026:朱音の努力
元いた結界席に戻れば、姉上の修行風景は違ったものに変化していた。
先ほどのように離れて魔法を撃ち合うのではなく、父上は姉上の傍に立ちながら、何やら指導をしているように見える。
どうやら、一から十まであのようなスパルタ方式という訳ではなかったらしい。
現在の所、姉上は訓練場の中ほどにせり出した的へと向けて、展開した魔法を放っているようだが――果たして、あれは何の訓練なのか。
放たれているのは、断続的に飛翔する炎の弾丸。
姉上の周囲にはいくつもの火球が浮遊し、そこから炎の弾丸がまるで機関銃のように放たれているのだ。
『ふむ、《収束式》と《連結式》……それにあれは《爆裂式》かの? 見てみろ、あるじよ。的に命中した炎が爆ぜておるぞ』
「ほう……となると、あれは三級の魔法なのか」
病院で初音に使わせたものと同じ、三級の魔法。
一流の魔法使いならば当たり前のように使える魔法であるが、これを扱うにはかなりの習熟が必要だ。
初音の場合は私が支えていたからこそ発動することができたが、彼女一人では術式を維持することができなかっただろう。
だが、姉上が使うとなれば、正直なところそれほど不思議であるとは思えない。
姉上もまだ子供ではあるが、先ほどの訓練の様子は見ているのだ。
正直なところ、あれだけの技術があるならば、三級の魔法とて操ることはそう難しくはないだろう。
『しかし、術式が少々荒いの。お主の姉君にしては、不安定に過ぎる』
「む、確かに。姉上が扱うならば、もっと安定した術式なっていてもおかしくはないのだが」
千狐の言葉に《掌握》を発動させれば、姉上の術式は確かに綻びの見える、不安定なものとなっていた。
これはまた、ますますおかしな話だ。姉上の技術ならば、三級ならば完全な形で発動させられても不思議ではないのだから。
となれば、他に何かの理由があるということだろう。
姉上が術式をしっかりと編めないような、そんな制限があった上での訓練と言うことか。
私がそう考えている内に、維持の限界を迎えたのか、姉上は魔法を中断して術式を霧散させていた。
その様子に、軽く息を吐き出した父上が声をかける。
「まだ甘いな。付加術式に意識を取られすぎて、基底術式が歪んでいる。《属性深化》が染まりきっていない証拠だ」
「はい……」
「では、もう一度だ。始めろ」
「ふぅ……【集い】、【連なり】、【爆ぜよ】ッ!」
姉上は、父上の指示に従って再び魔法を唱える。
その詠唱に、私は思わず目を見開いていた。
「圧縮詠唱での三級魔法、しかも《属性深化》を行った上でのものか……!」
『成程のぅ、それであの不安定な術式じゃった訳か。初音どころか、お主の制御力でも真似は出来んじゃろうな、あるじよ』
「まともに魔法詠唱もしたことがない私に対して何を言っている……しかし、三級の圧縮とはな。一流の戦闘魔法使いの条件のようなものだぞ?」
詠唱のキーワードを取り出し、ごく短い言葉で術式を完成させる圧縮詠唱。
高速で展開する戦闘において、この技術は何よりも重要なものとなる。
だからこそ、多くの魔法使いたちがこの技術の修練を重ねているのだが――実際のところ、圧縮詠唱が可能なのは三級までであると認識されている。
指数的に制御難度が高まる魔法の等級において、二級以上の魔法は圧縮することが非常に困難なのだ。
しかし逆に言えば、三級の圧縮までならば現実的な範囲であるとも言える。
それ故に、三級の魔法を圧縮詠唱で放てることは、一種のステータスであると言えるのだ。
場合によっては、一級や二級の魔法を扱えるよりも、三級の圧縮ができる方が強力な魔法使いと扱われることもあるのだから。
「つくづく、十歳とは思えないな……一体どのような訓練を積んで来たのやら」
『お主も負けておれんのぅ、あるじよ』
「分かっているよ。《王権》に頼るのではなく、私自身の力で超えてみせるさ。まあ、私にはできないこともしているようだが」
