056:修行の成果
相手の動きを観察してわかったことは、まずやはり相手の方が圧倒的に強いという点だ。
身体能力に関しては言うに及ばず、攻撃範囲、タフネス、そして手数に至るまで、私はあらゆる点で目の前の禁獣に劣っている。
勝っている点があるとすれば、それは精霊魔法だけだろう。
だが、この場において《王権》は最終手段だ。使ってしまえば、その時点でほぼ力尽きてしまう。《王権》を使うことがあるとすれば、それは撤退のタイミングだけだろう。
つまりは、最大の切り札は封じた状態で、この相手に勝たなければならないということだ。
「ガアアアアッ!!」
「――ッ!」
襲い掛かってくる禁獣を相手に、私は再び同じタイミングで踏み込む。
小回りが利くという点では、私の方に軍配が上がる。だが、厄介なのは手数の差だろう。
この禁獣は、四本の腕を攻撃に回すことができる。更に言えば、二本を攻撃に、そして残りの二本を防御に回すと言うことも可能なのだ。
例え一撃を回避しても、続けざまに別の腕による攻撃が飛んでくるため、こちらが攻撃を加えられる機会が少なくなってしまうのだ。
それでも何とか主導権を握らせずにいられるのは、相手の行動の基点をとにかく潰すように動いているからに他ならない。
相手の攻撃の出がかりに接近し、懐へと飛び込む。人間相手ならばこれで一連の動作を潰せるが、相手は禁獣だ。この相手の場合、残る腕が私の位置へと向けて攻撃を繰り出してくる。
――だが、それこそが私の狙いだ。
「はぁッ!」
跳躍し、襲い掛かる二度目の攻撃を目指して迎撃する。
最初から、一度目の攻撃など意に介していない。私が狙っているのは、二度目の攻撃を潰しながらダメージを与えることだ。
肉薄した際に胴体には攻撃せず、私はこちらを叩き潰そうと動き始める二本目の左腕を目指して跳躍する。
目標が逸れて動きが僅かに鈍った左腕の肘へ、私は体を捻りながら蹴りを放っていた。
左腕を叩き落される形で禁獣の体勢が崩れる――だが、私はそこに追撃は加えず、再び距離をとっていた。
手数が違う以上、相手の攻撃圏内に居続ければいつか押し切られることとなってしまう。
だからこそ、必要になるのはヒットアンドアウェイを心がけた戦い方なのだ。余裕を持って、ダメージを少しずつ積み重ねていく――この均衡が、崩れる瞬間まで。
「グルルルル……!」
だが、あまり同じ動きをし続けられると言うわけでも無さそうだ。
痛みを感じているのか、禁獣は二本目の左腕を庇うような仕草を見せ、こちらを警戒しながら唸っている。
あの左腕に攻撃を加えたのは今ので三回目。全て、同じ位置へと向けて攻撃している。
これが何度も続けば、いずれはあの左腕をへし折ることが出来ると考えていたのだが――やはり、素直に行かせては貰えないか。
だが、こちらを警戒して動きが鈍ったのならば、それはそれでやりようはある。
「うむ。なら、こっちから行くとしようか」
呟き、そして踏み込む。
我ながらかなりの速度である自信はあったが、それでも迎撃体勢を取っていた禁獣は即座に反応してきた。
だが、繰り出されるのはその腕ではなく、大の大人の一抱え以上はありそうな巨大な頭部だった。
剥き出しの牙は鋭く、噛みつかれれば一巻の終わりだろう。
だが――わざわざ急所を差し出してくれるというなら、その好意に甘えるとしよう。
「しゃあッ!」
体勢を低く、スライディングで禁獣の攻撃の下へと潜り込む。
私の顔を掠めるように通り過ぎていく禁獣の体毛を感じながら、首の下にて静止。そして――頭上にある禁獣の顎へと向けて、全身の力を込めたアッパーを叩き込んでいた。
瞬間――凄まじい衝撃が、周囲へと走る。
「ゴ、グゥ……ッ!?」
その一撃の余波で私の足元の地面は陥没し、それとは対照的に禁獣は大きく仰け反るように体を伸ばされている。
