181:エピローグ
未曽有の事態となった、あの戦いが終わって。
私たちの暮らす街は早くも、復興のために動き始めていた。
あの戦いは激しく、魔法使いたちや一般人にも、決して少なくは無い被害が出た。
国内では責任問題など、色々と厄介な話題も上がってはいたが、その論調も徐々に収まってきている。
多くの戦死者が出ている状況でその論調を押し通す人間が多くは無かったという点もあるし、また別のことで話題がすり替えられたことも理由として挙げられるだろう。
尤も――
「……私を神輿に担ぐというのは、流石にどうかと思うのだがな」
「ふふ、でも、仁は実際に事件の首謀者を倒したんだから。十秘跡にだって名を連ねたじゃない」
いつもの部屋で、くすくすと笑う初音の言葉に、私は苦笑を返す。
十秘跡第一位、頂点たる『無貌』を倒した結果、私は奴に代わり十秘跡の第一位として認定されていた。
ちなみに、それを告げたのは他でもない《這い寄る混沌》だった。
その駒を倒したばかりだというのに、まるで意に介した様子の無い声だったことは少々複雑な感情を抱かされたが、奴に認められてしまった以上は、私が一位であることは周知の事実となってしまったのだろう。
つまるところ国内では、『無貌』を倒し十秘跡として名を連ねた私を英雄扱いすることにより、批判の目を逸らしたのだ。
よくやる手であることは分かっているのだが、その中心に据えられた身としては如何ともしがたい心境だ。
「はぁ……まあ、国の方針だからな。そこは大人しく従っておくさ」
「仁は、そういう所結構素直だよね」
「まあな。前世からして、縦社会で働いていたから、この手のことはよくあったさ」
「あんまり従っていなかったのに?」
「……今はきちんと従うさ、その方が目的に沿うからな」
私の言葉に、初音は嬉しそうに微笑みながら、私の肩に頭を預けてくる。
私が国の方針に従っているのは、その方が家族にとって、初音にとって有意であるからだ。
彼女自身それを理解していて、先程のような問いを投げてきたのだろう。
どこか、前よりも遠慮のなくなったようなやり取りに、私は思わず苦笑を零す。
あの戦いの後、私は己の前世について、その全てを初音に打ち明けていた。
私がどのような人間であったか、どんな経験を経てこの世に生を受けたのか。
そして何故、私が家族に執着を持っているのか――余すことなく、全てを。
我ながら、情けない限りであるとは思う。私は過去に縛られたまま、ただひたすら前に進むしかできなくなってしまった人間だ。
その道筋は、ただただ無様であったとしか言いようが無いだろう。
初音にとってみれば、更に私は昔の女が忘れられずにいるということでもある。幻滅されても仕方がない、と思っていたが――
『今の仁は、私のヒーローだもの。それに、いつかきっと、私の方に夢中にさせてみせるから』
その言葉を耳にして、私は笑うしかなかった。
本当に、いつもいつも初音は私の予想を超えてゆく。私が心の底で望んでいた言葉を、当然のように投げかけてくれる。
私にとって、初音は最早、無くてはならない存在だ。けれど、彼女はそれだけで満足することなく、私の心の内側へと入り込んで来ようとしている。
この先、どうなるのかは分からないが――その比重が高まっていくことだけは間違いないだろう。
「……ねえ、仁」
「どうかしたのか?」
楽しげな調子を消し、どこか不安げな声音で零した初音に、私はそう問いかける。
彼女の表情を覗き込めば、そこには不安そうに私を見上げる瞳があった。
一体何がそうも不安なのか――それを知るために、私は彼女の言葉を待つ。
「仁は、あの凄い力を手に入れたんだよね……それは、大丈夫なの? どこか、遠い所に行ってしまったりしない?」
「……それを不安がっていたのか、お前は」
成程、と頷いて、私は苦笑する。
超越は人の領域を遥かに超えた力だ。
強い力には相応の代償が伴う――それは魔法の大原則だ。初音が不安がるのも無理はない。
「あの力は本来、人間には扱いきれないものだ。というより、発動させた時点で、その術者は人間から外れた存在へと変質する」
「それは……あの『無貌』みたいな?」
「あれはまた異なる存在だが、考え方としては間違ってはいない。人外になる訳だからな」
『無貌』の場合は、元々が魔神としての力を持っており、それがさらに《這い寄る混沌》の力を得た存在だった。
人外であること、そして超越者の力を有しているという点では、若干ながら近い存在であるといえるだろう。
超越者とは、ある種の神に近しい存在だ。その領域に達した存在が、人間でいられるはずがない。
――本来ならば。
「じゃあ、仁は――」
「だがまぁ、私の場合は少々勝手が異なる」
「……え? それって、どういうこと?」
「私は、魂そのものは超越者の領域に達しているが、肉体そのものは人間のままだ。私が人としての生を終えるまで、人の領域から外れることは無いという訳だ」
その言葉に、初音は大きく目を見開く。
まあ、魔法使いの理論で説明しきれるものでもないし、中々理解しがたい概念だろう。
そもそも、超越者としても本来あり得ない状態である。
あの力を発動させた時点で、その存在は超越者へと至る。それは最早人間ではなく、一つの法則を元に作り上げられた概念存在へと変貌するのだ。
肉体だけが人間のまま、などということは本来あり得ない。
それを可能としたのは、私自身の超越が特殊な性質を持っていたためだ。
