164:灼熱の星
大気すら焼き焦がすほどの熱量を放ちながら、姉上の姿が変貌する。
母上譲りの黒髪は真紅に染まりながら揺らめき、手足の先は白熱して朧気に輪郭を揺らしている。
その姿を見て想起させられるのは、かつて山での修行の中で戦った、雷の亜精霊の姿だ。
私の予想が正しいとするならば、今の姉上は――
「ほう? 成程、流石は《生ける灼熱》の系譜と言うべきか。奴に近い姿まで再現できるとはな」
「……貴方は、これを知っていると言うの?」
「そのような術は知らん。だが、その姿には見覚えがある。驚かせてくれるものだ。まさか奴の、亜精霊としての姿を再現しようとはな」
ハストゥールの言葉は要領を得ないものであったが、今の姉上が亜精霊へと変貌しているということだけは理解できた。
人間を亜精霊へと変化させる術式など、どのような仕組みになっているのか想像もつかない。
だが、その力が驚異的なまでに高まることだけは、容易に想像することが出来た。
そして、ハストゥールもそれを理解しているのだろう。初めて私から視線を外した彼は、笑みを浮かべながら姉上へと向けて言い放つ。
「良かろう、来るがいい。その力、余に示してみよ」
「言われなくても、そのつもりよ!」
力強く叫び、姉上は手を掲げる。
瞬間、その掌に凄まじい熱量が集中し、その直後熱線となってハストゥールへと殺到していた。
圧倒的なまでの灼熱の熱量。金属すらも容易く融解させるほどの膨大な炎。
それほどの規模のエネルギーを、姉上は詠唱すら無しに発現させて見せたのだ。
本来ならばあり得ぬはずのその力に、しかしハストゥールは小さく笑みを浮かべる。
「――面白い」
彼は小さく呟きながら軽く腕を振るう。
瞬間、巻き起こった嵐の如き暴風によって姉上の炎は逸らされ、天井へと突き刺さり一瞬で融解させていた。
溶岩となって降り注いでくる天井を、ハストゥールは見向きもせずに風で吹き払い、次いで払った腕を姉上へと向ける。
瞬間――爆発が起きたと錯覚するほどの暴風が、姉上へと向けて放たれていた。
「ぁ――――ッ!?」
思わず姉上のことを呼ぶが、声にはならず。
いきなり吹き荒れた暴風に、私は耐えきれずにその場から弾き飛ばされていた。
ただの人間が至近距離で浴びれば、それだけで肉体を粉砕されていたであろう破壊力。
その圧倒的なまでの一撃を、姉上は発生させた爆風で吹き飛ばしていた。
神話の戦いと言われても納得できるような、現実離れした情景。それを見て、私は理解する。
――今の姉上の力は、ハストゥールにとっても決して無視できるものではないのだと。
(であるならば――!)
