167:王権神授
私が発動した精霊魔法の理に、ハストゥールは僅かに視線を細める。
その表情の中に含まれているのは僅かな愉悦。
私の発現した力に対する興味だろう。先ほどまでよりも強い興味の感情を交えて、彼は私へと告げていた。
「神々の力の一旦、ここに来て形となった訳か……面白い」
「僕もなかなかに興味がある。ハストゥール、是非力を引き出させてくれ」
「無論、これほどの機会、逃す訳には行かんだろうよ」
笑みと共に、ハストゥールはぱちんと指を鳴らす。
その瞬間、大広間の上空に巨大な気流が渦を巻き始めていた。
相変わらず、無詠唱で発現できるとは思えない規模だが、いちいち驚いてもいられない。
今私がやるべきことは――
「【堅固なる】【鎧よ】【遮れ】ッ!」
この場にいる全員に対して、密着型の防御魔法を発動する。
とは言え、私の防御魔法でも、ハストゥールの攻撃を防ぐことは不可能だ。
基本的な威力そのものが桁違いであり、人間の防御魔法程度で防げるものではない。
――そう、普通ならば、だが。
「遮れ、《拒絶》!」
強大な風の嵐が降り注いだその瞬間、私はこの力を――かつては《魔王》の力そのものであった力を己が法則の下に発動していた。
刹那、私の展開していた防壁は灼銅の輝きを放ち、その全容を大きく変貌させる。
輝く防壁は、ハストゥールの嵐を受けながら、それでも揺らぐことなく仲間たちを守り続けていた。
「ほう……それは《魔王》と同質の力か。しかし、その在り方は……成程、それが貴様の回帰の力か」
「そう言うことだ――《加速》!」
私の回帰の力とは、《王権》に宿っていた八つの権能、その力の原形を操るというものだ。
《魔王》たちの力は、あくまで彼らの意思の下で形成された力。つまり、彼らの願望あってこそ、その本質を発揮できるのだ。
他の精霊魔法に比べ、燃費が極端に悪かったのはその為だ。
私自身の願いによって作り上げられた訳ではないものを、《掌握》の力によって無理やりに動かしていたのだ、ロスが生じるのも当然である。
だがこの回帰の力によって、私は《魔王》たちの力、その原型を操れるようになった。
つまるところ、私の意思の下、私の願望に従って、力を発現させられるようになったのだ。
出力が落ちている力もあるだろうが、少なくともこれまでのようにすぐにガス欠に陥るようなことは無い。
私にとっては、かなり使い易い力になったと言えるだろう。
「し……ッ!」
「ほう……?」
私は地を蹴り、空中に魔力で足場を作りながら駆け抜ける。
その速度は、普段とは比べ物にならぬほど。これこそがかつては《刻守》と呼ばれる神の力であった速度強化の力。
己自身を加速させるという在り方は以前と変わらず、だからこそ幼いころから発動させることが可能だったのだろう。
とは言え、力の根源となる今の願いは、神が抱いていたものとはまた異なるものだ。
私に最適化された以上、より効率的になるのは自明の理だった。
「はぁッ!」
「ふははははっ! 成程、そう来た訳か!」
瞬時に背後へと回り込み、ハストゥールへと向けて蹴りを放つ。
かつての《刻守之理》よりは若干速度は落ちているが、燃費は遥かに向上している。
これならば、常に発動していても十数分程度なら維持することが出来るだろう。
だが、ハストゥールはこちらの動きを風で捉えているのだろう、目にも止まらぬほどの速度であろうとも、即座に反応して迎撃してきていた。
私の放った蹴り足を、ハストゥールはその剣で受け止める。下手をすればそのまま足を斬り飛ばされそうではあるが、《拒絶》の力を防御に宿した現状であれば問題は無い。
とは言え――
「では、これでどうだ?」
