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汝、不屈であれ!  作者: Allen
第3章 虹黒の従僕
54/182

054:十歳












「ぐ……づ、ぐぅ……ッ!」



 口に回された布を必死に噛み締めながら、漏れでそうになる苦痛の声を堪える。

 体を内側から苛む苦痛。まるで、肉を押し広げられているかのような違和感と痛み。

 これが始まってから、果たしてどれほどの時間が経ったのだろうか。

 そう思いながら横目で時計をのぞき見ても、実際のところは五分程度の時間しか経っていなかった。私の体感としては、既に一時間もこの作業を続けているようにも感じるのだが。



「もう少しの辛抱ですよ、仁君。集中を乱さないで」

「ッ、ゥ」



 返事どころか頷く余裕すらなく、私は心の中で先生の言葉に首肯する。

 耐えねばならない。これは私が望んだことなのだから。

 違和感と痛みに耐えながら、先生の手が私の体をなぞって行く感覚を探る。

 四肢をなぞり終えた先生の手は、私の腹へと押し当てられ――私はまるで、内蔵をかき回されるような痛みに喘ぐ。

 しかしそれでも、先生に言われたように、己の集中を乱すような真似はしなかった。

 そして――先生の手が、ゆっくりと離れる。それと同時に、私の体を苛んでいた痛みは、まるで嘘のように消え去っていた。



「ッ……はぁっ、はぁっ……」

「お疲れ様でした、仁君。施術は成功ですよ」

「は、い……ありがとう、ございます……」



 痛みが消えたといっても、消耗した体力がすぐに戻るわけではない。

 私は汗まみれになった布団に寝転がったまま、掠れた声でそう返事をしていた。

 そんな私を、心配そうに覗き込んでいるのは、五年前から変わらず少女の姿を保ったままのリリだ。

 かつてよりもかなり表情を模倣することが上手くなった彼女は、声にも感情を交えさせながら問いかけてくる。



「大丈夫? じん、まだ起き上がれない?」

「ああ……だが、痛みはもう無い。しばらくすれば回復するさ」



 私の手を握りながら心配そうに見下ろしているリリは、その言葉に少しだけ安堵した様子を見せる。

 どこか子供じみた口調であるが、これはあまり配下らしすぎる口調をしないで欲しいと言った結果、こうなったのである。

 今この場であれば事情を知る人間しかいないものの、今後街に戻った際、こんな小さな子供の姿をしたリリにご主人様マスターと呼ばせたり敬語で喋らせたりしていては、一体どんな目で見られるか分かったものではない。

 敬意に関しては態度で示してくれればいいのだ。そもそも、リリを家族として扱っている私にとっては、敬語で接せられる方が違和感が強い。

 ……まあ、こんな子供っぽい口調にせずともよいのではないか、とは思ったが。



「ともあれ……これで、目標のひとつは達成か」

「ええ。まさか五年間で朱莉ちゃんと同じ《装身》を完成させるとは。仁君は飲み込みがいいですね」

「いえ……これは《掌握ヴァルテン》の、千狐のおかげですよ。彼女の力が無ければ、ここまで効率よく覚えることはできませんでした」



 今私が先生から受けていた施術。それは、母上と同じ肉体改造の秘法だった。

 体に張り巡らされている魔力の循環路を押し広げ、常時《装身》と同じ状態を維持し続けるという、反則とも思えるような技術。

 だが、言葉で言うだけでは簡単であるが、決して楽な道筋ではなかった。

 まず、そもそも《装身》を使えなければならないのだ。体の一部分だけで《装身》を使えるようになるまでに一年、それを全身に適応するまでに二年、そして戦闘行動中にもその状態を維持し続けられるようになるまで更に二年――これでも、かなり習得が早い方なのである。

 そして、その状態を維持したまま、先ほどの施術を受ける必要があった。

 肉体を直接改造するような秘法なのだ。当然ながら、肉体に対する負担はこれ以上ないほどに大きい。



(想像以上の痛みだったな……この五年間で、痛みには慣れて来たと思っていたんだが)

