067:灯藤の拠点
住宅地の一角、地元の商店街にも近く、駅へのアクセスも容易な場所。
そこに屹立する36階建ての高層マンションこそ、火之崎と水城が共同で建設した両家の拠点だった。
建物の管理自体も両家によって行われており、両家の人員が一時的な逗留場所として利用することも目的とされている。
ちなみに、下のほうの階層に関しては一般にも売り出されているのだが、購入価格は中々に割高だ。
『豪華な家じゃのう。とは言え、あの和風の屋敷を本拠地としておる両家が、このような建物を拠点として差し出すとは思わなんだが』
「別段、建物の様式にこだわりが有る訳ではないだろう。まあ、水城はどうなのか知らないが」
至る所に術式が忍ばされていたあの水城の本家を思い浮かべながら、私は千狐の言葉に肩を竦める。
正直なところ、豪邸を一軒どんと明け渡されても、それはそれで困るところだった。
管理についてはリリさえいればどうにかなるだろうが、流石にそのような建物を私たちだけで使うのは手持ち無沙汰だ。
その点、このマンションであるならば、流石に手に余ると言うことはないだろう。
マンションの管理自体は別の人員によって行われているのだから、私たちが管理する必要もない。
そこまで考え、私は思わず苦笑を零す。
「しかし、火之崎と水城が運営するマンションとはな」
『どうかしたのか、あるじよ?』
「いや、割高なのも頷けると思ってな。これほどセキュリティの充実したマンションなど、他に存在しないだろう」
私が――火之崎の分家が本拠地として遣うということもあり、この建物にかけられたセキュリティは、物理的にも魔法的にも一級品だ。
それに加えて、四大の一族の内、二家の人員が配置されている。
ここに対する犯罪行為など、要塞に対して体一つで攻撃しようとするようなものだ。
「じん、ずっとここにいても仕方ない」
「……確かにな。さて、己の住居を確かめるとしようか」
人間の姿をとっているリリに促され、私はマンション内へと足を踏み入れる。
私に渡されているカードキーは、ここのマスターキーと同じ権限を持つものだ。
そのため、入り口のセキュリティも翳すだけであっさりと通ることができる。
そしてそのまま、カードキーによって施錠されているスタッフオンリーの扉を通って奥へ。
そこにあるのは、通常のエレベーターとは異なる、四大の一族が利用する階層へと向かうためのエレベーターだ。
ここでもカードキーを翳すことによってエレベーターが起動し、目的の階へのスイッチを押すことができるようになる。
私の住居となるのは、この建物の最上階だ。
「マスターキーでなければ、最上階までは行けないか。あっさりと通ってはいるが、かなり厳重だな」
『ほほう、きちんとお主にしか辿り着けなくなっておるのじゃな』
「誰がここまで注文をつけたのか、何となく分かる気がするよ」
脳裏に浮かぶ人物の笑顔に苦笑している間に、エレベーターは最上階に到着する。
それほど広くはないエレベーターホールの正面には、大きな扉が一つだけ。
他に廊下らしい廊下もなく、扉はそこしか存在しない。
「……何だ、この構造は?」
『くはは、早速面白くなってきたのぅ』
愉快そうに笑う千狐の言葉に嫌な予感を覚えつつも、私は正面の扉へと近づく。
《掌握》を発動してみてみれば、かなり強力な魔法防御を多数かけられている扉と壁。
他に入れそうな場所もないため、嫌な予感を覚えつつも、私は扉のカードリーダーにマスターキーを翳していた。
とたん、存外にあっさりと扉は開き、ドアノブを引いて中へと入る。
まず視界に入ったのは、普通のマンションとそれほど変わらぬ玄関と廊下だ。
靴を脱いで中へと入り、奥にある扉を開ける。瞬間、私の目に入ってきたのは――あまりにも広い、恐らくリビングと思われる場所だった。
「……何だ、これは」
この部屋だけで一体何畳あるのか、テニスコートぐらいならすっぽりと入りそうな広い空間。
ガラス張りになっている外側の壁面からは、この街の景色を一望できるほどの景色が広がっていた。
