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汝、不屈であれ!  作者: Allen
第3章 虹黒の従僕
60/182

060:黒き理












「……何とか、ここまで来れたか」

『やれやれ、生きた心地がせんかったわ』



 蜘蛛の禁獣が住処としている洞窟を潜り抜け、辿り着いた場所。

 真っ暗闇の世界から日の当たる場所へと飛び込み、目が眩むのを感じながらも、私は安堵の溜息を吐き出していた。

 正しく、千狐の言葉の通りだ。正直なところ、あそこであの禁獣と戦っていれば、間違いなく勝ち目はなかっただろう。

 そのリスクも承知の上でここを通り抜けることを選んだわけだが、かかる精神的な負担は計り知れないものであった。

 正直なところ、二度と足を踏み入れたくない場所である。



「まあ、だが……リスクを犯した甲斐はあった。時間は稼げたし、魔力も回復した。条件は整った訳だ」

『確かに、これで勝負を仕掛けられるだけの条件は整ったのぅ』



 にやりとした笑みを浮かべながら答える千狐の言葉に、私は軽く肩を竦める。

 未だ、洞窟の中からは雷の爆ぜる音が聞こえてくる。あの蜘蛛と、雷の亜精霊は、未だ戦闘を続けているのだろう。

 だが、蜘蛛の威嚇するような声は徐々に聞こえなくなってきている。

 流石に、あの一級の禁獣とは言え、霊体攻撃の手段を持たなければ厳霊いつちを倒すことはできないのだろう。

 糸に接触して動きが止まっていたのは、一部は物質的な側面を持っていたためだろうか。

 完全に霊体に寄っていたら、糸すらもすり抜けて肉薄されていたことだろう。

 そう考えると、色々と綱渡りではあったが……それでも、勝ちを拾うための前提条件はクリアすることができた。



「チャンスは一度きり……リリ、準備を始めてくれ」

『ん……分かった』



 私の言葉に同意したリリが、その形を変え始める。

 今までは、胴着の下でTシャツのような姿をしていたリリだが、今度は胴着の上から、そして全身を包み込むようにその範囲を広げていく。

 朝、私がリリに提案していたのは、リリを全身に纏って戦闘を行う方法に関してだったのだ。

 リリの体はあらゆる攻撃に対して高い耐性を持っており、その力は薄手のシャツの姿をしていても変わらない。

 だが、シャツである以上、下半身や顔などはどうしてもカバーできないという問題があった。

 そして、これを解決する方法は、それほど難しいものではない。つまるところ、リリを全身に纏ってしまえばいいのだ。

 イメージの元となったのは、子供のよく見る特撮番組のヒーロー。流石に、ぶっつけ本番ではそれほど出来のいい衣装という訳でもなく、ただの黒い全身スーツ程度のものであるが、それでも防御力は普段の比ではない。

 顔の部分に関してはバイザーのように半透明にし、私の姿は不恰好な黒いマネキンのように変貌する。

 見た目に関しては要修正だが――これで、どれほどの速さで移動したとしても、空気摩擦の熱に耐えることができるだろう。



「課題は幾つもあるが……これは突き詰めたら面白そうだな、リリ」

『うん。私とご主人様マスターの体と魔力を繋げて、外部骨格とかも出来そう。もっともっと、強くなれる』

「ああ、嬉しい限りだ」



 先はまだまだ長い。だからこそ、こんな所で立ち止まっているような暇はない。

 故に、こんな所で負けるわけにはいかない。この一撃を、何としてでも成功させなくてはならないのだ。

 その覚悟を決める私に対し――千狐は、にやりとした笑みを浮かべながら私へと問いかけていた。



『繰り返すようじゃがな、あるじよ。お主、本当にここで挑んでもよいのか?』

『……今更何だ、千狐?』



 見透かしたように笑う千狐の言葉に、私は内心でそう問いかける。

 声に出すわけにはいかない。そうすれば、リリにもこの話が聞かれてしまう。

 私のことを誰よりも知っているのは千狐なのだ。この作戦がどれほどの綱渡りであるのかも、千狐はきちんと理解しているのだろう。



『お主、一撃を加えた後に失敗したら《刻守之理トキガミノコトワリ》で逃げると言っておったが……《装身》を完成させることで減ってしまったお主の魔力で、果たしてそれが出来るのかのぅ?』

