079:八咫烏
辿り着いた扉に刻まれていたのは、三本足の鳥の紋章であった。
私には見覚えの無い印だ。だが、ここまで複雑な警備が敷かれていた以上、そう簡単に辿り着けてよいものではないのだろう。
ここまでの警備にしても、《掌握》を使えばある程度は把握することができるはずだ。
だが、それは同時に危険を伴う行為である。余計なことを知ってしまう、それ自体が危険であるとも考えられるのだ。
まして相手は国家機関、下手に首を突っ込まないほうがいいだろう。
『幻術そのものの高度さもあるが、掛けられたことに気づけぬという点も恐ろしい。これを仕掛けたのは、よほど老獪な人物じゃろうて』
『ん……私も、気づけなかった。対策しないと』
『結界に引っかからなかったからな……術式は確かに気になるが、深入りしないほうが身のためだ。それより……ここから先、何が来るかは分からないぞ』
『ん、警戒する』
緊張した様子のリリに胸中で頷きながら、私は舞佳さんに連れられて扉の前に立つ。
かなり重い、機械式の扉。幾重にも防御魔法の術式が掛けられており、正規の手順以外で開くことは困難だろう。
恐らく、私が全力で殴ったとしても、傷一つ突かないはずだ。
当然ながら、それを維持する魔力はかなりの量が必要であり、この扉にはそれ相応のコストが掛かっている。
通路の警備もある以上、ここに正規手段以外で辿り着くことは非常に困難だと思われるが、それでもなおこの術式を使っているのだ。
つまり、この先にあるのは、それほど重要な場所であると言える。
思わず喉を鳴らす私の前で、舞佳さんは己の携帯端末を扉の横にある機会に押し当てていた。
瞬間、電子音が鳴ると共に、扉が滑るように開いてゆく。
「ここに入る時は、この機械に携帯をかざすのよ。君のももう登録されてるから、入る時は必ずやりなさいね」
「はい、分かりました」
入室記録と退室記録もつけているのだろう。
私は彼女の言葉に頷き、渡されていた仕事用の携帯電話を扉の機械へと押し当てる。
瞬間、端末は私の入室を拒むことなく、軽快な電子音を鳴らしていた。
既に私が登録されているという点には少々疑問を覚えつつも、満足げに頷く舞佳さんに続いて扉の中へと入る。
そこには――生前でも映画の中でしか見たことの無いような光景が広がっていた。
「これは……管制室?」
「まあ、そんなような感じの場所ね」
巨大なモニタと、それを扇状に囲うオペレータたち。
画面に映し出されているのは、どうやら日本国内の各所に設置されたカメラからの映像らしい。
それらの映像に対して解析のシステムが走っていたり、他にも絶えず様々な情報が更新されている様子だったが、私にはその三分の一も理解は出来なかった。
そしてもう一つ、驚くべきことではあるが――この場にいる人間たちは、一人残らず高い実力を有した魔法使いたちなのだ。
魔力の質や量も一級品であり、立ち振る舞いにも隙が無い。見える限りでは、最低でも二級ほどの実力を有している面々となるだろう。
ここまでの通路、扉、そして中で勤務する者たち――恐らく、ここは魔法院の中でもトップクラスに重要な部署であることは間違いないだろう。
「……舞佳さん、ここは一体?」
「それは室長から説明するわ。こっちこっち」
この異様な光景の中、まるで勝手知ったる家のような感覚で舞佳さんは歩き始める。
少々気圧されながらもその後ろに続いていけば、彼女はこの部屋の上段、全体を俯瞰できる位置にあるデスクへと向かっていた。
そこに座していたのは、赤茶色の髪をした一人の女性だった。
すらりと長い足を組み、肘掛に頬杖をついたその姿は、随分と威厳に溢れている。
だがその雰囲気よりも先に、まず彼女の左目を覆う眼帯が目に付くことだろう。
どこか堅気らしからぬ雰囲気を持った女性――彼女は、近づいてくる私たちの姿を認めると、その口元に小さく笑みを浮かべていた。
「ほう、ようやく来たか」
「ええ、連れて来たわよー。ここまででいいかしら?」
「いや、お前もこの後の話は聞いてもらう。無関係というわけではないからな」
開いた口から発せられたその声は、随分とハスキーな声音をしていた。
じかに聞くのは初めてだが、聞き覚えがある。
それは間違いなく、先日携帯電話に掛かってきた電話の声と同じものだった。
「貴方は……」
「ふっ……詳しい話は向こうで話す。付いて来い、灯藤仁」
