061:羽々音詩織と中等部入学
私の名前は羽々音詩織。
両親と妹と一緒に暮らす、ごく普通の魔法使い志望。
春先の桜の咲く季節。今日は、私の中学校の入学式だった。
「それじゃあママ、行ってくるよ」
「はいよー。アンタ、変なところで緊張しやすいんだから、気をつけなさいよ?」
玄関で靴を履いていた私にそう声をかけたのは、私の母親である羽々音舞佳だった。
私のママは魔法院の魔導士であり、うちの収入の大部分はママによるものだったりする。
まあ、パパも仕事はしているんだけど、ママの方が遥かに収入は大きいのだ。
二人とも同じように魔法院で仕事をしているんだけど、どうしてそこまで差がつくのかはよく分かっていない。
ママ曰く、『あたしなんだから当然』とのことだったけど、何が当然なんだろうか。
そんなことをボーっとしながら考えていた私に、リビングから顔を出したママはタオルで手を拭きながら、呆れたような表情で声をかけてくる。
「まーた変な考えごとしてるわね? あんまりゆっくりしてると遅刻するわよ?」
「むぅ……大丈夫だよ。家から近いし、時間だって余裕を持って準備したんだから」
「あたしが起こしたからでしょ? それより詩織、あたしが言ったこと、ちゃんと覚えてるわね?」
「もう耳にタコができるぐらい聞いたってば。私の魔力特性はしっかり隠せってことでしょ?」
ママの言葉に、私は溜息を吐きながらそう答えていた。
私の魔力特性は、随分と特殊なものらしい。まあ、そのおかげで、中々判明しづらい魔力特性を幼い内から把握することができたのだけど……私のこれは、かなり特殊な能力だった。
それこそ、周囲の魔法使い達が知ったら、とても羨ましがるであろうというほどのもの。
私としても、これを周囲に知られるのは避けたい。正直、妙な目で見られるのは確定だろうから。
「まあ、外から見て分かるってタイプのものじゃないけど、それでも言動には気をつけなさい。あんた、どうにもぽわっとした所があるんだから」
「ぽわっとって何!? 私、そんなにふわふわしてないからね!?」
「よく言うわよ天然の癖に。とにかく、気をつけなさい」
言い草は酷いけれども、ママが私を心配していることはよく分かる。
だから、私はその言葉に素直に頷いていた。
これから行く学校には、たくさんの魔法使いがいるんだ。私の魔力特性は、決して気づかれちゃいけない。
「分かった、気をつける……行ってくるね、ママ」
「はい、行ってらっしゃい。気にしすぎて緊張しないように、適度に楽しみなさい」
あれだけ言ってた割には楽天的な言葉に、私は小さくため息を吐きながら学校へと出発する。
私が今日から通う学校は、国家魔法院立魔導士養成学校中等部。
名前が長いから、私たち学生の間では、大体『魔養中』とか『魔養高』とかそんな感じの略し方で呼ばれる。
まあ簡単に言えば、魔法使いを育てるための学校だ。
この学校は初等部、中等部、高等部、大学部が存在する。
単純に小学校、中学校、高校、大学と考えてもいいのだけど、この学校の特殊なところは、高校卒業の時点で三級の魔導士資格が与えられることだ。
魔導士として必要な能力育成がカリキュラムに組み込まれていて、高校の授業を受けるだけで魔導士資格を得られるのである。
まあ、その分だけ単位取得は厳しめで、そこそこ留年する人も出るという話だから、私も気をつけないと。
(まあ、最近は数式魔法のおかげでかなりの人が魔導士になれるし……資格持ってると就職でも便利だしね。まだ将来のことなんて考えてないけど……)
曖昧な将来の展望を考えながら、私は思わず苦笑する。
仕事をする上で魔法の技能が必要なところなんて、それほど多くないと思うのだけど……持っているのと持っていないのとでは大きな違いがある。
世知辛い世の中になったものだなぁ、などと考えながら、私は視線を上げる。
私の住んでいる家は、学校からほんの十分程度歩いたところにある。
ゆっくり寝てても遅刻しないのは本当に嬉しいところなんだけど、よくあんないい立地のところの一軒家なんか建てられたなぁ。
早くも見えてきた校門へと向かい、私は新入生案内の看板に従って移動していく。
周りにいるのはみんな、私と同じ新一年生だろう。
こうしてみると本当に多い……けど、国立の魔導士養成学校は日本にここにしかないのだから、逆に少ないと言えるのかもしれない。
もっと各地に作れば、たくさんの魔法使いを育てられると思うんだけど――
