017:双子の想い
――火之崎凛は、生まれつき高い魔力を持っていた。
四大の一族、火の属性を司る『火之崎』が宗家の生まれ。
日本でも最強と名高い火之崎宗孝と、戦績は一歩劣るものの同等の実力者として名を馳せる火之崎朱莉の娘。
両親の名に相応しい天才だと、歴代でも類を見ないほどの魔力量だと、周囲からの言葉はいつも変わらない。
だが、子供ながらにして、凛はその言葉を忌々しく感じていた。
(あたしが、取っちゃったからだ)
胎児の時期、母親から子供に与えられる魔力。
その量によって、子供の魔力容量は大きく影響を受ける。
絶大なる魔力を誇る母朱莉からはそれ相応の魔力を受け取り、姉の朱音もまた天才として名を馳せるほどの魔力を有している。
だが、たった一人――己の弟の仁だけは、母の魔力の恩恵を受けずに生まれてきてしまった。
(あたしが……)
子供にはありえないほどの大量の魔力は、己が仁に与えられるはずだった魔力を奪ってしまった結果。
本当ならば仁と均等に分け与えられたはずのもの。
そのせいで、彼は生まれてから幾度も幾度も死にかけ、病院からは一歩も外に出たことが無い。
己が受け取る賞賛も、本当ならば仁にも向けられていたはずのものなのだ。
それなのに、仁に対する言葉は『出来損ない』、『絞り粕』、『無能』――聞くに堪えない言葉ばかりであった。
(あたしの、せいだ)
物心付き、病院から出たことの無い弟の存在を知って、それ以来付いて回る自責の念。
幼心に植えつけられた、強迫観念にも似た想い。
その行き先は、赤ん坊の頃から母に言われ続けてきた言葉に向かっていた。
『凛ちゃんは、仁ちゃんの事を護ってあげてね。あの子は、貴方の大切な家族なんだから』
幾度と無く命の危機に直面する仁に、朱莉はいつも心を痛めていた。
そして、弟を護るようにと母に教えられていた凛もまた、仁を心配し続けていたのだ。
(あたしが、まもらなきゃ)
体の弱い弟。一緒に生まれてきたにも拘らず、大切な才能を奪い取ってしまった相手。
自分が護らなければならない。他の誰でもない、自分自身が。
病院から出たことが無いくせに妙に偉そうで、体が弱いくせにすぐに動き回って、何故か自分を年下扱いしてくる妙な弟。
火之崎凛が護らなければならない、たった一人の片割れ。
だからこそ、凛は彼の見舞いに行くことを、己の義務として課していた。
何をするか分からない弟を、護らなければならないと。
――例え、母が一緒に行くことができなかったとしても、己が行かなくてはならないのだと。
「凛ー? 何してるの、行くよ?」
「うん、姉さま」
その日、母が急な会合で遅れることを告げられても、凛は時間通りに仁に会いに行くことを止めようとはしなかった。
先日から仁の後ろをついて回るようになった『水城』の少女に対する警戒も、それに拍車をかけていたといえるだろう。
その熱意には姉である朱音も、一時的な護衛役である鞠枝も折れ、朱莉よりも先に仁に会いに行くことになったのだ。
姉に手を引かれ、いつも通りに病院を訪れ、仁の見舞いをするための手続きを行う。
そしていつも通りあまり人気のないロビーで手続きの完了を待ち――鞠枝が立ち上がったのは、ちょうどその時であった。
「鞠枝さん?」
「朱音様、凛様をお願いします。周囲の様子がおかしい」
言い放ち、鞠枝は肩にかけた袋の包みを解く。
中から現れたのは、一振りの刀だ。赤羽家は、火之崎家に代々使え、護衛と補佐を行う一族。
絶大なる遠距離攻撃魔法に特化した火之崎の術者を護る、護衛剣士の一族だった。
鞠枝はその中でも、当主に次ぐ実力を持つ剣士であり、朱莉の護衛役を任されている実力者だ。
