030:水城からの呼び出し
新たなる目標を得てから始まった、火之崎での日々。
心機一転ではあるものの、基本的に私のすることに変わりはなかった。
今のところ宗家の屋敷で暮らし、そして独自に訓練を行って魔法の技量を高めていく。
幸い、ここには教師役も、そして技術を盗める相手も数え切れないほどに存在している。
技術を高めるという点において、これ以上の環境は存在しないだろうと断言できた。
『妾からすれば、序列制度というのは少々やりすぎだと思うのじゃが』
「まあ、それは私も否定しきれないが……」
訓練場の中央付近、分家の子供たちを相手に戦闘を繰り広げる姉上の姿を見つめ、私は苦笑する。
この火之崎の内部では、戦闘能力に応じた序列が存在している。
火之崎に属しており、戦闘可能である人間には全てこの序列が割り振られており、己の強さを示す一種のステータスとなっているのだ。
序列は下位の者が上位の者に挑むことによって変動し、訓練場の中にいる限り、その挑戦を拒むことはできない。
この間、私が宗家だからと挑んできた子供たちも、どうやらこの制度に苦労している者達だったようだ。
「確かにやりすぎだとは思うが、かなり昔からある制度のようだしな。火之崎の歴史の一部であるということだろうさ」
『訓練場の中に限定されるだけまだマシなのじゃろうな。お主の両親はそれどころではないようじゃし』
この序列の頂点に君臨しているのは、言わずもがな父上である。そして、それに続くのが母上となっている。
序列上位者の中には祖父や分家の当主たちもいるのだろうが、そういった面々の場合、この制度は訓練場の中だけに留まらなくなる。
場合は多少選ぶものの、時と場所は選ばずに襲い掛かってくるのだ。
しかし、常在戦場の心得とでもいうのか、話していた相手や護衛していた相手が襲い掛かってきても、母上たちは難なくそれを撃退してしまう。
母上曰く、『これぐらいじゃないと訓練にならないから』とのことであったが――正直なところ、正気の沙汰ではない。
「アレぐらいにはならないといけない訳か……遠いものだな」
『かく言うお主は、序列は上げぬのか? 今のところ最下位じゃろう? 分家の未熟な子供程度、戦えば勝てるじゃろうに』
「私はそれほど数字には興味が無いからな……それに、まともに基礎も学んでいない内から戦闘を繰り返すと、おかしな癖がついてしまう」
挑めば勝てる相手も多少いるだろうし、順位をあげれば挑んでくる人間も出てくるだろう。
だが、今の私は基礎を学んでいる段階だ。我流で戦ってしまっては後の矯正が難しくなってしまう。
ともあれ、今は大人しく、基礎訓練に励んでいるべきだろう――そう考えていた私の耳に、ふと聞き覚えのある低い声が届いていた。
「そこにいたか、仁」
「父上? どうかしましたか?」
声の方へと振り返れば、いつも通りの堂々とした佇まいの父上がこちらに歩み寄ってくるところだった。
訓練場に来るなり戦いを挑まれたのだろう、父上の後ろには死屍累々と言わんばかりに分家の面々が倒れている。
相変わらず、父上は無傷で乗り切ってしまったようではあるが……生涯で敗北は一度だけというその自称も言い過ぎではないのかもしれない。
そんな私の考えを知ってか知らずか、父上は普段と変わらぬ引き締まった表情で声を上げた。
「仁。お前に、水城からの招待が来ている」
「水城から? それは、この間の病院の件ですか?」
「発端がそこにあることは間違いではない。事情は少々立て込んでいるから、後で朱莉に聞くといいだろう」
どうやら、ただこの間のお礼をしたい、と言う程度の話ではないようだ。
果たして、護国四家の一角が、私個人などにどのような話をするというのか。
初音に対して訓練を施したことについては後悔してはいないが、それでも水城にとって余計なお世話であった可能性もある。
