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汝、不屈であれ!  作者: Allen
第2章 白霧の迷宮
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037:手に入れたもの












 世界のすべてが白い霧の中に溶け――そして、視界を覆う白霧はゆっくりとその姿を薄れさせていく。

 そして、目に入ってきたのは、元々いたあの部屋の光景であった。

 どこか夢見心地だった感覚も元通りになり、私は体の各所を確かめながら現状把握に努めていた。

 と、そこに、心配そうな様子の母上が声をかける。



「仁ちゃん、大丈夫? おかしなところは無い?」

「ええと……はい、大丈夫です」



 《掌握ヴァルテン》を使って己が肉体の状態を確かめたが、特に問題らしい問題はない。

 あの霧の影響を受けていた五感も戻っているし、異常が存在しないことは確認している。

 今になってみれば、どこかふわふわとした奇妙な感覚であった。

 それに違和感を覚えさせないからこそ、意識を支配する幻術というものは恐ろしい。

 魔力によって精製された薬物まで併用しているというのだから、なおさらだ。

 しかし、薬物を使っていたというのに、残留した様子が一切無いとは思わなかった。

 人間の意識に干渉するような効果を持つものだ。多少は後遺症があると思っていたのだが――



『あの霧に含まれていた薬物とやらは、魔法によって生み出された特殊なものじゃ。錬金術とも異なり、その効果は術式によって維持されておった。つまり――』

『術式が切れれば、薬物の効果も消えるということか』

『効果の自由度は高いが、いつまでも効果を残留させることはできない。魔力によって抵抗レジストすることも可能であるし……まあ、一長一短といったところじゃの』



 千狐が知っているということは、水城固有の術式というわけではないのだろう。

 或いは、その効果の内容そのものが水城の秘伝なのかもしれないが、ともあれ後に影響を残さないのは助かった。

 前世からも、薬物の恐ろしさは嫌と言うほど良く分かっている。

 それが己に投与されたとなれば、ぞっとしない話だ。

 その点、術式によって作られたこの効果は、解除されればそれまでであるため、ある程度気が楽ではあるが。



「霧の中でも特に危険があったわけではありませんでしたし、大丈夫です」

「そう……良かったわ。頑張ったわね、仁ちゃん」



 安堵したように笑みながら、母上はそう声を上げる。

 母上にしても、私が被害を被るはずがないとはわかっていたはずだが、やはり親心というものか。

 安堵した様子の母上に頷き――ふと、動く気配を感じて私は視線を横へと向けていた。

 視線の先は、あのカーテンの向こう側。

 それまで動く気配を見せなかった、部屋を区切るその布が――今、独りでに動いてゆっくりと開こうとしていた。



「ひひひっ! 楽しませてもらったよ、坊や」



 その先に現れたのは、座椅子に座る一人の女性の姿。

 肘掛に頬杖を付き、不敵な笑みを浮かべる一人の女性。

 外見については、想像よりも随分と若く見えるだろう。三十代後半と言われても、それほど違和感はないはずだ。

 母上と同じように着物を纏い、色鮮やかな青の瞳を輝かせる、床に着くほどの長い黒髪の女性。

 水城久音――水城の先代当主たる彼女は、その腕の中に初音を抱きながら、楽しそうに笑みを浮かべていた。

 唐突に現れた初音の姿に、私は思わず目を見開く。

 私はこれまで、初音の気配など一切感じ取ることができていなかったのだ。

 周囲を支配する、この久音の魔力の流れ――この内側に隠蔽され、気づくことができなかったのだろう。

 私が驚きに目を見開く様子を、久音はどこか満足そうな笑みで眺めていた。

 そしてひとしきり笑った彼女は、腕の中の初音へと告げる。



「……もういいよ、初音や。行ってきな」

「っ、仁!」



 小さく声をかけ、久音は腕の中から初音を解放する。

 その途端、幼い少女は立ち上がると、一直線に私に駆け寄り――そして、飛びつくように抱きついていた。