『《属性深化》か……それは仕方あるまい。むしろ、お主にとっては使わぬ方が良いかもしれんしの』
《属性深化》とは、簡単に言ってしまえば特定の属性に特化する技術、というものだ。
自らの魔力そのものを、特定の属性に染め上げていく行為。これは、メリットとデメリットの両方が存在する技術だ。
メリットとしては、その特定の属性魔法がかなり強化されると言うこと。
魔法の威力、消費魔力、術式の構成難易度――魔法を使う上でのあらゆる面が強化される。
それに加えて大きいのは、圧縮詠唱時に基底術式の詠唱が必要なくなるという点だろう。
先ほどの姉上の詠唱で言えば、最初に【炎よ】などの詠唱を行わずに術式を構成することができている。
たった一語句とは言え、同時に詠唱すれば、速いのは当然詠唱が短い方だ。
火之崎が火の魔法を扱う上では、ある意味必須であるとも言える技能だろう。
(だが、属性に特化していない私では、むしろ邪魔にしかならない代物だな)
《属性深化》は、特定の属性に特化した魔法使いが修める技術だ。
逆に言えば、得意な属性を持たない私のような存在にとっては、むしろ邪魔になる部分が多い代物であると言える。
《属性深化》を行った場合、その属性以外の属性に関しては、魔法の効率が大幅に悪くなることになる。
特に、相反する属性に至っては、発動すること事態が困難になってしまうのだ。
それにそもそも、《属性深化》にはその属性に対する高い適正が要求される。
属性への適正をあまり持たない私では、習得に掛かる手間とデメリットを考えると、とてもではないが手を出す気にはなれない技術であると言えるだろう。
「魔力を属性に特化して染めるのは、中々に骨な作業だったと認識しているが……姉上は既に終えているのか」
『完璧とは言いがたいようじゃがな。だがそれも、時間の問題であろうよ』
千狐の言う通り、姉上は既に基底術式の詠唱を行わずに魔法を発動させている。
と言うことは、既に《属性深化》は十分なレベルにまで達していると言うことだろう。
《属性深化》は、私が魔力の純度を上げる時と同じように、魔素を取り込む際に特定の属性に染め上げることで行われる。
これを体に馴染ませるには相当な時間を要するはずなのだが、果たして一体何歳の頃からその訓練を行っていたのだろうか。
『才能も一級品、課せられた訓練も一級品。その重責に押し潰されることのない精神もまた一級品――ここまで来ると、火之崎の教育体制が気になるものじゃな』
「幼少からの英才教育だろうな。火之崎である以上は、その方が幸せだろうが」
これまで火之崎とはあまり接点を持たなかった私だが、火之崎の魔法使いたちがやや極端な思考をしていることは把握している。
軍人気質……とは少し違うか。近いものは、ノブレス・オブリージュだろう。
火之崎は国家戦力だ。それ相応の振る舞いと言うものが求められる。
だが千狐は、私の言葉に対し、少々意外そうな表情を浮かべていた。
『お主の場合、子供にそのような教育をすることに反対するかと思っておったのじゃがな』
「子供好きであることは否定せんし、子供は何も考えずに遊んでいるほうがいい、と言う考えがあることも事実だ。だが……将来的に考えれば、火之崎は火之崎であることのほうが幸せなのだ」
火之崎に、四大の一族に求められているものは力だ。
日本は場所の関係上、常に危険に晒されているといっても過言ではない。
四大の一族は、それらの危険から国民を護るための防波堤なのだ。
だからこそ、四大の一族の運営には税金が使われており、即ち公務員にも近い存在であるといえる。
国家予算の一部で運営されている四つの家系。我々の暮らしは、国民の血税によって支えられている。
だからこそ私たちは、国民と同じ目線でものを考えるべきではないのだ。
