003:命懸けの生存戦略
この新たな世界で意識を覚醒させてから数日。
私は――というよりも私の体は、相も変わらず保育器の中にいた。
その上を浮遊している、魂の私はといえば、その大きさを徐々に縮ませていっているところである。
どうやら、これが魂が馴染むということのようであったが、正直なところあまり実感はない。
未だ、私はこの赤ん坊の体を自分の意思で動かすことが出来ずにいたからだ。
『もどかしいものだな……お前がいなければ退屈で仕方なかっただろうな、千狐』
『そんなことで有り難がられても困るがの。それより、魔力の方はどうじゃ?』
『ああ、多少だが、感触のようなものは掴めるようになってきたと思う』
未だ肉体を自由に動かせない私ではあるが、それでも魔力の扱いについては多少実感が持てるようになった。
と言っても、千狐の課した魔力の増幅法、即ち魔力の放出ができるようになったわけではない。
正確に言えば、やろうと思えばできるのだろうが、今の魔力量と制御力ではあまりにも危険すぎるのだ。
少しずつ体の中に蓄積されていく魔力を感じ取り、それをゆっくりとかき混ぜるように動かしながら、私は千狐へと問いかける。
『しかし、何故肉体は動かせないのに魔力は扱えるんだ? こちらは感触と言うか実感があるのだが』
『この世界において、魔力は体よりはむしろ魂に関連する力じゃからな。だからこそ今のお主にも扱えるし、魂の接続された妾が間接的に操ることができるのじゃ。尤も、精霊でもそんなことができるのは妾ぐらいなものじゃろうがな。くははは!』
薄い胸を張って誇らしげに笑う千狐に、そういうものなのかと納得する。
どうも、千狐には他の精霊とは一線を画するものがあるらしいのだが、他の精霊を見たことがあるわけでもないし、その辺りは分からない。
一度つらつらと自慢げな説明を受けたのだが、正直なところ一割も理解することが出来なかった。
大まかに言えば、前の世界の神々の力から生み出されたという話だったのだが……生憎、詳細については理解が及ばなかったのだ。
ともあれ、そんな己の出自に自信を持っている千狐は、どうやら私の育成には一切の余念がない様子であった。
無論、それは私も異論はないのだが――
『有り難いが、やはり心苦しいのは事実だな』
『何じゃ、まだ気にしておるのか? 言っておくが、今のお主が魔力放出などしたら、加減が効かずすぐさま死に至るぞ?』
『それについては納得している。私も、己の未熟を棚に上げてそのようなことを言うつもりはない。出来れば己の力で鍛え上げたいと言う思いがあるのは事実だが……魔力の増幅は急務だし、魔力操作の練習は出来ているからな。だが――』
ちらりと、私は視線を下へと向ける。
私の肉体が置かれた保育器。その中には、一台の機械が置かれていたのだ。
確か、若者の使っている携帯電話の大きい奴だ。警察でも若手の連中が何人か使っていた覚えがある。
携帯電話をそこまで大きくして一体何をしたいんだ、と考えていたことはあるが……どうも、あれはコンピュータの親戚らしい。
その後の説明は思考を放棄したため聞いていなかったのだが、最近は色々と複雑になったものだ。
ともあれ、そんな機械が私の傍に置いてあった訳だが……その画面に映っているのは、一人の美しい女性の姿だった。
『……こう、日に何度も魔力放出をして気絶しているせいで、母上に心配をかけていると思うとな』
『仕方なかろう。この保育器は、魔力回復が高速化するように、限界ギリギリまで魔素密度……えー、魔力の元となるものの密度が高くなっておる。この中にいるうちが勝負なのじゃぞ?』
『分かっているとも。私も否定するつもりはない。単に、心苦しいだけだ』
画面の向こうに見える、日本人にしては少し色白で、そして絹のような黒い髪を流す『私』の母。
彼女が、私を道具を見るような視線で、何の感慨もなく見ていたのであれば、私も遠慮なく練習を続けることが出来ただろう。
