066:十年ぶりの帰還
十年ぶりに帰還した火之崎の家は、記憶にある時と変わらぬ姿をしていた。
だが、あの時からはすっかり背丈が変わっているせいだろうか、幾分か印象が違うようにも思えた。
矢のように過ぎ去った修行の日々であったが、やはり十年と言う月日は長い。多くのものが変化してしまっていることだろう。それの良し悪しはともかく、変化は受け止めていかねばならない。
あらかじめ予告をしておいたおかげか、私が帰還してすぐ、父上との面会がセットされていた。
母上に促されて当主会議の広間へと足を運べば、そこにはあの時の当主会議の面々から祖父を抜いたメンバーが揃っていた。
彼がどこに行ったのかは少々気になったが、まずは挨拶をせねばなるまい。
私は設けられた席に座ると、そのまま父上に対して深く頭を下げつつ声を上げていた。
「当主様。只今、十年間の練成より帰還いたしました」
「ああ、報告は聞いている。大儀であった、仁」
父上はちらりと母上の姿を横目に見て、口元に満足気な笑みを浮かべる。
どうやら、私の修行の成果は、父上にとっても満足できるものであったらしい。
実際、当初の予定よりも更に高いレベルで修行を終えることができたのだ。
本来であれば精霊魔法の力を含めて特級魔導士として認定されるはずだったが、今の私は千狐の力がなくともギリギリで特級の枠に入るだけの実力を有している。
尤も、それにはリリの力が必要不可欠であるため、完全に一人の実力と言うわけではないのだが。
「特級魔導士としての認定、高位の使い魔の取得、精霊魔法の習熟……重ねればキリがないが、想定以上の成果だ」
「ですが、《王権》もまだ八つあるうちの六つまでしか発動させることはできません。現状に満足することなく、修行を重ねる所存です」
「そうだな……お前の、これからの努力にも期待するとしよう」
淡く微笑を浮かべる父上は、あまり十年前から姿が変わったようには見えない。
高い魔力を持つ人間は、その分だけ老化が遅いという話を先生がしていたが、その関連だろう。
体の各器官への魔力供給が潤沢であるため、肉体の劣化が遅いと言う話だったが――まあ、長生きしてくれる分にはいいだろう。
「では仁よ。特級魔導士への認定を境とし、お前の当主会議への列席を許可する。そして、お前に与えられた『灯藤』の姓を、公式の場で名乗ることを許可しよう」
「はい。ありがたく頂戴いたします」
「ただし、灯藤家の立ち上げ自体は、お前が成人した後となる。それまでは、灯藤家に属する人員の確保に努めるといい」
その言葉を聞き、私は顔を上げる。
実際のところ、少し疑問だったのだ。学校と言うものに意義を感じないわけではないが、今更魔導士の養成学校に通っても、既に学んだ内容が大半となってしまう筈である。
つまるところ、学校への入学は灯藤家への新たな人員確保を目的としているのだ。
今のところ、灯藤家の人間と呼べるのは、私と初音しかいない。それでは、分家として成り立たせることは不可能だろう。
学校にいる間に、何人か信頼できる人間を確保する必要がある。
「承知しました、当主様」
「期待しているぞ。火之崎の名を汚すことは、許さんからな」
そこまで告げて、父上は退出していく。
集っていた分家の当主たちもまたそれに続くが、私の隣を通り抜ける際、臥煙がにやりと笑みを浮かべて声を上げていた。
「十年前は期待してなかったが、まさかここまで奥方に喰らい付いて行くとはな。あん時は使えねぇガキだと思ってたが、やるじゃねぇか」
「臥煙さん、灯藤君に失礼ですよ」
嘆息しながらその言葉をたしなめたのは烽祥だ。
しかし、臥煙はその言葉に、大きく笑いながら返す。
「はっはっは! 済まんな、正直者なんだ。だが何にしろ、お前が火之崎の力になりそうなことは確かだ。なぁ、大焚」
「……うむ。戦場で肩を並べる日を、楽しみにしている」
「……ええ、私もです。ですが、追い落とされぬように気をつけてくださいね」
「いいねぇ、威勢がいいじゃねぇか! それでこそ火之崎だ!」
臥煙の後ろに立っている大焚も、彼の言葉に同意して頷いていた。