ハストゥールは、その刀身に膨大な魔力を収束させる。
いかに精霊魔法で強化されたと言っても、今のこれは《魔王》の力そのものという訳ではない。
概念すら貫くレベルの攻撃を受ければ、流石に無事では済まないだろう。
流石に剣の直撃を受ける訳にもいかず、私は加速状態のまま後方へと退避していた。
しかし、それを気にすることも無くハストゥールは剣を振り切り――私へと向けて、巨大な風の刃が放たれていた。
凄まじい規模だ。受け止めることは不可能ではないだろうが、そうすれば足が止まる。
そうなれば、ハストゥールに背後から斬りつけられる可能性も否定は出来ないだろう。
「ならば――《静止》ッ!」
纏う防壁へ、新たな概念を付与する。
それは《水魔》の持っていた力、あらゆる動きを止める静止の概念。
動きを止められた風の刃は、そのまま空気となって霧散する。
元は触れたものの動きを止める力だが、防御に組み合わせれば大きな力を発揮する。
同時に、周囲から殺到してきた風の刃をまとめて止めて、こちらへと接近してくるハストゥールを睨み据える。
「っ……これだけでは決定打にはなり得ないか」
今の発動形式のおかげで、ハストゥールの魔剣すら防げるようにはなった。
だが、私の攻撃力では彼に届いていない。
命中すればともかく、あの風を纏っている以上はまともにこちらの攻撃は届くまい。
だが、既に久我山の魔法消去も警戒されているだろう。
人間相手ならばまだしも、彼を相手に何度もあれを使うのは魔力が足りないだろう。
隙を突いて、あと一度出来るかどうか――
「ぬっ?」
私の方へと接近してきていたハストゥールは、巨大な魔力の高まりに、咄嗟に跳び離れていた。
その直後、一瞬前まで彼がいた場所を、白い熱線が貫いていた。
白く輝く炎は、ハストゥールが移動した瞬間に鋭角的に射線を変え、彼へと向かって突き進む、
そのまま、同じ炎が二度三度と放たれ、囲い込むようにしながらハストゥールへと殺到していた。
「姉上か……ッ!」
攻撃を行ったのは、体勢を立て直した姉上だ。
どんな術式を付与したのかは分からないが、追尾する炎はハストゥールでも無視はしきれないものであるらしい。
恐らく、私がハストゥールを引き付けている内に、展開式で術式を構築していたのだろう。
とは言え、あの亜精霊化もそれほど長く維持できるものではない筈だ。姉上にあまり無理をさせる訳にはいかない。
ならば、と――私は、炎と風が飛び交う戦場に自ら飛び込んでいた。
「――《未来》」
新たに、未来視の力を発動させる。
先の光景を見通す《斬神》の力。彼の神の力は確率を収束させるものであったが、あれは便利ではあるものの燃費が悪い。
今は僅かに先の光景を見通すだけの力だが、それでも嵐のように荒れ狂う炎と風の中を掻い潜る程度ならば問題は無いだろう。
「仁っ!? 貴方、今は――」
「問題ありません、続けてください!」
あの複雑な軌道を制御している訳ではないだろう。
恐らく、自動追尾のみにして姉上自身は術式の維持のみを行っているのだろう。
確かに、今の姉上の火力が直撃すれば、私とてただでは済むまい。
だが、今の私は《拒絶》の力で防御を固めている、防ぐことは可能だ。
「ッ……おおおおお!」
「ふ、はははははっ!」
拳を以て打ち掛かれば、ハストゥールは愉快そうに哄笑しながら炎を打ち払って返す刀で私へと斬りつけてくる。
姉上の熱線はハストゥールを全方位から爆撃しているが、彼の纏う風の鎧を突き破れていない。
だがそれでも、全く影響が無いという訳でもないようだ。
姉上の攻撃が当たる度に、風の鎧が大きく撓んでいるのが見て取れる。
だが、ハストゥールもそれは承知しているのだろう。同じ個所に連続で受けることは巧みに避けていた。
