057:更なる力を求めて
朝、朝食前の時間。
この時間帯は、私は基本的にウォーミングアップのために体を動かすようにしている。
まあ、朝食も食べていない内から激しく運動をするようなことはないが。
精々、ジョギングや柔軟体操など、軽い運動程度である。
今現在はジョギングを終え、水汲みを終えた後の軽い整理体操の最中だ。
そんな中、私は人型を取っているリリと、今後の連携について話し合いをしていた。
「じんが、もっと私を上手く使う?」
「……そう言われると、聞こえが悪いんだが。正直なところ、今の私はリリのことを活かしきれているとは思えないからな」
実際のところ、リリは私よりも遥かに強い。
私がリリと戦った場合、《王権》を含めたとしても勝つことはできないだろう。
まあ、流石に逃げるだけならば何とかなるだろうが、単純な戦闘能力に関してはリリのほうが圧倒的に高い。
つまり、現状では、私よりもリリが戦ったほうが確実であると言えるのだ。
正直なところ、受け入れがたい事実ではあるのだが――認めねばならないだろう。だが、現状に甘んじることも決して許されないことだ。
「私はできれば、私だけの力で戦いたいが……リリはそれを受け入れられないだろう?」
「当然。私がいるのに、じんが怪我をしたら意味がない」
「まあ、そうだろうな。だから折衷案というか……私が、リリの力を上手く使って戦うようにしたいんだ」
私にとっては、リリは護りたい家族の一人である。
だが、父上や母上と同じように、今の私では護るなどと言えるような対象ではない。
しかしながら、父上や母上とは違い、リリは私を主人であると仰いでくれている。立場上では、こちらのほうが上であると言えるのだ。
大人しく護られろと、私がそういえば、リリは大人しく従うだろう。だが、そのような制限をすることは私としても本位ではない。
悩みはした。護りたいと思える存在を矢面に立たせることは、私としても認めがたい。だが、それを止めさせることはリリのためにもならないだろう。
――苦悩し、お互いに話し合い、そして私たちは私たちなりの結論を出していた。
「リリは、私にとっては戦友、相棒だ。千狐とは違った意味で、だがな……戦いにおいて、お前には遠慮をしないように心がけている」
「ん……時々遠慮してるけど」
「それは、まぁ……勘弁してくれ。癖のようなものだ」
護りたいと思える対象を危険から遠ざけようとするのは、私にとっては無意識の行動だ。
一応、意識して共に戦うようにはしているのだが、無意識下の行動は流石にどうしようもない。
それを押さえきるには、もうしばし経験を積まねばならないだろう。
『くくく、お主は妾には遠慮などしておらぬのぅ、あるじよ』
「……お前は、どうあっても安全だからな。遠慮のしようがない」
「む……また精霊と話してる」
「その様子だと、精霊が見えるようになる術式はまだ完成しそうにないのか?」
「んー……手応えは有るけど、しばらくかかる」
私がリリを相棒として扱うようになってから、千狐とリリは互いに意識し合うようになっていた。
尤も、リリは千狐の姿を見ることができないため、直接的な争いにはなりようがないのだが。
だが、リリはそれが気に入らないのか、精霊を認識できるようにする術式の開発を行っていたのだ。
私も途中経過は見させてもらっているのだが、既に私の手に負えるレベルを大幅に超えてしまっている。
私には必要のない術式ではあるのだが、たとえ完成したとしても、普通の人間には扱えない代物になるだろう。
「まあとにかく……もっと、お前を上手く使う戦い方をしたいわけだ」
「んー、どうするの?」
「そうだな。例えば、最近はリリを身に纏ったまま戦っているだろう?」
ここ最近は、リリを胴着の下に仕込んで戦うようにしている。
リリに打撃系の攻撃は通用しないし、切り傷も瞬時にふさがってしまう。
弱点があるとすれば熱量を伴う攻撃だけだが、リリと私、二人分の防御を貫けるような攻撃を持つものはそうそういない。
この禁域で戦う場合、リリという保険は私にとっての生命線でもあるのだ。
