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汝、不屈であれ!  作者: Allen
第2章 白霧の迷宮
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028:朱莉との対話











 姉上の訓練を見学し、その訓練内容についてひとしきり考察した頃には、姉上も訓練を終了していた。

 元々、本来の予定とは異なる訓練であったのだろう。あまり時間をかけて行うことは無かった。

 とは言え、疲労困憊な様子の姉上は、シャワーで一頻り汗を流した後、疲れた表情のまま私のところまで戻ってきていた。



「お疲れ様、姉上」

「うん、ありがとー……もう、お父様ってば。ちょっと顔を出しただけなのに、こんなに頑張っちゃうんだから」

「父上も、色々と嬉しかったんだろうさ」



 小さな娘に頼られて、喜ばない父親などいるまい。

 少々複雑な立場にあるとは言え、父上も一人の父親であるのだから。

 そんな当の父上はといえば――未だ、一人で訓練を続けていた。

 分家の者達との組み手、姉上との訓練、それらを経ても未だ衰えぬ圧倒的な魔力。

 一切散ることの無い紅い魔力のオーラを身に纏いながら、父上はまるで演武するかのように武術の型を繰り返していた。

 武術としては見慣れぬ動きだ。恐らく、私の前世にはない、魔法使いとしての戦闘を加味した上での武術だろう。



『基礎も基礎……純粋なる型の訓練。凄まじいものだ』

『あるじよ、何か分かるのか?』

『あの領域に至ってまで、未だ基礎固めを行っているということだ。あれは、回り回った果てに行き着く境地だよ』



 どのような武術であれ、基礎というものはある種の究極であるのだ。

 総じて言えば、最も理想的な動きこそが、基礎というものに当たる。

 なればこそ、その一撃を理想的な形で打ち込むことができるならば、どのような敵であろうとも打倒することができる。

 実戦における駆け引きは、その型をいかに崩さず、いかにして当てることができるのか――究極的に言えば、その一点に限るとも言えるのだ。

 だが、実戦を繰り返せば、型は自然と歪んでいく。相手の癖に合わせた動作を行えば、己自身にも少しずつ歪みが生じていく。

 実戦で磨いた技術と言うものもあるが、基礎固めを行わずに磨き上げた業は、精鋭化されている代わりに隙が生じやすい。

 父上ほどの技術を持つ者が相手となれば、絶好のカモとなってしまうだろう。



『父上は満足していない。ある種の頂点に立ちながら、それでも尚。果たして、どこまで行き着くつもりなのやら』

『伊達ではないのう。あれが、お主の目指すべき場所か?』

『そうだな……いずれ、辿り着かなくては』



 才能と努力の果てに辿り着いたであろう境地。

 非才の身である私では、あの場に辿り着くことは恐らく不可能だろう。

 だが、それでも、私が諦める理由になどなりはしない。

 求めなければ、手を伸ばさなければ、何者にもなることは出来ないのだから。



「うーん……お父様って、本当に疲れ知らずよねぇ。仕事があっても、訓練だけは絶対に欠かさないし」

「それが、火之崎の当主に必要なことなんだろう」

「ああ、お父様もそう言ってたわね。本当に、凄いよ」



 深い、実感の篭った姉上の呟き。

 姉上は、父上との訓練を始めてから、ずっとあの頂を見上げ続けてきたのだろう。

 その呟きに込められた感情は、十歳児らしからぬ重さを含んだものであった。

 だが、それでも折れるような心配はないだろう。姉上は、本当に楽しみながら訓練を行っていたのだから。

 まるで、強くなることが喜びであると、そう主張するかのように。



「さ、そろそろ行こっか、仁。もう訓練も十分だしね」

「また散歩にでも?」

「うん、そうだけど……一回屋敷に戻ろうかなって。服もちょっと着替えたいし、お母様も戻ってきてるかもしれないからね」



 姉上の言葉に、私は頷く。

 汗は流し、服も熱で湿気を飛ばしたとは言え、着替えたいのは当然だろう。

 それに私としても、母上とは少し話をしておきたいと思っていた。

 父上ほど接触が難しいわけではないのだが、それでも多忙な身なのか、母上は中々捕まらないのだ。

 この機会に会えるのであれば、話を聞いておきたいことがある。



「分かった。一度戻るとしようか」

「うん。それじゃ、出発だよ」



 二人して一度父上のほうへと視線を向けてから、私と姉上は訓練場を後にする。

 ちらりと見た父上は、未だ変わらず型を繰り返し、その上で私たちの気配を感じ取っているようにも思えた。

 いやはや、全く――本当に底の知れない人物だ。



「仁、どうしたの?」

「いや、何でもない。行くとしよう」



 ここでいつまでも父上の様子を眺めていても仕方がない。

 今は、母上を探して動き出さなければならないのだから。


 姉上に続いて訓練場から出て、元来た道を戻る。

 あまりこの火之崎の内情を知ることはできなかったが、父上と話すことができたのは大きな収穫であると言えるだろう。

 人の姿は、正直なところそれほど多くはない。

 現状ではそれほど内情に触れられていないため、彼らが普段どのような仕事をしているのかは分からないが、火之崎である以上戦いに関する何かを行っているのは間違いないだろう。

