表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
汝、不屈であれ!  作者: Allen
第9章 黄衣の風神
171/182

171:日本での異変












「っ……!?」



 火之崎の屋敷の一角、客人のために用意された部屋の中。

 息を飲むような悲鳴と共に、詩織は目に付けていたゴーグルをむしり取っていた。

 ゴーグル越しに映っていたのは、人ならざる本性をさらけ出した『無貌』の姿。

 その身が纏う術式に目を通しかけ、詩織は咄嗟に目を背けていたのだ。



「詩織ちゃん!? どうしたのさ?」

「雪斗君……だ、大丈夫。驚いただけ、だから……」



 そう強がっては見たものの、詩織は体に走る震えを止めることは出来ていなかった。

 ハストゥールの術式は、途方もなく強力なものではあったものの、それでも理解は出来る代物だった。

 それは純粋に力を追い求め、研ぎ澄まされた術式。鋭く研ぎ澄まされた刃のような、真に迫る威圧感があった。

 けれど、『無貌』のそれは違う。彼にあったのは、敵意のない純粋なる悪意。

 相手を害する為ではなく、己の好奇心を満たすために編み上げられた、途方もなく邪悪な代物だった。

 それを理解しようとすれば、魂までも汚されてしまう。

 それを理解したからこそ、詩織は必死に目を閉じていたのだ。



「大丈夫……何とか、大丈夫だよ」

「……とても大丈夫そうには見えないけど、何があったの? みんなは――」

「勝負には、勝てたみたいだよ。でもその後で、あの『無貌』とかいう人が出てきて……」



 詩織はあの仮面の下、様々な絵の具を滅茶苦茶に混ぜ合わせ、黒く変色させたかのような素顔を思い浮かべる。

 ただそれだけで震え出しそうになる体を抱きしめて、詩織は細く吐息を零していた。

 あれは決して人間のものではない。人知を超えた怪物であり――同時に、人間以上の智慧を持つ災厄だった。

 自分たちは一体、何を相手にしていたのか。それを今更ながらに察知して、詩織は恐怖に身を震わせる。



「きっと、まだ終わらない……あの仮面の人が、終わらせるはずがない……!」

「『無貌』……例の、最強最悪の魔法使いって奴か。ハストゥールの次はそいつが相手ってこと?」

「そう、なるんだと思う。でも、普通に戦うとも思えないけど……」



 正面から戦えば、敗北は間違いないだろう。

 だが、相手には間違いなく敵意が存在していなかった。

 あるのは好奇心と愉悦――『無貌』は間違いなく、己が娯楽のために仁たちと相対しているのだ。

 であれば、あっさりと終わらせるとは思えない。何かまた、悪辣な罠を仕掛けてくる可能性が高いだろう。

 何が起こるのか分からない恐怖。胸の奥に重く伸し掛かる感覚に、詩織は眉根を寄せていた。

 と――そこに、部屋の外から近づいてくる足音が響く。



「入るわよー……って、詩織!? どうしたのよ!」



 軽く声を掛けて部屋の中に入ってきたのは、仁たちに付いて行くことが出来ず、屋敷での待機を命じられた凛だった。

 彼女は部屋に入るなり、怯えて震えている詩織の様子に眦を吊り上げる。

 その非難が籠った視線が向けられているのは、同じ部屋にいた久我山だった。

 勘違いされては堪ったものではないと、彼は首を横に振りつつ応える。



「向こうでの戦いは、とりあえず勝てたみたいだよ。ただ、例の『無貌』って奴が出てきたみたいだ」

「……じゃあ何? 詩織はなんか変なものでも見ちゃったの?」

「そういうことだと思うけど……」



 とりあえず誤解は解けたことに安堵しつつ、久我山は心配そうに詩織の方へと視線を向ける。

 そんな二人の会話に多少は気が紛れたのか、詩織は大きく深呼吸してから二人の方へと視線を上げていた。



「ごめんね、心配かけちゃって。本当に、ちょっと驚いただけだから」

「それならいいけど……気をつけなさいよ? 相手は何してくるか分からないような化物なんだから」

「それ、どうやって気を付ければいいのかね?」

「まあ、それはそうなんだけどさ」



 凛は、嘆息と共に肩を竦める。

 その声の中には、油断の色こそないものの、確かな安堵が秘められていた。

 どのような形であれ、仁たちは戦いに勝利したのだ。

 そのことを、まずは喜んでおかねばならないだろう。あの死地を、彼らはたった一人の犠牲だけで潜り抜けて見せたのだ。

 まず間違いなく、大金星と呼んで差し支えないだろう。



(けど……桐江には悪いことしちゃったわね)