だが、現状それだけしかしておらず、リリの持つ戦闘能力を活かしきれているとはいえない。
「アレを、もっと応用できないかと考えているんだ」
「形は、変えられるけど……どうするの、じん」
「うむ、例えば――」
と――そこから先を口にしようとしたところで、私は接近してくる気配に気づく。
リリから視線を外し、屋敷の方へ。そこからこちらへと向かってくるのは、胴着ではなく着物を纏った姿の母上だった。
私が気づいたことを察したのだろう。母上は柔らかく笑みを浮かべると、私へと向けて声を上げる。
「仁ちゃん、ここにいたのね。調子はどうかしら?」
「ええ、今日も好調ですよ。母上はどうかしたのですか?」
「ああ、今日は今から麓に行って来るから、連絡しておこうと思ったのよ」
「今から、ですか?」
母上は、時折麓にある火之崎の拠点へと足を運んでいる。
無論、それは当主夫人としての仕事があるためだ。本来であれば、母上はこんな所で私の面倒を見ていられるような立場ではない。
だからこそ、母上は定期的に拠点で仕事をしているわけだが、今日は少々出かける時間が早い。
普段であれば、おおよそ十時ごろに向かっているのだが、今はまだ七時にもならないだろう。
そんな私の疑問を察したのか、母上は軽く溜息を吐きつつ肩を竦めて声を上げる。
「遠方で少し面倒があったみたいでね……私が直接出向かずには済んだのだけど、色々と処理が残ってしまって」
「そうですか……こちらに戻るのはいつごろに?」
「夜には戻れると思うのだけど、下手をすると明日になってしまうわね」
となると、今日の午後は確実に自習ということか。
まあ、今は出来ることも多くある。直接指導を受けたいことも山ほどあるが、常に母上がいなければ何も出来ないわけではないのだ。
「分かりました。母上、お仕事頑張って下さい」
「ふふふっ、仁ちゃんが励ましてくれるなら、すぐに終わらせて帰ってくるわ。それじゃ、行ってくるわね」
母上は上機嫌な様子でそう告げると、踵を返して森のほうへと向かっていく。
あの着物は、とてもではないが山の中を移動するのには向いていないのだが、母上にはその程度障害にもならないのだ。
そのまま跳躍して森の向こうへと姿を消していく母上の背中を、私は先生の声が掛かるまで見送っていた。
* * * * *
午前の座学、そして昼食。その間も、合間を見つけてはリリと話し合い、案を詰めて行く。
とは言え、元々ある程度は形にして利用してきたものなのだ。やることがその延長線でしかない以上は、新たな形にするのもそれほど時間は掛からなかった。
とは言え、ただ形にしただけでは意味がない。実地で使わなければ、その性能は把握できないのだ。
幸い、時間も、そして試す相手もいくらでもいる。午後に入り、私はリリと共に結界の外へと足を運んでいた。
母上がいない今日は許可が下りないかもと考えていたが、先生曰く特に問題ないとのことであった。
どうやら、母上も常時私のことを見張っていたというわけではないようだ。
『しかしあるじよ、いきなり禁獣など相手にしても良いのか?』
「別に、一級の禁獣を相手にしようというわけではないからな。今回の作戦も、今までより弱くなるということは確実にないわけだし」
試しに使ってみた感想であるが、思っていた以上にいい調子だったのだ。
これまでよりも攻撃力が減るということは確実にないし、それでいて機動力が削がれることもない。まだまだ改良の余地は有るだろうが、使いこなせれば大幅な戦力アップになることは間違いないだろう。
そのためにも、実際に使ってみて修正点を明らかにしなければならない。
試金石として、禁獣を相手にするのも必要なことだ。
『ご主人様、そろそろ到着するよ』
「ああ、気を引き締めるとしよう」
私たちが向かっているのは、二級の禁獣たちが良く餌場としているような場所だ。
この山の中でも、草食の禁獣というものは存在している。一級も二級も、どちらもだ。
