075:初の模擬戦
模擬専用の舞台の上へと上がり、所定の開始地点へと足を運ぶ。
彼我の距離感はおよそ中距離といったところ。いきなり接近戦を挑むには遠く、しかして強力な魔法を詠唱するには近い距離。
尤も、一定以上の実力を持つ魔法使いにとって、この程度の距離は有って無いようなものだ。
相手が母上であれば、ほんの瞬きの間に肉薄してしまうような距離だろう。
だからこそ私は、その先で得意げな表情を浮かべている仙道に対し、苦笑を禁じえなかった。
『微笑ましい、と言っては流石に失礼かな』
『今更じゃのう。最初から格下扱いしておるではないか、お主』
『まあ、否定は出来んがな』
軽く肩を竦め、私は改めて仙道を観察する。
魔法という遠距離攻撃が主体の攻撃手段を使うだけあって、魔法使いを後衛だと考えている人間は比較的多い。
実際はその両方が出来なければならないのだが、一般的な認識というものは中々変わりようがないものだ。
しかし、当の仙道は、どうやらそんな先入観には縛られていない人間らしい。
肉体は程よく鍛えられており、魔力の練り上げも中々に質の良いものだ。
良く言えば将来有望な――あえて悪意を持って言うのであれば、ありきたりな魔法使いだ。
「灯藤、仙道。準備はいいな?」
「ええ、問題ありません」
「私もです。いつでも始めて構いませんよ」
教官からの呼びかけに、名前を並べると少し似ているな、などと益体もないことを考えながら、私は仙道の観察を続ける。
相手はまだ学生の若者であり、魔導士の位階と比較しても精々三級といった所だろう。
高校が始まってすぐの時点でそれだけの実力を有しているのは十分に驚異的だが、生憎と四大の一族に比べられるレベルではない。
まあ、それはそもそも比べること自体が間違っているとも言えるのだが――何にせよ、これほど実力が下の相手と戦うというのは初めてだ。
しかし、油断はしない。夢の中で先生が繰り出してきた魔法使いたちの中には、実力を擬態させるようなものが何人もいた。故にこそ、どのような相手であれ、決して油断はしないと決めているのだ。
泰然としつつ構え、けれど相手の一挙手一投足を見失わない。整息し、意識を精鋭化させたところで、教官は変わらぬ口調で模擬戦の開始を告げていた。
「では、始め」
「――【水よ】【集い】【貫け】!」
開始直後、仙道が発現させたのは、四級の圧縮詠唱による水の魔法だった。
その歳で四級の圧縮が使えるというのは、なかなかに修練を積み重ねてきた証だ。
しかも、私が火之崎の一族であることを知っているからか、水の属性を選択して使っている。
《属性深化》こそしていないが――まあ、あえて一属性に偏らせずに使おうとしているのであれば、それも間違いではないだろう。
驚くべきは、その圧縮詠唱による魔法に、それなりに使い慣れている形跡があったことだ。
四級はまだ難易度がそれほど高くはないにしても、複数の魔法を使い慣れるにはそれなりの修練が必要だ。
ひょっとしたら、偶然この魔法が得意だっただけなのかもしれないが――何にせよ、中々に訓練を積んでいる様子である。少々自信家のきらいがあるのも、まあ頷くことはできるだろう。
だが――
「……悪いが、その程度ではな」
迫る水の弾丸に、しかし私は一歩も動かずにそれを見据える。
瞬く間に水の弾丸は接近し――しかし、私に命中するその直前に、まるで砂に吸収されるように萎んで消滅していた。
「な……ッ!?」
目を見開き、驚きを隠せずにいる少年の様子に、私は思わず肩を竦める。
まあ、仕方のないことではあるだろう。今の一撃で倒せると思っていたわけではないだろうし、防がれるとも考えていたのだろうが――まさか、防御する素振りも見せずに無効化されるとは考えもしなかったはずだ。
この程度で驚いていては、とても四大など相手にできるものではないのだが……まあ、少年にそこまで求めすぎるのも酷というものだろう。
実際のところ、一応防御はしているのである。
