072:共に暮らす仲間
「まさか、建物だけではなく部屋まで一緒にされているとは……」
「私はまだ間取りしか見てないけど、ちょっと広いよね」
流石は水城のお嬢様と言うべきなのか、初音の感性は若干一般人離れしている。
その初音ですら広いというのだから、この間取りはかなりおかしいものだろう。
まあ、出来てしまっている上、作ってもらったものであるため、今更文句もつけられないのだが。
その辺をしっかり説明しなかった点については、水城久音の意図を感じずにはいられず、私は初音に気づかれぬよう小さく嘆息を零していた。
「……ちなみに、ここまで来たということは、荷物については?」
「もう運び込まれてると思うよ?」
その言葉に、私は眉根を寄せて沈黙する。
既に外堀が埋められてしまっている点については、もう今更言ったところで覆ることはない。
今は取り合えず初音を部屋に上げる以外に選択肢はないのだから、気にしないで置くことにするが――
『……リリ、知っていたな?』
『ん……水城からの荷物として、運び込みはあった。運んできた人間の一人は、今も部屋に留まってる』
『成程、そういう名目か。しかし、何故黙っていたんだ?』
『水城からの支援物資なら、ご主人様が直接確認を行うべきだと考えたから』
『確かに……分かった。とりあえず、その運んできた人物と話をしてみるとするか』
初音の処遇をどうするにしろ、まずは水城の意向を聞いておかなければ話は始まらない。
まあ、後手に回ってしまった時点で、水城久音に対抗する手段など皆無と言っていいのかもしれないが。
何となく嫌な予感を覚えつつも、私は初音と共にマンションのドアを潜っていた。
管理人室にいる同僚から生暖かい視線を浴びながら、奥にある専用エレベータへと向かい、最上階へのボタンを押す。
一応初音のカードキーで確かめてみたのだが、間違いなく本物であるようで、きちんと最上階へと登ることができた。
「本当にやってくれるな、あの方は……」
「あ、あの、仁……その、やっぱり、ダメだった? 一緒に暮らすのって……」
「む――」
思わず零れた言葉は、密室であるが故に聞こえていたのだろう。
初音は、不安げな目線で見上げながら、私に対してそう問いかけていた。
少々無用心な言葉だったか。初音としても、ここで拒否されるのは複雑なはずだ。
とは言え――常識的に考えれば、高校生同士の同棲など推奨できるはずもない。
感情と理性のバランスが不完全で、周囲の影響を受けやすい多感な時期。
一度過ちを犯せば、そのままずるずると深みに填まって行ってしまうことは想像に難くない。
が――それはあくまで、一般的な人間の話だろう。私は嘆息を零し、初音に対して苦笑交じりの笑みを見せていた。
「あまり褒められたことではないのは事実だが、ダメではないさ。私が言っているのは、早く曾孫を見せろなどというあの人の発言についてだよ」
「こっ、ここ、子供……お、お婆様ガ言うなら、私もやぶさかではないと言うか、その」
「落ち着け、初音。将来的には否定しないが、いくら何でも性急過ぎる」
将来的に結婚する仲である以上、子供を作ると言う点について否定するつもりはないが、学生の時分でそんなことをしてしまうのは軽率すぎる。
初音とて、学生で子供を作るのは学業にも差し支えるし、四大としての外聞もよろしくないということは分かっている筈なのだが。
再会のせいか、初音は少し羽目を外しすぎているきらいがある。尤も、私とて抑えてはいるが、気分が高揚していることは事実なのだ。頭から否定することも出来ず、私は苦笑を零していた。
「とりあえず、落ち着いて話をするとしよう。ほら、到着したぞ」
「う、うん」
若干顔が赤いというか、少々先ほどの話を引きずっている様子だったが、とにかく部屋に上がる様にと初音を促す。
下手に突くと薮蛇になりそうだったため、とりあえず刺激はしないようにしながら扉を開ける。
そこでまず飛び込んできたのは――整列する五人のリリと、その後ろに立つ一人の女性の姿だった。
「や、少年。久しぶりだな」
「貴方は――」
