036:二つの真意
「ひひひひっ……いつから気づいていたんだい、坊や」
初音の姿をした存在から、初音のものではない声が発せられる。
年月を感じさせる、けれどどこか力強さも兼ね備えている、まるで大樹のような威厳を感じさせる声。
初音らしからぬ、狡猾さと意志の強さを感じさせる瞳と声音に、私は小さく肩を竦めていた。
その声には聞き覚えがある。忘れるはずも無い、あの水城久音の声であった。
「気づいたのは一番最初。今の貴方と話し始めた時からです、久音様」
「ほほう、それはそれは……一応あたしゃ、あの子の言葉を再現していたんだがね。まさか最初から気づかれるとは」
僅かに驚いた様子で、久音はそう声を上げる。
先ほど聞いていたものは確かに初音らしい言葉であったし、幻覚を受けているという自覚が無ければもう少し迷っていたかもしれない。
だが、それでも、彼女を初音と間違えることは無いだろう。
例え精巧に化けていたといっても、初音と久音は全く別の存在だ。
特に、五十年以上年の開いた相手に化けようとしても、中々上手くはいかないものだろう。
「初音とは、毎日話していましたからね。彼女はもう少し、舌っ足らずな話し方をします。それに、初音は肉体的な接触を好んでいますから。久しぶりに私に会ったら、一も二も無く抱きついてきますよ」
「ひひひっ、それはそれは。ご馳走さまだねぇ。そんな若い内から惚気るとは、将来が楽しみな坊やだよ」
愉快そうに笑う久音であるが、姿は相変わらず初音のままだ。
その違和感は、やはりどうしても拭えない。あのような幼い姿の存在が老獪な喋り方をしていると、凄まじい違和感を感じてしまう。
『お主、人のことを言えぬのではないか?』
『……否定はしないが、お前も同じだぞ、千狐』
子供らしからぬ自覚はあるが、今更演技をすることもできない。
ともあれ、今は目の前にいるこの人物についてだ。
水城久音――四大の一族、水城の先代当主。彼女がどうして、私に対してこのような術を仕掛けてきたのか。
まあ、ある程度予想はできているが……私の予想が正しいならば、もう少し大人しく付き合っておくべきだろう。
それが、私にとっても利となるのだから。
「しかし、そんな最初から気づかれていたとはねぇ……あたしも年老いたもんだ。あたしと気づいていたから、あんな気取った言葉を喋っていたのかい? ああいう台詞は、本人の前で言ってやりな」
「気づいていたからこそ、ああいう風に言ったのは事実ですが……気づいていたからこそ、私は心からの本心を述べていたんですよ」
「ほう? あたしだからこそ、ねぇ……それはどうしてだい?」
興味深そうに、不敵な笑みで久音は私に問いかける。
彼女に、虚言を労したと思われるのは困る。
流石に、彼女ほどの人物であれば、私が本心から話していたことぐらいは察していると思うが――良くも悪くも、彼女には油断がない。
丁寧に説明しておかなければ、妙な禍根が残ることもありえるだろう。
「貴方は私を試していた。だからこそ、このような場を用意したのでしょう。ただ相手を迷わせるだけの、幻覚の迷宮。この大気に満ちる霧――否、霧に含まれる薬物で、私の本音を引き出すために」
「……そこまで、気づいているとはねぇ」
「相性が良かっただけですよ。ともあれ、私が予想以上に早く到着して、尚且つこの薬物の影響をあまり受けていなかったからこそ、貴方は私の真意を問うたのでしょう。ならば、私はもう一度、嘘偽り無く貴方に宣言します」
目を細める久音に、私は真っ直ぐと正面から告げる。
虚言を弄するつもりなど無い。この場においては、真っ直ぐと正面からぶつかっていくべきだろう。
それが誠意であり、そして彼女に対する最も効果的な対処法だ。
彼女が、私という存在を試しているならば――私自身を一切の虚飾無く表現する。
「私は、初音のことを護るべき家族だと思っています」
「短い付き合いしかない、あの子をかい?」
