062:羽々音詩織と二人の友人
学校で入学式と言えば体育館でやるイメージがあるけれども、この学校の場合は違う。
さすが国営の学校と言うべきなのか、講堂が二つも並んで建っているのだ。
この講堂はたまに学会の発表にも使われたりするらしく、片方の講堂は建物自体もかなり新しい。
一度、そういうイベントの時とかに見に来たことはあるけど、やっぱりこの学校は凄い。授業は大変だと思うけど、頑張って入学した甲斐があった。
広い敷地内を移動して、決められた席に座り、入学式の開始を待つ。
流石に入学初日では決まっていることも少なく、並び順は単純な名前順だ。
その順番に従って、自分のクラスのメンバーをぐるりと確認してみる。まあ、ああいう警戒の視線を向けられていると、中々仲良くするのも難しそうなんだけど……困ったなぁ。
「っと、あれ……?」
周囲を見渡して、ふと見知った姿がないことに気がついた。
久我山君はちゃんと予想通りの所にいる。けど、どこを見ても水城さんが見当たらないのだ。
あれだけの美少女、どこにいても凄く目立つと思うんだけど……やっぱり、水城さんが座るはずの所だけが空いている。
ずっと見ていたわけじゃないけど、ここに来る途中まではいたはず。
あの水城さんな訳だし、滅多なことはないと思うけど……ちょっと気になるなぁ。
どうにも気になって、きょろきょろと周囲を見渡していた私は――ふと、視界の端に映ったものに、思わず口を噤んでいた。
あれが見えたってことは、もうすぐ――
『――ではこれより、国家魔法院立魔導士養成学校中等部の入学式を始める』
拡声の魔法で声が響き渡ると同時に、周囲のざわめきが消えていく。
けれど、周りで喋っている人がいないわけではない。これは、広域に作用する消音の魔法だ。
一定以上の大きさの声が、広い範囲に響かなくなるという効果を持っていて、こういった場ではよく使用される術式だったりする。
さすが魔養中、随所に魔法が使われているみたいだ。
『では始めに、学長の挨拶を――』
司会の人が、お決まりの台詞と共に学長の紹介をする。
学長と言うのは、初等部から大学部まで全ての学校を統括したトップの人物。
要するに、この学校で一番偉い人――
「――諸君ッ!!」
――その瞬間、まるで周囲に叩きつけられるかのように発生した衝撃に、私は思わず仰け反っていた。
それは音と魔力による衝撃。司会の人の言葉を食い気味に発せられた言葉は、拡声の魔法を使っていないにもかかわらず、まるで強烈な風に吹きつけられたかのような衝撃を私の体に与えていた。
そして、同時に吹き上がっているのは強烈な魔力。壇上に上がったその人から発せられているのは、励起段階にまで達した銀色の魔力のオーラだった。
……って言うか、何でいきなり魔力を励起させてるのあの人!?
しかも、魔法も使ってないのにこの声量ってどうなってるの!?
「私が国家魔法院立魔導士養成学校の学長、北郷正人であるッ!」
黒い軍服のような服装の、大柄な男性。胸や肩にいくつも装飾が付いているあたり、本当に軍服なのかもしれない。
けれど、その肩書きの割には随分と若く見える。逆立ったようにオールバックになった髪も、若々しさを感じる要因だろうか。
刀を両手で杖のように突きながら、堂々と胸を張って仁王立ちするその姿は、それだけで力強さを感じるほどのものだった。
っていうか、本当に国防軍の偉い人? 学長が軍の人だって言う噂は本当だったの?
