160:彼方へ
「――《王権》」
右手を、前へと伸ばす。
ここではない、遥か彼方へ――姉上のいる、西の方角へ。
その私の呼びかけに呼応するように、右手の甲に浮かび上がった双銃と炎の紋章から、銀の炎が燃え上がる。
炎は渦を巻くように私の腕を駆け上がり――それが通り過ぎた後から現れるのは、機械仕掛けの白銀。
関節から灼銅の光を滲ませながら、私の右腕は変貌を完了させる。
「へぇ、そいつがお前さんの精霊魔法か。話に聞いてたのとは随分と違うな」
「先日の事件の際に、一段強化されましてね。その影響で様変わりしたんですよ」
声を掛けてきた臥煙の言葉に、私は右腕を降ろしながら軽く肩を竦めつつそう返す。
思えば、分家の人間の前で精霊魔法を使ったのはこれが初めてだろう。
燈明寺がこの場にいなくて良かった。彼が居たら、興奮して話が進まなくなった可能性も否めない。
灯藤家が拠点とするマンション、その屋上に集ったのは、これから現場へと向かうメンバーだけだ。
私と初音、リリ、刀祢、舞佳さん、そして臥煙と大焚。ルルハリルもいるが、あれは自力で目的地に辿り着けるので別枠だ。
ともあれ、この場にいるのは全員が特級魔導士に近しい存在。実力という面では最も低いであろう刀祢も、間違いなく一級クラスの実力を持つ者だ。
これほどの戦力が同時に仕事に当たることなど滅多にないだろう。
ちなみに、久我山と詩織は火之崎の本家で匿われている。危険は少ないとは思うが、念の為だ。
「出立前に確認しておきます」
この場に集った面々の方へと振り返り、私は告げる。
言い繕いようもない死地へと足を踏み入れねばならない、恩人たちへと。
「我々が赴くのは、遥か中東の古城。世界に名高き十秘跡が第二位、《風神》ハストゥールの支配領域です。風属性においては間違いなく世界の頂点、正面からぶつかれば敗北は必至でしょう」
「弱気な発言だな――と言いたいところだが、当主に一度も勝てたことが無い俺らが言えた発言じゃねぇか」
「十秘跡の第三位以上は隔絶されてるって話だしね。正直、想像すらできないわ」
苦笑いを浮かべるしかない臥煙と、肩を竦める舞佳さん。
正直なところ、私としても同感だ。
未だほんの僅かにしか触れられていない十秘跡上位の実力。
そのほんの僅かなレベルですら、『無貌』は想像を絶するような技術を見せつけていたのだ。
第二位は属性こそ割れているが、決して『無貌』に大きく引けを取るような実力ではないだろう。
「朱音様がいる場所は、一応はハストゥールから離れた場所です。先ずは臥煙さんと舞佳さんが突入。続いて大焚さんが入って場を制圧、その後他のメンバーが入って拠点確保へ動きます」
「別に燠田の姐さんもいねぇんだし、姉上で構わんぞ? そういや、その転移術式で朱音様を直接こっちに引っ張れねぇのか?」
「ええ、まあ……私以外を転移させようとすると、一方通行にしかできないので」
もっと習熟すれば出来るようになるのかもしれないが、今は考えても仕方がない。
そもそも、『無貌』が妨害してくる可能性がある以上、下手な手は打てないのだ。
私の返答に一応は納得したのか、臥煙は口調こそ軽いものの、真剣な表情で頷いていた。
「了解だ。んで、こちらからは積極的には攻めないってことか?」
「……手を出せば反撃してくるでしょう。理想は、私が再度転移を発動できるようになるまで隠れ続けることです」
まあ、それは流石に無理だろうとは思うが。
だが何にせよ、可能な限り時間は稼がねばならない。
我々の目的は、あくまでも姉上を救い出すこと。ハストゥールを倒すことではないのだ。
不用意に手を出して反撃されるような愚は避けたい。
とはいえ、結局は相手の反応次第だ。避けて通れぬならば戦うしかないだろう。
「正直なところ、『無貌』が考えている目的は、私を炙り出す以外のことは分かりません。何のためにハストゥールなどという大物を舞台に引き込んだのか、それが分からない以上は予想すらできない」
「……ならば、最悪の事態を想定しておくべきだろう」
