008:初音の現状
魔法を使う上で――魔力を使う上で重要となるのは、何を差し置いても精神に関する力だ。
術式を構築するための想像力、構成を維持しつつ魔力を操る集中力、そしてそれらを自らの制御化に置くための精神力。
私が赤子の頃から魔力を扱う訓練が出来たのは、魔力が肉体ではなく精神に依存する力であったからだ。
大気中の魔素を体内に取り込み、魂から発する魂力と結合させることで生み出される魔力。
魔力の枯渇が死に直結するのは、人体の維持にとって必要不可欠な魂力を体中に行き渡らせることが出来なくなるためだ。
魂力には人の意思が宿る。強い感情が、精神力がそこに含まれているからこそ、人間は思うがままに魔力を操ることが出来るのだ。
「つまるところ、どのような人間であれ、魔力を操るための素質を持っている。適性はあれど、全く魔力を動かせないという人間は絶対に存在しない。だが、今のお前は、その大きさを調整することが出来なくなっている」
「う、うん?」
私の説明に対し、初音は微妙な表情で首を傾げつつも頷いていた。
少々、話に使った単語が難しかっただろうか。
相手は五歳児なのだ、あまり複雑な話をしても意味がないか。
私は顎に手を当て、指先で擦るようにしながら言葉を吟味する。
前世の頃からの癖だが、生憎と今は指に触れる髭の感触は皆無だった。
「そうだな……私たちが魔力を操れるのは、私たちが魔力を動かしたいと思うからだ。ここまではいいな?」
「うん、だいじょうぶだよ」
「それが何故動かせるのかというと、その『動かしたい』と思う私たちの意志が、魔力に宿るからだ。私たちの思ったことが、魔力の中には宿っている」
「へぇー……だったら、魔力でおてがみとかってできるの?」
「ああ、そういった術も存在している。リアルタイムの対話には、もっと複雑な術式が必要だが……それは置いておくとしよう。ともあれ、私たちはそのようにして魔力を操っているのだ」
これは、魔力制御の基礎――というより、原理に該当する内容だ。
かなり噛み砕いた説明ではあるが、この部分を理解しているかどうかで、魔力制御には差が生まれる。
水城でも教えていると思うのだが、初音はあまり理解できていなかったようだ。
「そういった性質があるため、魔力に込める意思が不明確だと、制御が甘くなってしまう。初音、お前はどう考えて魔力を出そうとしていた?」
「え? えっと……こう、魔力を出そうって」
「つまり、どれくらいの量とか、どのぐらいの勢いで、とかそういったことは決めていなかったのだな?」
「……ご、ごめんなさい」
「謝る必要はない。初めはそんなものだろう」
叱責を受けたかのように縮こまって謝る初音の姿に、私は小さく苦笑する。
子供には起こってもおかしくないミスだろう。
問題は、初音の魔力量があまりにも大きすぎたことだ。
魔法を教えた者も初音の魔力量を把握しきれていなかったのか――或いは、初音自身が術式の限界値を理解できていなかったのか。
何にしろ、彼女の出力と現在の制御力では、初心者用の簡単な術式ですら暴発してしまうだろう。
「まずお前に足りていないのは、どのように魔力を放出するかを決める想像力だ。とりあえずはそこから練習していくとしよう」
「うん、わかった。それで、どうしたらいいの?」
「そうだな……それじゃあ、今度は両手を出してくれ」
先ほどと同じように、ただし今度は両手を差し出させる。
別に今すぐ両手が必要というわけではないが、先のステップに進むためには初めからこうしておいた方が楽なのだ。
特に何の疑問も抱くことなく両手を差し出してきた初音に、思わず内心で苦笑しつつ、私は彼女の手を握る。
これぐらいの年頃ならば、男女の差も何も無いようなものだ。
「先ほども言ったが、魔力を扱うに当たり、最も重要なのは想像力だ。どのように魔力を動かすか、それを明確にイメージすることで、細かく制御することが可能になる」
「えっと……さっきのお話だよね?」
「ああ、その通りだ。まあ、最初から細やかな制御は求めない。とりあえず、お前に出来る限界の『少なさ』で魔力を放出してくれ」
少ない魔力を操ることは簡単に思えるかもしれないが、実際のところそうでもなかったりする。
多すぎても少なすぎても、魔力の制御は難しくなってしまうのだ。