体勢を立て直し、私は再び地面を蹴る。
状況は未だ切迫している。だがそれでも、私にとっての自由度が増したことは紛れもない事実。
これならば、いくつかの準備を仕込むことが可能だ。
左手を広げて疾走しながら、私は姉上とハストゥールの攻防を観察する。
「【刃よ】――!」
「ふ、ははは!」
姉上が腕を振り下ろすと共に、薄く伸びた白い炎が断頭台の如くハストゥールへと撃ち降ろされる。
ハストゥールが纏う暴風すら強引に断ち切るその一撃に、しかし彼は愉快そうに笑いながら頭上に手を掲げていた。
掲げられた右手が真横になぞられ――その瞬間、巻き起こった巨大な風の刃が、姉上の炎の刃を断ち切って消し飛ばす。
その光景を見て、私は思わず顔を顰めていた。
威力の面では拮抗しているように見えるが、ハストゥールはまだまだ余力を残している。今の姉上ですら、ハストゥールには及んでいないのだ。
「中々やるものだな。だが良いのか、貴様のその術式は、己の質量のエネルギー変換だろう。使い過ぎれば、文字通り身を削ることになるぞ?」
「そんなもの、最初から承知の上よ……! 臥煙、大焚、私に炎を当てなさい! 吸収して少しでも長く持たせるわ!」
「チッ……悔しいが、それしかねぇか」
地面に着地して周囲の状況を確認しながら、私は舌打ちする。
魂を削る私の《王権》とは別方面であるが、姉上の亜精霊化にも魔力消費以外のリスクが存在していたらしい。
あまり長く戦わせるわけにはいかない。だが、ハストゥールのあの防御を貫けるであろう火力は、姉上の術か私の右腕しか存在しないだろう。
だが、姉上も私も、こちらの動きを察知されている以上は対応されてしまうのがオチだ。
相手の意表を突くか、或いはあの防御を解除させなければならない。
「……ならば」
呟き、私は駆ける。
姉上がハストゥールの視線を集めてくれたおかげで、こちらも動きやすくはなっている。
そのおかげで、私の準備はほぼ完了している。後は、タイミングさえ合わせられれば――
「では次だ、踊って見せよ」
「ッ、あああああ!」
ハストゥールが軽く腕を振るうと共に作り上げられたのは、風の刃で形成された檻。
それは即座に収縮し、姉上を斬り裂こうと唸りを上げる。
姉上は全身から発した炎で吹き飛ばし――その炎の影から、銀の輝きが飛び出していた。
「【刃よ】【集い】【留まり】【斬り裂け】ッ!」
姉上の影から炎を斬り裂いて飛び出してきたのは、二振りの刃を構える舞佳さんだった。
彼女が横薙ぎにはなった銀の輝きは、ハストゥールの風の鎧に突き刺さり、けれどそれを貫くことは叶わなかった。
ハストゥールもそれを分かっていたのだろう。舞佳さんに視線を向けることすらせず姉上へと追撃を放とうとし――
「【刃よ】【集い】【飲み込み】【貫け】ッ!」
「ッ!?」
ハストゥールの障壁とせめぎ合っていた銀の魔力へ、もう一刀による突きを放っていた。
舞佳さんが放った二撃目の刃は、先の一撃目に接触するとともに吸収し、より強い破壊力と貫通力を以てハストゥールの障壁へと叩き付けられる。
この攻撃は予想外だったのか、ハストゥールは目を見開いて銀の光へと視線を向けていた。
瞬間、風の鎧を貫きながら迫っていた銀の光は、押し潰されたように拉げ、消滅する。
「今のは驚いたな」
「――涼しい顔して対応してて、よく言うッ!」
ハストゥールの視線が外れた瞬間に相手の後方へと回り込んでいた舞佳さんが斬りつけるが、既に風の鎧は再生している。二度同じ手が通用することは無いだろう。
しかし、舞佳さんの存在も意識し始めた彼は、姉上と舞佳さんの二人へとその手を向けて――
「――仁ッ!」
「っ!」
――初音の声が耳に届いた瞬間、私はハストゥールへと向けて駆けだしていた。
それとほぼ同時、ハストゥールの足元が罅割れる。
彼は即座に反応して跳躍するが、砕けた足元より吹き上がった水は相手を風の鎧ごと飲み込んでいた。
ハストゥールは、空気のある領域の事象は即座に察知してしまう。だからこそ初音は、地面の下から水を伝わせてハストゥールの足元まで接近させていたのだろう。
「――貫けッ!」
空中に出来上がったハストゥールを包む水球、そこへと向けて、姉上は膨大な熱量に白く輝く炎の槍を放っていた。
