了解だ。羽々音もつけるが、構わんな? ……ああ、どうせそこに入れるのは灯藤だけだろう。羽々音は案内役だ」
「まーた案内? まあいいけど……あそこに行くのも久しぶりだし」
「知っているんですか、舞佳さん?」
「まあね、言わないけど。そっちのほうが驚くでしょうし」
どうやら、舞佳さんは電話の相手が誰であるかの想像が付いているらしい。
とは言え、この反応では教えてもらうのは無理だろう。今は、大人しく状況の推移を見守っておくべきか。
室長はしばし相手との会話を行った後、一度嘆息して電話を切った。
そして、その視線が、じろりと睥睨するようにこちらを向く。
「随分と早い反応だったが、まあそれも当然かもしれないな」
「……室長?」
「要するに、我々のボスが貴様のことを呼んでいるんだよ。羽々音、こいつを案内しろ」
「はいはい、人使いが荒いわね。向こうからの出迎えは?」
「下で待っているそうだ。行ってこい」
「りょーかい」
パタパタと手を振りながら舞佳さんが答えるが、私は一抹の不安を拭いきれずにいた。
室長は、『我々のボス』と口にした。それは、つまり『八咫烏』を統括する人間ということなのか。
そんな存在が、果たして私にどのような用事があるというのか。
千狐のことがある以上、注目されるのも仕方ないと考えてはいるが……さて、果たしてどうなることやら。
内心で警戒する私を他所に、室長からの指示を受けた舞佳さんは、ぐっと背伸びをしながら立ち上がっていた。
「よっし……じゃ、行きましょうか灯藤君? きっと驚くわよ?」
「その反応を見て楽しみたい、ということですか」
「あっはは、分かってるじゃない。それじゃ、こっちよこっち」
悪びれる様子もない舞佳さんに嘆息しつつ、私も彼女に倣って立ち上がる。
室長には一礼し、そのまま舞佳さんの後に続いてゆけば、彼女は管制室のさらに奥にある扉へと向かっているようだった。
幻術に掛かっていたせいで、現在位置がどの辺りなのかが分からない。
あの奥が地上にあるのか地下にあるのか、それを判断することも難しい。
警戒心は残しつつも扉の奥へと足を踏み入れれば、そこには一台のエレベータが待ち構えていた。
良く観察してみれば、今通った扉も、そしてこのエレベータに関しても、かなり強固で危険な防衛術式が張り巡らされている。
「これは……目的地はさらに地下、ということですか」
「そういうことね。ま、これで降りればすぐに到着よ」
携帯端末を使ってエレベータを起動し、その中へと入る。
相変わらず、隠蔽製の高い無数の防衛術式が張り巡らされており、この携帯端末を持たずに入れば、まず間違いなく命はないだろう。
正直なところ、大丈夫だと分かっていても肝が冷える光景だ。
『むぅ……うちの方が厳重』
『リリ、それは張り合うところではないぞ。と言うか、そんな危険な状態になってたのか、あの家は』
さすがに、古代の知識を持つリリにとっては、この警備も驚くべきものではないのかもしれない。
しかし、自宅の状況については一度見直しておくべきだろうか。
さすがに、これ以上に危険な術式が張り巡らされているとなると、事故が起こった時に目も当てられないことになる。
そんなことを内心で考えていたそのとき、エレベータを操作した舞佳さんが声を上げていた。
「灯藤君、一つ言っておくけど……ここから先、下手な行動をしない方がいいわよ?」
「分かってます。これほど厳重な警備の先にある場所が、魔法院にとって……そして精霊府にとってどれだけ重要な場所なのか、想像はできずとも、おいそれと触れる気にはなりませんよ」
「それならいいけどね。この先は、貴方の言う通り、この精霊府にとっての最重要区画。一つ間違えれば殺されても文句は言えないと、そう考えておきなさい」
「……分かりました」
どうやら、この機関にとっての急所とも呼べる場所になるようだ。
下手をすれば、その存在を知ってしまっただけでも危険と言えるほどの。
嘆息し、私は《掌握》を切る。余計なことを知ってしまえば、それだけで命が危険となってしまうかもしれない。
とにかく、できる限り気を引き締めて掛かるべきだろう。そう決意を新たにしたところで、エレベータは下層へと到着していた。
扉が開いた先には――
「……これはまた、随分と雰囲気が変わりましたね」
「まあねぇ。さっきまであんなにメカメカした所にいたんだし、ギャップあるわよね、これは」
現れたのは、薄暗い通路。
これまでの科学的、機械的な様相とは異なり、木造の通路が奥へ奥へと続いていた。
周囲を照らしているのは所々にある燭台の明かりだけであり、急にどこか別の場所に迷い込んでしまったかのような錯覚に囚われてしまう。
ところどころにある朱塗りの柱は、どこか鳥居を想起させ、それがさらに神秘的な印象を強めていた。
そして、その奥には――
「お、いたわね。到着したわよ、戸丸君」
「ええ、お待ちしていましたよ、羽々音さん。そして、灯藤君」
通路の中央。そこに、音もなく佇んでいたのは、腰に一振りの刀を佩いた青年だった。
髪は長く、首の後ろで一括りにまとめている。それだけではなく、伸びた前髪は彼の右目を覆い隠していた。
顔が半分見えないためか、彼の表情は非常に読みづらい。
彼は、舞佳さんの言葉に頷いてこちらへと歩き出し――私は、その動きに思わず戦慄していた。
(この青年は……!)
