070:入学式
入学式が行われる講堂へと移動し、まずはその広さと大きさに圧倒される。
さすがは国営の学校と言うべきか、前世で経験した学校などとは比べ物にならないほどの大きさだ。
まあ、それに関しては、一つの町がすっぽりと入りそうなほどの巨大な校舎群の時点で既に分かっていたことではあるのだが。
講堂はまるで巨大な劇場のような様相を呈しており、ここに楽団や劇団を招いても十分なイベントが開けることが伺える。
まあ、どちらかと言えば、これは魔法系の学会発表のために利用しているのだろう。
この国は、魔法使いの強化にとにかく余念がないからな。
『これだけの数の魔導士候補が集まると、流石に壮観じゃのう』
『一学年で三百六十人近く……三学年となれば千人を超える規模だ。これでも入学基準はかなり厳しいのだから、魔法使いの数も随分と増えてきているのだろうさ』
この学校の前身となった魔法使いの私塾は遥か昔から存在しているが、国営の学校と言う形が完成したのは数式魔法が一般に普及してから数年の後の話。
即ち、この学校の歴史はかなり浅いものであると言える。
それでもこれだけの学生が集まってくるのだから、魔法に対する注目度は高いと言えるだろう。
『相変わらず、強さばかりに傾倒した国じゃな……っと、どうやら、お主の婚約者殿が出てきたようじゃぞ?』
『やはり主席か。初音は、随分と努力したようだな』
制御力が甘く、魔法を暴発させていた彼女はもういない。
努力によって魔法制御力を磨き、彼女は学年でもトップの成績を収めるまでに成長したのだ。
幼い頃の彼女を知っている私からしても、中々に誇らしい成績である。
そんな彼女は――この千人を越える学生たちの中、一瞬で私の姿を見つけ出し、まるで花が開くような笑顔を浮かべていた。
そして、そんな初音の表情に、周囲の学生達がざわざわとざわめき始める。
『随分と好かれておる様子じゃが、あれは大丈夫なのかの?』
『ご主人様の婚約者は、周囲には深窓の令嬢で通ってたはず』
『……まあ、今のでその印象は覆されただろうがな』
清楚で大人びた表情を浮かべたお嬢様、それが普段の初音の様子であるとリリは言っている。
だが、今の初音の表情は、その印象とは完全にかけ離れたものだ。
決してそれが悪いと言うわけではないのだが、今ので注目を集めてしまったことは事実だろう。
しかも、必ずしも悪い方向に印象を覆されたというわけではない。
むしろ、今の可愛らしい表情で、逆に心を掴まれた者も少なくはないだろう。
一応、私という婚約者が存在すると言う話は周知されている様子だったが、それでも決して安心できる状況ではない。
学生代表の挨拶を読み上げる初音の姿を見つめながら、私は今一度彼女について考えていた。
(間違いなく美しくなったものだ――本当に、驚くほどに)
確かに、初音の容姿は深窓の令嬢もかくやと言うほどのものだ。
長く伸びた髪、整った容姿、白い肌、落ち着いた表情――どこに出しても恥ずかしくないほどの美しい少女。
体の成長についても、他の学生より著しく、この十年間よほど栄養や運動に気を遣っていたことが伺える。
まあ、体格については生まれながらの素質と言う面が強いだろうが。実際、凛はまだ随分と小柄な体格をしている。
だが何にしろ――その磨き上げられた美しさが、私への好意から発せられたものであると言うことは、決して自惚れではないだろう。
あの子が私へと向ける好意と愛情は、あの子の手紙からしっかりと読み取ることができたのだから。
(初音は十年前と変わらず……いや、それ以上に、私に想いを向けてきてくれている)
そして私も、その想いを嬉しく思っている。
あのような健気な良い子に想われて、嬉しくないはずがないだろう。
だが――果たして私は、いったいどうすれば、あの子の想いに報いることができるのだろうか。
そこまで考えて、私は苦笑する。そんなことは考えるまでもない。ただあの子の想いを、正面から全力で受け止めることこそが、彼女にとって何よりの報酬となるのだから。
「想いを受け止め、そして返す……か」
思わず、小さな呟きが漏れる。
それはつまり、あの子と夫婦になったその先を考えると言うことなのだから。