斜に構えた態度で私を見据え、口元を笑みに歪める女性の姿。
そんな彼女の姿には、確かに見覚えがあった。随分と時間は空いてしまったが、間違いはないだろう。
初音からも手紙で話を聞いていたが、彼女は――
「……お久しぶりです、婦長」
「はははっ、あたしゃもう婦長じゃないがね。ま……随分とでかくなったもんだ、仁」
「ええ、十年経ちますからね。貴方はお変わりないようで、皆瀬さん」
皆瀬薫――彼女は、かつての事件の折、あの病院で婦長を務めていた人物だった。
協力してあの襲撃者達を迎撃し、初音を任せた人物。
あのあと、水城に拾われて初音の従者になったと聞いていたが、このような場所で再会するとは思わなかった。
「十年ぶりの再会だ。まあ、色々と話したいことはあるが……とりあえず、上がって荷物は置いてからにしようか」
「ええ、そうですね。初音、上がってくれ」
「う、うん。だけど、その……その子たちは、一体?」
そういって、初音が困惑気味に見つめているのは、凛とよく似た姿のリリ、それも五人である。
全員が全く同じ顔をしているため、慣れていなければ中々不気味な光景だろう。
初音からすれば、凛と良く似た顔をしているため、余計に違和感が強そうだ。
私が使い魔を取得したことについては手紙で話しているのだが、水城の検閲が入るであろう手紙には、ショゴス・ロードであることは記載していない。
このような能力を持っている使い魔など、想像の範囲外なのだろう。
まあ、暮らしていく中では秘密にすることも出来ないし、説明せざるをえないだろう。
どちらにせよ、リリを使い魔とすることは国から正式な認可が下りている。水城久音ほどにもなれば、その情報も既に得ているだろう。
既に根回しの済んだ今の段階ならば、水城に知られてもそれほど問題はないはずだ。
「リリ、一旦私から離れて、分体を回収してくれ」
「ん――」
私の服の下で肌着となっていたリリは、その言葉に同意しながら、黒い粘液となって私の体から分離する。
黒い粘液の塊と化したリリに、分体たちは次々と飛び込んで同化し――最終的に、そこにはいつものリリが一人だけで佇んでいた。
その光景を目を丸くして見つめている初音に、私は苦笑しながら紹介する。
「彼女はリリ。私の使い魔だ」
「よろしく、じんの婚約者の人」
「よ、よろしくお願いします……えっと、仁? この子はもしかして――」
「ああ、察しの通り禁獣だ。それも、人間以上に高度な知能を有している」
私の言葉を聞き、初音は息を飲む。
婦長――皆瀬さんも一応予想はしていたのだろうが、それでも意外ではあったのだろう。
彼女は興味深そうな視線で、リリのことを見下ろしていた。
まあ、こうして街で暮らしている以上は、そうそう禁獣と出会うようなことはないのだから、当然と言えば当然だろう。
「禁獣ではあるが、私の言うことはちゃんと聞くし、とても優秀だ。困ったことがあったら、リリに相談するといい」
「う、うん……ちょっと驚いたけど、凄いね、仁。風宮の人たちだって、禁獣を使い魔にしている人は殆どいないのに」
「しかも、一級以上の禁獣とはね。子供の頃もそうだったが、とにかく驚かせてくれる奴だね、君は」
くつくつと笑う皆瀬さんは、どうやらリリの正体をある程度把握できてしまったらしい。
存在自体がかなり希少な禁獣なのだが、随分と博識なことだ。
しかし、そんな彼女の発言には言及せず、私は部屋の中へと上がっていた。
とりあえず、色々とありすぎて考えの整理をしたいところだったのだ。
リビングにあるソファへ適当に荷物を置き、ネクタイを外す。何やら随分と久しぶりに思える動作に苦笑しつつ、私は初音のほうに向き直っていた。
「さて、積もる話もあるが……とりあえず、部屋割りだけでも決めておこう」
「ああ、それならあたしの方で決めておいたよ。と言うより、その子たち……いや、その子? が決めた部屋割りに便乗したんだけど」
「リリ、私の部屋を決めていたのか?」
「ん。じんはここの主人だから、当然一番いい私室。で、そのつがいになる人は、じんの隣の部屋」