『ここから結界内まで逃げる分には十分すぎるだろう』

『そうじゃの――使うのが、《刻守之理トキガミノコトワリ》のみの話であれば、じゃが』



 その言葉には返答できず、沈黙する。

 《王権レガリア》のことを誰よりも理解しているのは、他でもない千狐なのだ。

 彼女の言葉は紛れもない事実だ。厳霊を倒すためには、二つの権能を連携させなくてはならない。

 そして、ただでさえ魔力消費の激しい《王権レガリア》でそんなことをしてしまえば、逃走のための魔力は間違いなく足りなくなってしまうだろう。

 魔力が枯渇寸前になることはないだろうが、それでも《王権レガリア》を維持することは不可能だ。そうである以上、一撃を失敗すればそれ以上逃げることは叶わない。



『確かに勝ちの目はある。お主の考える一撃を当てれば、あ奴に勝利することも可能じゃろう。じゃが、あるじよ。果たして、それをする意味があるのかの?』

『……ここで引けと、お前はそう言うんだな?』

『戦略的撤退じゃよ。ここで勝負に出る必要性はない。この稼いだ時間を使って、結界の中まで逃げ込めば済む話じゃ。そうすれば、今度は対策したご母堂が、あの厳霊を確実に葬ってくれよう』



 確かに、千狐の言葉の通りだろう。

 私がこの場で厳霊を倒す意味などない。今このタイミングならば、確実に結界の仲間で逃げられるのだ。安全圏まで逃げれば、それで私の勝利――千狐の言う通り、これはただの愚かな意地でしかない。

 否定は出来ない。だが――同時に、自分を偽ることも出来ないのだ。



『確かに、下らん意地だろう。ここで命を張る意味など、確かにないのかもしれない』

『そう、お主の手であ奴を倒すなど、無理を通す必要性は全くない――』



 千狐は笑う。諌める調子でもなく、けれどどこか真剣な声音で――その言葉を、口にしていた。



『――諦めても、問題はなかろう?』



 思わず、笑いを零してしまう。

 最初から分かっているはずだろう。私が、どのような答えを選ぶのかなど。



『この世界で生まれて、十年。前世を含めれば、それに三十年追加できる』

『ほう、それは何の年月じゃ?』

『無論――私が、私の無力を憎み続けていた時間だよ』



 私はかつて、護るべきものを護れなかった。

 私が、私の手で護らなければならなかったもの。決して失ってはならなかったもの。

 しかし私は、それを護ることができず――以来四十年、私は一日たりとも、己の無力を憎まなかった日はなかった。

 全ては終わってしまっている。そこから先にあるのは代償行為でしかない。だが――奇しくも私には、二度目の機会が与えられたのだ。

 だからこそ、私は――



『私は弱い。私は無力だ。だが、それでも――この二度目の機会に積み重ねた十年が、無駄ではないと信じたい。かつての弱い己と、決別しなければならない』

『故に、挑むと?』

『ああ、そうだ。私は――』



 気づけば、洞窟の奥の雷が止んでいる。

 接近してくる強大な魔力の気配。それを前に――私は、右手を前へと掲げていた。

 そうだ、答えは決まっている。今この瞬間、家族を護れる己であることを証明するためにも。

 ここで勝たなければ、家族を狙う敵から逃げるだけでは、私は永遠に前に進むことは出来ないのだ!



『――私は、絶対に諦めない!』

『――お主の魂、しかと見届けた!』



 千狐の声が、耳元で響く。

 前へと伸ばす、私の手へと――千狐は、己の右手を重ねていく。

 楽しそうに、嬉しそうに、歓喜に満ちた声を私だけに届けながら。



『我があるじよ! 敬愛すべき我があるじよ! その強き想い、朽ちぬ魂、お主こそが我が糧に相応しい! この逆境の最中、この窮地の最中、この絶望の最中――それでも諦めぬと叫ぶならば!』