『お疲れ様じゃの。ま、今はゆっくりと休むがよい』



 頭上で覗き込む千狐の言葉に苦笑しながら、私はゆっくりと体を休める。

 何しろ、体中の循環路を無理やり押し広げるような荒行だったのだ。

 内側から引き裂かれて弾け飛ぶのではないかと錯覚するほどの痛みに耐えながら、《装身》を乱すことなく維持し続けなければならない。

 当然ながら、その負担は並みのものではなかった。このまま夕食までは寝て過ごしておきたい気分である。

 まあ、今日は訓練も休みなのだ。今日ぐらいはゆっくりと休んでいても罰は当たらないだろう。

 寝転がったまま大きく息を吐き、私は己の体の調子を確かめる。



「……ほう」

『どんな調子じゃ、あるじよ?』

「自然に《装身》が維持できている。流れている魔力は最低限のレベルだが、それでもきちんと効果は発揮できているぞ」



 《装身》の維持にはかなりの集中力を要する。

 母上以外の魔法使い達が使うような、ある程度大雑把な《装身》であればまだ問題はないのだが、母上レベルとなると、維持だけでも意識の半分を持っていかれてしまう。

 その上で戦闘行動、しかも他の魔法を併用しながらとなると、それだけでもかなりの制御力を要求されるのだ。

 それがある程度形になったのも、ここ数ヶ月ほどの話である。


 だが、今の状況ならば、その悩みもほとんど無いだろう。

 強化の度合いを上げるためにはある程度《装身》に対して意識を割く必要はあるが、それでもこれまでの難易度の比ではない。

 これならば、複数の魔法を併用しながらでも戦闘を行うことが可能だろう。



『しかし、プールしている魔力はかなり減っておるのぅ。折角ここまで増やしたと言うのに』

「それは仕方ないだろう。元々、知った上での行為だ」



 この施術の結果、私の体内に流れる魔力の量が増えている。それはつまり、魔法に割くための魔力が減っていると言うことだ。

 当然ながら、《王権レガリア》を発動するための魔力も減ってしまっているということになる。

 流石に、五年前より少ないと言うわけではないのだが、それでも《王権レガリア》を長時間維持することは難しいだろう。

 だが、魔力はまた増やせばいいだけの話だ。

 確実に前に進んでいる。その実感がある。暗中を模索するような状況よりも、遥かにマシだと言えるだろう。



「……やはり、こうやって形になると、嬉しいものだな」

「じん?」

「何でもないよ、リリ。それより……また、手が少し溶けているぞ」

「あっ」



 私の左手を握るリリの小さな手が、いつの間にか黒く染まって人型を失おうとしていた。

 これは、別段リリに異常が発生しているというわけではない。人型を維持することに負担があるというわけでもないようだった。

 単純に、と言うべきなのかは微妙だが、リリはどうも私の体液を吸収することを好んでいるらしい。

 それがショゴス的にどういう意味合いを持つのかは良く分からなかったが、リリは私が汗を掻いていたりすると、私に対して物理的に張り付いてそれを吸収しようとしてくるのである。