巨大な魔力は大雑把にしか操れず、極少の魔力はそもそも抽出することが難しい。
初音の場合、元々持っている魔力量が巨大であるだけに、細かな魔力は余計に扱いが難しくなっているだろう。
彼女は私の指示に頷き、瞳を閉じたまま眉間にしわを寄せ始める。
息を止め、踏ん張るように唸りながら、やっとのことで彼女がひねり出した魔力は――
『……今のお主の限界値に近い量じゃの、あるじよ』
『つくづく、魔法とは才能の世界だな……』
――私が一度に発することのできる魔力の、限界値に近い量であった。
彼女の場合、最小の魔力でこれなのだ。これでは、魔力の必要量が少ない基礎術式が暴発するのも無理はない。
少なくとイメージしてもこの量なのだから、果たして限界まで放出したらどれほどの量になるのか。
とりあえず、今この場で試すのは避けるべきだろう。
「よし、放出を止めてくれ」
「ふぅ……仁くん、どうだった?」
「まあ、とりあえず現状は分かったが……」
この矯正は骨が折れるだろう。
使える魔力の絶対量が違う以上、私の経験からの助言はそれほど当てになるとは思えない。
ならばまずは、放出する前の魔力を操り、魔力操作の技術を高める方が先決だろう。
魔力の動かし方を習熟すれば、自然と制御力も向上するというものだ。
まずは、魔力を放出しない状態での魔力制御から始めるべきか。
「では始めよう。まず覚えておいて欲しいことは、魔力とは常に体内を流れ続けているということだ」
「そうなの? おなかのあたりにあるって言われたよ?」
「間違いではない。丹田は、魔力の大本がある場所だ。だが、そこに留まり続けているわけではない。血と同じように、常に体の中を巡っているんだ。お前が教わった魔力の大本は、言わば心臓のようなものだ」
丹田から発せられた魔力は、全身の魔力回路を通じてからだの隅々にまで届けられる。
この魔力がなければ、我々は体を動かすことができない――この世界では、根本的に人体の構造が異なっているとも言える。
人類が、この魔力という力に合わせて進化してきた証拠だろう。
「まず、お前が学んだことは、手から魔力を発する方法だろう?」
「うん。おなかのあたりから、うでを通って魔力がでるんだって」
「その時、どのようなイメージで魔力を発している?」
「ん、えっと……水がこう、バーって」
伝聞のような口調。自分自身であまり実感できていない証拠だろう。
イメージの大本が水であるあたりは、さすが水城と言った所だろうか。
私の場合は、そのまま心臓と血液だ。その方が、体の隅々まで、それこそ内臓まで魔力が通うイメージを抱きやすかったのである。
初音の場合は、ホースから放水しているような状況だろうか。
このイメージの場合、体を循環する魔力まで巻き込まれて放出してしまっている可能性もある。
しかし、水だと中々循環のイメージを持たせるのが難しいな。
「よし、まず目を閉じるんだ。そして、鼻から息を吸って口から吐く」
「ん……はぁ~」
「丹田に……腹の辺りにある魔力に意識を集中させ、魔力のイメージを作り出せ。お前には何が見えている?」
「えっと……湖、だと思う」
湖か。自然界にある水であるならば、まだやりやすい。
私は左手で初音の右手を取り、そして残った右手を初音の腹に当てていた。
掌から僅かに魔力を発し、魔力の感覚を寄り想起させるようにしながら、私は告げる。
「そうか……では、湖からは川が伸びている」
人差し指と中指で、初音の丹田から、腕にかけてをなぞる。
魔力の通り道をイメージできるように、ゆっくりと、言葉を重ねながら。
初音はくすぐったそうに身を捩るが、ここで止めるわけにはいかない。
彼女の無言の抗議を流しつつ、私は言葉を重ねていた。
「湖の水は川から流れ出て、多くの土地に水を運び、そしてやがては海に出る」
ここで、初音にとっての海となるのは、彼女の手である。
掌の上に指先を乗せ、私は初音の表情を盗み見る。
瞳が見えぬためにその感情は分かりづらいが、深い集中状態にあることが伺えた。
「そして海に出た水は、やがては蒸発し、空にある雲となる」
「くも……」
「そう。雲は、海の水から出来ているんだ。雲となった水は、ゆっくりと移動して陸地に戻り――そして、雨を降らせる。湖に、再び水が帰ってくるんだ」
再び腕を通り、丹田へ。