「生徒証の番号を確認し、自分のクラスを確認してください!」
「クラスへ移動後、ホームルームを行ってから、入学式を開始します!」
案内を呼びかけているのは、教員の人と、後は手伝いの生徒の人だろう。
そんな彼らのいる場所の近くには、大きな掲示板があり、そこに名簿とクラス分けの表が張り出されていた。
沢山の新入生が群がっているそこへ、私も自分の生徒証を取り出しながら近づいていく。
ちょっと緊張して、少し強張った感じの表情になっている私の生徒証。
それを見ながら歩いていたせいだろう。私は横から歩いてきた生徒に気づかず、衝突して自分の生徒証を取り落としてしまっていた。
「あわっ!? ご、ごめんなさい!」
反射的に謝罪しつつ、私は取り落としてしまった生徒証へと手を伸ばす。
せっかくの綺麗な生徒証なのに、こんな初日から傷だらけにしてしまっては堪らない。
けど、私が手に取るよりも早くそれを拾い上げてくれたのは、私が衝突してしまった人物だった。
白くて細い、綺麗な手で生徒証を拾い上げてくれた彼女は、私へと微笑みかけながらそれを差し出してくれる。
「いえ、私の方こそごめんなさい。掲示板のほうに気を取られてしまって……」
「そ、それを言ったら私だって、自分の生徒証に気を取られちゃってましたから……」
「あら……ふふ、ではお相子と言うことで。ええと……あら、羽々音さんと言うのね。一緒にクラスを確認しましょう?」
「は、はい!」
思わず、普段使いもしない敬語で返しながら、私はコクコクと頷く。
自分でもらしくもないと思うけど、この反応だだって仕方ないだろう。
何故なら、私がぶつかってしまった人物は、これでもかと言うほどお嬢様然とした、とても綺麗な女の子だったからだ。
長くて真っ直ぐな、綺麗な黒髪。額の両端に当たる辺りを縛る紐の髪飾りがアクセントになっているが、それもどこか人形のような印象を強めている。
何より、透き通るような蒼い瞳はとても落ち着いていて、とてもではないけど、私と同じ中学一年生とは思えないような佇まいをしていた。
ちょっと緊張しつつ生徒証を受け取り、私は改めて掲示板に視線を向けて、自分のクラスを確認する。
クラス分けは日月火水木金土の七クラス。何で曜日の名前をつけているのかはよく分からないけど、とりあえず私は水のクラスだった。
「羽々音さん、見つかりましたか?」
「あ、はい。水のクラスでした」
「あら、それなら私と一緒ですね。クラスまで、一緒に参りましょうか」
「あっ、う、うん。よろしくお願いします!」
「ふふ、それと、無理に敬語を使わなくてもいいですよ? 私のは癖のようなものですけど、羽々音さんは違うでしょう?」
「あ、あはは……うん、それじゃあ、いつも通りで」
まあ、私としても凄く違和感があったし、そう言って貰えるのは助かるんだけど。
けど、お嬢様っぽい感じの割には、そこそこフランクな感じの子だ。
同じクラスになるのだし、今のうちに仲良くなっておくのもいいだろう。
クラスへの案内に従って歩き出しながら、私は隣の彼女へとむけて自己紹介を開始していた。
「えっと……改めまして、私の名前は羽々音詩織。中学からここに入ってきたんだ。貴方は?」
「私の名前は、水城初音と言います。私の場合は初等部からの進級ですね」
「へぇ、水城さんって言うんだ……水城? 水城って、あの……あの水城、だよね?」
「ええ、まあ……日本にはうち以外に水城はいないはずですから」
その言葉に、私は思わず絶句する。
それもそうだろう。水城と言えば、護国四家の一角、日本でも最大の規模を持つ魔法使いの家系、四大の一族の一つ。
お嬢様もお嬢様、とんでもない上流階級の相手だった。
さ、さっきから、色々と失礼なことをしちゃっただろうか――いやでも、普通に喋っていいって言ったのは水城さんだし、問題はないはず。
面食らったものの、そう自分を納得させて気を取り直し、私は改めて水城さんに声をかけていた。
「えっと……そんなすごい人と、私みたいな普通の子供が、一緒のクラスになれるんだね?」
「……あら」
「え? え? 私、何か変なこと言っちゃったかな?」
「あ、いえ、ごめんなさい。そういう返答が返ってくるとは思わなかったものですから」
困惑する私を他所に、水城さんはくすくすと上品に笑っている。
何か、変なことを言ってしまったのかもしれないけど、でも水城さんも怒ってはいないみたいだし……大丈夫かな?