尤も、護衛対象の方が強いということは事実なのだが――そんな彼女が警戒心を露にしている状況に、彼女の実力を知る朱音は息を飲む。
そして――武装した集団が彼女達を取り囲むように廊下や部屋から姿を現したのは、その直後であった。
「この建物内で敵襲とは……そのような愚か者を雇うとは、院長の目も曇りましたか?」
「はっはっは、そりゃかけた時間の差ってやつさ。こっちは十年以上の時間をかけて、ここまでお膳立てしたんだからなぁ」
刀を抜き放ちながら呟く鞠枝の言葉に、一人の男が返答する。
くすんだ茶髪の、どこか軽薄そうな笑みを浮かべる男。
だが、その肉体が鍛え上げられていることは、傍目から見ても容易に把握することができるだろう。
鞠枝は即座に警戒レベルを上げながら、目の前の男を睨み据えて問う。
「一応聞いておきましょう。所属は?」
「さあね。それより、目的とかは聞かなくていいのかよ?」
「関係ありません。我らに牙を剥いた時点で、貴方は火之崎の敵だ。斬り捨てることに、変わりはありません」
「怖い怖い。だが……この状況で、それができるかね?」
男の告げる言葉に、鞠枝は小さく舌打ちする。
目の前の男が実力者であることは既に察している。
だが、戦えば勝つ自身があると、鞠枝はそう自負していた――一対一で、護衛対象がいない状況であるならば。
実力は拮抗している。故にこそ、護衛対象の存在は、不利以外の何物でもなかった。
故に、鞠枝は即座に撤退を判断する。この場で戦えば、確実に負けると理解しているが故に。
だが――それを許すほど、相手も悠長な正確はしていなかった。
「時間は与えねぇ……」
「チ……ッ!」
小さな呟きと共に男の姿が霞み、いつの間にか握られていたナイフを手に鞠枝の懐へと飛び込む。
だが、それに俗さに反応した鞠枝は、刀でナイフの一撃を受け流し、しかし相手に追撃することができずに後退する。
そのまま攻撃を加えてしまえば、凛たちの傍から離れることになってしまっていたが故だ。
「――ほらほらいいのか?」
「っ、【纏い】、【留まれ】、【断ち斬る力よ】!」
近場で魔力の膨れ上がる気配に、鞠枝は即座に魔法を構築する。
刀の刀身には刻印が浮かび上がり、同時に湧き上がった紅のオーラが刀身を覆いつくす。
そして――背後から放たれた水の魔法を、鞠枝はその一閃で断ち切っていた。
「魔法を斬るとか、化け物かってんだよ。だが――」
「くッ!」
更に身を翻し、背後から襲いかかるナイフを避ける。
だが、完全には回避しきれず、男の放ったナイフの突きは鞠枝の脇腹を僅かに斬り裂いていた。
それでも、その程度は問題ないとばかりに刃を振るい、魔法を纏う刃で男へと斬り付ける。
刻印を刻まれて鍛え上げられた一振りと、赤羽家に伝わる魔法術式は、鉄すらも容易に斬り裂く魔剣を顕現させる。
しかしどのような剣術であれ、当たらなければ意味は無い。鞠枝が振るおうとする刃も、周囲から放たれる魔法によってことごとく邪魔をされていた。
拮抗した近接戦闘技術で押さえ込みながら、距離を取った周囲の魔法使いが攻撃する――まるで戦う相手を分かっていたかのような戦闘法に、鞠枝は忌々しげに表情を歪めていた。
(多少ダメージを負ってでも、この男を倒さねば勝機はない――)
即座に判断し、接近してくる相手に鞠枝はあえて踏み込む。
当然のように妨害目的に放たれる魔法。
迫るいくつかの攻撃に、鞠枝は即座に魔法を構築していた。
「【堅固なる】【壁よ】」
発動したのは単純な防御魔法。魔剣の術式を維持したままでは複雑な術式構築は難しいのだ。
それでも、迫る攻撃をある程度は軽減し、僅かに傷を負いながらも鞠枝は男へと向けて刃を振るう。