しかし私には、前世のわだかまりが存在している。拭いきれぬ後悔と絶望が、未だ胸裏に染み付いて剥がれないのだ。
だが、それでも――この十年間の修行、そして己の手でリリを護ることができたというその事実が、幾許かの無力感を拭い去ってくれた。
私は決して、あの時のような無力な存在ではないのだと、そう信じさせてくれたのだ。
(無力であったから、彼女を傍に置くことを恐れていた。それだけ、私は無力だった。だが、今ならば――)
幼い頃の初音を知る私にとって、未だ夫婦と言う関係は想像がしがたいものだ。
だが、それでも今の私ならば、己の手できちんと初音を護ることができる。
あの病院の時のように、自らの身を犠牲にして、悲しみを背負わさせるようなこともなく。
ならば、私は――私に出来る限り、彼女の思いを受け止めて、そして全力を持って彼女を護るとしよう。
未だ『女』としての初音を受け入れ難くとも、まずは正面から受け止めて、彼女の想いを飲み込まなくては。
あれほどの想いを受けて、私自身何もしないのでは、初音に対して失礼と言うものだ。
「差し当たっては……まず、初音自身としっかり話をしなくてはならないか」
私と初音は、十年の時を経て再会したばかりだ。
あの十年前の距離感を未だ引きずっているため、お互いの扱い方がきちんと把握できていないのである。
これから、初音との関係をどのように変えていくべきか――先ずは、そこをしっかりと話し合っていくべきだろう。
そうして、己の中で今後の方針を決めたところで、初音が挨拶を終えて壇上から姿を消していく。
彼女の口にしていた言葉は、考えごとをしながらでもしっかりと聞き取っていた。その立派な姿に、私は彼女へと惜しみなく拍手を送る。
ああして健やかに成長してくれたことが、何よりも嬉しい。彼女を導いてよかったと、私は今更ながらに満足していた。
* * * * *
学長の挨拶と言う衝撃的な出来事こそあったものの、その後も入学式は恙無く進み、そしてあっさりと解散となっていた。
この後は、教室でホームルームを行った後、本日は下校となる。
まあ、一番最初の日など、この程度のものだろう。本格的に学校生活が始まるのはもう少し後の話だ。
最早何年前になるのかも分からないようなかつての学校生活に思いを馳せながら、私は周囲の学生達とともに教室へと戻っていく。
時折話題になる初音の話に苦笑を零しながら――私はふと、強い視線を感じて立ち止まっていた。
「……私に何か用かな?」
学生達が歩く廊下の先、そこに立ち止まって私を見据えていたのは、他の学生たちと同じ制服を着た一人の少年だった。
先に歩いていた、と言うことは私たちよりも上、一組か二組の学生と言うことだろう。
中々に身長は高く、並んで立てば私よりも僅かに身長は大きいだろう。
線は細いが筋肉はきちんとついているしっかりとした体格で、それが決して適当に鍛えられたものではないことも察することができた。
きちんとしたコーチングを受けて成長した、アスリートのような佇まい。
彼は恐らく、どこかしらの魔法使いの一族で、教育を受けてきた人物なのだろう。
顔の造作にしても中々に整っており、少し日に焼けた茶色の髪を含め、テレビに出ていてもおかしくないような容姿をしていた。
問題は、そんな彼が、果たしてどのような理由で私を睨んでいるのかと言うことだが――まあ、今のタイミングだ。多少は想像することができた。
「……僕は、一組の仙道啓一という」
「ふむ、私は灯藤仁だ。まず最初に自己紹介をすることは良いが、お前は私に何の用かな?」
視線の中には、確かな敵意が含まれている。
だが、犯罪者によくある悪意ではなく、単純に私を目の敵にしている類のものだ。
果たしてどのような理由から、私に対して敵意を向けてくるのか――リリが反応しないように注意しながらも、私は笑みを浮かべて仙道を見返していた。
目の前の少年は、私の言葉に対して僅かに顔を顰め、そして声を上げる。
「君が、あの水城さんの婚約者だと言う話は本当か?」
「事実だな。私と初音は、火之崎と水城の間で正式に認可された婚約者同士だ」
まあ、あの水城の先代当主には、色々と苦労をさせられたが。
何にしろ、彼の言葉に否定するような部分はない。
