064:羽々音詩織と二人の決闘
そんなこんなで、状況が整ってしまった二人の決闘。
施設の使用許可も何かあっさりと通ってしまい、その日の放課後には、二人は戦闘訓練用の舞台の上で向かい合ってしまっていた。
食堂なんて目立つ場所で言い合っていたせいだろう、周囲にはかなりの数の見物客が押し寄せてきている。
みんな、やっぱり火之崎と水城の戦いとなると気になってしまうのだろう。中等部だけではなく、高等部や大学部の人たちまで押しかけていた。
しかし、そんな人たちの視線など物ともせず、水城さんと凛ちゃんは舞台の上で睨み合い、体から魔力のオーラを立ち昇らせている。
二人とも、既に臨戦態勢だ。
「さぁて……そろそろ始めるとしましょうか」
「ええ、異存はありませんよ」
準備は万端と言うことだろう。凛ちゃんは、ポケットから取り出した小銭を構えると、軽く上へと弾く。
回転するコインは地面へと落下して――高い音と共に、開戦の合図を響かせていた。
瞬間――
「はッ!」
「せいっ!」
二人は同時に腕を掲げて、無詠唱で魔法を発現する。
二人とも同じ、五級の無詠唱魔法。それぞれの属性に《収束式》を付加しただけの、単純な放射魔法だ。
たぶん、これは二人とも目くらまし目的。二人が放った火球と水球は、二人の中間地点で激突し、派手な爆発と共に水蒸気を吹き上げていた。
けど、二人はそれを気にすることもなく、互いに円を描くように走り始めながら魔法の詠唱を開始する。
「――【集い】【連なり】【爆ぜよ】!」
「――【集い】【逆巻き】【飲み込め】!」
圧縮詠唱、そして構築されたのは三級の魔法。
一流の魔法使いの証だとママは言っていたけど、二人が発動した魔法は安定度も高く、使い慣れている様子が感じられる。
水城さんは自分の周囲を包み込むように発現した水流を、そのまま波のように展開して凛ちゃんへと放つ。
それに対して凛ちゃんは、自分の周囲にいくつもの火球を生み出し、それをまるで機関銃のように掃射していた。
属性の面で言えば、恐らく水の属性を持つ水城さんの方が有利。
けど、さっき同じ条件で放った魔法が相殺された辺り、基礎的な魔法の能力は凛ちゃんの方が高いのだろう。
凛ちゃんの放った火球は次々と爆発し、水城さんの波を穴だらけにして消し飛ばしていた。
「はっ! 脆いのよ水城! 群れなきゃ戦えないあんた達が、一人で火之崎に挑んだところで、勝ち目なんてある訳ないでしょうが!」
そう言い放って、凛ちゃんは全身から勢いよく真紅の魔力を放出する。
そしてそれと同時に、空気に触れた魔力が自然に発火するかのように、その全身が炎に包まれていた。
術式を構築した気配がないし、あれは魔法じゃない……それなら、あれは凛ちゃんの魔力特性?