当然のように、私のことは把握しているらしい。
まあ、あの時電話を掛けてきた人物なのだ、それも当然といえば当然だろう。
舞佳さんの言う『室長』とやらの後に続き、私たちはこのオペレーションルームから、隣にある会議室と思わしき部屋へと移動していた。
当然のようにその最奥にある席に腰掛けた女性は、先ほどと同じように足を組みつつ、私たちに着席を促していた。
「さて、では改めて、自己紹介をするとしよう。私の名は崎守踏歌。この『八咫烏』の中央統制室室長を務めている」
「……四大の一族、灯藤仁。貴方のお招き通り、ここに参上した。それで、質問をしてもよろしいので?」
「ああ、疑問を晴らしておかねば、安心して働けないだろう?」
ふんぞり返りながら不敵に笑う崎守室長の言葉に、私は胸中で眉根を寄せつつも、その言葉に頷いていた。
正直、未だ疑問は尽きない。だからこそ、下手な対応はしない方が身の為だ。
警戒は解かず、けれど緊張し過ぎぬように注意しながら、私は彼女に対して質問を投げかけていた。
「まず、その『八咫烏』というのは?」
「一言で言えば、『八咫烏』とは精霊府に所属する特務機関だ。要するに、精霊府のエージェントだと考えておけばいい」
「……精霊府の? 魔法院ではなく?」
「そう。我らの所属は精霊府。つまり、この国家の要たる大精霊、《八尾》の守護こそが我らの使命だ」
その言葉に、私は思わず沈黙していた。
精霊府は、先ほど室長が口にしたように、大精霊の守護にのみ特化した国家機関だ。
この国を護るための力はいくつもある。四大の一族、国防軍、魔法院――それらの魔法使いによって、この国の平穏は保たれている。
だが、何よりも要として外せないものこそ、この国全体を守護結界で包み込んでいる大精霊《八尾》なのだ。
つまるところ――《八咫烏》とは、国を護るためではなく、大精霊を護るための力。
最も大精霊に近い場所に位置する存在であり――
「――存在そのものが秘匿された特殊部隊、それが《八咫烏》だと」
「その通り。我らの存在そのものが一級秘匿事項に数えられ、その詳細な情報は特級秘匿事項として分類されている。知っているものは国防軍の将官以上に相当する連中や、お前たち四大の一族の当主クラスにのみ限定される」
「……異様に厳重な警備の理由は理解しました。そして、何故私の籍が既に用意されていたのかも」
国の守護を務める四大の一族は、一応魔法院に所属する存在となっているが、実際のところは独自の行動系統を有している。
魔法院の下部に位置するというのは殆ど建前上の話であり、殆どは独自の裁量で活動しているのだ。
そのため、魔法院からの辞令に対しても交渉権を有しているし、実質殆ど対等の立場にあるようなものだ。
――だが、精霊府となれば話は別だ。
「国家防衛において、精霊府の存在は紛れもなく頂点。この国は大精霊の存在がなければ成り立たない以上、精霊府は組織間の力関係において頂点に君臨している……精霊府からの命令であるならば、私がその『八咫烏』に所属することはほぼ確定だということでしょう」
「ああ、その認識で間違いは無い。精霊府の活動は、この国の要を守護するためのものだ。この命令に拒否権は無い。一応は要請という形を取っているが、実質赤紙のようなものだ」
四大の一族に所属する以上、この命令から逃れる術は無い。
まあ、別段最初から断る前提だったというわけでもないし、まだ実質何も聞いていないようなものではあるのだが。
とりあえず、所属が確定してしまっている以上、『八咫烏』についてはもっと知っておくべきだろう。
「それで、『八咫烏』とは一体どのような活動を?」
「簡単に言えば、裏の仕事だ。表に情報を出せないような仕事、国防軍の初動が間に合わないような緊急性のある仕事……まあ、汚れ仕事だな。これらは大精霊を宿す巫女の予言を元に行動するパターン、先ほどの管制室から情報を得て動くパターンの二種類がある」
「汚れ仕事……また、大層な仕事が回ってきたものだな」
「ほう? だが、貴様にとってはこの方が都合がいいのではないか? 束縛が少なく、何よりも早く行動でき、そして後腐れというものを残さない。我々の仕事は基本的に、他の組織連中に引き渡すべきものだからな。それ以降は国防軍や魔法院に任せればいい」
まあ、束縛が少ないのは事実だろう。
