029:凛の想い
『――凛ちゃんは、さっき屋敷に戻ってきたわ。お茶は断られてしまったけど……でも、まだこの屋敷の中にいるはずよ』
母上の言葉を脳裏に思い浮かべながら、私は宗家の屋敷の中を歩き回る。
火之崎の屋敷の中でも一際大きい、この宗家の屋敷だ。子供一人を見つけるのは、中々に骨が折れる。
だが何であろうと、音を上げるつもりなど毛頭ない。
私は、凛と話をしなくてはならないのだから。
「……双子か。ある意味、数奇な運命だな」
『今更と言えば今更じゃな、あるじよ』
「いくら言っても言い足りないさ。お前に出会えた時点で、私の運命は数奇以外の何物でもない」
千狐の言葉に苦笑しながら、私はこれまでのことを思い返していた。
前世では兄弟もいなかった私にとって、二人の姉という存在そのものが新鮮だった。
とりわけ、私と凛は、文字通り血を分け合った双子だ。
互いに対等であり、並びながら歩んでいくことを運命付けられていたはずの存在。
だが、いかなる原因によるものか――生まれた時点で、私たちの運命は引き裂かれてしまった。
「考えないわけではないんだ。もしも、私たちが平等に力を分け合って生まれていたら」
『……あるじよ』
「前にも言ったとおり、お前が原因などとは考えていないさ。単純に、運が悪かった。ただそれだけだ……だからこそ、もしもを考えてしまうんだよ」
まあ、感応能力が低い点に関しては、私のセンスの無さが問題なのだから、どちらにせよ今のような立場にはなっていただろうが――それでも、凛がこうも思い悩むことはなかっただろう。
尤も、意味のない仮定ではある。私たちは魔力を均等に得られず、離れ離れになって暮らしていた事実が変わるわけではないのだから。
私はただ、生きることに、そして強くなることに必死だった。
――どれほど言葉を連ねても、言い訳にしかならないだろう。私は、安心しきってしまっていたのだ。
あの優しい母上と一緒にいられる凛ならば、心配する必要など皆無である、と。
「私は自分のことばかりにかかりきりになって、凛のことを見てやることができなかった」
前世と同じ、どうしようもない後悔だ。
私が未熟だった。私が愚かだった。できた筈のことを、私は見逃してしまったのだ。
凛は家族に愛され、家族と共に在るのだから、健やかに過ごすことができると――疑問などひとつも抱かなかった。
だからだろう。私は、あの子が何を考えているのかなど、これっぽっちも考えていなかったのだ。
「全く……度し難いものだ」
『あまり己を責めるな。お主は元より、できる限りのことをしておった筈じゃろう』
「反省は必要なことだ。次に繋げることができない失敗など、害悪以外の何物でもない」
ヒントはいくらでもあった。私は、幾度もあの子の頑張りを目にしていたはずなのだから。
だが、私はそこに込められた思いを、一切理解しようとしていなかった。
子供の頑張りだと、微笑ましいだけの行為だと、笑って流してしまっていたのだ。
あの子は――必死に、私のことを護ろうとしていたと言うのに。
凛は、母上から、私を護るように言い聞かされて育った。
それ自体は、何も悪くなどないだろう。幼少の頃から幾度も死にかけていた私を、心配してしまうのは無理からぬことなのだから。
だが、凛はそれを、必要以上に重く捉えてしまったのだろう。
私などに、そこまで気を遣う必要など無かったと言うのに。
歯を食いしばり俯いて――その瞬間、目と鼻の先に、千狐の顔のアップが現れていた。
『莫迦者め、お主は一体何をしておる』
「千狐……?」
『お主が自罰的であることは今に始まったことではないから、それに関しては何も言わん。だが、今お主がやるべきことは何じゃ?』
千狐の諌める言葉に、私は思わず目を見開く。
そうだ、私はこれから、凛と話さなくてはならないのだ。
過去を振り返り、省みることも必要だ。だが、それはあとからでもできる。
今私が考えなくてはならないのは、凛とどのように向き合うのか、という一点だ。
ずっと私を見続けてきた彼女に、私はどうすれば報いることができるのか。
「……ありがとう、千狐」
『世話が焼けるあるじじゃな、お主は。改めたのならば、まずはどうする?』
「あの子と向き合う。子供を相手にするのではなく、対等な立場で」
凛の想いは純粋だ。積み重ねた年月の差など、比較したところで意味はない。
凛と私は共に生まれた、対等な立場の人間。
先入観で断じてしまっては、溝が埋まるはずもない。
まずは、同じ目線に立たなくてはならないのだ。
凛は何を考え、何を見つめていたのか。
何故私を避けているのか、私には何が出来るのか。
疑問は尽きない。考えを止めてはならない。
――凛の姿は、もう視界の中に捉えているのだから。
「……凛、そこにいたのか」
「っ……仁」
縁側から外に出た庭の中、池のほとりで立ち尽くしていた、小さな背中。
振り返った彼女の姿に、私は奇妙な実感を覚えていた。
――ああ、私はようやく、凛と向き合っているのだ。
日は傾き、空は茜色に染まっている。
伸びた影の中、凛の表情が沈んで見えるのは、周囲が僅かに暗くなってきているためだけではないだろう。
紅の瞳は僅かに伏せられ、けれど確かに、私の姿を捉えていた。
凛は――踵を返そうとは、しない。それはまるで、私に挑もうとしているかのように。
そんな彼女の姿を見つめ、私もまた覚悟を決める。
「凛、隣に行ってもいいか?」
「……うん、いいよ」
小さく告げて頷き、凛は再び視線を池のほうへと向ける。