あまり、楽観的に考えていくべきではないかもしれないな。
「しかし……そんなことであれば、父上が自ら伝えに来ることもなかったのでは」
「ことが水城に関する話だからな。少々デリケートな話題だった。ここに来る用事もあったのだ、あまり気にすることはない」
「水城の話題は、あまり周囲に伝えたくはないと?」
「特に、前当主にはな……まあ、父もこの話は既に知っているが」
肩を竦める父上に、私は首を傾げる。
確かに、火之崎と水城は少々確執のある家系ではある。
それが一般的に知られているというのだから、かなり仲が悪いのだろう。
しかし、周囲に話を伝えるのを躊躇うほどなのだろうか。
私が疑問を抱いていることを察したのだろう、父上は僅かに苦笑しながら続けた。
「確かに、神経質になりすぎな部分はある。仲が悪いといっても、顕著だったのは数式魔法が一般化する前までだったからな」
「……割と最近ですね」
正確な年数までは覚えていないが、数式魔法が一般技術として展開してからまだ三十年は経っていない。
つまり、今の火之崎には、その仲が悪かった時代の面々がまだまだ多いということなのだろう。
流石に、世代交代は進んできているだろうが、必要以上に波風を立てるのは避けたかったということか。
「属性の面で相容れないという点もあるが……やはり、火之崎と水城では戦い方の面で相容れない部分が大きかった」
「戦い方ですか。火之崎の戦い方は普段から見ていますが、水城とはそこまで違うのですか」
「ああ、大いに違う。我ら火之崎が個での戦闘能力を鍛えているのに対し、水城は集団での戦闘を得意としているのだ」
「集団戦……別に、火之崎も集団での戦闘は行っていると思いますが」
思い起こすのは、集団で父上に挑んでいく分家の面々の姿だ。
ただ闇雲に襲い掛かっていたわけではなく、きちんとした役割分担ができており、チームワークも抜群だったはずだ。
しかし、私の言葉に対し、父上は首を横に振る。
「我らが重視しているのは、あくまでも個の戦闘力だ。個を鍛えた上で力を纏め上げ、敵を制圧する戦闘を行う。対し、水城の場合は最初から集団での戦いを想定しているのだ」
「……そういえば、初音がまだ従者を得られていないと言っていましたが」
「それも水城の特色だな。彼らは、集団で一つの魔法を使うのだ」
「それは……複数人で一つの術式を編むということですか?」
父上の言葉に、私は思わず眉根を寄せる。
普通に考えれば、不可能としか言い様のない行為だ。
私は《掌握》という特殊な術式を持っているが、それでも他者の術式に干渉することは非常に難しい。
例え相手が初音であろうとも、彼女の術式に私の術式を混ぜ込むことなど不可能だ。
ましてや、そのような特殊な精霊魔法を持っているわけでもない人間に、そのようなことが出来るとは思えない。
「言葉が足りなかったな。水城の場合、複数人の魔法で一つの効果を導き出す、という戦闘を行うのだ」
「つまり……複数人で発動した魔法を合体させ、大きな効果を発揮するようにする、と?」
「そうだな。無論、容易いことではない。互いの魔法が邪魔をせぬように発動するには、並大抵ではない制御力を要求されるからな」
「それで集団ですか。確かに、火之崎とは相容れない戦い方ですね」
導き出される魔法の威力は、並大抵のものではなくなるだろう。
だが、その分制御は困難を極める。火之崎のような制圧戦闘よりも、防衛戦闘の方が得意なのではないだろうか。
その辺りからしても、火之崎とは相容れない戦い方であると言えるだろう。
しかし……そうなると初音が心配だ。鍛えたとは言え、まだまだあの子の制御力は甘い。
水城の宗家として歩むには、中々に困難な道となるだろう。
そんな私の内心を読んだかのように、父上は小さく苦笑を浮かべていた。
「ともあれ、お前は水城の屋敷に足を運ぶことになる。詳しい話は朱莉から聞くといい」
