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汝、不屈であれ!  作者: Allen
第1章 灼銅の王権
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016:初めての魔法












 千狐に周囲の警戒を依頼しながら、私は初音の手を引いて屋上へと続く階段を進む。

 狭い閉鎖空間となっている階段は音が響きやすく、人の気配を感じ取ることは簡単だ。

 尤も、それは私たちの存在が気づかれやすいということとも同意であったが、それはある程度足音を忍ばせれば何とかなる。

 もとより、今の私たちは体重の少ない子供なのだ。

 靴を脱ぎ靴下だけになってしまえば、そうそう大きく響くような足音が発せられることはない。



「仁……」

「初音? どうした、不安か?」



 できるだけ音を出さないように、と言っておいた手前か、初音は小さく囁くような声で私に問いかける。

 足音に比べれば人の声は幾分か響きにくいため、この程度ならば問題ないだろうと判断し、私は彼女の言葉に耳を傾けていた。

 表情の中には、私の想像したような不安の色はあまりなく、決意を決めた覚悟の気配が感じ取れる。

 どうやら、危惧したことは起こっていないようだが、果たして何を問おうとしているのか。



「仁は、これがおわったらどうするの?」

「……そうだな」



 成程、と胸中で納得しつつ、私は軽く溜息を吐く。

 事を成していない以上、獲らぬ狸の皮算用だが、この先どうなるのかという点については度々考えていた。

 これほど大きな事件が起き、そして私も精霊の――千狐の存在を明かしてしまった。

 少なくとも、今まで通りとは行かないだろう。



「正直なところ、私にも分からない。私も、ずっとここで暮らしていたから、世間のことには疎いんだ」

「……そっか」

「だが、大丈夫だよ、初音」

「仁……?」



 彼女にとって、私は初めての友人と呼べる存在だろう。

 孤独な彼女にとっての支えであろうと接してきた面もある。自惚れではなく、慕われている自覚はあった。

 故にこそ、僅かながらにでも感じ取れる別れの気配に、初音は動揺していたのだろう。

 これが終われば、私は恐らく火之崎の家に戻されることになる。

 まあ、一度も行ったことがない以上、戻されるという表現も微妙ではあるが――どうにしろ、初音との別れはやってくるだろう。

 だが――



「私は『火之崎』で、お前は『水城』だ。そうである以上、関わりが途切れることはない。必ず会いに行くさ」

「……うん。まってるね、仁」



 私の言葉に、初音は安心したように笑みを見せる。

 やはり子供は笑顔が一番だ。ならばこそ、早くこのような事態は終わらせなければならない。

 私自身に力があれば、この子をこのような場に引きずり出さずに住んだのかと思うと、酷く情けないが――やらねばならないだろう。

 私が初音にしてやれる、最後の手助けだ。



『見えてきたのぅ……あるじよ、屋上に人の姿はない。安全じゃぞ』

『分かった……行くとしよう』



 戻ってきた千狐の言葉を聞き、私は最後の階段を登りきる。

 婦長から手渡された鍵で開錠し、重い扉を精一杯引っ張って開く。

 病院の屋上は基本的に、自殺防止の為に鍵が掛かっている。

 そのため、ほぼ人の踏み入れたことのない屋上には、全くと言っていいほど人のいた痕跡を感じ取ることはできなかった。

 初音の手を引いたまま手すりの前まで移動し、私は病院の外へと視線を向ける。

 一度も出たことのない、この病院の外の世界。前の世界とそれほど変わらぬように見える、その風景。

 その中に点在する黒いワゴン車は、どこか汚点のようなものにも感じ取れてしまう。



(ああそうだ、認める訳にはいかん……あれは、『外道』だ)