だが、彼女の視線からは、確かな愛情と不安を感じ取ることが出来たのだ。
日に何度も魔力を放出して死にかける己の息子――それは、どれほど心配するべき相手だろうか。
私もかつて娘を持っていたからこそ分かる。母上も、恐らく同じ思いなのだろう。
『このような出来損ないの息子であることが申し訳ない。幾度も死に掛けて、そのたびに大騒ぎになってしまうのもな』
『いい加減、周囲も慣れてきた節があるがの。ほれ、あそこの白衣の男を見てみろ、あるじよ』
『む、あそこの医者のことか?』
千狐の指差した先へと視線を向ければ、そこには私のほうへと視線を向け、ひたすらペンを走らせる男の姿があった。
医者ではある、だが、どちらかと言えば研究者と言った風情の男だ。
経験上、こういった連中は好奇心のためなら多少の違法行為も行うような者も多い。
尤も、だからこそ扱いやすいという面もあったのだが。
『あの男、この魔力放出のサイクルが、お主が本能的に行っている生存のための行動であると考えて、記録を続けておるようじゃぞ?』
『……どこの世界でも、ああいった連中は目敏いものだな』
『頻繁に魔力計測が行われているのもそのためじゃ。一応、しっかり伸びておるから安心せい』
『ちなみに、それはどのぐらいだ?』
『ふむ……お主たち双子に本来与えられる魔力が500ずつとしよう。生まれた時点では、お主が10、お主の姉が990じゃ』
容赦のない言葉と圧倒的なまでの差に、私は思わず絶句していた。
どうやら、私の姉は随分と多くの魔力を持っていってしまったらしい。
まあ、私はもう受け入れつつあるのだが、姉が負い目を感じぬことを願うばかりだ。
『今のお主は……うむ、20ぐらいまで増えておるぞ』
『……増えたと言えるのか、それは?』
『何を言っておる。二倍じゃぞ、二倍』
『そのまま倍々で増えていくわけでもあるまいに』
嘆息する。圧倒的なまでの力、才能の差だ。
だが、それでも諦めるわけにはいかない。妥協するような思いなど、最初から抱いていない。
心苦しいのは事実だが、それでもやらねばならないだろう。
私が改めて覚悟を固めたのを感じたのか、千狐は大きく頷きつつ声を上げた。
『お主に魔力は必要不可欠。妾の力を使う上でもな』
『千狐の力? 私が、お前の力を使えるのか』
『正確に言えば、妾の存在そのものがお主の力なのじゃよ、我があるじよ。契約を結んだ時点で、妾の力の使用権はお主にある。妾が力を使えるのは、魔力と同じ要領でお主越しに操作しているからじゃ』
『そうなのか……それも魔法なのか?』
『厳密に言うと少々違うのじゃが……うむ、どうせお主の魔力が回復しきるまでは暇じゃからの、少し説明しておくとしよう』
千狐はふわりと浮き上がり、私の正面でふんぞり返る。
やたらと偉そうなのは一体何の理由があるのだろうか。
『お主の傍に端末が置かれたのは僥倖じゃった。お陰で、色々と調べることが出来たからの』
『待て、お前があの機械を使って調べただと? お前は実体がないだろう、一体どうやったんだ?』
『それこそが妾の力なのじゃが……それに関しては順番に説明しよう。今日は、この世界の魔法についてじゃ』
色々と聞きたいことはあったが、話し始めた内容も決して無視はできないものだ。
先ほどの話を気にしつつも、私は聞きの体勢を取る。
対する千狐は、楽しげな笑みとともに三本の指を立てて私に見せ付けていた。
『この世には、三種類の魔法がある。旧式魔法、数式魔法、精霊魔法。この三種じゃ』
『ふむ……それぞれ、特徴があるということか』
『然り。順番に説明していくとしよう』
立てた指の内人差し指だけを残し、千狐は続ける。
説明好きなのか、或いは喋ること自体が好きなのか――彼女は、どこか上機嫌な様子だった。
『始まりの魔法、旧式魔法。お主が魔法と言うものをイメージして、最初に思い浮かぶものがこれじゃろう。光を発し、炎を操り、空を駆ける』
『イメージ通りの魔法使い、か』