 仕事にしろ訓練にしろ、戦うことが火之崎の仕事なのだから。



「しかし……」

「ん? どうかしたの、仁?」

「ああ、いや……この家は広いな、と。前に居た病院との敷地と、それほど変わらないように思えたのでな」

「そうかな? 私はずっとここで暮らしてたから」



 家の大きさの常識については、まあ追々知ることになるとは思うが。

 とにかく、この家は非常に広い。家というより、ある種の施設という扱いなのだろうか。

 あの病院の全敷地とも変わらぬ広さは、人の暮らす場所としては少々広すぎる。

 尤も、この強大な魔法使いの集う火之崎では、それぐらいの広さがなければ不便が多いのかもしれないが。

 何しろ、日常的に炎の魔法を使っているのだ。爆発音が響くこともしょっちゅうであり、消音の結界を含めてそれなりの広さが要求される。

 建物自体にも、非常に高い魔法耐性が付与されており、ちょっとやそっとの魔法ではびくともしないだろう。

 流石に、父上や母上の本気となればどうしようもないだろうが。



「正直なところで言えば、あまり慣れない広さではある。人が暮らすにしては少々大きすぎるしな」

「仁は病室で暮らしてたからねぇ。でも、そのうち慣れるよ」



 さも常識のように言っているが、生憎と火之崎がおかしいだけである。

 私からすれば、幾つもの棟がある大学の校舎で暮らしているような印象だ。

 まあ、こちらは外見が日本家屋であるため、そこまで閉塞的な印象を受けるわけではないのだが。

 戻ってきた、一際立派な宗家の屋敷を見上げながら、私は小さく嘆息する。

 貧乏性な人間の感覚からすれば、これは少々巨大すぎるのだ。



「……まあ、姉上の言う通りか」



 感覚を狂わせるつもりはないが、その内慣れることは事実だろう。

 あまり深刻に考えるようなことでもないと、私は門を潜った先の屋敷から視線を降ろす。

 と――そんな私の視界の端に、ふと紅い色が映り込んだ。

 この火之崎において、赤という色は日常的に見かけるものだが、この色彩は少々異なる。

 鮮やかで、それでいて目に優しい、美しい紅。

 あれは――



「母上?」

「あっ、お母様! 何してるのー?」



 いつもと同じ紅の、だが柄の意匠だけが異なる着物を纏った母上の姿。

 烏の濡れ羽色の髪を一纏めにして肩から流すその姿は、ただそこに在るだけで流麗であり妖艶でもある。

 変わらぬ美しさを持つ母上は、しかしまるで子供のように柔らかな笑みで、私たちを暖かく出迎えてくれた。



「朱音ちゃん、仁ちゃん。今ちょうど、仕事が一段落着いて休憩していたところなのよ。一緒におやつでも食べましょう?」

「あっ、ホント!? 仁、行こっ!」

「まあ、ご相伴に預かるとしようか」



 姉上は喜び勇んで私の手を掴み、母上のほうへと走り寄っていく。

 抵抗せずに引っ張られながら、そんな彼女の様子に対して私は思わず笑みを零していた。

 母上も、姉上の姿を微笑ましく思っているのか、くすくすと笑いを零しながら準備を始める。

 流石に、私たちが来ることを予想していたわけではないのだろう。



「二人とも、手を洗ってうがいをして来なさい。その間に準備しておくから」

「はーい!」



 すっかりご機嫌な様子の姉上は、着替えという目的もどこへやら、私の手を引いたまま台所へと向かっていた。

 まあ、付き合うと決めた以上は拒否するようなつもりもなく、そもそもこの家は茶も菓子も高級な品ばかりなので、私としても少し楽しみだ。

 言われたとおりに手洗いとうがいを済ませて縁側まで戻れば、母上はお盆に緑茶と羊羹を載せて私たちを出迎えてくれた。



「ちゃんと洗ってきたわね。それじゃ、お茶にしましょう」

「やった! ほら仁、一緒に食べよう!」



 どうやら、姉上の視線は羊羹に釘付けのようだ。