 彼女の小さな体を受け止めて、その姿を見下ろす。

 初音は、私の胸に顔をうずめたまま、じっと抱きついて動こうとしない。

 驚き、一度引き剥がそうとしたが、ふと初音の耳が真っ赤に染まっていることに気がついた。

 ぐりぐりと胸に顔を押し付けてくる初音の様子に面食らいつつ、私は久音へと問いかける。



「久音様。一体、初音はいつから?」

「ひひひっ、最初からに決まってるだろう? お前さんの、あの霧の中での言葉も、しっかり全部聞いていたさ」



 その返答に、私は思わず顔を引きつらせる。

 我ながらではあるが、かなり恥ずかしい発言をしてしまっていた自覚はある。

 相手が久音だからこそ、それをしっかりと伝えるべきと考えていたのだが――まさか、それを逆手に取られるとは。

 ある程度彼女のことを出し抜けたと思っていたのだが、やはり久音の方が一枚上手だったか。



「ひひひひっ、問題はなかろう? あの言葉は元々、初音に向けられるべきものだ」

「否定はしませんが……こんな不意打ちは流石に困りますよ」

「男ってのは、正面に立ったらいつまで経っても言わないだろう? ああいう情熱的な言葉を聞いて、喜ばない女はいないもんさ。だったら、無駄に垂れ流させるなんて勿体無いにも程があるってね」



 からから笑う久音の姿に、私は嘆息を零す。

 流石に、相手が子供であるといっても、気恥ずかしさは感じてしまうものだ。

 ああも柄でもない言葉を、本人に聞かれてしまうとは。

 ぐりぐりと顔をこすり付け、沈黙したままの様子の初音に苦笑し、私は軽く彼女の肩を抱く。

 ピクリと震えるが、それでも私に体を預けたまま、初音は少しずつ力を抜き始めていた。

 久しぶりの再会ではあるが……随分と、思わぬ形になってしまったものだ。

 話したいと思っていたこともすっ飛んで、どうしたものかと考えあぐねていると、間を埋めるかのように静久が声を上げた。



「さて、先代。此度の試練の結果ですが――」

「成功も成功、大成功ってもんだよ。ひひひっ、まさかあの宗孝の息子が、こんな風になってるとはねぇ。血は争えないってところかね?」



 あの霧の空間でも言っていてくれたことだが、どうやら水城の先代当主は、私のことを認めてくれたようだ。

 ならば、次の一言こそが重要となるだろう。水城で絶大なる発言力を持つ、彼女の言葉が。

 その期待に応えるかのように、背筋を伸ばした久音は、この場に集う者たちへと向けて厳かに告げる。



「水城が先代当主、水城久音の名において、水城の子たる初音と火之崎の子たる仁の婚約を認め、全面的に支援すると宣言しよう」

「では、分家たちへの説得は……」

「ああ、任せてもらおうかね。ひひひっ、生意気な連中を黙らせるのが楽しみってモンだ。まさか、あたしの《夢幻水牢》を正攻法で破った奴相手に、文句なんか言えるはずもないだろうからね」

「なんと……!」



 久音の言葉に、静久は驚いた様子で私に視線を向ける。

 正直なところ、破ったというよりは久音を見つけただけで、そもそも正攻法と言えるのかどうかすら微妙なところだったが、久音が協力してくれる以上は何かを言及する必要もないだろう。

 おおよそ、満足すべき結果に落ち着いたはずだ。



「彼の精霊は、それほどの力があったということですか?」

「うんにゃ、あたしの術を破ったのは、ほとんどその坊やの力さ。精霊魔法スピリットスペルを使わなかったという訳じゃないみたいだがね。まだまだ未熟なのは否めないが、良い発想をしている。鍛え甲斐があるんじゃないかい、朱莉よ」

「……はい、私も成長が楽しみですから」



 私の無事を確認してようやく落ち着いたのか、母上は久音の言葉に笑顔で答える。

 少々持ち上げられすぎな気もするが、まあ今は売り込んでおくべき場面だ。これはこれでいいだろう。



「楽しみだって言うなら、お前さんが鍛えてやりな。その子とは、お前さんのほうが相性がいいだろう?」

「久音様?」

「魔力の不足、感応能力の欠如。お前さんなら、それを補う術を教えてやれる。逆に、それ以外では大成のしようがない。お前さんがどれだけ時間をかけてやれるかが、その子の将来に繋がるだろうね」