草食とは言え、二級の禁獣は決して大人しいというわけではない。こちらが姿を見せれば、即座に襲い掛かってくるような存在だ。
一体何故そのような攻撃行動に出るのかは定かではないが、私にとっては中々に都合のいい相手であると言える。
何故なら、私でも安定して勝利できる手頃な強さの敵であり、尚且つ食肉にも向いているからだ。
草食の禁獣は肉食の禁獣ほど餌に飢えていないのか、互いに喰らいあって強さを増してきたということはない。
練習台にするには、ちょうどいい相手であると言えるだろう。
「よし、リリ。そろそろ準備を……む?」
『何? どうかしたの、ご主人様?』
「いや……少し、様子がおかしいと思ってな」
どうにも、禁獣の気配が少ないように感じる。というより、むしろ全くと言って良いほど、動くものの気配を感じられなかった。
私の知覚は、《装身》を常時発動していることによってかなり強化されている。
その上、例えある程度距離が離れていようとも、禁獣の気配があればすぐに察知できるようには鍛えられているのだ。
私の近くをすり抜けるほどのステルス性がある禁獣という可能性も無きにしも非ずだが、この餌場となる場所に気配が全く無いというのは考えづらい。
一体、何が起きているというのだろうか。
『……ご主人様』
『あるじよ、周囲におかしな気配は無い。無いようじゃが……』
「無いこと自体が、おかしいからな。リリ、知覚範囲を広げてくれ」
敵の気配がないことで油断はせず、むしろ更に警戒を強めながら、私はゆっくりと餌場のほうへと近づいていく。
しかし、どれほど近づいても気配を察知することができない。
人間より知覚の情報量が多い千狐も、禁獣としての知覚能力を持つリリも、周囲の禁獣の気配を感じ取ることができなかったのだ。
本当に、偶然この場に禁獣が来ていなかっただけなのか?
だが、一匹も気配を感じられないということは、これまで一度も無かった。
ただの偶然ならばよいのだが、何か他に要因があるとでも――
――その、刹那。嫌な予感が、私の背筋を粟立たせた。
『っ、ご主人様ッ!』
「――【堅固なる】【盾よ】ッ!」
それは最早、本能から来る直感的な判断だった。
時間が足りない。最速で、可能な限りの防御魔法を己の周囲へと張り巡らせる。
それと同時に地を蹴り、その場から離脱しようとして――天より降り注いだ光によって、私は成す術無く吹き飛ばされていた。
「が――――ッ!?」
余波の多くを防ぎつつも、砕かれた障壁。それを貫いて体に届いた衝撃と痺れ。
地面に叩きつけられて転がりながら、私はようやく、今の一撃が電気の類によるものであると理解していた。
痺れ、上手く動かぬ体を叱咤しながら、私は何とか体を起こす。
そんな私の視界に映ったのは、青白い輝きを纏う、半透明のヒトガタの姿だった。
その姿に、私は思わず目を大きく見開く。
「雷の、亜精霊……!?」
『あれは……っ!』
かつて母上と、そしてリリから聞いた話と一致する姿。
伝わってくるリリの動揺からも分かる。あれは……かつてこの地に現れ、リリを追い回し、そして母上によって退散させられた雷の亜精霊――厳霊だ。
手足がぼんやりとしたシルエットのみが見える女性の姿。だが、その表情は憤怒に染まり、私のほうを睥睨している。
いや……恐らく、奴が見ているのは私ではない。私が身に纏っている、リリのはずだ。
『そこか……そこにいたか……見つけたぞ、古の奉仕種族!』
「ッ……!」
響く怒号に、息を飲む。
痺れ、上手く魔力を練れぬ体を必死に動かしながら、私は戦慄を押さえられずにいた。
有する魔力の桁が違う。発現できる力も、その規模も。
一級に分類される禁獣。私がかつてそれと戦えたのは、母上が弱らせた上で、《王権》を発動していたからこそだ。
だが、目の前にいるのは、万全の状態の禁獣。しかも――
(……痺れの、せいで……魔力の励起が、出来ない)
まるで何かに阻害されているかのように練れぬ魔力。《装身》は維持できているが、このままでは一切の魔法が使えない。
絶体絶命とも言えるこの状況に、私は思わず、苦い表情で喉を鳴らしていた。




