168:決着
質量を増したリリの一部を使って、初音の体を包み込む。
もとより、無限に質量を増し続けられるリリだ、人一人を包み込む程度はどうということは無い。
さらに魔力の経路を繋ぎ、私自身の魔力を初音が纏うリリへと注ぎ込む。
本来であれば、私でなければ発動しえない刻印を遠隔で無理やりに発動する。
流石に、この右腕を再現することは出来ないが、精霊魔法の気配だけは何とか隠蔽した。
そしてそのまま、私は初音の展開した水の中に身を隠し――そこで、ハストゥールの発した風はようやく止んでいた。
あたかも初音がそうしたかのように防壁を消し、私たちはハストゥールと対峙した。
「む……? どうした、貴様。何故《魔王》の権能を消す?」
「さてな。本当に消したとでも思っているのか?」
「ほう? つくづく多芸なことだ――面白い。もう片方は……隠れて援護か、まあよかろう。そのような些事にかまけている暇はない」
遠隔で声を発しながら、私はひとまず狙い通りになったことに安堵する。
多少の違和感はあったかもしれないが、私の魔力を宿し、私の声を発している以上、多少のことは気にせずにいるのだろう。
であれば、後は出来るだけ相手の目を隠すだけだ――その方法は、既に初音が準備している。
そんな私の考えに応えるかのように、横合いから凄まじい速さで走る銀の光があった。
「しゃあああッ!」
「ぬ――」
飛び出してきたのは舞佳さんだ。
普段は刃にのみ纏っている銀の魔力を全身に、まるで鎧のように纏いながら目にも止まらぬ速さで刃を振るう。
速い――節約のために加速を解いた今の私には、ほぼ捉えることが出来ないほどの速さ。
恐らく、あの銀の魔力をパワードスーツのように扱っているのだ。
防御を固めると同時に、その魔力を使って無理やりに体を動かしている。
肉体への負荷も、魔力の消費も馬鹿にならないだろう。だが――それでも、舞佳さんは確かにハストゥールに食らいついていた。
「成程、無茶をするものだ。制御を失えば体が砕けるぞ?」
「お生憎様! 援護があれば、どうとでもなるわよッ!」
舞佳さんには、未だ私の掛けた防御魔法が生きている。
だからこそ、彼女は防御よりも攻撃方面に制御を割いているのだろう。
それならば確かに、あの無茶な術にも制御の目があるというものだが……本当に無茶をするものだ。
とは言え、そのおかげで多少の余裕が出来た。ちらりと横目で状況を確認しながら、私は初音へと囁く。
『こちらで体を動かす。頼むぞ、初音』
『うん、こっちも合わせるよ』
肉体の感覚と、初音の纏うリリの体を同調させる。
己の肉体を動かすのと同じ感覚で、初音の纏う『黒百合』を動かすのだ。
私自身も『黒百合』を装備しているからこそ、違和感なく動かすことが出来るだろう。
無論、初音の肉体である以上、無理は出来ない。私自身が戦うのとは勝手が異なるだろう。
それも考慮に入れつつ、私たちは舞佳さんに続いてハストゥールに接近していた。
「――――ッ!」
「来たか、よかろう!」
幾重にも防壁を纏い、吹き付ける風を掻い潜りながら拳を叩き付ける。
大きな威力であっても、ハストゥールの防御を貫くには至らなかった。
ならば次は、度重なる波状攻撃で彼の防御を飽和させる。
無論、本命はそこではない。全ては、最後の切り札を確実に叩き込むための布石だ。
その為にも、先ずは時間を稼がなければならない。
流石に魔剣を受けることは出来ないため、ヒットアンドアウェイを心掛けながら、私たちと舞佳さんは空中でハストゥールを足止めしていた。
「ッ……!」
「どうした、動きが鈍っているぞ!」
だがやはり、己の身で戦うのとは勝手が異なる。
ほんの僅かではあるが、反応が遅れてしまうのだ。舞佳さんの援護が無ければ、致命傷になっていてもおかしくは無い。
だがそれでも、あとほんの少しだけ、時間さえ稼げれば――そう考えた、瞬間だった。
私たちの後方で、巨大な熱量が顕現したのは。
「これは……!」
そこから溢れる膨大な魔力の気配に、ハストゥールの意識がほんの僅かに逸れる。
大した差ではない、小さな、本当に小さな意識の分散。
――それこそが、私の待ち望んでいた瞬間だった。
『――《感情》』
それは、彼の《魔王》の妻たる《女神》の有する権能。
ありとあらゆる心を繋ぐ力の、その原型――本来は、心の機微、感情の全てを支配する概念だった。
私の力では、その全てを扱うことなどできはしない。
だが――ほんの僅かに、意識の空白を作る程度ならば可能だった。
そしてその瞬間、呆然と立ち尽くすハストゥールの目前の空間から、煙と共に顔を出したのは、異次元に潜んでいたルルハリルだった。
その口に銜えられているのは、小さな丸い物体。ルルハリルは、それをハストゥールへと放り投げると共に、再び異次元へと身を潜めていた。
その直後、ハストゥールは意識の空白から脱し、反射的にルルハリルの投げた物体を風で破壊して――刹那、爆発と共に発生した閃光が、周囲を埋め尽くしていた。
「ぐ……っ!?」
それは攻撃性も何もない、ただの閃光弾だ。
だが、いかな風の防壁であろうとも、可視光線を瞬時に防ぐことなどできはしまい。
膨大な光量に目を焼かれたハストゥールは、しかしそれでも、私たちと舞佳さんへと向けて正確に攻撃を放っていた。