その炎を纏ったまま、凛ちゃんは水に包まれた水城さんへと目にも留まらぬ速さで突撃し、その周囲を覆っていた水流を纏めて貫いて――けど、そこに水城さんの姿はない。
そして次の瞬間、凄まじい爆発音と水蒸気が、凛ちゃんを中心に巻き起こっていた。
「っ……水蒸気爆発とは、えげつないね水城さん。相手が火之崎さんじゃなければ死んでるよ」
「く、久我山君……今のは?」
「水を一気に蒸発させたことで水蒸気爆発が起きたんだ。恐らく、火之崎さんも危険性は理解していただろうし、対策をしていたと思うんだけど……水城さんはそれも見越して何かを仕掛けていたみたいだね」
引きつった表情で舞台を眺める久我山君の言葉に、私は視線を戻す。
水蒸気に覆われているけど、舞台の中央には真紅の光がある。
凛ちゃんの魔力が衰えた気配はない。けど――水城さんは一体どこへ。
そう思っていた私の耳に、不自然に反響するような声が届いていた。
『――否定はしません。私以外の、そしてお婆様以外の水城であれば、そうだったでしょう』
……おかしい。水城さんの姿が見えないのもそうだけど、いつまで経っても水蒸気が晴れない。
炎を纏う凛ちゃんの姿は目立つから、ここからでも見えているけど、その中に水城さんの姿を発見することができなかった。
『けど私は、あの人の隣に立ちたい。それだったら、足手纏いの従者など、連れている余裕はありません。だから――私はひとりで戦えるように、これまで訓練を積み重ねてきたのです』
「その結果がこれって訳? 小細工もいいところね」
『いけませんか?』
「いいや、構わないわよ。手段なんて拘ることじゃないわ――全て、正面から叩き潰すだけよ」
そう宣言して――凛ちゃんの体から、巨大な炎の柱が発生していた。
* * * * *
(いつの間に仕掛けてたのかしらね、こんなの)
水蒸気の――否、たちこめる霧の中で、凛は胸中でそう呟いていた。
相手は不倶戴天の敵たる水城初音。けれど、相手が幼いからと、凛は決して油断はしていなかった。
不意打ち気味に放った無詠唱の魔法、続く三級の攻撃魔法――どちらも本気であり、相手が強いことを知るが故の攻撃だったのだ。
その上で発現した、己にとっての切り札たる一手。密度を上げることによってそれ自体が発火すると言う自身の魔力特性を利用した、《放身》の発展系である《業炎放身》。
凛の圧倒的な魔力密度によって、ただでさえ炎を発しやすいその魔力は、凄まじい勢いの放出によって、まるで全身からバーナーのように炎を吹き上げている。
それによって強化された拳の一撃は、触れる水を電離させて消し去り、相手へと攻撃を届かせるはずだった。
(けど、届いていない。今もあいつの気配を読み取れない……幻術ね。水城久音の得意とする、幻覚を見せる霧の結界)
まさかそんなものを習得していたとは露ほども思っておらず、凛は小さく舌打ちする。
話に聞いていたように、幻の風景が見えているわけではない。単純に、視界を遮る濃い霧が広がっているだけだ。
だがそれでも、初音の姿を見失っている現状は、十分な効果を発揮していると言える。
「……水城らしくないわね。わざわざ創り上げてきた術式を、こうして単純化したって訳?」
『人を倒すのに、あれほど高度な幻術は要りません。感覚を狂わせ、視界を塞ぐ――それだけで十分ですから』
「っ、【爆ぜよ】!」
瞬間、凛は殺気を感じて振り返りつつ、反射的に爆発する火球を放っていた。
その一撃は、霧の中から現れた水の槍を、爆裂して相殺する。
その衝撃で一部だけ霧が散らされ、凛は更に同じ魔法を二度三度と続けて放つ。
――しかし、手応えは感じられぬまま、散らされた霧は再び空間を満たしていた。
(……大したもんだわ)
思わず出かかった言葉を飲み込み、凛は再び魔力を練り上げる。
分かってはいるのだ。水城初音が、その名に恥じぬほどの実力を有していることを。
そしてその実力が、己が双子の弟のために身につけたものであるということも。
その想いは痛いほどに理解できる。他でもない、自分自身が同じ思いを抱いて修行を重ねてきたのだから。
けれど、だからこそ――
