018:変わらぬ不屈
婦長に頼み込み、作ってもらった道具に火をつけて投げ入れる。
使ったものはマグネシウム。小学生の理科の実験でも良く使われる、マグネシウムによる燃焼反応だ。
昔は写真のフラッシュにも使われていたものであり、その光量は非常に高い。
それも、燃焼しやすいように綿状にしたものだ。マグネシウムにしても、便秘薬として多くの酸化マグネシウムを手に入れることができる病院だ、錬金術を使える婦長ならば、簡単に作り上げることができた。
周囲が光に覆われているうちに、私は即座に《掌握》を発動して目を瞑り、閃光の中を走り出す。
千狐の力があれば、例え閃光に覆われて視界が塞がれていたとしても、障害物の位置まで詳細に把握することができる。
物陰から飛び出した私は、男達の合間を縫って、素早く姉上に接近していた。
「――姉上!」
「えっ、仁!? 何なの!?」
「急いで! 鞠枝さんの所まで移動します!」
告げて、私は姉上と凛の手を掴んで走り出す。
未だ閃光は収まっていない。周囲の男たちもこの状況に警戒を露にして入るが、視覚が塞がれている以上、簡単には私を捕捉できないだろう。
だが、この光も長く持つわけではない。マグネシウムが燃焼しきるまで、それほど時間的余裕はないのだ。
立ち上がった二人の手を引き、なるべく周囲の男達に接触せぬように鞠枝のほうへと向けて移動する。
このロビーから逃げた方がいいのかもしれないが、予備人員を配置されていた場合、私たちだけでは対処しきれなくなってしまう。
そのため、私は急ぎ鞠枝のほうへと移動し――その途中で、閃光は徐々に弱まり、消えてしまった。
「そこか、クソガキがッ!」
「――っ!」
こちらを捕捉された。《掌握》の反応の中にも、男が急速にこちらに接近してくる気配が伝わってくる。
魔法によって強化されているためか、凄まじい速さだ。今のままでは、追いつかれる――そう思った瞬間、向かう先にいる鞠枝から、一振りのナイフが投げ放たれていた。
魔力のオーラを纏い、凄まじい速さで投げ放たれたナイフは、こちらへ向かってくる男へと真っ直ぐに飛び――男は、それを即座に足を止めて受け止める。
攻撃は通用しなかったが、何とか相手の足は止まった。
その隙に、私は急いで鞠枝に接近して、男達のほうへと振り返る。
そして当の鞠枝はと言えば、ゆっくりとその場に立ち上がったところであった。
「……仁様、貴方は」
「鞠枝さん、二人を頼みます」
男達からは視線を逸らさぬまま、私は鞠枝に姉上と凛を押し付ける
状況は最悪一歩手前。このまま正面から戦えば、私たちは全員成す術無く捕らえられてしまうだろう。
唯一、奴らとも戦える戦力と言えるのは鞠枝だが、既にダメージを負い、武器も失ってしまっている。
傷に関しては治癒魔法でも使ったのか既に塞がっているが、不利は否めないだろう。
彼女と共に、このロビーを抜けられればまだ可能性はあるが……あの男を何とかしない限り、それも難しいか。
襲撃者の中心人物であると思われるその男は――私の姿を認め、驚きに目を見開いていた。
「お前……お前が、火之崎仁。火之崎家の出来損ない、ねぇ」
「私も随分と有名人のようだ。それとも、お前とはどこか出会っていたかな?」
私の言葉に、男は愉快そうに口元を歪める。
私の喋り方に関しても知っている。となれば、随分と前から入念な準備を行っていたと見える。
まあ、流石にあの閃光弾までは対処できなかった様子だが。
「お前が出来損ないとは、また随分と面白い冗談だ」
「そうかね? 魔力は少なく、魔力感応能力は低い。魔法使いとしても欠陥品だと思うが」
「抜かせよ、お前本当に見た目通りのガキか? お前の言うような出来損ないのチビガキが、俺たちをああも出し抜けるとでも思ってるのかよ」
