078:魔法院にて
この私が学校生活、というのも中々に奇妙な体験ではあったが、大人しくしていればそうそう問題は起きない。
というよりも、あの凛との模擬戦以来、殆どの人間は私という存在を警戒して距離を開けている状態にあった。
まあ、若い彼らの感覚からすれば、私があれほど戦えるのは不可解以外の何物でもないということなのだろうが――その警戒具合には、苦笑を零さずにはいられない。
とは言え、実力者に慣れているらしい詩織や久我山は特に態度を変えることも無く、私はそれなりに平穏な日々を送っていた。
そして、週末になり――
「……ここ、か」
『離れた所からも見えておったが、巨大な建物じゃのう』
私は、兼ねてから連絡があった通り、魔法院の本部へと足を運んでいた。
都心部にある、かなり広大な敷地面積を誇る建物――と言うより、最早施設と呼ぶべき広さを持つ場所だった。
敷地面積はかなり広く、流石にあの学校ほどではないものの、ドーム球場ぐらいは二つ三つほどすっぽりと入りそうな広さである。
魔法院は省庁の一つに分類される国家機関であり、国内の魔法に関する物事を一手に管理している。
そのため、それ相応の使節は必要になるのだろうが、これは流石に広すぎるのではないだろうか。
『裏で色々とやっておるのじゃろう? 清く正しい、等とは口が裂けても言えぬ組織じゃからな』
『国家を運営――いや、国家を防衛する以上、そう甘いことは言っていられないのは事実だからな。何しろ、魔法院の活動には国民の命が直結する。汚い手であれ、結果的に人命を救うならば間違いではないさ』
私自身、その例に漏れぬ人間だったからな。
恐らく、私ほど裏社会を利用していた刑事はそうそういなかっただろう。
例えどのような手であったとしても、譲ってはならぬ目的のため、裁かねばならない人間を裁く。
誰よりもそのような行為を繰り返してきた私自身が、魔法院の行動を批判できるはずも無い。
むしろ、手段を選ばぬその姿勢には共感すら覚えるほどだった。
「結局、どこに行こうと、国を護るやり方というのは変わらんものさ。さて、行くとするか」
『うむうむ。さて、鬼が出るか蛇が出るか』
くつくつと楽しそうに笑う千狐に苦笑しつつ、私は魔法院の敷地へと足を踏み入れていく。
建物自体はいくつも存在しているが、案内板に何処がメインの建物であるかは記載されていた。
魔導士としての活動の窓口になるためだろう、人の出入りは思っていた以上に多い。
私たち四大の場合は私たち自身が活動の方向を決めているが、一般の魔導士たちはこうして魔法院から仕事を請け負うこともあるのだろう。
或いは資格の更新や何らかの申請などもここで行うのか――何にせよ、人の流れがあるならば迷わずに済むだろう。
そうして流れに沿ってたどり着いたのは、中央部にある、まるで税務署のような佇まいの建物だった。
「ここか……さて」
人の流れを観察していると、どうやら受付窓口のようなものが設置されているらしい。
整理券が発行され、順番に窓口へと足を運んで申請を行っているようだ。
私もそれに倣い、整理券を手に近くにあったベンチへと腰を下ろす。
このあたりはどこか銀行のような様相ではあるが、後方にある自動ドアの向こう側は受付やエレベータが立ち並んでおり、どこかオフィスビルのような印象を受ける。
向こう側は、職員が活動をしている領域と言うことだろうか。
「ふむ……まあ、世界が違えど、こういったシステムはやはり変わらないか」
整理券を眺めて笑みを零しながら、ぼんやりと瞑想しつつ順番を待つ。
周囲にはかなりの数の魔法使い達がいる。火之崎以外はあまり知らない私にとっては、少々新鮮な光景だ。
まあ、学校も似たようなものではあるのだが、あちらはまだまだ卵に罅が入った程度の子供たちだ。
対して、ここにいる魔法使いたちは、魔導士としての活動を経ているものが大半だろう。
流石に、あの子供たちと比べるのは可哀想と言うものだ。