「もしあの子達が普通の子供たちと同じ価値観を持っていれば、大いに悩むことになるだろう。それ自体は否定することではないのかもしれないが……今日まで私たちが国民の血税で暮らしてきた以上、それに報いる義務が発生する」
『理想と義務感の板ばさみに苦しむことになるならば、初めから『火之崎』であるべきじゃと?』
「その通りだ。前世でも公務員として生きていたから、多少は分かる。まあ、ここまで極端ではなかったが……我々は、国民の上に立つ存在だ。四大の一族は、国民にとっての英雄でなくてはならない。その中でも最強と名高い火之崎ならば、尚更だ」
だからこそ、四大の一族の教育は、若干偏った洗脳教育にならざるをえない。
そうでなければ、国民の上に立つものとしての精神性を養うことができないからだ。
四大に生まれた以上、国民からの支援を受け、国民に奉仕する存在でなくてはならなくなる。
逆に、私がその教育を受けていなかったのは、私に魔法使いとしての才がなかったためだろう。
火之崎から放逐される可能性を考慮した上での扱いだったと言うべきか。
「何にせよ、そうして教育を施さねば、子供たちはむしろもっと不幸な結末を迎えることになりかねない。火之崎の……四大の子供たちを護るためならば、むしろ今の方がベストだと言えるだろう」
『難しいものじゃな。安易な考えが、子供たちにとっての幸福に繋がるとは限らんというわけか』
「何を幸福と取るかによる話だがな。だが、火之崎という存在がなくなれば、国そのものが危険に晒されてしまう。一面的に見て、安易に決めるわけには行かない話だよ」
全く持って、難しい話だ。この手の議論は聞き飽きるほどになされていることだろう。
だが結局のところ、今の形を変えることなどできるはずがない。
日本は危うい均衡の上に成り立っているのだ。その支柱を安易に揺らしてしまっては、国全体に影響が及びかねない。
保守的な考えではあるが、安易な考えで手を出すべきではない話だろう。
私としても、元は公務員なのだ。そこまで極端であるとは言えないが、奉仕精神に理解がないわけではない。
姉上も、相応の教育を受けたからこその、あれだけの実力なのだろう。
「……凛は、どうなのだろうな」
『あるじよ、どうかしたのか?』
「いや、何でもない」
首を横に振るが、千狐はおおよそ察しているだろう。
私の心配事など、おおよそ決まっているようなものだ。
凛。私の、双子の姉。思えば私たちは、あまり入れ込んだ会話をしたことがなかったように思える。
凛は私を体の弱い弟だと、認識していた。私も、そんな彼女の世話焼きを受け入れていた。
ある意味では、歪んだ双子関係だったと言えるだろう。
結局のところ、私も凛も、互いの認識を押し付け合っていたに過ぎないのだ。
(……情けないことだ)
子供の凛に関しては、仕方のないことだろう。
幼い子供の視野が狭いことなど、考えるまでもないことだったのだから。
反省すべきは私だ。凛という個人のことを、私はしっかりと見てやることができなかった。
私たちは双子の姉弟だというのに、互いのことをあまりにも知らなさ過ぎる。
(話を、しなければならないだろうな。先ほどの姉上と同じように二人きりで、けれど今度は、腹の内側まで曝け出して)
火之崎凛はどんな人物なのか、火之崎仁はどんな人物なのか――互いに知って、そしてこれからを決めるべきだろう。
少なくとも今は、あの時の私のように、取り返しのつかない状態になってしまったわけではないのだから。
まあ、何はともあれ、先に凛を捕まえることが先決だろう。
先ほどのように、あからさまに避けられている様子では、話をするのもなかなかに難しそうではあるが。
今のままでいてしまえば、後悔するのは私達なのだ。何とかして、会話をしなければならない。
――そう、決意を新たにしていた時だった。
「……仁、こちらに来い」
訓練場の中心、疲れた表情を隠せずにいる姉上の隣。
その場で、先ほど同様一切疲労した様子すら見せない父上は、結界席の中にいる私へと、招く声を発していた。