「この部屋は……ちょっと待て、一体どうなっているんだ」
「じん、これ、そこに置いてあった」
そう言ってリリが差し出してきたのは、この部屋の間取りと思われる図であった。
半ばそのような予感はしていたが、やはりと言うべきなのか――どうやらこの階層は、フロア全体が一つの部屋となっているらしい。
3LDKなど生温い、ダイニングもキッチンも2つ以上あるし、リビングに至っては8つもある。
一体、これだけの部屋をどうやって使えと言うのか。
いずれ人員を増やすことを考えているとは言え、私一人で扱えるような広さではない。
「……とりあえず、リリ。部屋の管理を頼む。荷物も運び込まれてきているはずだ」
「てけり・り!」
元気良く返事をしたリリは、幼い少女の姿をしていたその体を崩し、黒い粘液の塊へと姿を変える。
そしてそのまま、ぽこぽこと分裂を開始し、瞬く間に5つの分体を形成する。
分裂したリリは再びその形を変形させ、気づけばそこには、6人のリリが姿を現していた。
本体であるリリは先ほどと変わらぬ姿であるが、分体たちは何故か各々がデザインの異なる使用人服を纏っている。
「作業、開始」
『てけり・り!』
一糸乱れぬ動作で敬礼したリリたちは、すぐさま別々の部屋へと散っていく。
幼い少女の姿をしているため、幾分か微笑ましい光景ではあるのだが、やはり完全に同じ顔の存在が複数いると言うのは少々不気味だ。
この分体のリリたちは、本体のリリと意識を共有しており、一糸乱れぬ連携を可能にしている。
体を分けて作ったため、戦闘能力は本体に及ぶべくもないが、それでも一級の禁獣であることに変わりはない。
一流の魔導士ですら、あの小さなリリの分体に勝つことはできないだろう。
『益々凶悪なセキュリティじゃな』
「契約している私が言うのもなんだが、本当に反則のような存在だな、リリは」
「ふふん」
誇らしげに胸を張るリリの様子に苦笑しながら、私は部屋の窓際へと移動する。
街を一望できるこの景色。当然ながら、私が明日から向かう場所である国家魔法院立魔導士養成学校の姿も見えていた。
遠めにも巨大な敷地面積を持つその学校には、私にとって、絶対に護らなければならない存在がいる。
「……凛、初音」
十年もの長きに渡り、離れ離れになってしまった私の家族。
己で選んだ道とは言え、二人への心配がなかったわけではない。
むしろ、どれほど心配してもし足りない――そんな思いが私にはあった。
そんな思いすらも力への渇望と買え、力を積み重ね続けた十年。
その年月は決して無駄ではなかったと、私はそう信じている。
「もう二度と、あの病院の時のような無様は晒さない。必ず、私の手で護り抜いてみせる」
少なくとも、あの時とは比べ物にならぬほどに強くなった。
《王権》まで含めれば、あの状況を無傷で切り抜けることも難しくはないだろう。
だがそれでも、現状に満足するつもりはない。何故なら、私は己よりも遥かに格上の存在を知っているからだ。
例え《王権》を使ったとしても、手も足も出ないであろう父上や母上と言った存在を。
今の私では、まるで足りていない。だからこそ、ここから先も積み重ね続けなければならないのだ。
そう、いずれは、あの父上と母上をも護れるようになるために。
――電話の音が鳴り響いたのは、そんなことを考えた直後だった。
「む……?」
リビングの隅においてある固定電話へと視線を向けるが、音の発生源はそこではない。
そもそも、バイブレーションを伴うそれは、固定電話によるものではないだろう。
ありきたりな着信音を広い部屋に響き渡らせているのは、テーブルに置いてある携帯電話のようであった。
リリの分体がその携帯電話を持ち上げて回収してくる様子を眺めながら、私は思わず眉根を寄せる。
「……あれは、私の携帯ではないよな? そもそも、身につけているし」
『ふむ。どうやら、最初からこの部屋に置いてあったようじゃな。お主の荷物と一緒に運び込まれたのか?』
「だとしたら、一体誰がそんなことをしたのやら」
正直、心当たりはない。
私の携帯は母上が購入して持たせてくれたものだ。