 右手が重なる。感じるのは、あの日と同じ灼熱の感覚。

 だが、そこに感じる熱さを、私は確かに《掌握》していた。

 そして、右手の光に浮かび上がるのは――双銃と炎を意匠とした、銀色に輝く紋章。

 その輝きを見つめ――千狐は、叫ぶ。



『――汝、不屈であれ!』



 声が響く。何よりも力強く、私を勝利へと導くその声が。

 だからこそ私は、その衝動に抗うことなく、己の右手に宿る炎の名を叫ぶ。



「――《王権レガリア》ッ!」



 刹那――紋章が、輝きを放つ。

 溢れる光は、千狐の毛並みの如き銅の輝き。熱せられて赤熱したかのような、灼銅の閃光。


 八条に分かれた光は螺旋を描き、私の右腕を覆いつくしていく。

 絡みつく光は、私の右腕を覆いながら肩口まで伸び、そしてそのまま虚空へと飛び出して揺れ始める。

 私の肩口から虚空に消える光の帯は八条。まるで尾のように揺らめくそれは、千狐の後ろ髪そのものであった。

 そして、光が絡み付き肥大化した私の腕は、ゆっくりとその形を変貌させてゆく。

 それは獣の腕だ。鋭い爪と、灼銅の毛並みに包まれた異形の腕。


 そして最後に、右の瞳が変貌する。

 鏡は無く、直接見れるわけではない。だが、私はそれを確かに感じ取っていた。

 私の右目が、千狐のそれと同じものに変貌していることを。

 瞳孔の切れ上がった紅の、獣の瞳へと姿を変えていることを。

 半身を異形と化したこの姿。だが、右腕の中で燃える灼熱は、確かにあの日と同じものであった。



「チャンスは――」

『――一瞬じゃ』



 リリの体に包まれていたはずの体が、右腕のみ異形の腕へと姿を変えている。

 この五年間、修行のために幾度となくこの力を振るい、その精度を高めてきた。

 だがそれでも、未だ完全なる制御には届かない。未だ私は、この力に振り回されているだけだ。

 けれど、この、一撃だけならば――



『……見つけたぞ。手間をかけさせてくれたな、下等――』

「《王権レガリア》――《刻守之理トキガミノコトワリ》」



 ――赤く、紅く、誰よりも鮮烈に疾走する少女の幻影。

 その背中を追いかけるように、私は異形と化した右腕を伸ばす。

 瞬間、肩口より伸びる光の尾の一つが紅に染まり――その瞬間、世界は静止していた。


 極限の加速。五年前に使ったそれよりも、更に速く――《放身》を発動し、己の身体能力と肉体強度をブーストし、その肉体が自壊する限界ギリギリまで速度を高める。

 そして、私は――母上から教わった動きの通りに、厳霊へと向けて地を蹴っていた。

 オーラとなった灼銅の魔力を吹き上げ、音の壁を一歩で踏破し、更なる加速と共に全身に衝撃と雲を纏いながら――



『――――ッ!?』



 しかしそれでも、厳霊は反応する。

 雷の亜精霊。その速さは雷の速度そのもの。この加速した感覚の中ですら、奴は普通に動きを続けている。

 けれど――その動きはあまりにも、どちらに避けようとしているかがわかりやすいものであった。

 僅かに軌道を修正。足首が悲鳴を上げるが、構わない。

 今は何よりも――もう一つの、権能の名を呼ぶ。



「《王権レガリア》――《霊王之理レイオウノコトワリ》ッ!」



 ――黒く、暗く、月蝕の月夜に沈む少女の幻影。

 闇に滲むその姿を捕まえようとするかのように、私は異形と化した右腕を伸ばす。

 瞬間、肩口より伸びる光の尾の一つが黒に染まり――



「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」



 ――黒き影を纏う右腕が、厳霊の体を引き裂いていた。

 ――右手側へと避けようとした、相手の右腕だけを。



『ガ、ああああ……ッ!』

『そんな、ご主人様マスターッ!』



 私が伸ばした右腕は、厳霊の右腕をもぎ取り――けれど、それ以上の傷を与えることは出来なかった。

 厳霊の体が再生する気配はないが、けれどそれが致命傷であるとは思えないだろう。リリが、私に逃げろというように悲鳴を上げる。

 だが、それを認める厳霊ではないだろう。怒りの表情で向き直る厳霊は、私へと向けて残った左腕を掲げる。



『おのれ……おのれおのれおのれッ! 次から次へと、どこまでも私を愚弄する! 貴様は楽には死なせんぞ――』

「――《霊王之理レイオウノコトワリ》の権能は、触れたものの魂へと干渉する力」



 厳霊の言葉を遮りながら振り返り、奴から奪い取った右腕を掲げながら、私は告げる。

 しかし厳霊は答えず、私へと向けて雷を放とうとし――その手の中で、小さな電光を弾けさせるだけに終わった。



『な……何だと!?』

「確かに、この腕で急所を貫けばそれだけで終わっていたかもしれないが――どこに当たろうと同じことだ。この手で触れた時点で、魂が本体であるお前は、逃れられない」