風で周囲の状況を把握しているのだろう、荒れ狂う暴風は、私たちを全員後方へと向けて弾き飛ばす――
『ぐ……初音、今だ!』
『うん! 行って、仁!』
その声と共に、初音は周囲に漂わせていた水を――その中に潜んでいた私ごと、ハストゥールへと向けて撃ち放っていた。
龍の姿をかたどった水流は、逆巻きながらもハストゥールへと向けて殺到する。
「小賢しいッ!」
無論、それが直接通じるような相手であれば、ここまで苦労はしていない。
ハストゥールの放った風は、初音の水を容易く吹き飛ばし――私は、その内部から勢いよく飛び出していた。
「な――!?」
水の中にいる以上、外の風に触れることは無い。
それは、刀祢が身をもって示してくれた、ハストゥールの弱点の一つであった。
構えるは右の拳、機械と化したこの腕に、全力の斥力障壁を纏わせる。
「――久我山」
『これで打ち止めだ、頼むよ!』
そして、私の右腕へとハストゥールの意識が向けられたその瞬間、私は再び、久我山の魔法消去を発動させていた。
先ほどのあれは、《斬神》の権能があってこその成功だった。
あれが使えない今の状況では、それが成功するはずもない。
だが、それでも問題は無い。ほんの僅かに、ハストゥールの風が揺らぐだけであったとしても――
「おおおおおおおおおおおおおおッ!」
私の全力を込めた一撃は、僅かに揺らいだ風の隙間を読み取って、それを正確に打ち抜いていた。
更に、障壁の持つ魔力を斥力のエネルギーと共に開放、強烈なインパクトとなって、ハストゥールへと叩き付けられる。
迫るその拳に――ハストゥールは、正確にその剣を以て迎撃していた。
「ッ――――!」
「こ、のォッ!」
強烈な衝撃が迸り、周囲の大気が撓んだように歪む。
そして次の瞬間、私たちは互いに反対方向へと吹き飛ばされていた。
弾け飛んだ風の衝撃が体を打ち据え、障壁越しでも息が詰まるほどのエネルギーに顔を顰める。
右腕が変質していなければ、根元から吹き飛んでいたことだろう。
しかし、あの絶好の機会の一撃でさえ、ハストゥールは完全に対応して見せた。
「やはり、有効打には届かない……だが!」
「ええ、よくやってくれたわ、仁」
吹き飛ぶ私の隣を通り過ぎるように、白い炎と化した姉上が飛翔する。
その手の中にあるのは、眩く輝く白い炎の球体。
そこに込められた膨大極まりない魔力に、私は思わず眼を見開いていた。
崩壊した天井の先へと吹き飛び、大空にその影を映しているハストゥール。
その彼へと向けて、姉上は輝く炎の球体を向けていた。
「臥煙と大焚の残りの魔力、そして私の体重削って変換した全力の炎! 耐えられるものなら耐えてみなさい!」
力強い声と共に、姉上の魔法が放たれる。
白い光の尾を引いて、それは空中で体勢を立て直したハストゥールへと直進し――空中に、巨大な白い太陽が出現した。
眼を焼かんばかりの光量、周囲を瞬く間に赤熱化させるほどの熱量に、私は咄嗟に周囲全員の障壁を張り直す。
《拒絶》の力が働いているとはいえ、流石にあの熱量には不安があった。
とは言え、逆に言えばそれほどまでに凄まじい魔法だ。あれの直撃を受ければ、ハストゥールとて無事では済むまい。
思わずこの光景を呆然と見上げ――私の耳に、ルルハリルの声が届いていた。
『ギリギリですが、防いでますよ』
「なっ!?」
『正しく《生ける灼熱》の一撃、あれなら魔神たる《黄衣の王》にも通じますが、魔剣を持っている状況では彼の方が上です。あれが無ければ、倒しきれずとも有効なダメージを与えられていたでしょうが――』
「……ならば、今このタイミング以上の勝機などある筈も無い!」
地面に着地して体勢を立て直し、私は改めて輝く白い炎を見上げる。
あのハストゥールが、全力で防御せざるを得ない状況。
この瞬間こそが、求め続けていた勝機に他ならない!
「リリ……最後の無茶だ、頼めるか?」
『勿論……っ! 必ず、ご主人様の思いに応えて見せる!』
「ああ、信頼しているとも。ならば――」
炎に対する耐性の障壁を重ね掛けする。
とは言え、長くは持つまい。あの熱量の中に飛び込めば、ほんの数秒で臨界点に到達することは目に見えている。
まともにやっては、ハストゥールに接近する前に私が力尽きるだろう。
だが――
「《加速》――《時空》!」
この地へと辿り着くために使った、《旅人》なる神の力。
それは、時間と空間を現す概念そのものだった。
今のこの力は、以前のような長距離を移動することは出来ない。
だが――短い範囲であるならば、殆ど力を消耗することも無く、転移することが可能だった。
その力を発動させて転移した先は、空中にいるハストゥールの背後。魔剣を使って姉上の炎を抑え込むその背中へと、私は加速しながら落下する。
「っ――正気か!?」
風の気配でこちらに気づいたのだろう、魔剣は動かせないようだが、ハストゥールは視線でこちらの姿を捉えていた。
彼はすぐさま魔力を練り、こちらを迎撃しようと風を操る。
だが、加速している私の速度は、それよりも更に早い。
ハストゥールの魔法が形を成す、それよりも先に彼へと肉薄し――
「っ、らああああああああああああッ!」
全力の魔力を込めた拳を、叩き付ける。
二つの魔力は大きく散って――姉上の炎が収縮と共に巨大な爆発を起こしたのは、その直後のことであった。