剣を使う魔法使いは、これまで幾人も目にしてきた。
代表的なところで言えば赤羽家であり、そして先生の見せる夢の中でも幾人もの剣士と相対してきた。
だが、彼は違う。比べるまでもない、彼の技量は、私の知る魔法使いたちのそれを圧倒的に凌駕している。
ただの足の運びだけでも雲泥の差だ。まるで、母上と同じような――
(……少なくとも、一切の魔法を抜きにして考えれば、母上と勝負ができるほどの存在か。これほどの怪物が護っている場所とはな)
彼は舞佳さんと同じく魔力を隠蔽しているようで、その実力の幅は測れない。
この場では《掌握》は使わぬようにしているため、魔法方面の実力は測れないが――純粋な剣士としての技量で言えば、恐らくは赤羽家の当主を上回ることだろう。
しかし、それほどの実力を持ちながらも、彼は丁寧な物腰で我々へと声をかけていた。
「お待ちしていました、羽々音さん。そして初めまして、灯藤君。僕は戸丸白露。この中央霊廟の守護を担当する者です」
「……丁寧に、ありがとうございます。私は灯藤仁。どうぞ、よろしくお願いします」
口調が固くなるのを防げず、私は何とかそう答える。
そんな私の態度に、しかし彼は気にした様子もなく、柔らかな笑みを浮かべたまま続けていた。
「では、こちらへどうぞ。あの方がお待ちですよ」
「呼ばれてるのは灯藤君だけでしょうけどねぇ。しっかしあんた、また腕を上げたわね。相変わらず大したもんだわ」
「いえ、僕なんてそう大したものではありませんよ」
彼は――戸丸は謙遜するようにそう口にしていたが、その言葉はとても信じられるものではなかった。
彼の魔法についてはどれほどのものか全く分からないが、少なくとも生半な実力の者がこのような重要区画の警備に付くはずがない。
まず間違いなく、彼はトップクラスの実力者だろう。
先ほどよりも緊張を深めながら歩むも、彼は私のことを気にしたような様子はない。
歯牙にもかけていない、と言うよりは――私も、舞佳さんのことも、まるで『どうでもいい』と感じているような、そんな違和感を覚える。
彼は一体、何を考えているのか。そんなことを考えながら戸丸のことを観察していた私の視線に、当の本人の視線が絡み合っていた。
「しかし――あのお方に呼ばれるとは、将来有望ですね。歓迎しますよ、灯藤君」
「いえ、私などまだまだ未熟者ですから」
にこやかな、優しげな笑顔。
だが、私にはそれがどこか薄っぺらなものにしか感じられなかった。
歓迎の言葉は素直に受け取るが、正直なところ、私は彼の持つこの独特な気配に慣れることが出来ずにいた。
どこか窮屈な思いを抱えたまま、私は戸丸に続いて歩き――辿り着いたのは、地下にはあるまじき広大な空間だった。
「ここは……」
「中央霊廟、あのお方の座す場所です」
天井の見えない大空洞。そして、その中央に存在する、篝火によって照らされた社。
支柱のないこの空間は、一体いかなる方法で維持されているのか。
それは恐らく、あの社の中にいる者が何らかの術式を張り巡らせているためなのだろう。
そこにいるのが一体何なのか――今の私には、既にある程度の予測が立ち始めていた。
精霊府が、一体何を目的とした機関なのか。それを考えれば、そこに座す『お方』とやらが何者なのかは、ある程度想像も付くと言うものだ。
思わず喉を鳴らし、私は戸丸に対して疑問の言葉を発する。
「それで、私がここに呼ばれたのは――」
『――貴方と話をするためですよ、灯藤仁』
その直後――空間そのものを振るわせるような、厳かな声が響き渡っていた。




