032:水城の中枢
「しかし、貴方のご子息は大したものだ。まさかその年で、一級相当の魔法使いを相手に善戦して見せるとは。火之崎の教育の賜物ですか?」
「ふふ、この子はとても勉強家なんですよ。いつだって、私たちが望んだ以上の成果を挙げてくれますから」
母上と道久の会話は、私に関する話題へと推移する。
水城からしても、私は無視のできない存在であるようだ。
精霊の、精霊魔法の希少性から考えれば無理からぬことではあるだろう。
しかも、五級にも満たない魔法使いが、一級に相当する魔法使いに匹敵するほどの力を発揮したのだから。
それほどの力の持ち主が火之崎にいるとなれば、水城は当然警戒せざるを得ない状況となる。
「なるほど、朱莉様もさぞかし鼻が高いでしょう。しかし、中々厳しい意見もあるのでは?」
「私は、この子に期待しておりますので。周囲の意見など、実力を示せばよいだけの話です」
「それはまた、厳しい道となるでしょう」
「心配はしておりませんよ。この子は、それを成し遂げられるだけの魂を持っていると確信していますから」
だが――私は、火之崎の宗家としては出来損ないであった。
炎の魔法を扱う才能は乏しく、そもそも魔力そのものが少なすぎる。
千狐の存在がなければ、母上もいずれは私を庇いきれなくなっていただろう。
そして、私は水城初音との繋がりを持っている。
行き場所を失った私を受け入れられる、簡単な下地ができているのだ。
(思えば……あの時私が初音にやって見せたのは、水城の魔法使いたちが扱う複合術式と若干近いものだったのか。精霊の存在も先刻承知であろうし、私を初音の従者にしたいと考えているのか?)
もしも火之崎が私を放逐したのであれば、水城は真っ先に私を捕まえているだろう。
繋がりという点において、火之崎の次に強いのは水城なのだから。
だからこその探り入れだろう。もしも火之崎が私を手放そうとしているのであれば、真っ先に私を手に入れようとしている。
尤も、そんな動きは最初から警戒していた様子であるが。
『あの前当主殿は、これを警戒していた訳かの?』
『それには少し弱い気もするが、私を確保しようとしていたのは間違いないな。火之崎がお前の価値を正しく理解していなかったなら、水城に遅れを取ることもあったかもしれない』
とは言え、あの強さに貪欲な祖父が、そのような失態を犯すとも考えづらいが。
あの人は、何が何でも私を手放しはしないだろう。私を――正確に言うならば千狐を運用するための下地を、すぐにでも作り始めているはずだ。
私にとっては、父上よりも彼のほうが恐ろしい相手である。
私が価値を示している以上、敵ではないのは確かだが。
「ああ、仁君。君にも伝えておきたいことがあった」
「……はい、何でしょうか」
母上と会話をしていた道久が、こちらに視線を向ける。
さて、水城の次期当主殿は、果たして私に何を話そうと言うのか。
先ほどの母上の反応から、引き抜きは困難だと理解できたはずだ。
表情の中に動揺はない――それを隠している様子も。私よりも上手である可能性もあるが、恐らくダメ元と言ったところか。
或いは、水城には何らかの次善策があるということか。ともあれ、話を聞かなければ始まらない。
内心に警戒を潜ませながら、それを表出させぬよう務めて冷静に言葉を待つ。
だが――出てきたのは、少し意外な言葉であった。
「君は初音によくしてくれたね。一人の兄として、お礼を言いたい」
「お礼、ですか。いえ、初音は友人ですから。それに、彼女を護ったのは婦長ですよ」
「そう、君は初音と友達になってくれただろう。初音には対等な友達がいなかったからね、寂しい思いをさせてしまっていた。だから、ありがとう」
「……どういたしまして」
先ほどまで、徹底して『次期当主』として話していた道久であるが――今の言葉は紛れもなく、道久本人のものであった。
妹を心配する、一人の兄としての言葉。ならば、それを受け取らないわけにはいかないだろう。