私はそんな彼女の横に並び、夕日の光を反射する池を、二人してしばし眺めていた。
言葉を探り、選んで――結局のところ、胸中の想いを率直に言葉にするしか、表現する方法が無いことに気づく。
言葉を飾れるほど、私は弁論に長けているわけではないのだ。
だから告げる。私の思いを、夕日の中で燃えるように輝く私の片割れへと。
「凛、私は……私は、家族を護りたいと思っているんだ」
「仁……?」
「父上を、母上を、姉上を……そして、凛のことを。家族を護れる私でありたいと、ずっと願っているんだ」
それだけが私の願い。
前世で果たせなかった、私の成すべきこと。
代償行為といわれれば、否定は出来ないだろう。無意味であることなど、最初から分かっている。
それでも――私は、諦めるわけにはいかない。
「仁は、よわいのに……それでも、お父様やお母様までまもろうとするの?」
「ああ、その通りだ。私は弱い。弱いからこそ、強くなりたいんだ。誰よりも、何よりも――ありとあらゆる総てから、家族を護れるように」
私は弱い。だからこそ、私は自らの弱さが赦せない。
弱い己自身を殺したいと、どれほど願ってきたことか。だからこそ、千狐には感謝しているのだ。
例えどれほど可能性が低かったとしても、今の私には強くなれる可能性がある。
手の届かぬ夢であったはずの境地へと、至れる可能性が残っているのだ。
例えそれが、どれほど小さな可能性であったとしても。
「――私は、誰よりも強くなりたい」
「……そっか」
私の独白に、凛は小さくそう返す。
その短い言葉は無関心ゆえではない。言葉では言い表せぬほどの、万感の想いが込められたものであった。
だからこそ、私はその左記を促すことはせず、ただ沈黙して凛の言葉を待つ。
そして――やがて、決心したのだろう。顔を上げた凛は、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
「あたしはね……仁に、ずっとあやまりたかった。仁の魔力をとってしまって、ごめんなさいって」
「……凛は、何も悪くなどないだろう?」
「でも、あたしが仁の魔力をとっちゃったのは、ほんとうだから……」
幼い言葉で紡がれる、自責の念。
その若さに似合わぬ思いは、半ば強迫観念のように凛の心を縛り付けていた。
「周りのひとたちは、仁にひどいことを言ってたんだよ?」
「そうかもしれないな……精霊が露見していない頃の私は、火之崎にとって厄介者だったから」
「あたしは、それが嫌だった。そんな人たちにほめられたって、嬉しくもなんともなかった。仁からとっちゃった力なのに……仁ばっかりがつらい目にあっているのが、あたしは嫌だった」
凛は、空しさを感じていたのだろう。
偶然手に入れた力で、誰かから搾取してしまった力で、賞賛を浴びることが。
そんな私の想像を裏付けるように、凛は徐々に力の篭る声で独白を続ける。
「仁だってがんばっていたのに。元々は仁の力だったのに。あたしばっかりほめられるのが、嫌だった」
「優しいな、お前は……本当に、優しいよ」
「でも、やさしいだけじゃダメだよ。あたしは、強くなりたい。あたしのせいで弱くなっちゃった仁を、あたしの弟を……あたし自身が、護れるようになりたい……でも」
凛は、一度言葉を切る。
その表情の中に、深い後悔を抱えながら。
「あたしはあの時、何もできなかった。ぼろぼろになっていく仁に、何もできなかった……あたしが、護らなきゃいけなかったのに!」
何とまあ――似たり寄ったりな姉弟だろうか。
私たちは、互いが互いを護ろうとしている。
互いに理解し合う前から、ずっとずっと、相手のことを大切にし続けていたのだ。
だからこそ、私は笑む。凛の想いを確かに受け取って、その願いを抱きながら。
「何もできなかったなどということはない。凛、お前があの男に啖呵を切ってくれたから、私は確かに救われたんだ」
「でも……あたしは、仁をたすけられなかった」
「助けて貰ったさ。あの時、凛がああやって叫んでくれたから……私は、一切の躊躇いなく戦うことができた」
凛が叫んでくれたあの言葉が、私に確かな力を与えてくれた。踏み込むための勇気を与えてくれた。
痛みも、熱も、総てを乗り越えて戦うことができたのだ。
私たちは一緒に生まれて、別々に暮らし、別々に育って――同じ想いを共有していた。
愛しき我が双子の姉。私たちは今日この時、初めて互いの本当の想いを交わし合ったのだ。
だからこそ、私は笑う。大切な家族と、想いを共有できた喜びに。
「凛。私たちは、互いが互いを護りたいと思っている」
「ん……うん」
「だから、競争だ」
私の告げた言葉に、凛はようやく動きを見せていた。
大きく丸い目を見開きながら、きょとんとした表情で私を見つめる。
そんな彼女へと、私はにやりとした笑みを返していた。
「私とお前、どちらが先に強くなるか。どちらが相手を護れるのか。お互いに、競争するんだ」
「……競争。競争、か」
凛は私の言葉を反芻し――そしてようやく、その顔に笑みを見せる。
私も初めて見る、けれど確かに彼女らしいと言えるような、勝気で強気な笑み。
――初めて本当の凛に出会えたような、そんな錯覚を覚えながら。
「……いいよ、競争。あたしはぜったい強くなって、仁のことを助けてみせる!」
「その意気だ」
言って、私は右手を差し出す。
対する凛も、まるで図っていたかのように同時に手を伸ばし、互いの手を握る。
「負けないぞ?」
「あたしだって!」
――この日ようやく、私は双子の姉と出逢ったのだった。