「私自身、驚いていることは事実です。一年にも満たない付き合いの初音に対して、そこまで入れ込んでしまったのだから。けれど、この思いに嘘はありません」
私は確かに、初音のことを護りたいと思っている。
何がそうさせたのかは分からない。子供好きであることは否定しないが、入れ込みすぎている自覚はある。
だが、それでも、初音を護りたいと――家族であると思っていることは、紛れもない事実なのだ。
「戸惑いはあります。いきなり婚約者だといわれても、実感がないことは事実です」
私にとっては、どちらかといえば孫と接するような感覚だった。
まあ、前世で孫はいなかったから、部下の子供に接する時と同じような対応をしていただろう。
もしも、前世で娘が生きていれば、これぐらいの孫がいたかもしれないと――そんなことも考えていたはずだ。
そんな初音と、婚約を結んだと言われても、正直なところで言えば戸惑いのほうが勝る。
だが――
「けれど、私は初音と共にいられるということに、望外の喜びを感じていた」
「ほう、それはどうしてだい?」
「私と彼女は、火之崎と水城。縁があるとは言え、道が交わることは無い……そう思っていましたから。家族であると思っている初音と距離が開いてしまうのは、私にとっても辛いことです」
今後も会えるだろうとは思っていたし、付き合いがなくなるとは考えていなかった。
だが、それでも、私と彼女は火之崎と水城――互いに反目し合う大家同士だ。
疎遠になってしまうことは避けられないだろうと、私はそう考えていた。
だが、予想もしていなかったところで、私と彼女の縁は再び結ばれるかもしれない。
それも、私が思っていたものよりも、ずっと強固なものが。
「だからこそ私は、今回の話を喜ばしく感じています。もしも、初音と共に生きることになるならば――」
そのときは、私がすべきことはたった一つだ。
私はただ――家族を護るためだけに生きると、そう誓っているのだから。
そう、だからこそ。
「私は生涯をかけて、初音のことを護り続けると誓います」
――それこそが、私の唯一無二の本心だ。
戸惑いも、過去への負い目も、全てを含めて私はそう誓う。
誇張でも、大げさな言葉でもない。それは、私が私であるために成さねばならない義務だ。
私は、ただひたすら初音のことを護り続けるだろう。
それこそが私の成すべきことであり、私の存在意義なのだから。
「……大層な言葉だねぇ」
そこまで告げた私の言葉に、久音は肩を竦めてそう返す。
否定は出来ないだろう。まるで物語の中にあるような告白のシーンだ。
芝居じみていて、どこか現実味に欠けてしまう。
だが、彼女なら気づいているはずだ――私が、その誓いに真実命を懸けているということに。
「口先だけの男なんぞ山ほどいる。大言壮語する奴ほど信用ならない。そう考えていたが――お前さんは本気だ。恐ろしいほどに」
長い生涯、多くの人間を見てきた水城の先代当主は、私の心を正確に見抜く。
私に嘘は無い。初音を手に入れるために、大げさに話したわけでもない。
私が、心の底から、本気でそれを成そうとしていることに、水城久音は気づいていたのだ。
「全く、こんなのが五歳の子供だって? 全く、冗談じゃないよ……けど、初音の男を見る目は、確かだったようだね」
――久音の口元が、僅かに緩められる。
それは、今までの皮肉ったような笑みではなく、心の底からの穏やかな微笑み。
初音らしさとはやはり無縁だが、それでもどこか、久音の本心が垣間見えたような気がした。
彼女もまた、初音のことを大切に思っていたのだ。
それがどのような形であるかは分からないが、少しだけ、親近感が湧いてしまう。
「お前さんの言葉には、一切の嘘が無いとあたしは信じよう。けれど、今のあんたは弱い。それは分かってるね?」
「ええ。ですが、今のままでいるつもりもありません。私は家族を護ると誓っている。今のままでは、本当にただの大言壮語になってしまう……何が何でも、強くなるつもりです」
「そうかい。なら、お前の母親にでも頼むんだね。《黒曜の魔女》の技術は、お前さんにも適応できる部分が多いだろうさ」