「その程度で、認めるわけにはいかないわ」
更に、強く魔力を吹き上げる。
己自身が火柱になるかのように、その全身を紅の炎で包んでいく。
そして――足元に広がるのは、同じ色に輝く魔法陣。
『っ、展開式!?』
「アンタの魔法は悠長なのよ。薬が回るのを待ってるから、こんな準備をされるのよ」
密かに仕込んでいた展開式の術式を発動、将来的には父を越えると言われた、己の莫大な魔力の大半をそこに注ぎこむ。
それは、父の奥義たる最強の魔法。けれど、父のように完全な形では発動させられない未完成の魔法。
魔力を注ぎこまれた魔法陣は紅の閃光を放ち――余波で吹き上がった炎が、周囲の霧を、そしてそれを包んでいた結界を吹き散らす。
『まさか――!』
――その中央に、地面を融解させながら立っているのは、髪と右腕を真紅に染めた凛の姿。
その右腕を構えながら、凛は紅玉の瞳で上空を睨む。そこに佇むのは、全身に水を纏いながら浮遊する、蒼く巨大な展開式の術式を構築した初音の姿。
「あいつの周りにいていいのは、強い人間だけなのよ! あいつは、弱いんだから――」
「私は……っ、あの人の隣に、立つんです! あの人は、強い人だから――」
蒼き魔法陣が輝き、出現するのは巨大な氷山の如き氷の塊。
蒼い氷は、それ自体が特殊な液体で構成されていることを物語っていた。
その圧倒的な質量を前に、けれど凛は一歩も引くことなく立ち向かう。
紅に揺らめく、あの時の弟のような、己の右腕を振りかぶりながら――
『――仁を、一人にさせるわけにはいかないッ!』
狙いもせずに重なった言葉に、二人は目を見開いて一瞬硬直する。
そして次の瞬間――上空より放たれた光の砲撃が、二人の展開する魔法陣を撃ち抜き、破壊していた。
「な……っ!?」
「どこか――らっ!?」
蒼い氷山も、紅に染まった右腕も、それを制御する術式を破壊されて霧散する。
反射的にその砲撃が放たれた方向を振り向いた初音は――一瞬で目の前に現れた男に顔面を掴まれ、硬直していた。
そしてそのまま、初音は大きく振り回され、地面へと向けて投げ飛ばされる。
この勢いでは浮遊の魔法も効かず、初音は己の周囲に水を発生させながら、同時に防御魔法を発現、それらをクッションにしながら地面に着地していた。
己の隣に凛がいることを察しながら、今の一撃が何なのかを探るために警戒を高めて――
「――この馬鹿者共が」
重く硬い響きを持つその一言と共に、二人は頭頂部に凄まじい衝撃を受けて、その場に蹲っていた。
簡単に言えば、突如として背後に出現した一人の男に、二人纏めて拳骨を喰らっていたのだ。
迷彩柄のズボンに黒のタンクトップと言う格好のその男は、足元に蹲った二人の少女を睥睨しながら、嘆息交じりに声を上げる。
「模擬戦と言うから来てみれば……ここはいつから戦場になった。貴様らの魔法は国のために使われるものであり、同胞に向けられるものではなかった筈だが?」
「う、ぐぐぐ……や、やりすぎました」
「ごめんなさい、先生……」
未だに頭を抱えている凛と、痛みに顔を顰めつつも、神妙にその場に正座する初音。
確かにやりすぎたと言う自覚もあり、売り言葉に買い言葉で熱くなっていたことを否定することは出来ない。
しかしそれ以上に、この目の前にいる男――高等部の戦技教官である神山修吾の命令に対し、二人は逆らうことができなかったのだ。
彼は数少ない特級魔導士であり、《万色》の二つ名を持つ国防軍のエース。その名は四大の一族にも伝わっており、自分達では二人がかりでも手も足も出ないことを理解していたのである。
「ふぅ……争いの原因は何だ」
「……火之崎と水城の機密に関わってくる話です。この場ではちょっと……」
「そうか。では原因の追究は行わん。だが、争いの原因の排除は必要だ。今後、このような問題を起こされては困るからな」
そう告げて、修吾は二人の背後にある舞台へと視線を向ける。
熱によって融解し、そこに氷が突き刺さった跡が残る、見るも無残な状態の施設。
元々破損も視野に入れている設計であるとは言え、修復にはそれなりに手間がかかる。
思わず背筋を伸ばす二人へと鋭い視線を向け、修吾は言い放った。