『魔法は総じて、術式を編み、そこに魔力を通すことによって発動する。旧式魔法は、補助なしに術式を編むことが大前提となる。これには、多くの魔力と、魔力制御能力が必要となるわけじゃ』
『……今の私には難しそうだな』
『単純なものならまだしも、複雑な術式を編むことは、今のお主には不可能じゃろうな』
そもそも魔力が不足している私には、魔法を使うことそのものがまだまだ遠い話ではあるのだが。
術式を編むと言う感覚も、今は良く分からない。
『術式と言うのは、どうやって編むものなんだ?』
『言ってしまえば、三種の魔法で異なる点はそこじゃな。旧式魔法では、多くの場合で言霊を繋ぐこと……つまりは呪文の詠唱が術式を編む行為となる』
『詠唱か……では、他の魔法では、詠唱は使わないということか?』
『そういうことじゃな。それぞれに特色があるぞ。特に、数式魔法はの』
カリキュレート、つまりは計算か。
あまり、魔法と言うものと繋がる名前には思えないのだが、果たしてどのようなものなのか。
私のその疑問に答えるかのように、千狐は二本目の指を立てていた。
『現代の魔法、数式魔法。ドイツの天才カール・フリードリッヒが開発した、ごく少ない魔力で魔法を扱う――つまり、才能と言う大きな壁が存在していた魔法を、より身近なものにしたのがこの魔法じゃ』
『少ない魔力で扱える魔法、という訳か……それは興味深いな』
『今のお主にとってはそうじゃろうなぁ。この魔法は、数術機と呼ばれる機械に術式を編ませ、術者は魔力を流すだけで魔法を発動させることが出来ると言うものじゃ。この時、少ない魔力でも十分な威力を発揮できるのが特徴じゃな。尤も、決まりきった型ばかりで、応用性に欠けるのが難点のようじゃが』
ふむ。つまり、旧式は才能を要求されるものの応用性に優れ、数式は初心者でも扱いやすいものの発展させづらいと言うことか。
魔法に触れるという点では数式が良いかもしれないが、性質として好ましいのは旧式だろう。
そもそも、今の環境ではその機械を手に入れることがまず難しいだろうしな。
だが、それを気にするよりもまず、もう一つの魔法を聞いておくべきだろう。
『それで、最後の精霊魔法とやらは? 名前を聞いた印象では、お前も関係しているのだろう?』
『うむ。妾も精霊じゃからの。お主の言うとおり、精霊魔法は精霊と契約した者のみが扱える……最も希少で、最も才能を要求され、そして最も強大な魔法じゃよ』
『希少か……それは、精霊と契約した者自体が少ないということか?』
『あるじは察しがいいの。それで正しい。精霊契約者は非常に希少じゃ、それだけで一財産築けるほどの稀有な才能じゃよ』
色々と知る度に、私が複雑な状況に置かれていることを実感する。
千狐との契約が、それほど希少なものだとは露ほども考えていなかった。
上手く扱わねばならないだろう。だが、千狐が最も強大と言うほどだ、間違いなく切り札となりうる魔法だろう。
『精霊魔法は精霊が術式を編み、術者が魔力を流すことによって発動する。発動する力は全て精霊によって異なるが、そのどれもが強力なものじゃ。精霊の後押しもあり、必要とする魔力も少ないからの』
『私も、それを扱うことが出来るというわけか……』
『尤も、制御は非常に難しいからの。気をつけることじゃ、あるじよ』
千狐はそう告げて不敵に笑う。
だが、その言葉の内からは、確かにあんずるような気配を感じ取ることが出来た。
どうやら、心配されるほど難しい魔法であるらしい。だが、力がある以上は使いこなせるようになる必要があるだろう。
そのあたりも含め、千狐とは要相談と言ったところか。
まあ、何はともあれ、大まかな部分では理解できた。
それぞれの魔法が一長一短であり、そう簡単に決められるようなものではない。
だが何にしろ――
『……魔力を増やさねば、どうにもならんか』
『そういうことじゃ』
魔力の感覚に慣れるようにひたすらかき混ぜながら、私は小さく嘆息する。
しばらくの間は、この作業を続けることになりそうだ。