とはいえ――この場にいる者たちも、火之崎と比べてしまえば圧倒的に劣る実力しか有していない。
改めて、四大の一族と言うのは特殊な環境なのだろう。
『あるじよ、そろそろ呼ばれそうじゃぞ?』
『む? そうか、なら準備しておくかな』
と言っても、何か持って来た物があるわけでもなく、別に準備をするようなこともあまり無い。
次に空きそうな窓口に当たりをつけている内に、私の番号は呼ばれていた。
窓口へと足を運べば、席に座った受付上が私を出迎えてくれる。
彼女は私の年齢に少し驚いた様子ではあったものの、特に何か言うでもなく、私に席を促していた。
「お待たせいたしました。本日はどのようなご用件でしょうか」
「魔法院から出頭命令を受けまして。この携帯端末を見せろとのことです」
「拝見します」
端末を受け取った受付嬢は、それを机に備え付けられた機会の上に置き、何やら操作を開始している。
どうやら、パソコンで何かの情報を閲覧しているようだ。
しばしその様子を眺めていると、受付嬢は画面から視線を話し、機会から携帯を取り上げて私へと差し出してきた。
「確認が取れました。担当のものをお呼びしますので、今しばらくお待ち――」
「いや、それだったら問題ない。もう来てるからね」
と――唐突に横合いから聞こえてきた言葉に、私は目を見開いてそちらの方向へと視線を向けていた。
驚いたのは、その内容ではない。この私が、ここまで接近されるまで、相手の気配に気づけなかったことだ。
戦闘時ではないため、ある程度の警戒に留めていたのだが、今背後にいる彼女の気配は、一切察知することができなかったのだ。
どうやら、その立ち振る舞いから見ても、只者と言うわけではないらしい。
「その子はこっちで預かることになってるから。これ、証明ね」
「は、はぁ……拝見します」
困惑気味の受付嬢は、受け取った端末から情報の読み出しを開始していた。
そして――僅かに硬直した受付嬢は、私と後ろの女性を何度か見比べた後、どこか緊張した面持ちで端末を返す。
「確認が取れました。どうぞ」
「ええ、ありがとね。じゃ、行くわよ少年」
「……はい」
この女性が何者なのか――それは分からないが、とりあえずは彼女に付いて行く外ないようだ。
栗色の毛をした、背の高い女性。その髪は僅かにウェーブがかかっており、後頭部で一つに束ねられている。
服装のみで言えば、どこにでもいる主婦のような様相だ。スーパーで買い物をしていたとしても、まるで違和感は無いだろう。
だが――その立ち振る舞いからは、一切の隙を伺えない。
今この瞬間、私が背後から襲いかかったとしても、彼女は的確に迎撃して見せることだろう。
間違いなく、非常に高い実力を有した魔導士。それも恐らくは――
「さ、こっちよこっち。付いてきなさい」
「はあ……ところで、貴方は?」
「おっと、そうそう、名乗らなくちゃね」
先ほど後方にあった自動ドア、その向こうへと歩いていく彼女は、私の問いに対して肩越しに振り返りつつ声を上げる。
その口元に、どこか得意げな笑みを浮かべながら。
「あたしは羽々音舞佳。どうぞよろしく、灯藤君?」
「羽々音……? 貴方は、まさか」
「ふふふっ。娘がいつも世話になってるわ」
どうやら、その名前の通り、彼女は詩織の母親であったらしい。
そう意識してみれば、なるほど確かに、顔の造作は少々似ている気がする。
ただし、その勝気な表情はどちらかと言えば凛の印象に近く、あのぽわぽわとした天然気味な詩織の印象とは重ならなかったのだ。
しかしまあ、何と言うか――
「……このような形で合うとは思いませんでした」
「いやぁ、あっはっは。そりゃあたしの台詞だよ。まさか娘の同級生に特級魔導士がいるとは思わなんだ、ってね」
「それはまあ、確かに。普通は無いでしょうね。しかし私からしても、まさか同級生の母親が特級魔導士だとは思いませんでしたよ」
