024:父親との関係
「仁を連れ出したのか、朱音」
「あ、うん……駄目だった?」
「いや、構わん。このような場所でもなければ、中々時間も取れないからな」
汗一つかいた様子のない父上は、姉上の言葉に頷きながら私たちのほうへと接近する。
今の私が小さいというのもあるが、父上の姿はかなり大きく見えた。
だがそれは、実際に背が高いからというわけではないだろう。
決して低いというわけではないが、父上の身長は恐らく180はない。
おおよそ、成人男性の中でも普通の背丈であると言えるだろう。
父上を大きく見せているのは、間違いなくその存在感だ。
「さて……よく来たな、仁」
「……はい、父上」
白い髪と、深紅の瞳。
アルビノのようにも見えるが、肌はそれなりに焼けており、光に対する弱さなどがあるようには思えない。
瞳の色については魔力の属性による影響だろうが、髪に関しては謎だ。
染めているわけでもないのに真っ白になっている父上の髪にも、先ほどの魔力の鎧と同じように何かしらの秘密があるのだろうか。
内心でそんな疑問を抱く私に対し、父上は口を引き結んだまま沈黙し、私のことを見下ろしていた。
しばし沈黙が流れ……流石に焦れてきてしまい、私は父上に問いかける。
「あの……父上、私に何か御用でしょうか?」
「……いや、そういう訳ではない」
一度目を閉じて視線を逸らし、父上は僅かに嘆息する。
鉄面皮の、火之崎家の当主としての表情。だが、何故だろうか。
その無表情の中に、どこか躊躇いのようなものを感じられるのは。
少しだけ分かる――父上は、迷っているのだろう。
生まれてこの方五年間、ずっと顔を合わせることなく……それこそ、本当にただの一度として会ったことのなかった父子。
困惑もするだろう。私自身、もし今の状態で前世の娘にもう一度会えると言われても、どんな顔をすればいいのか想像もつかない。
私に才能が無ければ、本当に何の価値も示せない子供であったならば、父上は火之崎の当主として私を切り捨てることが出来ただろう。
だが、今の私は価値を示した。火之崎の一員として認められた。だからこそ、父上はどう接していいのか分からないのだ。
息子としてなのか、部下としてなのか、末端としてなのか、幹部としてなのか――私の存在は、酷く中途半端だ。
「父上、私は……私も、何を話せばいいのか、よく分かりません」
「仁、お前は……」
「私と父上は本当に……まだ、片手で数えられる程度にしか、顔を合わせていませんから」
父上のスタンスを察することは、やはりまだ難しい。
だが、少しだけ分かる。この人には、肉親の情が一切存在しないという訳ではないのだと。
それ以上に火之崎としての己に対する自負と責任を持っているが、家族に対してはそれ相応の感情を有しているのだろう。
もしも祖父のような人物であれば――火之崎としての思考に染まりきった人間であったならば、私もあまり近づこうとは思わなかっただろう。
だが、この人物ならば、今しばし見極めるべきだろう。
「だから、これから始めましょう、父上。どのような形でもいい。私と、父上の関係を始めましょう」
「……精霊に学んだ言葉か。驚いた。お前は本当に、勤勉な男であるようだな」
父上は――どうやら既に、私のことを一人の個人として認識しているらしい。
これは、母上ですらしていないことだ。あの人は、私を己の子供として見ている側面が強い。
だが、父上は違う。私を一人の男として、一人の魔法使いとして、上の立場に立ちながらも大人を相手するように見ているのだ。
これまでに私をそう扱ったのは、あの事件の中での婦長ぐらいなものだろう。
まともに会話したこともない、己の息子に対してそのように話せるとは、驚くべきことだ。
「お前はこれから、火之崎の一員となる。その意味を、その価値を、お前は正しく理解しなくてはならない」
「……はい」
上辺だけであれば、私もある程度察することはできている。
だが、これはこの一族を纏め上げる父上の言葉だ。軽々しく『分かっている』などと口にすることはできない。
重みが違うのだ。一族の命運を束ねてきた父上は、それだけの重みを背負ってこの場に立っている。
その立場を理解しながら、同時に父であろうとするのは、とても難しいことだろう。
「先ほども言ったが、俺はお前の勤勉さに期待している。お前は確かに、魔法には優れんだろう。だが、そのような身の上でありながら、頂にまで至った人間を俺は知っている……お前の目指す場所は、そこだろう?」