私の目の前にあるのは、体を持ち上げられたことで無防備に晒された禁獣の腹部だ。
無論のこと、この好機を逃すわけにはいかない。
「おおおおおおッ!」
右腕を構える。イメージするのは、母上の放つような理想の一撃。
今の私では、目まぐるしく変化する戦闘の最中において、そのような動きを再現することは不可能だ。
だが今この瞬間、この無防備に体勢の崩れた禁獣が相手ならば、限りなくそれに近い一撃を放つことができるだろう。
左足を強く踏み込み、回転する腰の力を、駆動する全身の全てを、放たれる右の拳に乗せる。
私の放った渾身のストレートは、回避の間もなく禁獣の胴へと突き刺さり――その体を、大きく吹き飛ばしていた。
「ガ――――!?」
一瞬遅れて周囲へと衝撃が走り、柔らかい地面が一斉に捲れ上がる。
これまで経験してきた実戦訓練の中でも、間違いなく最高に近いという自負がある一撃。
立ち並ぶ木々をへし折りながら吹き飛ばされた禁獣は、先にあった坂へと激突し、巨大な土煙を巻き上げていた。
会心の一撃ではあったが、それでも油断はせずに構え直し、整息する。
――未だ、禁獣の放つ殺気は途切れてはいないのだ。
「今のはかなり自信があったんだが……普通に耐え切られると、少し複雑だな」
『じゃが、完全に効果が無かったという訳でもないようじゃぞ、あるじよ』
千狐の言葉に続くように土煙が晴れる。
山の斜面に半ば埋まるようになりながら、何とか這い出してきた禁獣は、その口から血を吐き出して体を震わせていた。
どうやら、内臓を砕くことには成功していたらしい。かなりの痛撃にはなったようだ。
尤も、今の一撃が通用しないようであれば、さすがに撤退せざるを得なかっただろうが。
何はともあれ、状況はこちらに傾いた。ならば――今は、畳み掛けるべき時だ!
「リリッ!」
『うん、ご主人様』
リリに声をかけながら、私は駆ける。
これまでの戦闘の中で、あの禁獣は一度も魔法を使っては来なかった。
《掌握》を使って観察していたが、術式を構築する気配はおろか、魔力を励起させることもしなかったのだ。
ここまで追い詰められてもその気配がないということは、魔法は使えないのだろう。
そう判断して、私はリリに指示を出す。単純な身体能力のみの戦法ならば、リリは相性がいいのだ。
「グ、ウゥゥ……!」
唸る禁獣からは、積極的な動きが消えてきている。
こちらを警戒しているのだろう。逃げることも視野に入り始めているはずだ。
だが逃がしはしない。手負いの獣を放置しても、良いことなど一つもないのだ。
私は禁獣へと接近し――距離が詰まるよりも前に、禁獣へと向けて手を掲げる。
瞬間、私の胴着の袖口から、黒い紐状の物体が飛び出していた。
言わずもがなであるが、リリの一部である。体を紐状に伸ばしたリリが、その体を使って禁獣の二本ある左腕をまとめて絡め取っていたのだ。
「ガァッ!?」
困惑する禁獣が動きを鈍らせている隙に、私は大きく迂回するように動き始める。
木々の間を縫い、禁獣の左腕と周囲の木々を繋げていたのだ。
勢いの付いた一撃ならばともかく、ダメージを負って動きの鈍った左腕では、この拘束を抜け出すことはできまい。
禁獣は左腕と周囲の木々を繋がれ、その拘束を無理やり解こうと腕を引っ張ったりリリの体を切断しようとしているが、伸縮自在のリリの体に物理的な攻撃は効果が薄い。
そうして四苦八苦している禁獣へ、私は再び接近し、伸びるリリの体で胴をぐるりと拘束していた。
禁獣は私に気づいて右腕で攻撃するも、一部が拘束された状況では上手く攻撃も当たらない。
私は再び距離を置き、そして伸ばしていたリリの体が輪になるように繋ぎ合わせる。
そして――
「いいぞリリ、やってくれ」
『あい、さー』
――そんな気の抜けた宣言と共に、リリの体は一気に収縮し、周囲の木々をへし折りながら一箇所へと固めてしまっていた。