「はい、分かりました」
私の返事に満足したのか、父上は一つ頷くと、そのまま訓練場の奥へと足を踏み入れていく。
とりあえず母上から話を聞いておくべきだろうと、私は踵を返して歩き出そうとし――そこに、付け加えるように父上の声が掛かった。
「ああ、そうだ。一つ伝え忘れていた――水城の前当主には気をつけることだ」
「はい?」
「あの女傑は甘い相手ではない……俺も、二度と戦いたくない相手だからな」
振り返った私に、しかし何も答えることなく、父上はそのまま立ち去っていく。
水城の前当主……父上が、警戒するほどの相手。
それほどの相手に対して、いったいどう気をつけろと言うのか。
母上に対する質問が増えたことに、私は小さく嘆息を零していた。
* * * * *
「あら、宗孝さんから話を聞いてきたのね。それだったら話は早いわ」
幸い、今日の母上は屋敷で事務仕事の日であった。
おかげであまり苦労することなく接触に成功し、先ほどの話を切り出せば、母上は楽しそうな笑みを浮かべながら話を始めていた。
「今回、水城の人たちと、今後の話をしに行くんだけど……一緒に、仁ちゃんもどうぞって話になったのよ」
「私が呼ばれたのは、やはり初音のことですか?」
「そうね、間違いではないわ。貴方とあの子、そしてあの事件……今後の火之崎と水城にも関わる、大切な話し合いよ」
思っていたよりも大きな話に、私は思わず眉根を寄せる。
果たして、水城は一体何をしようとしているのか。
私も流石に、ただお礼を言われるだけであるとは思っていなかったが――どうにも、厄介事の気配を感じる。
「運営に関わることであれば、私が呼ばれるような理由はないと思いますが」
「仁ちゃんは当事者なんだから、そうでもないわよ。まあ、確かに当初はその予定だったけど……貴方を呼んだのは久音さんだったから」
「……その人物は?」
「水城久音……護国四家、水城の前当主よ」
その言葉に、私は目を見開いていた。
先ほど、父上が警戒を呼びかけていた相手。女傑と表現した――父上に『二度と戦いたくない』とまで言わしめた人物。
そんな相手が、私を呼んでいるというのか。
「あの人が何を考えているのかは、私にも分からないわ。というより、水城の中でもあの人しか分からないと思うけど……」
「前当主なのに、真意を問われないほどの発言力があるのですか」
「そうなのよねぇ。彼女、歴代の水城の中でも最高の使い手だと言われているから」
言われていた、ではなく『言われている』。
つまり今もなお、その久音という人物を越える魔法使いは水城に現れていないということか。
一体どれほどの魔法使いなのか――話を聞く限り、水城は技巧の面に優れた魔法使いの集団だ。
父上とはまた違った形での実力者。興味は尽きないが、好奇心ばかりを抱いているわけにもいかない。
「仁ちゃんに対して何を話そうとしているのかは、私にも分からないわ。まあ、私も一緒に行くから、あまり心配は要らないわよ」
「母上がですか?」
「そう。水城の本家への招待だから、それなりに序列の高い人間じゃないといけないのよ。この間の件ということもあるから、私と鞠枝が行くわ。仁ちゃんは、そこに付いて行く形ね」
「なるほど……」
まあ、母上がいるのであれば、滅多なことはないだろう。
その水城久音という人物が気にはなるが……既に向かうことが確定事項である以上、言っていても始まらない。
後は、油断しないようにせねばならないだろう。
「分かりました。それで、いつ向かうのですか?」
「ん? 今日の午後からよ?」
「……はい?」
当然であるといわんばかりの母上の言葉に、目を点にしながら硬直する。
……どうやら、心の準備をする時間は、ほとんど与えられないらしい。
一体何が行われるのか――心の中で千狐との会議を始めながら、私は小さく嘆息を零していた。