「っ……父上、何故それを?」
「お前が、ただ精霊の言葉を鵜呑みにするだけの男であったならばすぐに分かる。だが、お前はそうではなかった。己の志を持って精霊の言葉に耳を貸し、あれだけの戦果を打ち立てたのだろう」
見透かしたような――否、事実として私の心を正確に把握しながら、父上は言葉を紡ぐ。
これが、火之崎の頂点に立つ者のカリスマとでも言うべきなのだろうか。
並大抵の観察眼ではない。そして、その推察を確信を持って断言できるだけの自負を持っている。
底が知れない、と言うべきか。私が見極めるつもりであったが、私に推し量れる器ではないのかもしれない。
「お前がこれから何をするのか、何を目指し、何を成し遂げようとするのか。火之崎として、楽しみにしている」
「……はい、ありがとうございます、父上」
感服し、頭を下げる。
私の見える範囲では、父上の在り方は火之崎の当主としてのものだった。
私を一人の人物として見なし、その上で私という存在を受け入れた。
血縁として、親子として――私をそう見なしているのかどうかはわからない。
だが、少なくとも血縁としての情は僅かながらに残っている。そう、思えるのだ。
「さて、せっかくここまで来たのだ……朱音、修行を始めるぞ」
「えっ、いきなり!? 仁に見せるの、お父様?」
「それは、仁の自由だな。何が己にとっての糧となるか、それは仁が己自身で判断できることだろう」
それは信頼なのか、はたまた事実に基づいた判断なのか。
流石に、これほどの傑物にそういいきられると、少々気恥ずかしい気分になる。
だが、参考になることは事実だろう。ここは、見学させてもらうとしよう。
「見学していきます。姉上は、修行を頑張ってくれ」
「んー、そう言われたら、お姉ちゃんは頑張るしかないか! 見ててね、仁!」
年上ぶりたい年頃ということか、姉上は張り切って父上の元へと駆け寄る。
父上と姉上の訓練となれば、そこで扱われるのは火之崎の魔法ということになるだろう。
流石に、この場で特殊な術式の訓練は行わないだろうが、やはり興味はある。
思えば、私の知る魔法使いの訓練というのは、全て千狐から教え込まれたものしかないのだ。
通常の――と言っていいのかどうかは微妙だが――魔法の訓練方法も見ておきたいところである。
「では仁、あちらの結界席のところで待機していろ。朱音、始めるぞ」
「はいっ!」
姉上の返事が、これまでの子供らしいものから、どこか芯の通ったそれへと変化する。
どうやら、姉上は公私を分けるタイプであるようだ。
子供にしては切り替えが上手い――社会に出た上では、人当たりが良くも本音を隠せるタイプになるだろう。
まあ、それは流石にそれは気が早いだろうが。
父上に言われたとおり、結界魔法で防御された座席へと移動しつつ、私は《掌握》を発動させて父上たちの様子を観察する。
父上と姉上は、互いに十メートルほどの距離を開けて相対し、互いに魔力を励起させて準備を完了させていた。
「……千狐、見えるか? 父上と姉上の魔力だが」
『うむ。お主の姉君の魔力は宙へと霧散して行っておるが……父君の魔力は、体外へと放出されたものも含めて循環しておるの』
「体外に出した魔力を、再び体内に循環させているのか? ……そんなことが、可能なのか?」
『見たままを言えば、可能なのじゃろうて。妾としても、信じがたいことは事実じゃが』
父上のあの魔力の鎧も、ここに何かしらの原因があるということなのだろうか。
流石に、見ただけでは判断することは難しい
母上も同様のものを使っていた、あの魔力のオーラ。
だが、父上に挑んでいた臥煙や大焚たちが使っている様子はなかった。
あれは、よほど難易度の高い技術であると言うことなのだろうか。
「さて、どんな訓練になるのか……」
『む、動くようじゃぞ』
千狐の声と同時――父上の周囲に、炎が発現する。
拳大の炎の塊。驚くべきことに、それは一切の詠唱すらなく、それも恐るべきスピードで編まれた術式だった。
無詠唱は言葉に出さないことにより、術式の構成を悟られにくくしたり、隠密に活用したりするための技術だ。
術式構築のスピードは、明らかに圧縮詠唱に軍配が上がる。
だが、今の父上の魔法は違う。明らかに、詠唱よりも早く魔法が発現していたのだ。
「――【集い】、【貫け】!」
対し、姉上は瞬時に反応して術式を構築、魔法を放つ。