 まあ、スライム状になったリリはひんやりとしていて気持ちいいため、時々肌着になって張り付くことも許可している。

 実のところ、かなり防御力も高まるため、場合によっては必須の行為でもあるのだ。



「まあ、たまにはいいんだが……あまり人の汗を舐めたりするなよ? 汚いんだから」

「じんは汚くなんかないよ」

「私が気分的に恥ずかしいんだよ」



 やはり、価値観と言う点において、彼女は人間と隔絶している部分がある。

 街に戻る頃には、色々と矯正しておかなければならないだろう。

 修行も、最早折り返し地点にまで到達してきているのだから。

 やることは、まだまだいくらでもあるのだ。あるのだが――



「……ますます、遠慮がなくなりそうだな」

「じん? どうかしたの?」

「いや、これから益々頑張らなければなと思っていただけだ」



 リリのことばに、私は僅かに表情を強張らせながらそう返す。

 私の内心を理解しているのか、それを聞いていた先生は苦笑を隠せずにいるようだった。

 我ながら、かなり無茶をしている自覚はある。

 まあ良く考えてみれば山篭りの時点でかなりの無茶ではあるのだが、それすらも霞むほどの高密度な修行の日々だった。



「朱莉ちゃんも、私も、仁君に教えることはとても楽しいですからね。とても勤勉で、努力家で、そして発想が柔軟です」

「……ありがとうございます」

『くはは、照れておるの』



 茶化す千狐を睨み、私は小さく嘆息する。

 自画自賛ではあるが、確かに勤勉ではあっただろう。何せこの五年間、修行しかしてこなかったのだから。

 遊びが挟まる余地もない。私が普通の子供だったら、立派な児童虐待に数えられるレベルだ。


 五年間での修行の形態はほぼ変わっていない。

 午前中は先生からの講義。ただし、義務教育部分が終了してからは、魔法理論と人体の構造についてひたすら詰め込まれているところだ。

 物事は基本的に、基礎理論を理解すれば理解の度合いは飛躍的に高まる。

 そして順序立てて理解することが出来れば、自らの手で応用することも可能になるのだ。

 その点、先生がこれまで積み重ねてきた智慧は、まさに知識の宝庫と呼ぶべきものだった。

 知識と言う点に関しても、まだまだ学べることはたくさんあるだろう。



(……まあ、午前についてはただの座学だし、テストで失敗してもペナルティがある訳ではないから、辛くはなかったが)



 問題は午後以降だ。

 《装身》がある程度形になった頃から、午後の訓練に母上との戦闘訓練が追加された。《装身》を用いた体術について、文字通り体に叩き込まれることになったのだ。

 基本的に私には甘い母上であるが、訓練に関しては妥協がない。

 一日に三度骨折することもそれほど珍しいことではなかったほどだ。

 普通ならば骨の強度が弱まりそうなところであるが、そこは世界で最も優秀な治癒術師のいる環境である。まるで問題なく一瞬で治してしまっていた。

 その外にも、母上の監視の下で禁獣と戦闘を行ったり、ぐー師匠の尻尾の一撃を受け止めたり――これは受け止めきれずに100メートルほど吹き飛ばされて湖に沈んだのだが。

 まあともあれ……命の危機を感じたことは一度や二度ではなかった訳だ。



(それに、眠った後もアレだったからな……)



 横目にちらりと先生の姿を眺め、私は乾いた笑みを零していた。

 魔力をギリギリまで使い切って眠った後だが、修行はそこで終わることはなかった。

 いかなる術式によるものかはさっぱり分からなかったが、夢の世界に先生が現れるのだ。

 夢の中の世界はただ何もない広い空間であり、そこでは先生が呼び出す魔法使いと実戦を行うこととなる。

 どうやら、先生がこれまでの人生の中で見てきた魔法使いらしく、その種類はまさに千差万別。

 だが必ず、私がギリギリ勝てる程度の相手を呼び出すのである。

 夢の世界においては魔力の制限もなく、体が傷つくこともない。だが、感触も痛みも確かにあり、そして勝つまで戦闘は終わらないのだ。

 なお、夢の世界においては《王権レガリア》を使うことは出来なかった。それを前提とされた難易度の場合、私にはどうしようもなかったから問題はなかったが。



(先生の場合、完全に善意だから始末に悪い……眠っても気が休まらないというのは中々に辛いんだが)



 尤も、肉体に疲労が残ることはない。

 むしろ、夢での修行を行わなかった時のほうが疲れが残っていたぐらいだ。

 どうやら、あの夢の世界を作り上げる魔法に加えて、何かアフターケアをしていたらしい。

 まあ、かなり大量の経験を積めたのだから、確実に私の血肉にはなっているのだが。

 しかし、今の私のレベルがどの程度のものなのかはさっぱり分からないな。

 五年前、火之崎の屋敷で見た姉上よりは確実に経験を積んでいる自信はあるが……魔法の技量一点で言えばあの時の姉上の方が上だろう。今の私では、まだまだ三級の圧縮詠唱など安定しないのだ。

 ……少しホームシックな感覚を味わっていた私に、ふと思い出したように先生が声をかける。



「ああ、そうだ。仁君、明日からのことなんですが」

「あ、はい。何でしょうか?」

「明日からは、結界の外に出てもいいですからね」

「はい……はい?」



 ――その言葉に、私は思わずそう聞き返していたのだった。





















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