「おや……どうしてあたしを特級だと思ったのかな、少年?」
通路を半歩先行して歩いていく舞佳さんに、私は軽く肩を竦める。
もしも特級魔導士でこれに気づけない者がいたならば、そいつは特級の看板を返上したほうがいいだろう。
確かに目立った実力を見せ付けているわけではないが――否、だからこそ、彼女が実力者だと気づけるのだ。
「魔力流出は殆ど無く、普通に歩いているだけなのに重心がぶれる気配もない。筋肉の付き方も理想的だし……戦闘魔導士として、理想的な状態だと言えるでしょう」
「ほほう? 流石は、あの《黒曜の魔女》の弟子って所かな。観の目も鍛えられてるようで何よりだ」
舞佳さんからの褒め言葉に、私は思わず苦笑する。
観察眼については、どちらかと言えば先生による影響が大きいだろう。
あの睡眠中の修行では、とにかく相手の手札を探らねば勝てなかったのだ。
目の前にいるこの女性は、おそらくは接近戦タイプ――それも、剣を使うタイプだろう。
筋肉の付き方がちょっと独特である。気になるのは、片腕に偏らず均等に腕が発達している点は少々気になったが。
「しかし、あの詩織の母親が貴方とは……」
「うん? 何か意外な点でも?」
「いや、貴方がとんでもない実力者であるのに対し、詩織はかなり大人しいので。少し、イメージがかみ合わなかっただけです」
「あー……まあ、それはねぇ」
どこか歯切れの悪い様子で、舞佳さんは苦笑する。
その姿に、私は僅かに視線を細めて彼女の姿を見つめていた。
どうやら、何かしらの都合があるように感じられる。それがどのようなものかは、流石に判断ができないが――どうやら、詩織が魔法使いらしくないのは、何かしらの理由があるらしい。
まあ、家庭の事情ではあるだろうし、あまり突っ込まずにおいたほうがいいだろうが。
「まあ、あれだね。君の婚約者や姉妹の子とも仲良くさせて貰ってるし、これからもあの子のことをよろしく頼むわよ」
「ふむ……ええ、分かっていますよ。詩織はいい子ですから、彼女のような友人は、中々に得がたい存在でしょう」
舞佳さんの様子を観察するも、その言葉の中に含みのようなものは感じられない。
どうやら、私たちが四大の一族だからと言う理由でその言葉を発したわけではないようだ。
純粋に、娘の友人として、仲良くして欲しいと言っているようである。
まあ、元よりそのつもりではある。彼女のような人間は、初音や凛たちにとって何よりも大切な存在だ。
彼女のことはできる限り面倒を見るつもりであったし、周囲からの悪意にも気を遣うつもりだ。
内心でそう考える私の様子に、舞佳さんは僅かに苦笑を見せる。
「ふふ……ま、よろしく頼むわね。お礼は、君のここでの活動を支援することで返させて貰うとしようかな」
「ここでの活動、ですか」
そこまで考え――私は、ふと違和感を覚えていた。
今まで、私は彼女と共に通路を歩いてきたのだが……一体、どんな道を進んできた?
道順がまるで思い出せない。何度曲がったのか、何処を登り何処を下ったのか。
むしろ、ずっと直進だけし続けていたかのような錯覚すらある。これは――
『やられたのぅ。かなり高度な幻術じゃ。しかもこれは……あの水城久音のものにも匹敵するぞ』
「……随分と、厳重な警備ですね、これは」
「お? 君、初見でここの仕掛けに気づいたの? やるわねぇ」
警戒心を露にする私に対し、舞佳さんは変わった様子も無くからからと笑う。
この仕掛けは、ずっとここに存在していたと言うことなのか。
彼女はこれを知っていて、ずっとこの道を通ってきた?
「ま、説明はこの先でされると思うわよ。もう、目的地は目の前だから」
「……あの扉、ですか」
通路を進んだ先、そこにある機械式の扉。
どうやら、その先に、私たちの向かう目的地があるらしい。
どこか異様な仕掛けによって護られたその場所は、果たして何なのか――止まりかける足を律し、私はその扉の前まで辿り着いていた。




