071:一緒の帰路
すみません、予約をミスってました。
初日から初音たちとの再会、そして先ほどの宣戦布告と、中々に退屈しない一日だった。
だが流石に、それ以上の出来事が起こるようなことはなく、その日は解散となっていた。
しかし、一日目からそれなりに良い出会いもあったことだし、私の目的を考えれば充実した一日であったと言えるだろう。
『あの喧嘩を売られた出来事すら良かったことのように言えるのが流石と言うべきかの……』
『ご主人様、あいつ、倒す?』
『落ち着け、リリ。別に、直接危害を加えられた訳でもないし、加えられる訳でもない。過剰に反応する必要はないさ』
無論、手を出してきたのであれば、相応の対処をするまでだが。
私は父上から、火之崎の名を預かってきている。私の行動の一つで、火之崎の名声に影響を及ぼす可能性があるのだ。
私自身を舐めるのであれば、それは構わない。油断してくれる分にはこちらに損はないのだから。
だが、それが火之崎に対する見縊りとなるのであれば、捨て置くわけにはいかない。
彼がどのような選択をするのかは分からないが、おそらくはそう遠くない内に、結論を出すことになるだろう。
まあ、私が軽んじられることを許しがたく思っているらしいリリは、どうやら内心憤慨している様子であったが――そんな彼女をなだめつつ、私は下校のために下駄箱へと向かう。
と――そこには、見知った三人の姿があった。
「……仁!」
私を見つけたのはほぼ同時だったのだろう、目を輝かせた初音が、私に対して声をかける。
隣の凛や詩織は苦笑していたが、どうやら咎めるつもりもないようだった。
そんな三人の対照的な様子に思わず笑みを零しながら、私は彼女たちのほうに近寄っていた。
「話をしていたのか? 悪かったな、邪魔をしてしまった」
「別に、そんなことないわよ。初音はどっちかと言うと、アンタのことを待ってたわけだしね」
「おや、お前は待ってくれていなかったのか?」
「アンタね……あたしはこの子の付き添いだっての」
ぷいと顔を背けながら言い放つ凛の様子に、私は思わず苦笑を零す。
幼い頃の凛は気が強いながらも素直な子だったのだが、思春期とは中々難しいものだ。
何となくしんみりとしつつも、私は三人に対して問いかける。
「今日は三人でどこかに出かける予定でもあるのか?」
「ううん、今日はないよ」
「あたしが、今日は戻ったら訓練の予定だからね。こっちに来てるから、お父様から直接指導は受けられないけど」
「と言うわけで、今日は皆帰宅です」
大人になってからのことを知っている身としては、子供の内は遊べる内に遊んでおいた方がいいというのが持論なのだが――まあ、予定があるのならば仕方ないだろう。
今日は全員帰宅と言うことで、私も三人と一緒に靴を履き替え、校門へと向かう。
その間も周囲から注目を集めていたが、今更気にしていても仕方のない話だ。
凛や初音との距離感は、今後縮まることはあれど離れることはない。その都度気にしていたらキリがないのだ。
そもそも、周囲を気にしすぎて距離を離してしまうなど馬鹿馬鹿しい話だ。周囲に慣れてもらう方が良いだろう。
「さて、私はあちらに帰るのだが、三人はどうなっている?」
「あたしは車よ。火之崎の拠点はそこまで離れてるわけじゃないけど、訓練の時間が勿体無いからって」
「護衛が理由じゃない辺りが流石だよね……あ、私は向こうです。方向反対ですけど……」
「まあ、仕方あるまい。初音はどうなんだ?」
「私は仁と同じ方向だよ。一緒に帰ろうね」
にこやかに、本当ににこやかに笑いながら告げる初音の言葉に、私は僅かに違和感を覚えて首を傾げる。
普段から便りになる直感ではあるが、今回は何故それに引っかかったのか全く想像もつかない。
私は首を傾げながらも、初音の提案に対して頷いていた。
方向が一緒であると言うのなら、それを断る理由もない。
「では、今日はここで解散と言うことかな。積もる話はあるが、それはまた今度、時間が取れたらということにしよう」
「賛成ね。ま、アンタと初音は帰りがてら話でもしておきなさいな」
「ちょっと聞きたい気もするけど……それじゃあ初音ちゃん、灯藤君、また明日」