何しろ、存在自体が秘された組織だ。他の組織との接触は極力少なくしなければならない。
必然、『八咫烏』は長く一つの仕事に携わり続けることなく、闇から闇へと渡るように仕事をこなすことになる。
余計なしがらみが無い、というのは確かに少し気が楽ではあった。
「大精霊が、いかなる理由でその仕事を私たちに命じるのかは分からん。だが、その予言を元に、我等はこれまで幾つもの敵を葬ってきた。国防の最前線にある存在――それが『八咫烏』だ」
「なるほど……大枠のところは理解しました」
聞こえのいい言葉ではあったが、実質のところは殺し屋に近いだろう。
いつの世であろうとも、こういった汚れ役の存在が消えてなくなることは無い。
どのような社会であれ裏社会というものは存在し、そこに潜む害悪を始末するには、相応の手段が必要になるのだ。
そして私は――その手段を、否定するつもりは無かった。
「それで、貴方がたが私を選んだ理由は?」
「精霊魔法の使い手であり、あの《黒曜の魔女》の薫陶を受けた人物。そして――殺人の経験があること」
「……」
「幼少期にあれほどの経験をしておきながら、PTSDに掛かった気配もない。貴様は幼少期、あの屑共を始末したことを、まるで引け目と思っていない」
凄惨な笑みと共に放たれるその言葉に、私は沈黙する。
間違いではない。そもそも、私は前世の頃から、人を闇から闇へと葬った経験はある。
それにあの時、私の家族を奪おうとしたあの連中は、死んで当然の人間だった。
それを引け目になど思うことはないが――なるほど確かに、一般的に考えれば、それは異常の類なのだろう。
「貴様ほど、この仕事に対する適正のある人間は少ない。これが、私が貴様を選んだ理由だ。そして……」
「……まだ何か?」
「いずれ知るだろうがな。貴様を推薦した者は他にもいる。詳しくは当人から聞けばいいが……これは、私の語るべきことではないな」
そこまで口にして、室長は口を噤む。
どうやら、他にも何かしらの事情がある様子だが、それを口にするつもりは無いらしい。
普段相手にしているような子供ならばまだしも、目の前の相手は百戦錬磨の女傑だ。
下手に口を挟んだところで、こちらが不利になるだけだろう。
「ふむ……ところで、私はあくまでも四大の一族の人間、しかも分家当主です。しばし業務は無いにしろ、私には四大の一族としての活動がある。そことの兼ね合いはどうするので?」
「こちらの人員も、別に貴様しか居ないというわけではない。貴様の都合が合わなければ、他の人間を使うまでだ。四大の活動も国防にとっては必要不可欠、それを邪魔するつもりは無い」
「つまり、普段は普通に生活をしていても問題はないと」
「貴様は『八咫烏』に名を連ねはしたが、この管制室で働くわけではない。貴様の仕事は緊急時における戦力提供だ。仕事が無い時は普通に生活していればいい。そこの羽々音とて、普段は主婦業をしているからな」
その言葉に舞佳さんの方へと視線を向ければ、彼女は座席でふんぞり返りながらにやりと笑みを浮かべていた。
別段、偉そうにするような話ではなかったと思うのだが――まあ、それはいいだろう。
ともあれ、普段は四大の一族としての活動を続けられるということだ。それならば、特に大きな問題はない。
仕事に拒否権が無いのは、まあ少々不安は残るが……やりようはある。
「……それで、私へのメリットは?」
「くく、こちらから提供するのは人員だ。魔法院には、才能ある孤児を引き取り、魔法使いとして育てるシステムがある。これらは俗にチルドレンと呼ばれているが、その引取りの優先枠を仕事に応じて貴様に渡そう」
「……そういえば、聞いたことがありますね。四大でも、外の血を入れるために、そのシステムで魔法使いを引き取ってくることがあるとか」
「場合によっては早い段階から貴様のところに渡してやってもいい。その辺りは、担当官からシステムを聞くことだ」
確かに、それは私にとって都合のいいシステムだ。
彼らの仕事をこなしていれば、私は灯藤家の人員を手に入れることができる。
確かに、十分なメリットと言えるだろう。
「……分かりました。よろしくお願いします、室長」
「ああ、歓迎しよう。期待しているぞ、新人」
室長の浮かべるその笑みには若干の隔意を感じつつも、私は力強く頷いていた。