 私がそう告げた瞬間、掲げた厳霊の右腕に、厳霊の体から大量の魔力が流れ込み始める。

 否、これは魔力の源泉とも言える魂の力だ。

 この《霊王之理レイオウノコトワリ》で触れた厳霊の体から、その魂の力を奪い取っているのだ。



『止めろ……止めろ、下等生物! 貴様、何をしているのか――』

「私は家族を護る。その誓いの通りだ……貴様に、リリは渡さない。この子は、大切な私の家族なのだから」



 理解できないというかのように、厳霊の表情が歪む。

 構わない。元より理解させるつもりもない。これは、私が私に言い聞かせているだけだ。

 厳霊から流れ込む魂の力は加速し、残っている体は徐々にその輪郭を失い始める。

 最早声も出ないのか、懇願するように厳霊は手を伸ばし――



「――リリ、消化しろ」

『てけり・り!』



 ――両手で握りつぶすかのように、私は厳霊の霊核を、左腕に伝うリリへと喰らわせていたのだった。











 * * * * *











「いいですか、仁君? 私は、あなたが無茶をしないことを前提に結界の外へ出る許可を出したのであって――」



 厳霊いつちを己の手で打ち倒し、その後二級の禁獣と出会わぬルートで結界の中へと帰還した。

 そんな私を待ち受けていたのは、腕を組んで仁王立ちする先生の姿だった。

 眦を吊り上げて怒りを露にする先生は、私とリリを屋敷の中へと招き入れて正座させ、そのまま滔々と説教を続けていた。

 どうやら、先生は私が厳霊と戦っていたことなどお見通しであったらしい。



「全く……勝てたからいいですけれど、朱莉ちゃんが仕留め損なったほどの相手だったんですよ? どうしてそんな相手に挑んだのですか?」

「いえ、その。正直、逃げようにも逃げられなかったというのもありますが」



 恐らく、私がどのような戦い方をしたのか、という点も分かっているのだろう。

 正面から相対している状態では、恐らく《王権レガリア》を使っても逃げ切ることはできなかっただろう。

 何しろ、現在の私に出来る限界の加速ですら、攻撃をクリーンヒットさせることはできなかったのだから。

 むしろ、あの速度域で攻撃を受けてしまうことのほうが危険だったはずだ。



「仁君? 確かに、厳霊から逃げるのは至難の業ではありますけど、あの洞窟から抜けた直後なら可能だったはずですよ?」

「それは……その通り、です。けれど、私は……どうしても、勝ちたかった」



 私に制御できる力で、私自身の意思で、家族を奪おうとするものを退けたかった。

 そして何より、私からリリを奪おうとするあの厳霊を許せなかったのだ。

 真っ直ぐと見つめ返す私の視線を受け止めて、先生はしばし沈黙した後、深く溜息を零していた。



「全く……男の子って言うのはみんなこうなんですかね。こうと決めたら梃子でも動かないというか……」

「いえ、流石に私は特殊な方だとは思いますが」

「変に意地を張るところは同じでしょう? 宗孝君も第三位の彼も、そんな感じでしたから」



 そう呟いて先生は再び嘆息し、そして視線を上げる。

 そこには先ほどのような呆れはなく、先生は真剣な視線で私のことを見つめていた。



「仁君。この修行という無茶を続けている以上、貴方に無茶をするなといっても仕方がないことは分かっています。けれど、命を失ってしまっては意味がない。特に今回のような、選択肢のある場面では」

「……必要のないところで無茶をするな、ということですか」

「と言っても、意地を張らないといけない所では、貴方達はそうして無茶をする選択肢を選ぶのでしょう。ですから――無茶ではなくなるぐらいに、貴方には強くなってもらいます」



 先生の言葉に、私は思わず目を見開く。

 かなりの暴論ではあったが――だが、納得もできる言葉ではあるだろう。

 私がまだ弱いから、戦いの中に無茶が生まれてしまう。

 ならば、強くなればいい。何者にも屈さぬほどの、強さを身につければいいのだ。



「残り五年間……可能な限りのことを教えましょう。私も、朱莉ちゃんも、できる限りのことを教え込みます……それに付いて来る覚悟はありますか?」

「っ……無論です、先生。私を、強くしてください」



 五年間で確かに強くはなった。限定した条件下であれば、一級の禁獣を倒せるほどに。

 だが、まだだ。まだ足りない。私が求める強さは、もっと先にあるものなのだ。

 私と、千狐と、リリ。できることはいくらでもある。そして、教えて貰えることもまた。

 残り五年。その間に、可能な限りの力をつける――その決意と共に、私は先生の言葉に力強く頷いていた。





















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