「あたしゃ一緒の部屋でいいんじゃないかって言ったんだが、あの分体たちは話を聞いてくれなくてね。仕方なくこの形に落ち着いた」
色々と言いたいことはあるが――まあ、おおよそ順当な結果であると言えるだろう。
『つがい』と言う単語に顔を真っ赤にしている初音の様子にも苦笑しながら、私は水城の主従に対して声をかけていた。
「とりあえず、荷物を置いて来たらどうだ? 女の子なんだ、色々と準備はあるだろう?」
「う、うん……仁、ありがとう。それじゃあ、ちょっと待っててね」
頷いた初音は、踵を返して皆瀬さんを伴いながら私室へと向かっていく。
その背中を見送り、私は、隣で初音の背中を凝視しているリリへと声をかけていた。
「どうしたんだ、リリ。いきなり他の人間が入ってきたから、警戒しているのか?」
「ん……それもあるけど、じんがあの女を警戒していたから」
「……やはり、お見通しか」
リリの言葉に苦笑し、私は再び廊下の方へと視線を向ける。
彼女の言う通り、私は確かに、皆瀬さんのことを警戒していた。
と言っても、決して敵視しているという訳ではないのだが。
「噂程度でしかないが、水城には市井に潜り込ませた特殊な人員が存在していると言う。かつての事件で、水城が迅速に対応してきたのも、それがあったからなのではないか、とな」
「……あれは、スパイ?」
「そうとは言い切れんし、例えそうだったとして、今は水城久音と敵対しているわけではない。そもそも、私の情報など、ほぼ全て握られているだろうからな」
国に報告した内容は既に彼女の耳にも入っているだろうし、隠し立てする意味はあまり存在しない。
それでも、念のため警戒しておく必要はあるだろうが。
まあ、監視すること自体はそれほど難しくはないだろう。何故なら――
「リリ、一応だが、警戒はしておいてくれ。心配は要らないと思うがな」
「ん、分かった……それで、もう一人の方は?」
「初音に関しては心配は要らんさ」
苦笑し、ネクタイを外してブレザーを脱ぎ捨てる。
適当に放り出そうとしたところを、再び姿を現したリリの分体によって回収されるが、きちんと処理してもらえるなら問題はないだろう。
運んでいく分体の姿を見送りながら、私はリリに告げていた。
「初音は私の味方だ。私が初音の味方であるように……その考え方は、十年前から変わっていないようだ。そもそも、あの子は私にとって護るべき家族。信じずにどうする、と言う話だ」
「……あの人は、私と同じ?」
「ああ、大切な家族の一人だとも」
「……そう」
そう呟いて、リリはしばし沈黙する。
彼女の視線の先には、先ほど初音たちが去っていった廊下があった。
リリにとってこれまでの暮らしの中では、私と、母上と、先生――後は一応ぐー師匠がいただけで、他の者が入り込む余地はなかった。
だが、これからはそうもいかないだろう。味方と、そうでない者を見極め、その中で暮らしていかなければならない。
全てを敵視する、と言うわけには行かないのだ。そのあたりの折り合いを、上手くつけていく必要があるだろう。
リリ自身もそう考えていたのか、しばし黙考した後、ポツリと声を上げていた。
「それじゃあ……私も、あの人を護る」
「やってくれるか?」
「他でもない、私のご主人様のために。じんにとって大切な人も、私が護る」
「ああ……心強いよ、本当に」
これほど心強い味方もいないだろう。本当に、リリを仲間にして良かったと、心の底からそう思える。
リリが初音と馴染めるかどうか、と言う点は少々不安だったのだが、この様子ならば問題はないだろう。
できることならば、リリも個人として多くの人々との交友を深めてもらいたい所だが、現状では難しいだろう。
私に常に張り付いたままでは、交友も何も無いのだから。
「さて……とりあえず、今後のことを考えなくてはな」
新興分家として、やらなければならないことは山積みだ。
まずはその中核を成すメンバーとして、初音と話をしなければならないだろう。
話し合うべき内容を考えながら、私は初音の準備が終わるのを待ち続けていた。