付加しているのは《収束式》と《貫通式》。共に魔法の密度を高める特性のある術式だ。
姉上は、可能な限り高速で魔法を構築すると、父上の放った魔法が接近する前にそれを撃ち落としていた。
しかも、姉上の放った魔法は、父上の魔法をほぼ相殺する形で消滅する。
父上の放った魔法は、威力自体は非常に絞られたものだった。
だからこそ、それを貫くのではなく、相殺する形に手加減するのは非常に難しい。
「術式構築の速度、瞬時の判断力……めまぐるしく変化する戦闘で必要となる技術か」
『放たれた魔法に対し、相殺できる威力を瞬時に判断して対応するということかの? 子供が行うような訓練では断じてないぞ』
「だが、最終的には確かに必要になる技術だ。驚くべきは、十歳で既にそのような領域まで到達していることだろう」
あの事件において、姉上は幾人かの魔法使いを相手にしていた。
考えてみれば、一対多の状態で短い時間とは言え、時間稼ぎをして見せたのだ。
姉上の実力は、既に子供の領域にはないと言っても過言ではないのだろう。
極端な例しか見ていない今の私では、それがどの程度のレベルなのかどうかを判断することはできなかったが。
父上は、同じように魔法を幾度か放ち、それを迎撃させ続ける。
時には威力を、時には速度を、時には軌道を――一切詠唱することなく瞬時に使い分けながら、父上は姉上に対して魔法を放ち続けていた。
攻撃魔法を使っているのは、やはり必死さを煽るためか。こういった技術は、体に覚えこませなければ使うことができないのだ。
流石に、子供相手にはスパルタ過ぎる気はしないでもないが――そう考えていた直後、父上の動きが更に変化する。
「次だ」
小さく告げると同時、父上の周囲には複数の炎が発現していた。
先ほどの術式に加えて、《連装式》と呼ばれる付加術式を加えた魔法。
術式の等級は四級――否、下手をすれば三級になるのか。
『……一流と呼ばれる魔法使いですら、無詠唱は四級が精々なのじゃぞ? それをあんなに、しかも高速で構築したじゃと?』
「最早、何に驚けばいいのか分からんな……」
父上の技術は、隔絶しすぎていて参考にならない。
そもそも、まともに旧式魔法を使ったことのない私では、姉上の訓練すら早すぎると言わざるを得ないだろう。
当の姉上はといえば――若干表情を強張らせながら、それでも素早く術式を構築していた。
「【集い】、【連なれ】っ!」
父上と同様、姉上も《連装式》を付加した魔法を構築する。
術式の構築は素早く、効果は必要最小限に、その上で精密・正確に制御を行う――理念を言葉にすれば単純であり、当たり前で陳腐な内容であるとも言えるだろう。
だが、これを実行するのは至難の業だ。それを、僅か十歳の少女がマスターしようと必死に魔法を操っている。
これが、火之崎の魔法と言うものなのか。無数に撃ち合われる魔法の中、ランダムに変わる威力を正確に見極め、姉上は父上の魔法を迎撃して行く。
だが、深い集中状態を維持する必要があるのだろう。姉上は、今立っている場から一歩も動けずにいた。
対し、父上は――魔法制御を維持したまま、凄まじい速度で姉上の左手側へと瞬時に移動する。
姉上よりも更に難しく、安定性のない魔法を使っているはずの父上が、だ。
「っ、【集い】、【連な】――ふぎゃあっ!?」
「一呼吸遅い」
移動した父上に対し、姉上は一度術式を破棄して再構築しようとしたが、最初の瞬間に動揺してしまったのが仇となったのだろう、間に合わずに父上の攻撃を喰らってしまっていた。
軽く爆ぜた炎の衝撃を顔面に受け、姉上は思わず大きく仰け反る。
顔面を押さえて蹲っている姉上に対し、父上はそれでも容赦なく言葉を投げかけていた。
「咄嗟の状況であるならば大雑把でもいい、等級の低い魔法を構築しろ。それ以上では間に合わん」
「うう……けれど、今のは五級程度では対処し切れませんでした」
「僅かに時間を稼げればいい。仕切り直し、その上で術式を構築しろ。そうすれば問題はない」
「……分かりました」
顔を上げた姉上の顔面には、火傷の痕は一つもない。
どうやら、火之崎は炎に対する耐性自体もかなり高いようだ。
しかし――
「これが、火之崎と言うわけか」
戦闘に特化した魔法使い。それが、この家系にて鍛えられた者たちの姿なのだろう。
まず姉上に追いつくまでにどれほど時間がかかるのか――私は、思わず嘆息を零していた。