火之崎は、分かりやすく実力主義だ。才能主義であれば未だに認められてはいなかっただろうが、彼らは私が十年の間に出した成果を素直に認めてくれている。
流石に年代が大きく違うし、私と彼らが同時期に活動することはほぼ無いだろうが、同僚として仲良くしたいものだ。
……まあ、少々問題児もいるようだが。
「おっと、そうだった灯藤君! 君、あの精霊魔法を六つまで使えるようになったんだろう? 見せてくれるかい? 見せてくれるよね!?」
「やかましいぞ、燈明寺。貴様はさっさと業務に戻れ。それから、灯藤」
さっさと退出しようとしていた燠田が、興奮気味の燈明寺を窘めつつこちらへと向き直る。
冷たく硬い鉄のような、けれど確かな激情を湛えた赤い瞳は、私のことを鋭く睥睨していた。
魔力こそ篭っていないが、敵意にも近いその意思を向けられ、自然と私の体はいつでも動ける構えを取る。
「私は、まだ貴様を認めていない。結果を示せ。奥方様が十年をかけた、その時間が無意味でなかったことを証明しろ。さもなくば――私が、潰す」
「……承知しました。期待には、応えねばならないでしょうな」
「フン」
それ以上告げることなく、燠田は背を向けて広間から出てゆく。
彼女の言葉は、まあ言葉の通りなのだろう。実績もない私を認めるつもりはないと、そう言っているのだ。
そうだと言うのならば、実績を示せば済む話だ。全てはこれから、私がどのように動くかで決まる。精々、彼女を失望させぬようにしよう。
臥煙などは苦笑しながら私の肩を叩いて出て行くが、別に今の言葉にショックを受けるようなことはない。
彼女は忠実な父上の僕。この火之崎を支える、優秀な人材なのだ。そんな彼女の言葉を、無意味と断ずるようなことはない。
『やれやれ……十年経っても濃い連中じゃの』
「年を食った人間はそうそう変わらんさ」
『お主はそれでいいのか、あるじよ? そろいも揃って厳しい連中じゃったが。父君も『名を汚したら許さん』じゃったし』
「ははは。あれこそ、これ以上ない激励の言葉だよ」
全員が出て行った広間から外へと出ながら、私は千狐の言葉に苦笑を零す。
父上は、火之崎の名を汚すなと言った。それは即ち、私を火之崎の一員であると認めてくれているということだ。
――私もまた、火之崎であると。
「既に、公式の場で『父上』と呼ぶことは叶わない。だが、父上は繋がりを肯定してくれた――私も、火之崎の子であると。なら、その期待に応えねばならないだろう」
『そんなことまで考えておったのか?』
「私はそう受け取った、ということさ。それでいいんだ」
十年経とうが、私のやることは変わらない。変わらず、家族を護るために邁進するだけだ。
決意を新たに広間から出て、私は母上の執務室へと向けて歩き出す。
高等部の入学まではそれほど時間的余裕がなく、やれることは早めにやっておかなければならない。
差しあたっては、住居とする場所の確認が必要だろう。この火之崎の本家は、学校からは離れた位置に存在している。
そのため、学校近くにある拠点で暮らすことになるのだが――
「あっ、いたいた! 仁、久しぶりー!」
「っ、あ、姉上?」
突如として接近してきた気配に振り返れば、そこには大きく手を広げて小走りに駆け寄ってくる姉上――火之崎朱音の姿があった。
母上に良く似た顔立ちの、しかし深紅の瞳が目立つ姿の女性。
私より五歳上であり、今は二十歳になっているはずの姉上の姿は、すっかり母上のそれに近づいてきていた。
けれど、やはり立ち振る舞いは母上とは違う。どこか明るく、楽しげな表情を浮かべている姉上は、その広げた腕で私を抱きしめていた。
「ぶっ、姉上!?」
「もー、ほんっとーに久しぶりなんだから! 可愛い盛りだった弟がこんなに大きくなっちゃって」
「あの、姉上。一応私は宗家の姓を剥奪されているから、あまり馴れ馴れしく付き合うのは――」
「いいのよ、そんなのは私が黙らせるから。火之崎じゃ、強い奴が正義なんだからね! それより仁、まーた敬語になってるわよ?」