リリの持つ力は、人間の姿にこだわらなければこの禁獣よりも遥かに強い。
その膂力によって複数の樹の幹ごと圧縮され、締め上げられた禁獣が悲痛な悲鳴を上げていた。
「ギ、ィ、グ、ガァ……ッ!」
『ご主人様、もう大丈夫。やれるよ』
「ああ。あまり苦しませるのも忍びない。一息に蹴りをつけるさ」
リリの力によって全身を拘束された禁獣は最早動けない。
抜け出そうともがいてはいるが、一緒に巻き込まれている樹の幹が邪魔をして自由に動けていないのだ。
地面に転がった状態の禁獣に対し、私は魔力を励起させ、高く跳躍する。
「――【体躯よ】【巌の如く】」
発動するのは己の体重を制御する魔法。
母上から教わったこの魔法は、格闘戦においては無類の強さを発揮する。
己の体重は、攻撃の破壊力に密接に関係するのだ。
特に――上から叩きつけるような、この攻撃に関しては。
「これで、終わりだッ!」
上空より放つは、流星の如き飛び蹴りの一撃。
魔法によって増幅した今の私の体重はおよそ1トン。その体重によって威力を増した一撃は、狙い違わず禁獣の首へと叩き込まれ――その首を、一撃の下にへし折っていた。
魔法を解除し、上半身が半ば地面に埋まった禁獣から飛び離れ、体勢を整える。
しかし油断はせぬまま、動かなくなった禁獣に注意を払いつつ、その状態を確認する。
「……死んでいるな?」
『うん。生命活動停止。ご主人様の勝利』
「ふむ……何とか勝てたか」
そこまで確認して、私はようやく一息ついていた。
結果だけを見れば無傷の勝利であるが、一撃を貰えばそこで敗北である以上、かなりの綱渡りであった。
他の禁獣からの横槍がなかったことも幸運だっただろう。二対一になれば、一も二もなく逃げ出していた。
この程度は余裕で勝利できるようでなければ、まだまだ目標には届かないだろう。
「ふぅ……だがまぁ、及第点としておくか。リリ、こいつを取り込んでくれ」
『了解だよ』
私の声に応えたリリは、袖口から伸びる体の量を増やして、息絶えた禁獣の体を飲み込んでいく。
黒い塊になった禁獣であるが、やがてその大きさが収縮し、掌サイズの小さな珠へと変わってしまっていた。
持ち上げてみれば、重さは精々野球ボールほど。いつ見ても不思議な光景である。
今回は獲物を吸収したのではなく、体内の倉庫に保管しただけであるため時間は掛からなかったが、いずれ時間をかけて吸収することになるだろう。
ちなみにであるが、今回の禁獣は食用ではない。そもそも、肉食の禁獣など不味くて食べられたものではないのだ。
まあ、毛皮なり爪なり牙なり、何かしら使えるところはあるだろう。
「さて、それじゃあ戻るとするか」
『お疲れさま、ご主人様』
収縮した黒い珠をリリの本体が飲み込み、狩りは完了。
食べられる獲物を見つけたいところではあるが、さすがにそう何度もギリギリの戦いを続けられるわけではない。
今回は、これで終わりとしておくべきだろう。大きく息を吐き、私は踵を返す。
と――
「っ……?」
ふと、視線のような気配を感じ、私は周囲をぐるりと見渡していた。
だが、山の中には木々が立ち並ぶばかりであり、こちらを見ているものの気配は感じ取れない。
『どうかしたのか、あるじよ?』
「いや……何かに見られていたような気がしたんだが、気のせいか?」
『ご母堂辺りが心配で様子を見ていたのではないか?』
「だとしても、母上は気配を掴める相手ではない。他の何かだと思うが……一級の禁獣でも、こちらを観察していたのか?」
『まあ、連中はこちらから手を出さん限りは襲ってこんからのぅ。暇潰しに見られておったのかもな』
だとすれば、手出しは無用だろう。
気にはなったが、下手に手を出すほうが危険と言う可能性もある。
私は小さく嘆息し、その場から立ち去っていた。