「私が今こうなっているのには、二つ理由がある。一つは、私の力が常時展開されてるものであるためだ」
「……それって、大丈夫なの? あんな強力な力を、ずっと使い続けるなんて……」
「問題は無い。超越というのは一つの法則だ。単純に、そういった法則が世界に追加された、というだけの話だよ」
本来の超越ではあり得ぬ性質だが、私の力は常にその効果を発揮し続けている。
つまるところ、私の力はあの時から、一度として停止していないのだ。
「本来であれば、あの力は己の内側に収めておかなければならないものだ。だが、私の場合はそれをする必要が無い。あれを収めておくための肉体である必要が無いのさ」
「だから……体は人間のままってこと?」
「それが理由の一つだ。けれどそれだけだったら、いずれは変質してしまっていただろう」
いかに体に収めておく必要が無いといっても、私自身があの力を展開していることに変わりはない。
そうなれば、いずれは肉体も適応していき、超越者としての肉体へと変質していたことだろう。
だがもう一つの要素によって、それも防がれているのだ。
「それじゃあ、もう一つの理由は?」
「それは――」
「――勿論、妾の存在があったからじゃな」
私の背後から、声が響く。それと共に、空間から滲み出るように現れたのは、他でもない千狐だった。
だがその瞬間、初音が驚愕と共に目を見開く。
まあ、無理はない。何故なら――今の千狐は、誰にでも目に見える形で姿を現しているのだ。
「え? 千狐、さん? どうして、ここは記憶の中じゃないのに……」
「無論、妾の存在そのものが変質したためじゃよ。妾は今、精霊であって精霊ではない」
「……簡単に言えば、私の力の大部分を千狐に制御して貰っているということだ。状態としては、護国の大精霊に近いな」
今現在、私の形成した力の大半は千狐の手にある状態だ。
正確に言えば、全世界に展開されている『正義に力を与える』という性質は全て千狐が制御を担っている。
それによって、千狐は私に代わり肉体の変質を――神格としての肉体を手に入れたのだ。
その結果、こうして余人にも見えるような体を手に入れたのである。
尤も、精霊としては異質としか言いようのない状態であるため、あまり目に見える形で出て来て欲しくは無いのだが。
そんな私の苦い表情に、千狐はしかしにやにやとした笑みを浮かべて言葉を返していた。
「妾は、あるじの願いを叶える為に在る。故にこそ、このような形になった訳じゃよ」
「仁の、願い?」
「おい、千狐――」
「全く、いい年をして何を照れておる。初音と生涯を共にしたいからこそ、人としての生を終えるまでは人で在りたいと願ったのじゃろうが」
言い返すことが出来ず、私は頬を引き攣らせる。
千狐の指摘は、紛れもなく事実であった。私は、せめて今しばらくは人でありたいと願ったのだ。
《這い寄る混沌》と戦い続ける覚悟は既に決めている。
だがその前に、初音と共に人としての生を歩みたいと――彼女のために人として生きることを願った。
それを、千狐は読み取って反映していたのだ。
だがまさか、それをこうして初音の目の前で暴露されるとは思ってもみなかった。
「あー……その、だな。初音――」
言葉を言い繕おうと、初音の方へと視線を向けて、私は思わず息を飲んでいた。
至近距離で私の目を見つめる、大きく潤んだ蒼い瞳。
透き通った湖のようなその色に、言葉を失う。
思わず硬直した私に、初音は目を閉じて――涙の雫を零しながら、私の頭を抱きしめるように口づけを交わしていた。
その時間は、ほんの僅かなものだっただろうか。だが、それでも永遠のように感じられるその時間の後に、涙を流す初音は赤らんだ表情で微笑んでいた。
「私は、ずっと一緒にいるよ、仁。ずっとずっと、貴方に寄り添って生きていきたい。貴方を一人ぼっちになんてさせない。お婆ちゃんになっても、絶対に……一緒に、いるから」
「初音……」
「大好きだよ、仁。愛してる。貴方が選んでくれたことが、本当に嬉しいの。本当に……ありがとう、仁」
泣き笑いの顔で告げる初音に、私は呆然と目を見開く。
――この少女を離したくないと、私は心の底から、自然とそう感じていた。
初めはただ、庇護の対象としか考えていなかった。
婚約者となり、共に歩く相手として好ましいと思うようになった。
共に暮らすようになって、絶対に守らなければならない家族であると、そう思うようになった。
けれど――これほどに、焦がれるほどの愛情を抱いたのは、これが初めてだ。
「嗚呼――本当に。お前は本当に佳い女だ、初音」
「っ、仁……?」
戸惑う彼女の細い体を、きつく抱きしめる。
あの日に凍り付いていた感情。彼女はそれを、一体いくつ呼び覚ましてくれたのだろう。
今ならば、私は胸を張って過去に向き合える。あの過ち続けた日々も、決して無駄ではなかったのだと、そう断言できる。
嗚呼、私は――
「愛している、初音……お前に出会えたことが、この二度目の生における最大の幸福だ」
「――っ、仁!」
耳まで赤く染まった初音は、再び感極まったように私へと顔を寄せてくる。
それに対して、今度はこちらから口づけを交わして――視界の端でにやにやと笑みを浮かべる私の相棒へと、心の中で告げていた。
『――ここに来ることが出来て、本当に良かった。ありがとう、千狐』
その声が届いたのか、彼女は僅かに目を見開いて――そして、嬉しそうに目を細めた微笑みを浮かべる。
その表情を見届けて、私は静かに目を閉じ、愛しい少女の温かさを余すことなく抱きしめていた。