「今年もまた、この素晴らしき日に同席できたことを嬉しく思う。そして、この学び舎を選んだ諸君らの選択を歓迎しよう!」
喋り方は確かにどこか堅苦しい、軍人っぽい感じのイメージはある。
けれど、その表情はあまり軍人らしさを感じるものではなかった。
まるで、無邪気な子供のような、発している言葉の全てが本音であると訴えかけるかのような、楽しそうな笑顔だった。
「魔導士は、この日本という国に奉仕する存在である。この国は常に強い脅威に晒されており、その脅威から人々を護る存在こそが魔導士だ。諸君らには、この学び舎で、魔導士の何たるかを学んで欲しい。そして願わくば己の意思で、魔導士としての第一歩を踏み出して欲しい!」
子供のような表情で、大人としての言葉を語る、そんな学長。
けど、学長の発している言葉には、確かな力があった。義務的に入学式にやってきた私が、思わず高揚してしまうほどの力強さ。
もしかしたら、これがカリスマと呼ぶものなのかもしれない。
「諸君らは良く食べ、良く遊び、良く学び、そして己にとって掴むべき未来を探すのだ! 私は――諸君らの健闘に期待する! 以上だッ!!」
司会の人に促される前に、学長はカツカツと規則正しい足音を立てながら退場してゆく。
誰も言葉を告げられないまま学長は舞台袖へと姿を消し、そこでようやく、固まっていた司会の人が再起動した。
『え、えー……あ、ありがとうございました。で、では次に、新入生の挨拶です』
未だ勢いに飲まれたままの司会の人は、それでも何とか段取り通りに入学式を進めていく。
幸い、その言葉に応えた人は、司会の人の言葉通りに壇上へと上がっていた。
……って言うか、あれって――
『新入生代表、主席入学、水城初音』
『――はい』
促されて壇上に姿を現したのは、先ほどから姿が見えなかった水城さんだった。
講堂を埋め尽くすような人数を前に、水城さんは全く物怖じするような様子は見せずに、とても優雅な歩き方で机の前に立つ。
流石に、水城さんはちゃんと拡声の魔法を使っているようだった。
そんな水城さんは、一度深々と礼をした後に、ゆっくりと声を上げ始める。
『歓迎の言葉、まことにありがとうございました。新入生代表の、水城初音です』
先ほどの学長のような、力強い印象はない。
でも、水城さんの声は、不思議と講堂全体を包み込むような雰囲気を持っていた。
雰囲気に飲まれるというか……とても存在感のある声音だ。
って言うか、水城さんって主席入学だったんだ……さすがは四大の一族。
『今日と言う記念すべき日を皆さんと迎えられたこと、心より嬉しく思います。これより始まる三年間は、私たちにとって得難い経験となるでしょう』
水城さんは緊張したような様子もなく、涼しげな表情で語りかけてくる。
凄いなぁ……あんなところに立ったら、私だったら緊張して何も喋れなくなっちゃうだろうし。
『皆さんは、どのような未来を思い描いているでしょうか。私は魔導士として、そして四大として、成し遂げたい目標を持っています』
そんな言葉に、少しだけどきりとする。
私にはまだ、明確な未来の展望なんて無いから。
『私は、かつて憧れた人に追いつきたい、隣に並び立ちたいと、そう願っています。だからこそ、この学校で多くの経験を積み、更なる成長を遂げたいと思っています』
そう話す水城さんの表情は涼しげで――けど、どこか嬉しそうで、誇らしそうな、そんな笑顔だった。
その言葉だけで、今の水城さんの言葉が本当かどうかが良く分かる。
一体誰なんだろう、その人は。
『目標のある方は、それに向かって大きく前進を……そして未だ見出せぬ方は、まずはその目標を探す所から。この三年間を、有意義に過ごしていきましょう』
そこまで告げて、水城さんは一歩下がり、深く頭を下げる。
その瞬間、講堂内は割れんばかりの拍手の音に包まれていた。
私も勢い良く手を叩きながら、水城さんにじっと視線を向ける。
彼女は凄い人だ。主席入学で、あんな真っ直ぐな目標を持っていて……私なんかじゃ、全然釣り合わないけど。
でも――そんな人と友達になれたことに、私は少しだけ、優越感のようなものを感じていた。
* * * * *
入学式の終了後、HRが終わると、その日は解散になった。
まあ、最初はこんなものだろうと思いつつ、私は学校の敷地内の探検に出発する。
本当は水城さんと一緒に回りたかったのだけど、家の都合で忙しいからということで、彼女は先に帰ってしまった。
家の都合は仕方ないだろう。彼女の家は四大の一族なんだから、稽古とか沢山あるに違いない。
「久我山君も帰っちゃったしなぁ……他の人は何かよそよそしいし」
水城さんとのコネクションを得たい人たちにとっては、私の立ち位置は羨ましいのだろう。
私としては、特にコネクションがどうとかは考えていなかったのだけど。まあ、せっかく友達になれたのだし、仲良くしていきたいところだけど……水城さん、初等部の頃の友達とかっていないのかな?