「偶然だとも。私はお前の言うとおり、どこにでもいるような子供だ」
男はこちらの動きを確実に警戒している。
この場において、不確定要素と呼べる存在が私だけだからだろう。
私の見た目に惑わされず、警戒を怠らないその男は、私にとっては忌々しいとしか言えない相手だ。
見た目で油断してくれるのであれば、まだやりようはある。
だが、男は姉上や凛よりも、私に対して強い警戒を抱いている様子であった。
「はははっ、面白いねぇ。なぁ、お前さんよ。俺たちと共に来い」
「言葉の意味が分からんな、誘拐犯。元よりそのつもりのお前たちが、何故勧誘の言葉を口にする」
「お前さんに興味が湧いたからさ。火之崎の、あの《天焦烈火》と《黒曜の魔女》の間に生まれた出来損ない――それが蓋を開けてみたらどうだ、敵対する魔法使い相手に一歩も引かねぇどころか笑って見せるその態度。腐らせておくのは惜しいってもんだ」
男は、どうやら本心からその言葉を口にしているらしい。
やけに物々しい二つ名は知らないが、私の成したことを正当に評価しているつもりのようだ。
男からは警戒心を感じるものの、決して敵意のようなものは感じ取れない。
私の行動を警戒した上で、敵になるような力は無いと判断しているのか。
「私がお前たちと行って何になる。私に火之崎を、母上たちを裏切れと?」
「俺には、お前がそこまで火之崎に入れ込む理由が分からんね。『出来損ない』だの、『絞り粕』だの、『出涸らし』だの……そんな呼び方をしてくる連中に、何故肩入れする? そんな連中といるよりも――」
「うるさいっ!」
唐突に、幼い声が響く。
男の声を遮ったのは他でもない、鞠枝の後ろに庇われた凛であった。
舌っ足らずな声に精一杯の怒りを込めて、凛は気合の限り男を睨み吸えながら声を上げる。
「仁はあたしの家族だもん! ずっと、みんなでいっしょにいるんだから!」
「黙れクソガキが! テメェには聞いてねえんだ、すっこんでろ!」
「だまらない! お前なんかに仁はあげない、ぜったいにわたさないんだから! あたしの弟だもん! あたしが、まもるんだからっ!」
恐怖に震え、怯えながら、それでも放たれた強い言葉。
私を護ると、私を家族だと、心の底からの決意を込めて放たれた、私の片割れの言葉。
ああ、全く――これほど心に響く言葉があるだろうか。
幼い彼女の言葉には、一切の裏表が存在しない。凛は、心の底から私を案じ、私を護ろうとしてくれている。
本当に……凛は、優しい子だ。この子が私の家族で、私の姉であることを――私は、心から誇りに思う。
「ふっ、はははははは! そういうことだ、誘拐犯。私が火之崎にいるのは、これが理由だよ」
「何だと……?」
「私には愛しい家族がいる。私の狭い世界の、大部分を占めるのは家族たちだ。それを捨てるなどありえない――単純な答えだろう?」
「その為なら、お前さんはああも罵られていいって言うのか?」
「他者の声に何の意味がある。私にとって価値があるのは、私の家族だけだ」
決まっているのだ、最初から。私には家族を傷つけるような真似など出来はしない。
この男達に捕らえられるならば、私は躊躇い無く自害するだろう。
家族を護れぬ、弱い私などに意味は無い。私自身が家族を、母上を追い詰める要因になるなど、認められるものか。
そして決意する。この男達は、ここで討たねばならない。
家族の敵は、私の敵だ。
『だが、今のお主はか弱い子供じゃ、あるじよ。対する相手は一流の魔法使い。お主に勝てる相手ではない』
千狐の声が、耳に届く。
敵に集中している私の視界には届かないが――彼女は、どこか笑うような調子で私に告げていた。
そして、まるでその言葉に同調するかのように、男は笑みを浮かべて声を上げる。