刹那に迫った一閃は、男を脇腹から両断しようと迫り――男の表情からは、軽薄な調子が消え去っていた。
「【纏い】、【強化せん】」
鋭く乾いた、空気の爆ぜる音が響く。同時、男からは僅かに青白い輝きが漏れ――その動きは、瞬時に加速していた。
雷の属性、神経系強化の瞬発・加速魔法。目測を誤った鞠枝の攻撃は外れ、飛び込んでくる男の刃が鞠枝を襲う。
だが、それでも即座に回避行動に移っていた鞠枝には、腹部に浅く傷をつける程度に終わっていた。
鞠枝はすぐさま己の魔力による身体能力強化の出力を高め、しかしそのまま敵に踏み込めずに踏みとどまる。
凛たちから離れることはできないのだ。再び飛んでくる攻撃魔法に対処しようと鞠枝は刃を構え――
「【集い】、【爆ぜよ】!」
放たれた炎弾の炸裂によって、迫ってきた魔法たちは撃ち落とされていた。
それを放ったのは、己の掌の上に炎を灯した朱音。彼女は凛をその身で庇いながら、発現した炎の魔法を構えつつ声を上げる。
「鞠枝さん、こっちは私が対処するわ!」
「……分かりました」
朱音にそのようなことはさせられないという思いはあったものの、背に腹は変えられない。
頷いた鞠枝は、改めて目の前の男に対して集中していた。
体に雷光を纏う男は、鞠枝たちの姿に皮肉気な、けれどどこか苦虫を噛み潰したかのような笑みを浮かべる。
「あの年で四級の圧縮、しかも《属性深化》済みか……つくづく化け物だねぇ、火之崎ってのは」
「戯言はそこまでです」
「ま、例え化け物だとしても、まだまだ若い……対処しきれるかな?」
「っ、貴様!」
その言葉と共に、鞠枝は気づく。
周囲を取り囲んでいた襲撃者たちが、いつの間にか朱音達の方に集中し始めていたことに。
周りの者たちは鞠枝に対する牽制であると同時に、本命でもあったのだ。
それを理解し、鞠枝はすぐさま朱音たちの元へ戻ろうと駆け出す――が、無論のこと、それを許す男ではなかった。
「ほら、いいのか? 背中を向けちまってよぉ!」
「邪魔を、するなッ!」
背後から襲いかかる男の攻撃を迎撃し、弾き返そうとするも、男はするりと避けて更に肉薄する。
己の攻撃が単調になっている自覚はある。だが、鞠枝は己の焦りを消しきることができなかった。
一刻も早く朱音たちの元に辿り着かなければならない。
男を迎撃し、距離を開けようと踏み込み――鞠枝の足は、大きく滑ってしまっていた。
「氷――!?」
「油断大敵だぜ、剣士さんよ!」
男の突き出すナイフが、鞠枝の胸へと向かう。
大きく体勢を崩し、それでも反応した鞠枝は身を捩り――男のナイフは、彼女の右肩に突き刺さっていた。
鞠枝は痛みに顔を顰め、この距離では刀は使えないと即座に手放して左手を構え、ナイフが抜けないように渾身の力を肩に込めて――ナイフを手放した男の蹴りに、壁際まで大きく吹き飛ばされていた。
「あの状況でこの反応か。怖いねぇ、この国の魔法使いってのは」
一瞬でもナイフにこだわっていれば、彼女の手刀は男の胸を貫いていただろう。
僅かに笑みを浮かべた男は、壁に叩きつけられ身動きが取れなくなった鞠枝から視線を離して朱音たちのほうへと視線を向ける。
幾度も炎を放ち牽制する少女だが、一人ではできることも限られている。
包囲は徐々に狭まり、捕らえられるのも時間の問題だ。
――そんな時だった。奇妙な物体が、男達の中に投げ込まれたのは。
「あん?」
それが手榴弾などの物体であれば、即座に反応していただろう。
だが、それは奇妙としか言い様のない物体だったのだ。
まるで、重石の付いた巨大な綿。危険物とも思えない奇妙な物体に、男の思考は一瞬硬直し――次の瞬間、ロビーは眩い閃光に埋め尽くされていた。