 その言葉に、母上は視線を伏せる。

 だがその表情は、葛藤しているというよりも、黙考しているもののように思えた。

 私にとってもありがたい話であるが、母上にとっても考える余地があるものだったのだろう。

 母上の修行であればぜひとも受けたいところであるが、果たしてどうなるか。



「ま、それは火之崎のほうで決めるといいさ。お前さんなら、悪いようにはしないだろう」

「……はい。こちらでも、調整することにします」

「うむ。では、最後に、この子供たちに与えるべきものを決めるとしようか」



 その言葉に、私は首を傾げる。

 私と初音に与えられるものとは、一体何を指しているのか。

 彼女から特に受け取るようなものはないはずなのだが――そう考えていたところに、笑みを交えた久音の声が響く。



「水城と火之崎の間には、新たなる分家が設立される。両家の宗家から輩出された人間によって。であるからこそ……あたし自身の名において、お前さんたちに新たな姓を与えよう。ま、初音はまだ水城だが、お前さんはそろそろ火之崎を名乗るわけにも行かなくなるだろう?」

「それは……確かに、そうですが」

「久音様、確かに久音様の提案であるならば無視はしませんが、火之崎でも吟味する必要はありますよ」

「それで構わんさ。両家の間に立つ分家、それに相応しい名を考えてあるからね」



 笑いながら、久音は軽く腕を振るう。

 瞬間、周囲に漂い始めたのは、あの時と同じ甘い香りだ。

 藤の花の、甘い蜜のような香り。しかし、今回は意識を奪われるようなこともなく、私は久音の言葉に耳を傾けていた。



「仁。お前さんは、我ら水城と、お前さんら火之崎の両者を象徴する名を得なければならない。故にまず、火之崎から――朱莉の子であるお前には、『灯』の字が相応しいとあたしは考えている」

「……確かに、それならば火之崎の分家としても問題はありませんが」



 火之崎の分家の名には、どこかに『火』の文字が入るようになっている。

 若干燈明寺とも被ってしまうような気がするが、『灯』という字は今のところどこの家にも使われていない。

 その字を使うことに関しては、問題はないだろう。

 だが、そうなると、水城の場合は水を表す字を入れる必要があるということだろうか。

 流石に、『灯』の字とは相性が悪い気がしてならないのだが。



「そして、水城から――あたしの展開した《夢幻水牢》を破ったそのきっかけにして、水城を象徴する花。藤の花より、『藤』の字を」



 この甘い香りの中心で、それを展開した張本人たる久音は笑う。

 まるで、この香りを――あの空間に咲き誇っていた紫の花を、自慢するかのように。

 彼女は、恐らくこの花が好きなのだろう。

 香として用い、魔法の触媒に使い、そして幻影の空間の中にも忠実に再現した、あの藤の花。

 それを私に、火之崎の一員であるはずの私に授けるということは、彼女にとっては最大限の賛辞なのかもしれない。



「『灯藤とうどう』――灯藤仁、それがお前さんの新たな名だ」

「灯藤、ですか……」



 久音の提案した、新たなる分家の名前。

 その名をしばし口の中で反芻して、母上はゆっくりと顔を上げる。

 表情の中には、穏やかな色の笑みを浮かべながら。

 どうやら、この姓を母上は気に入ったらしい。



「火之崎としても、問題はないように思えますね。戻ったら、当主に提案させていただきます」

「そうするといい。宗孝も、きっと気に入るだろうさ」



 そう告げて、久音は笑う。

 どこか勝ち誇ったような、そんな笑みだ。恐らく、この提案が覆されることはないと、そう考えているのだろう。

 何故なら、この姓は、水城が最大限に譲歩した形の姓だからだ。

 直接的に水を表現する文字はなく、それどころか火之崎の形式則って、その上で母上の名そのものをもじった形としている。

 更には、水城を象徴するという藤の字まで使っているのだ。

 たとえ水城からの提案であろうとも、これを蹴ることはできない。

 お互いの立場上、それは不可能なのだから。



「さて、面倒な話はここまでだ。どうせ、長居するつもりはないんだろう? 帰り支度の前に、少し時間をやってはくれないかね」

「ええ、いつまでもここにいては、水城の方々を刺激することになりますから……しかし、時間とは?」

「その子たちだよ。必要だろう?」



 いって、久音は私と初音を示す。

 どうやら――少しばかり、話をする機会が巡ってきたようだ。





















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