子供が自然界における水の循環を知っているとは思えなかったが、それでもイメージすることは可能だ。
魔力は体を巡っている。その感覚を一度掴むことが出来れば、体のどこからでも魔力を発することが可能になるだろう。
それを更に制御することによって身体機能を向上させることが出来るのだが、今は置いておくこととする。
「魔力が手の先まで移動し、そして戻ってくる感覚を掴むことができたか?」
「う、うん……なんか、流れてるかんじがするよ」
「まずはその感覚を掴むことだ。最初は腕だけでもいい。魔力が流れていき、そして戻ってくる様子を、己のイメージの中で完全に掴めるようにするんだ」
「わかった!」
初音は素直に頷き、そして先ほど私に教えられたように、少々大げさに呼吸しながら集中を開始する。
少し様子を見ていれば、彼女の魔力が確かに動き出している様子を掴むことができた。
その動作は未だおぼつかないが、それでも力任せに大量放出をしようとするような様子はない。
尤も、今は魔力を放出しようとするのではなく、循環させようとしているのだから当然といえば当然だが。
彼女の魔力は、循環量を増やしながら丹田と指先を行き来している。
これを意識せず、そして全身に行えるようになって、初めて魔法を操る下地ができたと言えるのだ。
才能を要求される世界だが、努力が不要というわけではない。
中々に、挑み甲斐がある世界であると言えるだろう。
とりあえず、初音に問題が無さそうであることを確認し、私は自分自身の魔力制御の見直しを始めていた。
他人に教えることは、自分自身を見直す機会にもなる。
血流をイメージした私の魔力制御は、水流をイメージ元としている初音と違い、リズムと若干の粘性が感じられたのだ。
今更イメージの元を変えることは難しいし、リズムについては使い道もあるが、この若干ドロドロした感覚は改善したい。
『色気がないのぅ、あるじよ。もう自分の修行か?』
『子供相手に何を言っている、千狐。しっかり初音の様子も見ているし、放り出した訳ではないぞ。それに、色気も何も……私からすれば、孫を相手にしているような感覚だぞ?』
もしも、前世で娘が生きていれば……これぐらいの孫がいたのかもしれない。
考えても詮無いことではあるが、どうにも初音や凛を同い年の相手として見ることは難しかった。
私のことを構いたがる凛は、どうにも私に子ども扱いされていることが気に食わない様子であったが。
『まあ、私も子供は嫌いではない。一度話を聞いた以上、可能な限り面倒は見るさ。お互い、厄介な身の上ではあるがな』
『くはは! まあ良い、お主もいい加減退屈していたようじゃったからな。いい刺激になるじゃろう』
『娯楽扱いするつもりは、流石に無いがな』
苦笑と共に肩を竦め、私は己の内側の魔力を見直していく。
改善点があることは喜ばしいことだ。ただでさえ才能不足なのだから、出来る部分から補っていかなければならない。
例え一歩ずつであろうとも、私は強くなる必要があるのだから。
胸裏に決心を固め――初音が目を開いたのは、それとほぼ同時だった。
「あの……仁くん」
「うん? どうかしたのか、初音? 聞きたいことがあるのか?」
「あ、ううん、そうじゃないんだけど……その、ね」
ちらちらと視線を上げながら、初音は私の顔を見つめる。
何を言おうとしているのか分からず私は視線を細め――ふと、思いついた答えに小さく笑みを浮かべていた。
「そ、その……」
「初音。一つ、お願いがあるんだが」
「あ……う、うん、何?」
言葉を遮られ、少し残念そうな様子の少女。
そんな彼女に小さく苦笑しながら、私は一つの『お願い』を伝えていた。
「私は生まれてこの方、ずっと病院で過ごしていてな。同年代の友人は、一人もいないんだ。だから……どうか、友達になってくれないか?」
「あ……」
その言葉に、初音の顔は、まるで花開くように笑顔へと変わる。
どうやら正解だったらしい。子供心が分かるほど察しがいいつもりではなかったが……私の勘も、まだまだ捨てたものではないようだ。
「うん、うん! なるよ、友達になる! これからよろしくね、仁くん……ううん、仁!」
「ああ、これからよろしくな、初音」
少なくとも、しばらくの間は退屈しないだろう。
その予感に、私は小さく笑みを浮かべていた。