「ええ。最悪とは即ち、『無貌』とハストゥールが同時に攻撃を仕掛けてくること。ですが、これを行ってくる可能性は低いでしょう」
「ほう……その理由は?」
「単純に、どうしようもないからです」
例え《王権》を使っていたとしても、勝負になるはずがない。
瞬く間に全滅するのがオチだろう。その二人が相手では火之崎の全戦力を集結していても厳しいのだから当たり前だ。
そして、そんなあっさりと勝負が決まってしまうのは、『無貌』としても本意ではないだろう。
そもそも、これまでの奴の行動から考えて、直接手を出してくる可能性は著しく低いと言える。
「不本意ですが、奴は私を成長させようとしているきらいがある。そんな奴が、私たちを一瞬で全滅させるような手は取らないでしょう。そもそも、奴自身は手を出してこない可能性が高い」
「……ふむ。では、起こる可能性が高い中で最も悪いパターンとは何だ?」
「それは……ハストゥールとの直接戦闘でしょう。流石に、彼の性格は知りませんが……我々は、彼の領域に足を踏み入れた侵入者となる。攻撃を受ける可能性は高い」
「……了解した。それを念頭に置いて動くとしよう」
巨体を揺らして頷いた大焚の言葉に、私も首肯を返す。
いつものことではあるが、『無貌』がやろうとしていることはまるで読めない。
あらゆる可能性を想定して対策を打っておく他に方法は無いのだ。
「他に、何か聞いておきたいことはありますか?」
「詳細に付いちゃ、来る途中に話は聞いてたさ。そろそろ行こうぜ、灯藤の」
「了解しました。それでは――準備を」
私の言葉を聞き、臥煙と舞佳さんがその魔力を励起させる。
オーラとなって立ち上る魔力を纏う二人を背にしながら、私は右手に手刀を作って構えていた。
そしてこの右腕に、魔力と魂を滾らせ、充填させてゆく。
『位置確認、座標指定。対抗術式展開』
『目標地点にトラップ型の術式は見当たらず。お前の好きなタイミングで開けばいいです』
リリとルルハリルの報告を聞き、私は頷く。
今回の転移には『無貌』の邪魔は入らないようだ。
ならば後は、ひたすらに前へと進むだけだ。
「《王権》――《旅人之理》」
歯車が回る。軋む音を立てて、灼銅の燐光を放ちながら。
白銀に輝く腕と、漏れ輝く灼銅の光――二つは交じり合い、白き光となって顕現する。
これこそは、大いなる《魔王》に仕えし、世界を渡り歩く《旅人》の権能。
その輝きを以て、私は腕を右に向けて薙ぎ払っていた。
瞬間――輝く白き光が、空間を裂いて穴を空ける。
「臥煙さん、舞佳さん!」
「応よ!」
「行くわよッ!」
私の声と同時に、開いた穴へと向けて臥煙と舞佳さんが飛び込んでゆく。
瞬間、穴の向こう側で炎が広がり――そのタイミングで、大焚が中へと飛び出していた。
断続的に続く爆音。吹き上がる炎が僅かに覗く中、刀祢を伴う初音が中へと入り、続いて私もリリを纏いながら中へと踏み込む。
その瞬間、視界に広がったのは、炎によって蹂躙される黒い禁獣たちの姿だった。
「ビヤーキー……!」
体にのしかかる疲労と負荷に、咄嗟に《王権》を解除しつつ、私は周囲の状況を確認する。
場所は、古い石造りの建物だ。所々が崩れ、廃墟同然となったそこは、人の住まう気配の感じられない場所である。
だが、広間となったこの場所には、二対の翼を持つ黒い怪物――ビヤーキーと呼ばれる禁獣が十匹近く飛び回っていた。
あれは危険な禁獣だ。高速で飛び回るあの怪物は捉えることが難しく、風の魔法や強靭な肉体での戦闘を得意とする1級に相当する禁獣。
それが五体いれば、私でも対処は難しいだろう。その倍の数となれば、私では対処しきれなかった可能性が高い。
だが――
「ブチ抜くぜ、合わせな!」
「了解よ!」
臥煙が放つのは無数に連なる炎の槍。
それによって動きの鈍った空中のビヤーキーたちに、舞佳さんの放つ刃の銀光が乱舞する。
その刃によって翼の一部を斬り裂かれたビヤーキーたちはその動きを止める。
瞬間――
「【集い】【連なり】【燃え尽きろ】!」
両腕を広げ、大焚が宣言する。
その瞬間、空中にいくつもの炎の渦が顕現する。