地力そのものが違うのだが、更には技量そのものまでもが高い、本当に厄介な相手だ。
「いいな、これほど余に食らいつくか!」
「まだ、まだァッ!」
風の抵抗も殺しているのか、ハストゥールの剣戟はひたすらに速い。
振り下ろされる刃を障壁を纏った拳で打ち払い、機械仕掛けの右腕に魔力を込めて打ちかかるが、纏う風の鎧によって受け止められていた。
波紋のように広がる衝撃の向こう側で、ハストゥールは薄く笑みを浮かべる。
その表情に、私は咄嗟に防御魔法を発動させていた。
「【堅固なる】【盾よ】【遮れ】ッ!」
「良い反応だ――しかし、甘いな」
「ッ……!?」
ハストゥールが刃を横薙ぎに振るうと共に、私の周囲を風が包み込む。
その瞬間、私は己を包む障壁ごと後方へと吹き飛ばされていた。
どうやら、ハストゥールには相手の防御魔法の位相を強制的に移動させる手段まであるらしい。
その速度はすさまじく、私は成す術無く地面へと叩き付けられ――
「――仁っ!」
――その直前で、展開された水の塊に受け止められていた。
どうやら、初音が発動した魔法でキャッチしてくれたようだ。
激突しただけで死ぬことは無かっただろうが、ほんの僅かな時間であれ、行動不能になっていた可能性は高い。
だが初音のおかげで、最悪の事態だけは免れそうだ。
水飛沫の中、私は何とか地面に着地し、近くにいた初音を抱き寄せる。
「【堅固なる】【壁よ】【遮れ】ッ!」
「さあ、耐えて見せよ!」
猛々しく告げて、ハストゥールはその剣を振り下ろす。
刹那――世界が砕け散らんばかりの轟音と共に、巨大なダウンバーストが私たちへと向けて放たれていた。
それはまるで、ミサイルが眼前で爆発したかのような衝撃だ。
だが、それでも……今の私の防御ならば、耐えきることも不可能ではない!
「ッ、ぐぅ……!」
押し潰されそうな重圧に、私は思わず呻き声を上げる。
凄まじい破壊力だ。以前の私であれば、数秒と耐え切れずに芥子粒になっていたことだろう。
だがそれでも、あらゆる干渉を《拒絶》する力を振り絞り、私はハストゥールの一撃を受け止めていた。
ここで崩れることは許されない。ここには、初音がいるのだから――
「……仁、そのまま聞いて」
「初音……?」
「私に作戦があるの。このタイミングなら行けるはずだよ」
そう告げながら、初音は私の腕の中で、じっと私のことを見上げていた。
普段と変わらぬ親愛と信頼、そしてそれと共に在る強い決意。
思わず吸い込まれそうなほどの強い瞳に、私は思わず息を飲んでいた。
「リリちゃんを私に分けて。そして、仁の姿を偽装するの」
「な……!? 初音、お前は何を!」
「仁のその姿なら、魔力が外に漏れないから、気付かれることは無いはずだよ。仁の姿は私が水で隠すから、隙を伺って」
「何を言っている! 奴の攻撃は、お前では防げないだろう!」
「分かってるよ。前衛は舞佳さんにやって貰う、もう話は付けてあるから」
淡々とそう告げてくる初音に、私は思わず息を飲む。
初音の声の中には、確かな怒りの感情があったのだ。
それは恐らく、刀祢を殺されたが故のものだろう。
私が真には抱くことのできないその感情を、初音は自らが代弁するとばかりに、ハストゥールに対する怒りを露わにしていた。
「……お願い、仁」
「初音……」
葛藤する。だが、時間は無い。
この攻撃が終わるよりも早く、決断しなければならないのだ。
私たちは――何としてでも、この戦いに勝利しなくては。
そして同時に、私は初音を守り抜かなくてはならない。
これ以上失うことは、私が私を認められない。
ならば――
「……必ず護る。頼むぞ、初音」
「うん。信じてるよ、仁」