その一撃は水に包まれ動きを鈍らせたハストゥールの風の鎧へと突き刺さり――それを、容赦なく貫通すると共に水蒸気爆発を発生させていた。
「ちっ、手応え無し――!」
「いえ、十分です!」
どうやら、今の一撃は回避されていたらしい。
だが、それでも十分だ。何故なら初音の水は――
「っ――毒とはな、やってくれる」
「普通ならば、触れただけで即死する術式毒なんですけどね!」
初音の術式毒は、対象を絞って効果を及ぼすことが可能だ。
今発現させている効果は、初音の言葉の通り、触れただけで相手を死に至らしめるような強烈なもの。
しかしそれを浴びてなお、ハストゥールには僅かに動きを鈍らせる程度の効果しか及ぼせていなかった。
予想はしていたが、目を疑うような光景である。しかし――その僅かな隙が、何よりも必要なものだった。
「《王権》――」
力は回復しきっていない。今の総量では、《魔王之理》を発動することはできない。
あの力であれば、命中さえさせられれば確実にハストゥールの防御を貫けるだろうが――出来ない以上は仕方ない。
であるならば、もう一つの力を使うほか無いだろう。
「――《斬神之理》」
白く、黒く、最果てに在りて未来を斬り開く極点の刃。
その先端に立つ男の姿を幻視しながら、私はこの力を収斂させる。
《斬神》――《魔王》が唯一対等と認めるというその存在の力とは、即ち――可能性の収束だ。
「久我山、今だッ!」
『ああもう、やってやるよ!』
耳元で、久我山の声が響く。
私がこれまでハストゥールの周囲を走り回っていたのは、左手に仕込んだ印から、ルルハリルの時空跳躍越しに久我山の魔力糸を張り巡らせるためだったのだ。
既に周囲には、びっしりと久我山の糸が設置されている。
そして、初音の攻撃によって跳躍したことにより、糸は既にハストゥールの身にも絡みついていた。
彼の術式は複雑精緻な代物だが、『黒百合』に張り付けていた詩織の虫は、十分に術式を観察できている。
(通常、久我山の魔力だけでハストゥールの術式を崩せることはほぼあり得ない。魔力の大半を使って、ほんの数パーセントほどの可能性がある程度だ)
それほどまでに、ハストゥールの術式は高度なものなのだ。
賭けとすら呼べないような大博打、命を捨てに行っているとしか言えないような愚行。
だが――それをひっくり返すイカサマが、今ここに存在する。
ほんの僅かな可能性であろうとも、その可能性を手繰り寄せることのできる権能が!
「可能性を示せ、《王権》ッ!」
「――――ッ!?」
久我山の魔法消去によって、ハストゥールの風の鎧は弾け飛ぶように消滅する。
その瞬間こそ、私の待ち望んでいた最大の好機――
「おおおおおおおおおおおおッ!!」
「貴様……ッ!」
撃ち放つ銀の拳、しかしハストゥールは瞬時に反応して左手を突き出し、発生させた風によって私の一撃を受け止めていた。
『黒百合・韋駄天』の推進力で破ろうと踏み込むが、あと僅かの距離が縮まらない。
対するハストゥールは、私の拳を受け止めながら、小さく笑みを浮かべていた。
「驚かされたな、大したものだ。だが、一手足りなかったな」
「っ……ああ、その通りだ」
否定は出来ない。後一手が足りないのだ。
そして――
「――僕が、その一手だ」
――そのために、ここまで刀祢の存在を意識させずにいたのだから。
初音の水に紛れて接近していた刀祢が飛び出し、ハストゥールの背中へと刃を振り下ろす。
相手が刀祢の存在を察知したのは今この瞬間。最早術式の発動は間に合わない。
それを理解して、ハストゥールは薄く笑みを浮かべていた。
「見事だ。よくぞ――」
刀祢の刃は、ハストゥールの背へと吸い込まれ――金属音と共に、受け止められていた。
「――よくぞ余に、剣を抜かせた」
「ッ!?」
「な――!?」
刀祢の一撃は、ハストゥールが背後に回した手にいつの間にか握られていた、黄金に輝く剣によって遮られていたのだ。
姉上をこの地に飛ばした元凶である剣。ただでさえ強大過ぎる力を持つハストゥールが所有する、強大なる古代兵装。
その輝く刃は――
「では、ここからが本番だ」
――刀祢の刀を両断し、彼の身を深々と斬り裂いていた。