それは大焚の魔力を受けることによって膨れ上がり、天井を覆い尽くすような巨大な炎の渦へと変貌していた。
魔力量という観点において、大焚家は宗家に次ぐ総量を有している。
小回りは効きづらいが、攻撃力という点においては宗家にも引けを取らないレベルであると言えるのだ。
その大焚の当主が放った炎は、逃げる力を失ったビヤーキーたちを包み込み、膨大な熱量によって蹂躙していた。
炎の塊となって地面に墜落してくるビヤーキーたち。生命反応は最早無く、とりあえずの対処が完了したと判断した私は、初音の方へ――そして、初音が回復を行っている姉上の方へと駆け寄っていた。
「姉上、大丈夫ですか!?」
「仁……やっぱり、来ちゃったのね」
姉上は、いくつか手傷を負って、消耗している様子ではあったものの、命に別状はない様子だ。
どうやら、何とか間に合わせることは出来たらしい。
一先ずは安心しながらも、私は姉上の治療を続ける初音へと声を掛ける。
「初音、悪いが――」
「隠蔽の結界だよね? それならもう始めてるよ」
気づけば、周囲には僅かながらに白い霧が立ち込め始めている。
これは、水城の一族が持つ術式、幻覚を伴う霧の領域を作り上げる魔法だろう。
果たしてハストゥール相手にどこまで効果があるのかは分からないが、少なくともビヤーキーの目は誤魔化せるだろう。
相手がその気であれば、既にこちらに干渉を掛けて来ていても不思議ではない。
とりあえずは問題無さそうであると判断し、私は姉上の傍にしゃがんで声を上げる。
「ご無事で何よりです、姉上」
「だから敬語……って、臥煙さんたちがいるからか。それは兎も角……何で来ちゃったの、仁」
「姉上を助けるのは当然でしょう。それに、姉上の存在はこの場にいる全員よりも重要だ。私でしか辿り着けない場所にいる以上、私が命を懸けるのは当然です」
「ッ……自分から言わないでよ、そういうの」
顔を顰める姉上に、私は小さく苦笑する。
姉上も、次期当主となる身だ。命の優先順位というものは理解しているのだろう。
まあ、私としてもあまり好き好んで口に出したい概念ではない。
リリにルルハリルを索敵に出すよう指示しつつ、私は姉上に肩を貸しつつ立ち上がっていた。
「まずは、隠れやすい場所に移動しましょう。初音、引き続き頼む」
「うん、分かってるよ。ただ、移動しながらだと集中がいるから……」
「護衛は僕が。初音様の周囲はお任せください」
「助かる。臥煙さんたち、移動しましょう!」
「分かってるよ。俺が先に行っとくぜ」
それが己の役目であるとばかりに、臥煙が先陣を切って歩き出す。
一応、周囲には他のビヤーキーの気配はない。すぐさま襲われるということは無いだろう。
尤も、先程派手に魔法を使った以上、こちらに近づいて来ていても不思議ではない。
初音の魔法で隠れているとはいえ、これだけの人数を移動しながら隠すのは中々難しいだろう。
まずは、早目に隠れられる場所を探し、体勢を整えることが重要だろう。
『あるじよ、分かっているとは思うが――』
『……先ほどと同じレベルで《旅人之理》を使うなら、3時間は休む必要があるってことだろう? 自分でも分かってるさ』
使いこなせるようになったとは言え、《旅人之理》は未だにコストの重い権能だ。
三時間というのも本当に最低限、安全マージンも取らずに最速で発動した場合の時間だ。
それ以上早めれば、まず間違いなく私の魂が砕けることになるだろう。
何とかして時間を稼ぎたいところだが――
「…………っ」
あの『無貌』が、それを座して見ているとも思えない。
奴の目的は一体何なのか、何故この場を戦いの場として選んだのか。
そして――この城の主である《風神》は、果たしてどのような思惑で『無貌』に協力しているのか。
それが分からない以上、相手の動きを読むことも難しい。
「……仁、大丈夫?」
「……ああ、大丈夫だよ、初音。何とかするさ」
心配そうに私を見る初音に笑いかけつつ、私は前へと視線を向ける。
引くも進むも、手札は《王権》しかない。
決意を新たに、姉上を引き連れた我々は、古城の広間を抜けて廊下へと足を踏み入れて行った。