軽く手を振る凛は、僅かに呆れの色を視線に交えながら、私と初音に対してそう告げる。
それに比べて詩織はまだ素直な様子ではあったが、しかしやはり何か含みがあるようにも感じられる。
何かあっただろうかと首を傾げるが――その思考は、軽く袖を引く初音によって中断されていた。
「それじゃあ凛さん、詩織さん、また明日」
「ええ、また明日。アンタも頑張りなさいよ?」
「また明日ね、初音ちゃん。明日、楽しみにしてるから!」
妙に楽しげな様子の二人に見送られながら、私は初音と共に帰り道を歩き出す。
凛と離れたおかげである程度集まる視線は減ったが、それでも初音に集まる視線は多い。
まあ、気にしていても仕方のないことだし、今更と言えば今更だ。
「しかし……二人には気を遣われてしまったか?」
「そう、だね。二人にはちゃんとお礼を言わないと。でも、あの二人が帰る方向が違うのは本当だよ?」
「そうなのか? まあ、それならあまり拘り過ぎなくてもいいか」
親しい仲なのだ。礼儀が不要とは言わないが、あまり拘り過ぎるのも良くないだろう。
明日、軽く礼を言っておく程度で大丈夫だ――尤も、その程度でも必要ないと言われそうだが。
ともあれ、こうして二人きりで話が出来る機会を得られたのは好ましいことだ。
本来ならば、初音の周囲にはもっと多くの人間が集まってきていてもおかしくない。
水城との繋がりが欲しい人間など、掃いて捨てるほどいるのだから。
だが、今はまだ、周囲の面々が私と初音の距離感を掴みかねている。私に対して下手な扱いをして、初音の機嫌を損ねたら拙いと考えているのだろう。
何にせよ、私にとっては好都合なことだ。
「……こうして、二人で話が出来るのも十年ぶりか」
「うん、今でもしっかり覚えてるよ。あの日、仁が会いに来てくれた時のこと……お婆様の幻術の中で、仁が言ってくれたこと」
「……それは、正直忘れて欲しかったのだが」
「駄目だよ、あれは私の大切な思い出なんだから」
悪戯っぽく笑う初音の言葉に、私は思わず嘆息する。
あの時のプロポーズまがいの言葉は、今思い出しても気恥ずかしい。
あの子と場に嘘がなかったことは間違いないが、それでも本人の目の前で言ってしまったことは私にとっては思い出したくない出来事だ。
「全く……流石は、父上が警戒するほどの人物だよ。だがまぁ、あの時に言葉を交わせたことには、感謝しているがな」
「うん、それは私も。あの時に仁と約束できなかったら、私挫けちゃってたかもしれないから」
「それほどか? お前ならば、私などいなくても、十分に大成できると思っていたが?」
「大成ぐらいじゃ駄目なんだよ。私は、仁と一緒に戦えるような強さが欲しかったんだから」
そう言って笑う初音の表情は、とても透き通った、そして大人びたものだった。
前世でも幾度か見た覚えのある、覚悟を決めた女の表情。
かつて、極道の世界での生き様を語った、美しい女の表情と重なっていた。
「私は、仁を一人きりで戦わせたくない。仁の足を引っ張りたくない。だからお婆様に御願いしたの――お婆様のように、一人で戦える水城になりたいって」
「そうして、久音様に弟子入りしたんだったか……手紙では聞いていたが、本当に無茶をしたな」
「仁ほどじゃないよ。あの朱莉様に弟子入りして、しかも一級の禁域で暮らしていたんだから」
「まあ、それは……」
無茶の度合いに関しては否定できず、私は思わず頬を引きつらせていた。
話を聞くだけでは、無茶どころか自殺行為にしか聞こえなかっただろう。
実際は、一応命の保障だけはされていたのだが。
「とにかく……本当に、よく頑張ったんだな。こうして、従者も付けずに一人での行動を許されているんだから」
「一応、従者はいるんだけどね。でも、一人でも十分行動できるって、お婆様にお墨付きを貰ったから」
「あの久音様にか。それは本当に凄いな……流石だ、初音」
「あっ……」
あの時と同じように頭を撫でると、初音は目を丸くして私のことを見上げる。
いや、流石にこれは高校生にもなった相手へすることではなかったか。
反省しつつ、私は初音の頭から手を外していた。
「すまん、ついあの頃と同じように……」
「い、いいんだよ! むしろ、もっとしてくれても……」