私は確かに、初音の婚約者と言う立場を受け入れ、そして初音もそれを認めたのだから。
だが――どうやらこの少年は、私の言葉が気に食わなかったらしい。
あからさまに私への敵意を増した仙道は、しかしそれをしっかりと制御しながら、固い口調で私へと告げる。
「率直に言おう。君と水城さんでは、婚約者として釣り合わない」
「ふむ。それは、私が三組であるから言っているのかな?」
この高等部の組分けは、魔法使いとしての素質を判断基準として選定される。
つまり、一組に所属しているこの仙道は、魔法使いとして十分な才覚を有していると言うことだ。
逆に、私は三組であるため、その才覚には遠く及ばないことを示しているのだが――どうやら、彼の考えはそれと同じだったらしい。
仙道は頷きながら、私に対して言葉を重ねていた。
「水城さんは学年でも主席の天才、つまりこの学年では最高の魔法使いだ。そんな彼女と、三組にしか所属できなかった君が釣り合うとは、僕には到底思えない」
「成程、それがお前の考えか」
若いな、と胸中で呟き苦笑する。
確かに、このクラス分けにおいて、私の才覚は欠けていると言わざるをえないだろう。
私は魔法感応力については壊滅的な、欠陥魔法使いと言って差し支えないほどの存在だ。
傍から見れば、私が四大の一族宗家の婚約者など、おこがましいにも程があるというのも事実だろう。
だが――それは、数字だけを見て魔法使いの性能を決め付けてしまいがちな、若者によくある勘違いだ。
才覚は一定の基準を表す値でしかなく、それは戦闘能力に直結するものではない。
己が才を生かしきれなければ、例え一組に属するような者であったとしても、五級の魔導士にも及ばないかもしれないのだから。
「だが、私たちは両家で認め合った婚約者同士。そして、私も初音も、互いに想いを交し合っている。お前が認めなかったからといって、それが何になると言うつもりだ?」
この言葉は警告だ。四大の一族の決定は、国にも認可される決定事項となる。
それを認めぬということは、それだけの危険が伴う行為なのだ。
尤も、この場合は学生の戯言と判断され、別に危険な存在として処断されるようなことはないだろうが。
そして、少年自身も己の言葉の無茶は自覚しているのか、奥噛みすると共に彼は踵を返す。
「僕は君を認めない。必ず、彼女の事を振り向かせて見せる」
それだけ告げて、仙道はその場から去っていく。
そんな彼の背中を見送り、私は思わず表情にまで苦笑を浮かべていた。
いやはや、随分と若く、そして情熱的な少年だ。ああいう姿を見ていると、年甲斐もなく楽しくなってしまうものだな。
と、そんなことを考えていたその時、私の背後から声が掛かっていた。
「や、灯藤君。君の周囲には騒動が絶えないね」
「昔からそうでな。ところで、何か用かな、久我山」
「ああ、彼のことを教えてあげようかと、ちょっとね」
後ろから声をかけてきたのは、今の様子を観察していたらしい久我山だった。
口元ににやりとした笑みを浮かべている彼は、去っていく仙道の姿を見つめながら私に継げる。
「彼は新興の魔法使いの家系でね、その中でも天才と謳われている人物さ。実際、四大の一族の分家と匹敵するぐらいには才能があるみたいだね。危機感を覚えたかい?」
「いや……面白い少年だと思ってな」
こうして真っ向から私に喧嘩を売ってくるとは、いまどき中々珍しい少年だろう。
素直と言うか、正直と言うか。恐らくは、正々堂々を好むタイプなのだろう。それが、今回の宣戦布告へと繋がったのだ。
「ああいう人物は好ましく想うよ。裏でこそこそ何かをしようとするより、よほど好感が持てる。まあ、才能に鼻をかけたような物言いではあったが……初音の地位を欲しているのではなく、きちんと初音自身を想っていることが伺えた。悪い人物ではないだろう」
「……君も変わってるね、灯藤君。あんな風に言われて、そんな感想を抱くなんてさ」
「よく言われる。まあ、一度鼻っ柱をへし折ってやれば、好青年に成長するかもしれないな。売られた喧嘩は買う主義だ、彼が挑んでくるのならば、私も相応に相手をするまでだよ」
にやりと笑い、歩き出す。
どうやら、この学校生活も、色々と退屈はせずに済むようだった。