 見せられる顔ではないからと言って、部屋の入り口で待機している桐江の姿を思い浮かべ、凛は胸中で嘆息を零す。

 ハストゥールとの戦いの中で、桐江にとってのライバルであった刀祢は命を落とした。

 それも無理からぬことではあったものの、納得できるかどうかはまた別の話だ。

 涙を見られることを嫌い、部屋から出てしまった桐江に対して、凛は赤羽家への報告も含めて対応していたのだ。

 凛は、刀祢に関しては死ぬ可能性が高いことは考慮していた。相手はそれほどまでに危険な相手であり――同時に、その場で命を投げ出してでも仁を助けることこそが刀祢の仕事だったからだ。



「……それで、今はどんな状況? 戦いは続いてるの?」

「詩織ちゃんが直接見れなくなったから、状況は分からないけど……たぶんそうじゃないかな」

「だとしたら、拙いわね。幾らなんでも、ハストゥールとの戦いの後じゃまともに戦えないわよ」



 いかに『無貌』が直接的な攻撃に出てくることが少ないとはいえ、今の仁たちは多大に消耗している。

 まともな戦闘行動が取れるような状態ではない筈だ。

 けれど、この場からでは支援することもままならないだろう。凛は舌打ちしながら眉根を寄せる。

 苛立った様子の凛をなだめようと、詩織は視線を上げて――



「ッ――雪斗君ッ、手袋を外して!」



 半ば悲鳴のような声で、詩織は手に持っていたゴーグルとタクトを投げ捨てていた。

 その鬼気迫る声に久我山は面食らい――詩織は、そんな彼に飛びつくようにしながら彼の手を覆う黒い手袋をはぎ取る。

 何が起こっているのか、理解できずに久我山は身を硬直させ、詩織はその隙に彼の手袋をゴーグルと同じく投げ捨てていた。



「し、詩織? 一体何を――」

「凛ちゃん! あれを燃やして、速くッ!」

「え……ええ、分かったわ」



 困惑しつつも、詩織の必死な様子に冗談などではないと理解した凛は、即座に魔力を練り上げて炎を放っていた。

 室内であるため、目標以外を燃やさぬように収束させる必要がある。

 その高度な術式を即座に構築し、放たれた炎は、瞬時に二人の装備を炎で包んで焼却する。

 だが――その炎の内側から、黒い物体が爆ぜるように巨大化しながら出現していた。



「ッ――【爆ぜよ】!」



 危険を察知した凛は、即座に術式を切り替えて衝撃を伴う爆炎を放っていた。

 自分たち以外への被害を度外視したその一撃は、余分なものを燃やさぬよう制御しつつも、その破壊力で黒い物体を蹂躙する。 黒い物体、巨大な粘塊は、壁に大穴を空けながら外へと吹き飛ばされていた。