「貴様らはまだ中等部、それも初等部から上がって数日しか経っていない。故に、俺の部下扱いとして訓練をつけている訳ではないため、軍規に則った罰則はしない。だが、校則に則った罰則はつける」
「はい……」
「申し訳ありませんでした……」
「全く……罰則は、反省文と二週間の奉仕活動。そして、貴様らの争いの原因を排除することだ。監督には俺が付く。逃げられると思うなよ」
凶悪としか表現できないようなその面構えと宣言に、凛と初音は反射的に頷いていた。
* * * * *
奉仕活動、と言われるとあんまりイメージが湧かないけど、結局のところ構内の掃除である。
とは言え、この広い学校を掃除するとなると中々大変だ。
そもそも、家の都合で色々と忙しい水城さんや凛ちゃんの場合、そこまで時間を使うわけにも行かず、そこそこなところで切り上げることになってしまっていた。
「――だから、別に手伝わなくても良かったのよ、詩織?」
「いやぁ、あはは……ほら、私も原因の一端であることは事実だしさ」
水城さんと凛ちゃん、二人と一緒に廊下の掃除を行いながら、私は凛ちゃんの言葉に対して苦笑する。
あの時私が余計なことを言わなければ、もう少し穏便に済んでいたかもしれないのだ。
だから私は、こうして二人の奉仕活動を手伝うことにしていた。
まあ、掃除だけだし、家に帰ってから忙しいというわけでもないので、別に問題もなかったけど。
「羽々音さん……ごめんなさい、巻き込んでしまって」
「ううん、迷惑だなんて思ってないよ。いろいろ派手なことになっちゃったけど、二人と友達になれたのは良かったって思ってるから」
「あんた、可愛い顔して肝が据わってるわよね……いや、何も考えてないだけか?」
「ちょっ、酷くない!?」
私の抗議に対して、凛ちゃんはけらけら笑いながら箒で掃き掃除を続ける。
そんな彼女と、その近くで掃除を行う水城さん。今の二人からは、あの時食堂で見せたような険悪な雰囲気は見当たらない。
あの後、二人で話し合っていたらしいんだけど――
「……結局、二人はどうやって仲直りしたの?」
「あんたも首突っ込むわねぇ。っていうか、仲『直り』も何も、最初から直るような仲は存在してなかったんだけど……」
「でも、折り合いは付けられました。私も火之崎さんも、同じことを考えていたみたいなので」
「同じこと?」
あの時、最後の激突をしようとした直前に交わしていた言葉だろうか。
あそこからだと、何の話なのかはさっぱり分からなかったけど。
首を傾げる私に対して、水城さんは淡く笑みを浮かべて声を上げる。
「私は仁のことを強いと言って、火之崎さんは弱いと表現した……逆のように聞こえますけど、これは全く同じことを言っていたんです」
「正反対なのに、同じこと?」
「……仁は、家族をとても大切にしてるのよ。その為だったら絶対に諦めないから、『強い』。けど、そんな心があるから、家族を傷つけられることに耐えられない……だから、『弱い』。あたしも、水城も……仁を傷つけないためにはどうしたらいいかって、同じことを考えながら戦ってたのよ。滑稽で笑っちゃうわ」
結局のところ、同じものを見ていたのだと、そう説明して凛ちゃんは自嘲する。
最初から分かっていたら、あんな風に争う必要はなかったのに、と。
私はその仁と言う人がどんな人なのかはイメージすることしか出来ないけど、二人がその人のことをとても大切に思っていることだけは伝わってきた。
まだ色々と清算し切れていない部分はあるみたいだけど……でも、前のように険悪な雰囲気じゃない。
「えっと……私、まだ二人の友達でいても大丈夫、なんだよね?」
「……今回のことがあったのに、あんたも大した度胸よね。でも、こっちからお願いするわ。こんな風に対等に話せる友達なんて、そうそういないもの」
「私も、お願いしますね。羽々音さんとは、これまで通り仲良くしたいです」
「っ……うん! よろしくね、二人とも!」
そんな二人の言葉に対し、私は思わず顔を綻ばせる。
こうして、私は――この中学校の生活の中で、かけがえのない友達を手に入れることに成功したのだった。