これは、母上との卒業試験でも利用した、私の編み出した複合魔法《不破要塞》によるものだ。ちなみに、命名はリリである。
私の魔力特性は《堅守》と呼ばれる、防御魔法に特化した性質を持っている。簡単に言えば、防御魔法をより効率的に、素早く、そして高い強度で発現させることができるのだ。
そして、その特性を生かして編み上げたこの魔法は、特殊な刻印術式を体に直接刻み込むことにより、常時複数種の結界を展開するものとなっている。
常に展開している結界の数は五種。そして、戦闘時にはさらに二種追加し、七種の結界を展開するのだ。
そして、この術式は私の魔力回路に直接接続されているため、意識せずに展開し続けることができるのである。
『戦闘起動もせずに防げるなんて、弱すぎ』
『そう言うな、リリ。格上と戦うことを想定して作った物なんだぞ? 簡単に抜かれたらそれこそ名折れだ』
辛辣なリリの言葉に内心で苦笑し、私は改めて仙道を見つめる。
母上の攻撃を防ぐために編み出した刻印魔法。尤も、その母上相手には、ほんの一瞬だけ攻撃を防いで意識を逸らす程度のことしかできなかったが――それでも、この程度の魔法使い相手には十分すぎる。
先ほどの魔法は、恐らく五種の結界のうち、物理威力減衰と魔法威力減衰の結界で削られきってしまったのだろう。
つまるところ、あの程度の威力では、どれだけ撃ち込んでも私の体には当たらないのである。
そしてついでに言えば、《装身》を維持している私の肉体の強度は非常に高く――減衰した威力の魔法が当たってもびくともしない。
分かっていたことではあるが、仙道少年には、私にダメージを与える手段がないのだ。
「くッ! 【水よ】――」
しかし、仙道少年は諦めるつもりはないらしい。
再び魔力を練り上げ、詠唱を開始している。
その諦めぬ姿勢は実に評価できるだろう。だが生憎と――二度目を黙って見届けてやるほど、サービスをするつもりはなかった。
強く地を踏みしめ、前傾姿勢で駆け出す。大抵の場合、人間が相手を認識しているのは、おおよそ胸から上の部分だ。
一瞬でそこから下に体を沈めた場合、僅かながら、相手はこちらの姿を見失ってしまう。
古くは《縮地》と呼称される技術であるが、おおよそ素人相手には簡単に通じるものだった。
「っ!? 何処へ――」
「ここだよ」
仙道が動揺したその瞬間には、私は彼に肉薄していた。
横を通り抜け様に膝裏へと手刀を打ち込み、そのバランスを崩す。
だが、流石に片膝を崩された程度で転びはしないだろう。私はそのまま蹴りを放ち、仙道の足を払っていた。
バランスを崩された状態で軸足を払われ、仙道は成す術無く転倒する。
「ぐっ!?」
「残念だが、これまでだ」
仰向けに倒れた仙道の体を足で押さえつけ、その喉笛へと手刀を突きつける。
《装身》を使っているこの身は、既にそれ自体が凶器だ。この体勢からでも、容易に喉を斬り裂くことができる。
既に詰みの状況であるが、仙道は自分の状態を理解できていないのか、呆然と私の姿を見上げていた。
まあ、無理はないだろう。格下だと思っていた私に対して魔法が通用せず、しかも一瞬で倒されてしまったのだから。
この状況を覆せるとすれば無詠唱の魔法程度だろうが、《掌握》を発動している私には、術式を使おうとしているかどうかなどバレバレだ。
更に言えば、無詠唱で発現させた程度の魔法では、《不破要塞》を貫けるはずもない。
既に成す術がないことを理解したのだろう。仙道は強く歯を食いしばりながらも、強張らせていた体から力を抜いていた。
「――そこまで、灯藤の勝利だ。では灯藤、貴様は火之崎たちのチームに加われ」
「了解しました」
教官の方へ向けて頷き、私は仙道の拘束を解除する。
そしてそのまま、私は仙道に対して手を差し伸べていた。
自分で転ばせたのだ、この程度は模擬戦の礼儀だろう。それに、私からすれば、彼に対して悪感情などほぼ存在しない。
四大と比べることはできないが、彼は十分に才能があり、そして努力を欠かしていない魔法使いだ。
将来的には、きっと大きく成長してくれることだろう。