 一応延焼はしないように制御しながら、凛は外へと弾き出された黒い粘塊を改めて確認する。

 それは不気味に蠢く、黒い粘液の塊。今は直径1メートルほどの大きさではあったが、それが何であるかを理解している凛は、決して油断はしていなかった。



「あれ、リリの一部よね? 一体どうなってるのよ?」

「凛ちゃん、あれは誰かの術式で操られてる! 暴走してるんだよ!」

「ってことは、『無貌』の仕業って訳ね」



 舌打ちして、凛は蠢く粘塊を睨みつける。

 ぼこぼこと、泡立つように出現する眼球や口、肉を破るようにして生えてくる触手。

 その姿は最早、普段見慣れたリリのそれとは完全にかけ離れたものだ。

 それを成したであろう『無貌』に対する苛立ちを抱きながら、凛は改めて魔力を練り上げる。



「悪いけど、燃やすわよ――【集い】【逆巻き】【燃え盛れ】!」



 その瞬間、蠢くショゴスの足元から発生した炎が、火柱となって瞬時にその全身を包み込んでいた。

 凛の操る膨大な熱量はすぐさまその全身を包み込み、動きを許すことなく焼却する。

 炎が収まった後には、何も残ることなく焼け焦げた地面を晒していた。

 その様子に溜息を吐き出し、凛は視線を細める。具体的な状況は把握できないが、何か厄介なことになっているのは間違いないだろう。

 仁たちは今こちらにいない。己が何とかしなければ、と――凛が胸中で呟いた、その瞬間だった。



「――――ッ!?」



 背筋を走った悪寒に従い、凛はその場から跳躍する。

 その瞬間、地面の下から現れたのは、先程燃やし尽くしたはずのショゴスであった。

 まるで無傷なその姿に、凛は屋根の上に着地しながらも動揺を隠せずいた。



「嘘でしょ!? 確かに燃やし尽くしたはずなのに!」



 先ほどの火力は、周囲に影響を及ぼさぬようにはしていたものの、生物ならば骨すら残さぬほどの火力だった。

 間違いなく直撃であったはずなのに、なぜ全く効いていないのか。

 さきほどの炎は、間違いなく手ごたえを感じていた。だと言うのに――



「凛ちゃん、ちょっとでも残したら元通りになるよ! すぐに再生してる!」

「ッ……敵対したらこんなに厄介だったのね、アンタ!」



 相手は無数に分裂できる不定形生命体。

 欠片も残さず倒すなど、困難どころの話ではなかった。

 索敵を行い、敵の全容を把握した上で、一息に全てを焼き尽くさなければならない。

 最後だけならばともかく、先の二つが凛にとっては困難だった。

 相手に逃げに徹せられれば、凛にはそれを察知する手段は無い。

 けれど――



「……やるしかない、か」



 泣き言は言っていられない。仁の使い魔をいいように使われるなど、凛にとって許せることではなかった。

 魔力を集中し、己の知覚を広く拡散して――その瞬間、凛は膨大な魔力の発露を察知していた。

 しかし、これはショゴスによるものではない。もっと慣れている、見知った魔力――



「――【燃えよ】」



 刹那、庭全体が灼熱の炎によって燃え上がっていた。

 しかし、家の側には一切影響を及ぼすことなく、その炎は庭と、その上にいたショゴスを余すことなく焼き尽くす。

 後に残ったのは、大きく抉れて融解した地面だけだった。

 地面の下まで焼き尽くしたのだろう、ショゴスが残っている気配はない。



「っ……お父様?」

「凛。とりあえず焼き尽くしたが、あれは仁の使い魔ではなかったか?」



 凛たちがいた建物とは別の家屋から姿を現したのは、その身に紅の魔力を纏う火之崎宗孝だった。

 たった一手でショゴスを焼き尽くした彼は、敵が残っていないことを確認すると、屋根の上にいた凛へと声を掛ける。

 唐突に遷移した状況に困惑しつつも、凛は屋根から降りて父へと返答していた。



「……正直、状況は上手く掴めていないです。でも、今のあれは『無貌』の手によるものだと思われます」

「ほう? 成程、奴が好みそうな手ではある。しかし、奴が出てきたということは――」

「はい。仁……お姉様たちはハストゥールに勝利して、その後『無貌』が何かをしてきたようです」



 宗孝は凛の言葉に頷き、視線を遠くへと走らせる。

 凛はそれにつられるように視線を動かし――その瞬間、宗孝の声が響いていた。



「凛、仁の使い魔――あのショゴスを、町にどれだけ潜ませていた?」

「え、どれだけって――」



 その言葉に、凛は顔を青ざめさせる。

 遠くに見える空には――いくつかの、火災を示すような煙が立ち上っていた。





















評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