思いがけぬ助言に目を見開きながら、私はしかと首を縦に振る。
私には、父上のような放出系の魔法が扱えない。
どちらかといえば、母上や鞠枝のような、接近戦に魔法を併用するスタイルが望ましいだろう。
そういう意味では、母上は私が学ぶ相手としてこれ以上ないほどの相手であると言える。
尤も、教えを請うことができるかどうかという問題もあるが。
「ともあれ……お前さんは合格だよ。火之崎の一人息子。水城が先代当主、水城久音の名において、お前さんを支援すると誓おう」
「……ありがとうございます」
「しっかりと励むことだね。お前さんの働きが、初音の将来を左右するんだ。人を背負う人生ってのは、重いもんだよ」
「はい。私は何よりも、その重みを望んでいますから」
私の返答に、久音は満足したように笑う。
姿が初音のままであるため、どうしても違和感は拭えなかったが。
「さて、それでは戻すとするかね……ああそうだ、一つ聞いておきたかったんだよ」
「はい? なんでしょうか?」
「お前さんが、ここに真っ直ぐと辿り着いた理由だよ。この術は、多少加減していたとは言え、簡単に道を見つけられるほど単純なものじゃない」
その言葉に偽りは無いだろう。
霧に包まれた幻影の世界。この霧には特殊な薬物が含まれており、常に相手の五感を狂わせている。
そして霧のスクリーンに映し出された映像は、対象にそれを現実だと錯覚させるほどのものにまで昇華されているのだ。
私も、千狐がいなければ、この場に辿り着くことはできなかっただろう。
そもそも、自分が術中にはまっていることにすら気づけなかったかもしれない。
真っ直ぐとこの場に向かうことができたのは、単純に――
「匂いですよ」
「匂い? この、藤の花のかい?」
「五感が狂わされている自覚はありました。精霊魔法を使ってその支配を取り戻そうとしましたが、上手くは行かなかった」
人間の認識は、ほぼすべてが五感によって成り立っている。
それを狂わされれば、単純な幻術であろうとも、簡単に術中にはまってしまうだろう。
だが、私には《掌握》がある。
例え薬物の影響を抜けられずとも、それが狂わされていることを自覚することができる術式が。
「視覚が狂わされていることが分かったから、視覚情報に頼らなかった。聴覚が狂わされていることが分かったから、念話で届く精霊の言葉にだけ耳を貸した。触覚が狂わされていることが分かったから、極力物には触れなかった」
「……だが、確かにあたしは、嗅覚までは奪わなかった」
「貴方がその気になれば、それも可能なのでしょう。ですが、貴方はそれをしなかった――それが、突破口となりました」
狂わされていない五感の中で、まともに使えたのは嗅覚だけだった。
だが、例え一つとは言え、狂わされていないのであれば使いようがある。
魔力を使って嗅覚を最大限強化し、僅かに残っていた藤の花の香り――その根本へと辿り着いたのだ。
私の答えを聞き、久音は笑みを浮かべる。
それはどこか嬉しそうな、満足そうな笑顔だった。
「ひひひっ、そうかいそうかい! コイツを正攻法で攻略する奴が、まさかこんな子供とはね!」
「貴方の手加減があったからですよ。そもそも、攻撃も受けませんでしたから」
「それでもだよ。お前さんの父親みたいに、強引な魔力放出でぶち破るとか、そんな乱暴な方法を使わなかった。大して知りもしないあたしに対し、正面から挑んで、そして打ち破って見せたんだ。これを賞賛しなけりゃ、水城の術者の名が廃るってもんだよ」
この人は……私ならば、強引に打ち破ることが可能だと考えていたのだろう。
実際のところ、今使える《王権》ではそれも叶わないと思うのだが――訂正する必要は無いだろう。
満足そうに笑う久音が腕を振ると、周囲の景色はゆっくりと、白く溶けて消え去っていく。
周囲の木々も、池も、建造物も、全てが白い霧となって消え去り――僅かな藤の花の香りだけが、そこに漂っていた。