「そうかい。なら、予定通り実力行使と行こう。お前にできることなど何も無い。前評判通り、出来損ないの役立たずとして使い潰されろ」
二人の言葉は、確かにその通りだろう。
私は、魔法の初歩の初歩を覚えたばかりの駆け出しだ。
魔力の量も少なく、感応能力も低い。まともな魔法を使うことすらできないだろう。
対する目の前の男は、超一流の魔法使いである鞠枝を追い詰めるほどの実力者だ。
私に勝てる道理など、万に一つもないだろう。
「仁様、朱音様、凛様……私が押さえます。お逃げください」
「無駄だよ、逃げ道は無い。既にチェックメイトって奴だ」
『然り。何もできるはずが無い。お主はここで捕らえられ、お主の家族に対する交渉材料にされるだけじゃ』
逃げ道は無い。これほど用意周到な相手だ。どの出口にも、どの通路にも、戦力を配置していることだろう。
手間取っていれば、すぐさま追いつかれ、捕まるだけだ。
それ以前に、私たちのような足手まといがいては、鞠枝も上手く戦うことはできないだろう。
確かに、男の言う通り――状況は、詰みに近い。
取れる手段は既に無く、母上が到着していない現状、既に敗北は確定したようなものだ。
「諦めな、お前さんたちはここまでだ。ここまで捕まる時間を引き延ばした分、大したもんだと言ってやるよ」
『諦めても良いじゃろう。お主は良く頑張った。その身に出来る、可能な限りのことを成し遂げたのじゃ』
男と、千狐の言葉が同調する。
決定的に違うのは――千狐が、私の返答を確信していることだけだろう。
「――だが、それには意味がない」
そう、諦めることに意味などない。
何も成し遂げられぬまま終わるなど、決して認められるはずが無いだろう。
私は家族を護りたい。家族を護らねばならない。ならば、このような場所で立ち止まっていることに意味など無い。
立ち上がらねばならない。手を伸ばさねばならない。今ここに踏みとどまる理由など――一つとして存在しないのだ。
「私の返答は決まっているぞ、千狐。お前の声に応えたあの日から、私は何一つ変わってなどいない」
「……何? 何だ、お前は何を言っている?」
「強くなると誓った。だがそれ以上に、私は家族を護ると誓ったのだ。諦めることに意味は無い。膝を屈することに価値などない。楽な方向に流れることなど、あってはならないことだ」
『――それでも、立ち向かうと?』
「ああ、そうだ――」
右手を掲げる。前へと伸ばす。
届かぬ何かに、手を伸ばそうとするかのように。
否、私は手を伸ばしているのだ。私だけの力では、決して届かぬその可能性へ。
私は弱い。私は未熟だ。だが、己の未熟に甘えて、出来ることをしないなどあってはならないことなのだ。
そう、私は――
「――私は、絶対に諦めない!」
『――お主の魂、しかと見届けた!』
千狐の声が、耳元で響く。
前へと伸ばす、私の手へと――千狐は、己の右手を重ねていく。
楽しそうに、嬉しそうに、歓喜に満ちた声を私だけに届けながら。
『我があるじよ! 敬愛すべき我があるじよ! その強き想い、朽ちぬ魂、お主こそが我が糧に相応しい! この逆境の最中、この窮地の最中、この絶望の最中――それでも諦めぬと叫ぶならば!』
右手が重なる。感じるのは、あの日と同じ灼熱の感覚。
だが、そこに感じる熱さを、私は確かに《掌握》していた。
そして、右手の光に浮かび上がるのは――双銃と炎を意匠とした、銀色に輝く紋章。
その輝きを見つめ――千狐は、叫ぶ。
『――汝、不屈であれ!』
その声が、ただただ、力強く響き渡り――私は、理解していた。
これが何なのか。私に何が出来るのか。その意味を、その力を。
だから私は、その名を呼ぶ。千狐と私に与えられた、もう一つの精霊魔法。
その名は――
「――《王権》ッ!」