そもそも、今の私には個人で動かせる金が殆ど無いため、携帯電話は一族の経費として使用するしかない。
だからこそ、二つ目の携帯電話など、持っているはずがないのだ。
リリの分体から手渡されたのは、あまり特徴のない黒いスマートフォン。
着信元の名前には、ただ簡素に『仕事』とだけ表示されていた。
不振に思いつつも、私は着信ボタンに触れて応答する。
「……もしもし?」
『どうやら到着したようだな。時間通りなのは良いことだ』
「……ふむ。監視されていたようにしか思えないのだが、貴方は?」
窓の外へと視線を向けながら、私は声を低く絞り問いかける。
内部に監視のための装置が仕掛けられているのであれば、リリが確実に発見してくれるだろう。
だが、ここは仮にも火之崎と水城の運営するマンションだ。そういったものが仕掛けられている可能性は低い。
どちらかと言えば、外から私の姿を監視していた可能性の方が高いだろう。
電話越しに聞こえた女性の声は、皮肉ったような笑い声と共に続ける。
『まあ簡単に言えば、貴様の上司だ』
「……ほう。魔法院のエージェント、と言うことか。一応私はまだ学生なのだが――」
『生憎と、貴様のような人材を遊ばせておくほど、この国は悠長ではない。まあ、貴様にとってもメリットはあるさ。新興分家の当主殿』
「……まあいい、話を聞こうか。魔法院は、特級魔導士の私に、一体何をさせるつもりだ?」
窓際から離れ、私はそう問いかける。
私は既に、特級魔導士としての資格を得ている。
今回のような話が来たということは、魔法院は既に、私を一人の戦力として数えていると言うことなのだろう。
私が火之崎家の一員として活動するのは、成人後に灯藤家を立ち上げてからだ。
つまり、それまでの間は、私は魔法院所属の戦闘魔導士として活動することになる――そういうことなのだろう。
そう考えつつの私の言葉に、相手はくつくつと笑い声を零す。
『頭の回転は中々だな、いいだろう。貴様の業務は、非常勤の戦闘員だ。一応は学生だからな、基本的にはそちらを優先すればいい。無論、やることを忘れてもらっては困るが』
「……まあ、それについては助かるが。具体性が何もないな」
『言っただろう、非常勤だと。有事以外に、戦闘魔導士の仕事はない――この国には、有事などいくらでも溢れているがな。貴様の戦力が必要になったら、この電話で呼びつける。貴様は指示に従い、国の脅威を排除する。単純だろう?』
「ふむ、確かに」
まあ、あまり時間の掛かる仕事を振られても困る。
卒業までは、学生としての生活を優先させなければ困る。
一応、先生から多くを学んできたとは言え、出席日数が足りなければ留年してしまうのだから。
分家とは言え、私も火之崎に属するもの。留年など冗談にもならない。
『四大として学んだ貴様に、心得の研修は必要ないだろう。エージェントとしての活動については、一応教官役をつけてやるつもりだ』
「それに関してはよろしくお願いする。敵の排除ができても、報告手法などは全く知らないからな」
『いい返事だ。では今週末、魔法院の本部に出頭しろ。顔合わせと、貴様の業務に関する詳しい説明を行う』
「了解した。それで、貴方の名は?」
『こちらに来たら、その携帯を出せば話は通じる――私のことは、そこで話をしてやるさ』
それだけ告げて、電話は一方的に途切れていた。
高圧的な、しかし強い意志を感じさせる声。その声の主がどんな人物なのか、私は想像を巡らせながら電話を降ろす。
どうやら、三年間の間、ただのんびりと学生をやればいいという話でもないようだ。
だが、魔法院に関連する仕事をこなすということは、それだけ強力な魔導士との繋がりを得られるということでもある。
学校内では、将来的に有望だと思えるような人物を。魔法院では、即戦力として期待できる人物を。
灯藤家の立ち上げまで五年弱――できる限り、強力な人員を集める必要がある。
『忙しくなりそうじゃの、あるじよ』
「そうだな……まあ、精一杯努めるだけだ」
今後の活動方針を練りながら、私は小さく笑みを浮かべていた。