「……随分と昔の事を持ち出すなぁ、姉上は」
母上とは違い、腰まで伸びた真っ直ぐな髪を揺らしながら、姉上は楽しそうに笑う。
正直、私が姉上に対してそんな話し方をしていたら、燠田あたりが黙っていないと思うのだが……しかし、姉上が言うこともまた事実だ。
火之崎においては強さこそが正義。無茶も無道も、力を示せば通るのだ。
その点、姉上には十分すぎる力があるのだろう。何故なら――
「仁ったら、まさか十五歳で特級まで上がってくるなんてねぇ。私だって十八歳だったのよ?」
「流石に、我ながら無茶をした自覚はあるが……姉上は、精霊魔法なんて反則もなしにそれだけの実力を示したんだ。私よりよほど凄いさ」
姉上もまた特級魔導士。父上から直接薫陶を受けて育った、火之崎の次期当主たる逸材だ。
魔力と言う面に関して言えば凛の方が上だろうが、こうして近くで感じ取る限り、姉上はかなりバランスの良い魔法使いであるように思える。
精霊魔法無しでは特級の端っこに引っかかっている程度の私より、実力は遥かに上だろう。
「ところで姉上、凛はどこに? 今は本家にはいないのか?」
凛ならば、私が姿を現せば真っ先に顔を見せると思っていたのだが、今のところ出てくる気配はない。
そんな私の疑問に対し、姉上は苦笑交じりに肩を竦めて返していた。
「凛はもう、学校近くの拠点に移動しちゃってるよ。結構荷物も多かったからね」
「ふむ……まあ女の子だし、荷物の量については仕方ないか」
「むしろ、仁はもうちょっと私物増やしたらどうかなぁ。部屋に運ばれてた荷物、リュックサック一つ分だったじゃない」
「まあ、何か趣味に興じられるような環境でもなかったからな」
そもそも自由に買い物ができるような場所ではなかったのだ。私物が少なくても仕方ないだろう。
私の荷物など衣類程度しかなかったし、それ以上にかさばる物は全てリリが保管している。
それにしたって、禁獣の素材などなのだから、そもそも外に出すようなものではない。
「ところで、私もそこに移動を?」
「ううん。仁の場合は違うみたい。何でも、その近くに灯藤家の拠点を作ったとかどうとか」
「灯藤の拠点が、その辺りに?」
「そうそう。そのあたりって、ちょうど火之崎と水城の拠点の間ぐらいの場所らしくて。ちょうどいいから拠点を作っちゃおうってことで作ったらしいわよ。タワーマンション」
「……まさかマンションとは」
まあ、十年もあればそれだけの建物を作ることもできるだろうが、まさか私たちの拠点代わりにマンションを建ててしまうとは。
火之崎の目がない場所の方が色々と活動しやすいとは言え、そんな金の掛かる建物まで用意されているとは思わなかった。
「あ、仁の借金になったりはしないから安心して。それに、管理については両家から管理人を出すってことだったから、仁はただ住んでるだけで大丈夫よ」
「至れり尽くせりだな……」
「それだけ、久音様はあんたに期待してるってことよ」
ぐりぐりと頭を撫でてくる姉上に、私は苦笑する。
私はそこまで買いかぶられるほど、大層な人間ではないのだが……まあ、褒められて悪い気はしない。
しかし、どうにも一つ気になることがあった。
「その場合……初音はどうするんだろうか」
「婚約者の水城の子? さて、それは私には分からないわ。それは水城の事情だしね。マンションだし、一緒に暮らしても部屋は余りそうだけど」
「流石に、一緒ということはないだろう……その辺りは現地に到着してから、か」
まあ、新しい建物だし、部屋自体は綺麗だろう。
部屋の管理に関しても、リリに任せておけば手の届かない隙間まで綺麗にそ維持してくれるだろう。
色々と気になることはあるが、とりあえず行ってみなければわからないか。
「ああ、そうそう仁。お嫁さんは、大切にしなさいよ?」
「ははは、言われずともそうするさ。姉上には、婿探しを頑張って貰わんと」
「言うわねぇ」
冗談めかして笑いながら、私と姉上は母上の執務室へと向かって歩き出す。
否応なく進んでしまった時間も、徐々に取り戻せている実感が、私の胸に芽生えていた。