「だが、それほど美しく成長したんだ。あの頃と同じような扱いという訳にもいかんだろう?」
「うっ、うつく!?」
素っ頓狂な声を上げかけた初音は、咄嗟に口を手で押さえ、視線を逸らして俯き始める。
私には聞こえないようにぶつぶつと呟いている様子だったが、生憎と常に《装身》を維持している私の五感はかなり鋭敏だ。
初音の呟きについても、ばっちりと聞き取ってしまっていた。
「じ、仁ったら美しいだなんて……が、頑張った甲斐があったかも。仁って、やっぱり大人っぽい女の人が好みだもんね。朱莉さんみたいな……うう、頭を撫でてもらうのも好きなんだけど……でも、それだといつまで経っても子ども扱い……やっぱり、大人っぽい方向性を維持しないと……」
どうやら、色々と葛藤がある様子である。
深窓の令嬢という言葉と、あの頃の元気な初音とは正直あまり結びつかなかったのだが、どうやらこっちの性格が素のようだ。
しかし、そうやって自分を演出するのにも、それなりの苦労があったのだろう。
やはり、ここは聞かなかったことにしておくべきか。
それにしても――
「……本当に、見違えるほどに綺麗になったな、お前は。正直、最初は印象が重ならなかったほどだ」
「うっ、うう……ず、ずるいよ、仁ったら……面と向かってそんなこと言うなんて」
頬を押さえて俯いた初音は、恥ずかしがりながら身を捩じらせている。
が、僅かにガッツポーズをしているところを私は見逃していなかった。
どうやら、容姿に関してもかなり努力をしていたようだ。
しかし、源氏物語のような気分だな。幼い初音が私の好みの方向性に育ってきていることは確かだが、何やら自分で誘導したようで気が引けるというか。
『私は、どう言うべきか……この努力は認めたいが、変に演技をして欲しいわけでもないからな』
『贅沢な悩みじゃの、全く。女が自分を男に見せておるんじゃ、お主は思ったことを率直に言えばよいのじゃよ。変に言葉を繕って、すれ違っては目も当てられん』
『……そんなものか』
率直過ぎる千狐の言葉に軽く嘆息し、改めて初音を見つめる。
美しく成長している初音。その姿を私のために磨き上げたと考えれば、全くもって男冥利に尽きる話だ。
だが、自分を偽ってまでそのような姿を見せて欲しいと言うわけではない。
要するに、普段の態度まで変える必要はないということだが――さて、どう伝えたものか。
そこまで考えて、私はふと、自宅となるマンションがもう近づいてきたことを思い出していた。
「っと……もうここまで来ていたか。初音、あれが私が住んでいるマンションだ。正確には、あの最上階だがな」
「ふふふふ……あっ、う、うん、知ってるよ。お婆様から聞いていたから」
「そうだったか。まあ、これの建築には水城も関わっているしな」
初音が知っていたとしても、それほど不思議はないだろう。
流石に、あの頭のおかしい間取りについては知っていたかどうかは分からないが。
それなりに話は出来たが、今日はここでお開きか。
「そういえば、初音が住んでいるのはどこになるんだ? ここまで一緒に来てしまったが、道は合っているか?」
「うん、合ってるよ。同じ方向だから」
「この先にある、と言うことか……うん?」
初音の言葉に頷き、私はふと眉根を寄せる。
この先に、初音が――水城の宗家の人間が止まれるような建物があっただろうか。
かなり遠くになれば話は別だが、少なくとも歩きで来れる近辺にはそのような建物はないはずだ。
極秘で存在していると言う可能性は無きにしも非ずだが、それなら私に方向すら教えるはずがない。
考えられるのは――
「……初音、まさか」
「ふふふっ、仁、気がついた?」
そう告げて、初音は懐から一枚のカードを取り出す。
建物の名前が刻まれたカードキー。それは、間違いなく私が持っているそれと同一の、あのマンションのマスターキーだった。
そのカードを与えられていると言うことは、初音の住む場所とは間違いなく――
「お、お婆様がね……早く、曾孫の顔を見せろ、だって」
「……あの人は、本当に何を考えているんだ」
身も蓋もない初音の言葉に、私は思わず天を仰いで、かつて相対した女傑への恨み言を零していた。