「中々、良く訓練をしていたようだな。魔法の練り上げも十分だったし、戦闘を意識して圧縮詠唱の習熟を行っているのは良いことだ。このまま努力を続ければ、一流の魔法使いになれるだろう」
「な……何を」
「期待している、ということだ。今後も変わらず、努力をして欲しい」
じっと仙道の眼を見つめ、私は彼にそう告げる。
その言葉に嘘はない。彼がこのまま成長を重ねれば、一流の魔法使いへと成長することができるだろう。
私の言葉に他意がないことを理解したのか、仙道はしばし呆然とした後、その視線を俯かせて沈黙していた。
色々と、考えることがあるのだろう。私は黙って、手を差し伸べたまま彼の反応を待つ。
仙道はしばし沈黙した後、やがておずおずと、私の手を握っていた。
そんな彼の様子に小さく笑みを浮かべ、私は彼の手を引いて立ち上がらせる。
転ばせたとは言え、勢いにはそれなりに気をつけていた。怪我は一つもないだろう。
「……ありがとう」
仙道は、ボソッとそれだけ口にすると、私の手を離して踵を返す。
まるで逃げるように壇上から去って行く彼の中では、様々な思いが葛藤していることだろう。
『謝罪の言葉もないなんて。ご主人様、もっと分からせてやった方が良かった』
『お前は気にしすぎだ、リリ。あそこで礼を言えるだけ大したものだよ』
私も男だ。ちっぽけなプライドに拘泥する気持ちは十分に理解できる。
自分の過ちを認めることは難しく、そして敵視していた相手に礼を述べることも難しい。
まあ、仙道も謝罪を口にすることは出来なかったようだが、私はそれを気にするつもりはなかった。
と――ふとそこで、仙道とは入れ替わりにこちらへと近づいてくる気配に気づく。
そちらへと視線を向ければ、そこにいたのは他でもない、私の片割れたる凛だった。
「……凛? どうかしたのか?」
「あんな短い戦闘じゃ、アンタがどれぐらいの実力を持ってるのかなんて、大体の連中は分からないでしょ? それで、またあいつみたいなのが出てきちゃ困るのよ。あたしは弱いのと組む気はないからね」
「……ふむ。では、どうやって実力を披露しろと?」
質問はするものの、私はおおよそ、凛の言わんとしているところを理解していた。
態々ここまで足を運んできたのが、その答えであると言えるだろう。
その私の質問に対し、凛は愚問だと言わんばかりに笑みを浮かべ、言い放っていた。
「あたしとアンタで、模擬戦をする。そうすりゃ、アンタだって本気で戦うでしょ?」
「……無茶を言うな、凛。流石に、教官の許可がなければ行えないぞ?」
「あら、あたしだって何も相談せずには来ないわよ。ねぇ、教官。私の提案は受け入れて貰えます?」
凛が軽く笑みながら目配せをした先、神山教官は、その言葉に対して嘆息を零していた。
しかし、凛の言葉を諌めるような気配はなく、彼はじっと私のことを見つめて声を上げた。
「模擬戦を行え、灯藤。貴様のような特殊なタイプがいることは、早いうちに理解しておいても損はない」
「私は彼らの教材ということですか……」
周囲には、私たちの様子を注視している学生達の姿がある。
実力試験を行ってはいるのだが、その合間に、私たちのことを観察しているのだ。
確かに、私は魔法使いとしては特殊なタイプだ。三組に在籍しているものの、戦闘能力という点においてはトップクラスであるという自負を持っている。
何もかもを物差しで計れる訳ではない――そのことを知らしめる、絶好の機会であるともいえるだろう。
「……分かりました。凛と戦いましょう」
「そう来なくっちゃ! こうもいい機会が巡ってくるとは思わなかったわ」
笑みを浮かべつつ拳で掌を叩いた凛は、早速と言わんばかりにその魔力を励起させ始めていた。
感じる魔力の圧は、既に母上に匹敵する域にまで到達していることだろう。
その圧倒的なまでの魔力量に、私は先ほどとは違い、きちんと構えを取って対峙する。
今回は流石に、一筋縄ではいかないだろう。本気で相手をすべく、私は静かに魔力を昂ぶらせていた。