火之崎として、必要以上に初音との繋がりを主張することはできない。
それは私の、ひいては火之崎にとっての弱みにもなりかねない行為だからだ。
だが、今の言葉は素直に受け取れる。受け取らねばならないだろう。
初音にも良い家族がいるのだと、内心で安心しながら、私は道久の言葉に頷いていた。
そして、対する道久もまた、私の反応に対して僅かに笑みを深める。
「そうか……予想していた以上だね。ならば、今回の話が無駄にならないことを祈るとしよう」
「……今回の話?」
「道久殿、貴方、やっぱり本当は――」
母上が、問いただそうと声を上げた、それとほぼ同時。
ノックの音が響き、廊下から客間に対して声がかけられていた。
「準備が整いました。移動をお願いいたします」
「ああ、ご苦労。下がってくれ」
いつの間に近づいていたのか、気配はほとんど感じなかった。
母上は驚いた様子こそないものの、言葉を引っ込めて口を引き結んでいる。
問いたいことがあったのだろうが、これはここまでだろう。
何しろ、これから行われるのは今日の本題とも言える会談だ。
その場に遅れるわけには行かない。
「では皆さん、こちらへどうぞ。当主がお待ちです」
「……ええ、お願いしますね」
道久の案内に従い、部屋を出る。
どこか、先ほど案内された時よりも、空気が張り詰めているような感覚。
これは、この先に待っているものによるものなのか、或いはその相手を警戒する母上によるものなのか。
どちらにせよ、この先にいるのだろう。父上すらも警戒する、最高位の魔法使いの一人が。
『あるじよ、警戒を絶やすでないぞ。徐々にあの奇妙な魔力が強まってきておる』
『やはりそうか……《掌握》は常に準備している。油断はしない』
これがただの一般家庭であれば、初音に合いに来た、という程度の気軽さを持てるのだが……そうも行かないか。
一体、この先にいる相手は――水城久音とは、どのような人物なのか。
気を抜くことはできない。その覚悟と決意と共に、私は道久の案内の元、会談の行われる広間へと足を踏み入れていた。
火之崎で会議場として使われていたあの広間ほど広くはない、だが、それなりのスペースがある部屋。
足を踏み入れた途端、鼻に届いたのは先ほどと同じ甘い香りだ。
(藤の花の……だが、これは外からの香りか?)
部屋は密閉されているわけではないが、これほど香りが強いとなると、窓が大きく開け放たれていなければ難しい。
だがそんな様子はなく――むしろ、部屋の中から香りが発せられているようにも感じられた。
そう、部屋の奥、カーテンで区切られたあの空間から。
『……おるな。凄まじい魔力じゃ』
『ああ。だがそれでいて、とてつもなく澄んだ魔力。流れに淀みがない。まるで清水のようだ……父上のような、機械じみた、或いは芸術作品じみた正確性とは違う。この魔力は……とてつもなく“自然”だ』
そこにあることに違和感がない――これほどの魔力で周囲を支配しながら、それが常態であるかのように錯覚させるような制御力。
《掌握》を使っていなければ、私もこれを異常だとは感じ取ることができなかっただろう。
これを操っているであろう、あのカーテンの奥に見える人影。
あの人物は一体、どれほどの魔力制御を有しているというのか。
その一点においては、間違いなく父上を超えているだろう。火之崎特有かと思っていたが、怪物はどこにでもいるものらしい。
「――ようこそ、《黒曜の魔女》殿。直接顔を合わせるのは、久しぶりですな」
「ええ、水城静久様。まさか、土御門や風宮を交えずに会談を行う機会が来るなんて……喜ばしいことです」
「確かに、我らの間には深い溝がある。それこそ、あの二家に橋渡しを頼まねばならなかった程度には。その点、此度の人選の配慮には感謝いたしますよ。貴方は土御門の傍流であり、赤羽は正確には火之崎ではない。貴方がたならば、この屋敷に入れることにもそれほど抵抗がありませんでしたから」
案内された席に腰を下ろした母上に、まず話しかけたのは端整な容姿の男性だった。