どうしたものかと悩んでいるところに、笑いを引っ込めた水城さんが、上品な笑顔のまま声を上げた。
「クラスは一緒ですけど、魔法関連の授業を受けるときには、上級クラスと初級クラスに分かれるはずですよ。成績別にクラスを分けるのは高等部からです」
「へぇ……あ、だからクラスの名前が曜日になってたのかな? 何か順位つけてるみたいで嫌な印象あるかもだし」
「そうですね。単純な属性での分け方と言うわけでもなさそうですから、そういう配慮があったのかもしれませんね」
同意してくれる水城さんの言葉に頷きながら、私たちは自分のクラスへと向かう。
一年水組――何か響きだけだとちょっと変な感じだけれども、少しすれば慣れるだろう。
「でも、中学でも魔法のクラスじゃ、水城さんとは別々になっちゃうかな」
「そんなことはないと思いますよ。『羽々音』さんなら、きっと」
私の愚痴のような言葉に、水城さんは笑みを深めて、そう返していた。
* * * * *
「羽々音詩織です。魔法については、まだ素人ぐらいです。よろしくお願いします」
クラス一同の前で壇上に上がって、ぺこりと頭を下げる。
ホームルーム中に設けられた自己紹介の時間。私は、無難も無難と言うような紹介で締めくくっていた。
けど……何だろう。拍手はされているんだけど、じっとこっちを見てる人が多いような……周囲からの視線を感じながら席に着くと、隣に座っていた男子が小声で私に声をかけてきた。
「やあ、こんにちは。何だか浮かない顔してるね、どうしたの?」
「あ、えっと……久我山君、だっけ?」
「そうそう。僕は久我山雪斗。ま、お隣同士よろしくってことで」
そういって笑いながら手を振る久我山君は、ちょっと不思議な感じの男の子だった。
外見的には、正直それほど印象はない。身長も平均ぐらいで、髪形も特に変わったところのない、あまり目立つところのない感じの人。
けど何だか、その笑顔がちょっと胡散臭いと感じてしまう。
まあ、第一印象だし、話していれば印象も変わるかもしれないけど。
「で、羽々音さん。どうかしたのかな?」
「あ、えっと……何だか、ちょっと見られてる様な気がしたから。あはは、自意識過剰みたいだけど」
「あはは、気づいていたんだ。結構勘がいいんじゃないかな?」
「あはは……え?」
久我山君に言われたことが理解できず、私はきょとんと首を傾げる。
それに対して、久我山君はにやりと笑いながら、肩を竦めて続けていた。
「君、あの水城のお姫様と仲良くしていただろう? それが、他の連中には驚きだったのさ」
「あ、あー……水城さんのことだったんだ」
「そうそう。何しろ、中等部から入ってきた連中は、みんな四大とのコネが欲しいと思っているからね。特に、初等部の試験に落ちた連中とかはさ」
この学校は、初等部から大学部にかけて、段々と入りやすくなっていく。
だから、初等部から入っていたような人たちは、本当に魔法使いのエリートになるような人ばっかりなのだ。
当然、試験も難しくて、多くの人が落ちてしまっているらしいけど――そういう人たちは六年分、水城さんみたいな人たちと接触できる機会を得られなかったんだ。
「そ、そんな理由があったんだね……悪いことしちゃったかな?」
「いやいや、君は何も悪くないって。それにしても、面白い感想だねぇ」
「え? な、何が?」
けらけら笑う久我山君に、私は思わず首を傾げる。
けど、私の問いに答えることはなく、彼は口元に笑みを残したまま声を上げていた。
「気にしなくていいよ、君はそのままの方がいいと思う。水城のお姫様だって、嫌がってはいなかっただろう?」
「うん、まあ……そうだと、思うけど」
「ならそれでいいんじゃないかな? お姫様だって、下心のない友人なんて貴重だからね」
ヒラヒラと手を振ってそれだけ告げた久我山君は、再び視線を前へと戻していた。
そんな彼に倣って視線を前に向けつつ、私は彼に言われたことを考える。
コネを欲しがっている人が多いっていうことは、水城さんには普通の友達が少ないのかもしれない。
まあ、それは仕方のないことなのかもしれないけど――
「……うん。もし嫌じゃないのなら、友達になりたい、かな」
――水城さんの自己紹介を聞きながら、私は小さく手を振りつつ、そう呟いていた。