正直、まだそれほど話をしたわけじゃないから、そこまでは分からないのだけど……水城さんはああ見えて、結構警戒心が強いように思える。
いきなり仲良くなれた私が特殊なほうなのだろう。たぶん。
「ま、その辺は追々かなぁ……さって、あの辺は、と」
学校内の地図アプリを開き、今私がいるエリアがどこなのかを調べる。
この学校は全校舎を含めると、もう一つの街であると言えるほどに大きく広い。
施設も充実していて、やろうと思えばこの中だけでも暮らせるほどだ。
今、私が近づいていたところは、どうやら魔法の訓練場となっている場所らしい。
様々な状況下での魔法練習を実現するため、アスレチックの設置された公園のような見た目になっているけど、その辺り一帯が全て訓練場なのだ。
訓練時間外だったら普通に遊べそうな場所でもある。
「まあ、私にはまだ縁のない場所だけど……」
正直、戦闘魔導士を目指すつもりはないし、そもそも中等部では実践的な魔法訓練は行われない。
その辺がカリキュラムに追加されるのは高等部からだ。
ママ曰く、初等部は心構え、中等部は魔法の基礎、高等部は実践的な魔法演習となっているらしい。
この訓練場のお世話になるとすれば、高等部に進級してからだろう。
「今日は入学式だし、人もいなさそうかなぁ……あれ?」
踵を返そうとしたその瞬間、私はふと、小さな音を感じ取って足を止めていた。
少し遠くから聞こえた、爆発音のような音。
誰かが魔法の練習をしているのだろうかと、私は少しだけ興味を引かれて、その音の方向へと足を向けていた。
訓練場の隅の方、物陰になっていて目立ちにくい場所。
音の聞こえてきた方向へと近づくと――そこには、一人の女の子の姿があった。
「――【集い】【連なり】【貫け】」
私よりも結構小柄な、でも着ている服は中等部の制服である女の子。
黒くて長い髪をツインテールにしている彼女がそう唱えた瞬間、その周囲には瞬時に大量の炎の矢が出現していた。
彼女が手を振るうと共に、矢は一斉に飛び出し、標的となっている土壁へと突き刺さる。
けど、炎が爆発するようなことは無く、その壁にはいくつもの小さな穴が穿たれていた。
凄い、何て綺麗な――
「……ちょっと、アンタ何よ?」
「え? あわっ!?」
「そんだけじっと見てれば気づくっての。わたざわざ目立たない所で練習して立ってのに、まさか人が来るなんてねぇ」
溜息を吐いて、その女の子は肩を竦める。
こちら側に向き直った彼女の瞳は、まるでルビーやガーネットのように赤い。
背丈は小さいのに、とても強い存在感のある彼女。
その存在感に押されて、私は思わず、思ったことを直感的に口に出してしまっていた。
「あ、いや、えっと……勝手に見ちゃってごめんなさい。その、とても丁寧な魔法だったから……」
「……丁寧?」
「う、うん。凄く術し……じゃ無くて魔法自体が洗練されてて、凄く練習したんだろうなって。私、まだまだ魔法使えないから、憧れちゃうよ」
「……アンタ、変わったこと言うわね」
「え?」
私が首を傾げると、彼女は軽く肩を竦めて歩き始める。
やっぱり、いきなり失礼だっただろうか。何と声をかけたものかと考え――そこに、彼女の声が掛かった。
「名前」
「えっ? 何が?」
「アンタの名前、何ていうのよ?」
「あ、うん。私は羽々音詩織。中等部の新入生」
「……成程、『羽々音』ね」
彼女はどこか納得したように頷いて――そして、顔を上げる。
先ほどの不機嫌そうな表情とは違う、どこか悪戯っぽい強気な笑みを。
「気に入ったわ。そんな風に言ったのはあんたが初めてよ、詩織」
「え、そうなの? あんなに綺麗な魔法だったのに」
「大抵の奴は、あたしの魔力量を褒め称えるもの。確かに伸ばすのに努力はしたけど、そんなのはただの才能よ。それよりも、あたしの苦労した術を褒めてくれる方が嬉しいわ」
どうやら、彼女には彼女なりの悩みとか理由があるようだ。
まあ、私の魔力量は正直並と言った程度。辛うじて旧式魔法にも適正がある程度のものだ。
そんな私にとっては、大抵の人は凄い魔力量なんだけど……彼女は群を抜いて凄い。今まで見てきた中でも一番かもしれない。
――そんなことを考えていた私の耳に、ふと衝撃的な言葉が届いていた。
「あたしの名前は火之崎凛。凛でいいわ。苗字で呼ぶと、お姉様と被るからね」
「……えっ」
耳に届いたことばに、私は思わず自分の耳を疑う。
……どうやら私は、入学初日から、大物魔法使い二人と知り合ってしまったらしい。