少し髪の長い、ともすれば女性的にも見える姿であるが、まるで柱が入っているかのように背筋の伸びたその姿は、威風堂々とした風格を漂わせている。
水城静久――恐らくは、彼こそが現在の水城の当主なのだろう。
そんな人物に対し、しかし母上は、にこやかな表情で言葉を返す。
「相変わらず、そういった声は大きいですね。お互い、代替わりには苦労していますか」
「全くです。前時代的と言わざるを得ない」
中々の毒舌であるが、その言葉に反応を見せる者は少ない。
というより、そもそもこの場にいる人間そのものが少ないのだ。
私たちを除けば、この場には静久、道久、そして当主の従者であると思われる二人の魔法使いのみ。
加えていれば、あのカーテンの奥にいる人物――どうやら、相当に内密の話とするつもりのようだ。
「まあ、何はともあれ――此度の機会は、有効に活用せねばなりません。両家の未来のためにも」
「その割には、中々に欲張りますね。うちの子がそんなに気に入りましたか?」
「それは勿論。水城はいつだって人材不足ですからね。他人に合わせられるような優秀な魔法使いは、いくらいても困りませんよ」
私の技術は、どうやら水城にとっては評価の対象となるものであったらしい。
まあ、《掌握》ありきであるため、あまり胸を張れるようなものではないのだが。
だが、ここにきたのが母上である以上、私に対する譲歩など取れるはずがない。
そして父上と祖父が同意した以上、それは火之崎の総意として扱われるのだ。
だからこそ、だろうか――まるで嘲弄するかのように、笑い声が響いたのは。
「ひひひひひっ、下らん話し合いはそこまでにしておきなよ、若造達」
「……先代」
「お久しぶりですね、久音様。相変わらずお元気なようで、何よりです」
カーテンの奥で、陰が揺れる。それはまるで、笑いを堪えているかのように。
だが、その間も、魔力の淀みは一切存在しない。
ともすれば、目の前にいたとしても見失ってしまうほどに――その存在は、この空間に溶け込んでいた。
その不気味な笑い声すらも、清流の水音と錯覚してしまうほどに。
「この年にもなって、色々と面白いことが起こるものだ。まさか、あの宗次朗相手に妥協しなけりゃならない日が来るとはねぇ……アンタも苦労しているんじゃないかい、朱莉よ」
「水城の一族を、己が才覚のみで支えられた貴方ほどではありませんよ、久音様。宗孝様も賞賛しておりましたよ」
「アンタ達みたいな化け物に褒められるとは、あたしもまだまだ捨てたモンじゃないかねぇ、ひひひっ」
「私たちをそう称されるなら、貴方自身もそうでしょう? 久音様の魔力制御は、間違いなく日本の頂点です」
母上が手放しにここまで賞賛するような相手だ。その実力は折り紙つきなのだろう。
カーテンの奥にある気配に、私は深く意識を集中させる。
今この場において、間違いなく最大の難物はこの声の主、水城久音だ。
下手をすれば母上ですら飲まれてしまう、その存在感。言葉を止めれば、あっという間に主導権を握ってしまうだろう。
「ひひひっ、よく言うもんだ。宗孝の制御力も引けを取るもんじゃないし、あたしにはあんな膨大な術式は御し切れんさ。あの荒くれ坊主が今じゃ火之崎の当主、もう二度と戦いたくはないもんだねぇ。あたしの術式を力技で破ったのは、あいつが最初で最後だよ」
「ふふ、久音様の術を破ったのは、宗孝様の密かな自慢ですよ。あの方は生涯に一度しか敗北しておりませんが……それ以外に敗北を覚悟したのはたった二度だけ、その内の一つが久音様だと、そう仰っておりましたから」
「ひひひっ、そうかいそうかい。だが、お世辞話はここまでだよ、《黒曜の魔女》。そろそろ、本題に入るとしようじゃないか」
空気が変わる。自然な空気の、魔力の流れは変わらず、その気配だけが。
未だ姿を見せぬ水城久音、その強大なる存在感を肌で感じながら。
「さあ、始めようか。水城と、火之崎と、そこの小さな坊や――ここに集う者たちの、将来を決定する話をね」