 私としては緑茶のほうが気になっているのだが、まあ言及することもないだろう。

 羊羹も楽しみであることに変わりはないのだから。

 お盆を膝の上に乗せた母上を挟むように、両隣に座りながら一息つく。

 ――思えば、このようにゆっくりとした時間を過ごすのは、これが初めてかもしれない。



『生き急いでいたからな……努力した甲斐があった、というものかもしれないな』

『大げさじゃのう。この程度で幸福とは……お主ならではかも知れんの』



 このような些細なことも、ある種の幸福であるのだ。

 才なく生まれてしまった私には、このような些細な幸福も享受できなかったかもしれないのだから。

 こうして今ここにいられるのは、母上が私を見捨てずにいてくれたおかげだろう。

 その事実を思い浮かべた私は、ふと以前から抱いていた疑問を口にしていた。



「母上は……どうして私を見捨てなかったのですか?」



 僅かに、息を飲む音。それは、姉上のものであっただろう。

 私の言葉を耳にした母上は、しかし動揺した様子は一切ない。

 それどころか、普段と変わらぬ淡い笑みを浮かべたまま、私の質問に対して答えを返していた。



「直感かしら。この子を見捨てたら、きっと後悔するって」

「ちょ、直感ですか?」

「そう。結構当たるのよ、私の直感って。まあそれに――私も、同じような立場だったからね」

「え――」



 驚愕に目を見開き、私は母上の顔を見上げる。

 だが、母上はまるで誤魔化すように笑みを深め、言葉を繋いでいた。



「仁ちゃん。それよりも、もっと聞きたいことがあったんじゃないの?」

「……そうですね」



 恐らく、追求したところで答えてはくれないだろう。少なくとも、今はまだ。

 ならば、今追求したところで意味はない。それよりも、聞くべきことを聞かなくてはならないだろう。



「母上……私は、凛と話をしたいと思っています」

「うん、そうね。きっと、それがいいと思うわ」

「私は、凛のことをちゃんと見ていなかった。いえ、強がっている凛のことを見て、分かった気になっていただけです」



 あの子がどうして、私のことを気にかけ続けていたのか。

 その胸中で、果たしてどんな思いが渦巻いていたのか。

 上辺を見て、勝手に想像して――それで理解したなどと、おこがましいにもほどがある。

 だから私は、話をしなくてはならない。あの子と……私と共に生まれた、たった一人の片割れと。

 私の言葉を聞き、母上は湯飲みを置いて静かに言葉を紡いでいた。



「きっと、私が悪い部分が大きいでしょうね。凛ちゃんには、仁ちゃんを護るようにと言い聞かせてきたから」

「それは、以前に聞きました。無理もないことだとは思います」

「ありがとう、仁ちゃん。でもね……私の言葉があの子を縛り付けてしまったのは事実なのよ」



 小さく、嘆くように――母上は、そう独りごちる。

 その言葉を否定することは、私にも出来なかった。

 私は、その言葉を否定できるほど、凛のことを見つめていたわけではないのだから。



「私の言葉で、あの子のこれまでを否定するわけには行かないわ。始まりを与えた私が、その始まりを否定してしまっては、あの子に深い傷を残してしまうことになる」

「……だから、私が決着をつけるべきなんですね」

「お願いできるかしら、仁ちゃん」

「ええ、最初からそのつもりでしたから。私が凛に嫌われていなければ、大丈夫ですよ」

「あら、それなら心配は要らないわ」



 小さく笑い、母上は再び湯飲みを手にする。

 重苦しい話は、これで終わりだというかのように――優しい表情で、笑いながら。



「だってあの子、仁ちゃんのこと大好きだもの」





















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