 正義などと主張するつもりはない。悪を許容していた私が、今更それを否定することもできはしない。

 だが、道を外れた人間だけは決して赦さない。子供の笑顔を、私の家族を、傷つけようという存在など。

 決意と共に視線を上げる。病院の前にあるのは、いくつかテナントの入っているようなオフィスビルだ。

 建物事態は比較的新しく、魔法に対する耐性の高い建材でできていることは間違いない。

 私や初音が放つ程度の魔法では、小揺るぎもしないだろう。

 中で騒ぎになるかもしれないが、そこは勘弁していただきたいところだ。



「よし……初音、準備はいいか?」

「うん、いつでもいいよ……頑張ろう、仁」

「ああ、勿論だ」



 頷き、私と初音は準備を開始する。

 といっても、それほど事前準備が要るわけではない。

 初音をビルの正面となる位置に立たせ、私はその背後に立つ。

 その上で、後ろから覆いかぶさるように密着し、前に掲げられた初音の手に、私自身の手を添える。

 そして、そんな私の両肩に手をついて身を乗り出すように、千狐が私たちの姿を監視する。

 これで、準備は完了だ。



「いいか、初音。まずは、魔力を励起して精錬するんだ。やり方は分かるな?」

「うん、いくよ」



 初音はまだ子供だ。密着したところで動揺するようなことはない。

 むしろいつも以上に集中し、己の魔力から不純物を取り除いていく。

 同時、私は《掌握ヴァルテン》を発動させていた。

 いかな千狐の力とて、他人の魔力を好き勝手するようなことはまず不可能だ。

 例外は、相手が私のことを心の底から信頼し、己の力を預けてくれている場合のみ。

 しかも、それでも完全な形で干渉することは不可能であり、上手くしなければむしろ相手の魔力の流れを阻害してしまう。

 私がこのようなことを出来る相手は、初音以外には存在しないだろう。

 初音の魔力に対して私が感じた印象は、澄んだ蒼――澄み渡った湖。

 その膨大な魔力の片鱗を溢れさせながら、初音はゆっくりとそのサファイアの如き瞳を開く。



「仁、お願い」

「ああ……私に続いて、詠唱してくれ」



 端的に言ってしまえば、魔法とは術式に魔力を通すことによって発動する。

 だからこそ、重要となるのはその術式をいかに正確に編むかという点だ。

 術式の精度は構築速度とトレードオフになり、素早く魔法を発動させようとすればするほど、術式構築の難易度は上がる。

 逆に言えば、ゆっくりと編めば精度の高い術式を完成させることができるのだ。



「【円環に在りし四大が一つ、生命を育みし大いなる水よ】」

「え、【円環に在りし四大が一つ、生命を育みし大いなる水よ】」



 詠唱は、イメージが伴わなければ発動しない。

 故にこそ、初音には古き詠唱式の詠唱語句について、これまで教え続けてきた。

 特に難しい言葉の使われているこの詠唱だが、水属性の魔法を使う際の冠詞のようなものだ。

 圧縮して詠唱しようとすれば、ただ【水よ】だけで済む。

 だが、ここでは詠唱の圧縮は行わず、初音のイメージと魔力を直結させ、術式の構築を行っていく。



「【偏在せし理、我が前に集い、姿を現せ】」

「【偏在せし理、我が前に集い、姿を現せ】」



 水の基底術式に付加するのは、《集束》と呼ばれる付加術式。

 この付加術式を組み合わせる数によって、術式は多様に変化し、同時に難易度を加速度的に増していく。

 一つ組み合わせるだけならば、ただ水を発生させるだけの魔法と大差ない。

 だが、初音はただそれだけで、魔法を暴発させてしまったことがあるのだ。

 僅かに身を強張らせる初音は、しかしそれでも、術式の構築を止めようとはしなかった。



「【汝に果ては無く、汝に境は無く、群れ連なりて形を成す】」

「【汝に果ては無く、汝に境は無く、群れ連なりて形を成す】……!」



 次いで付加する《連結》の付加術式。

 一つの術を断続的に放つ術だが、水の魔法ならばホースからの放水のように放つことも可能だ。

 先ほど一つ術式を組み合わせただけならば、魔法のレベルは五級として数えられる。

 そして、今もう一つ組み合わせた時点で、術式難度は四級。

 既にかつての初音のレベルを大きく超えている。だが、まだは常には余裕がある様子であった。

 付け加えるべき術式は、あと一つ――



「【そは万象砕く暴食の顎、荒れ狂い飲み干す災禍、我が命に従い奔流となせ】」

「【そは万象砕く暴食の顎、荒れ狂い飲み干す災禍、我が命に従い奔流となせ】……ッ!」



 水属性の付加術式《奔流》を組み合わせ、初音の術式は完成する。

 しかし、やはり最後の付加は危うい。四級までは安定していた魔法も、三級に足を踏み入れた時点で安定度は消え去ってしまっている。

 だが――だからこそ私がここにいるのだ。

 初音が私に委ねてくれている術式を、《掌握ヴァルテン》の力で補強していく。



「仁……っ! 術式、が」

「大丈夫だ、私が支えている。初音、見えているな? お前の構築した術式が、お前が魔力を注ぎ込むべき砲身が! 一度魔力を注ぎ込めば、魔法は発動する。大切なのは、一定量を保ちながら魔力を注ぎ込み続けることだ――必要な量は、分かるだろう?」

「うん……行くよ!」



 これまで初音に対して徹底的に教え込んできたのは、魔力の精密操作。

 尤も、精密といえるほどの領域までは辿り着けなかったが、それでも一度に操る魔力量は十分に小さくすることができた。

 そして、この術式を発動させる魔力量は、今の初音には十分に制御可能だ。



「ええええいっ!」



 そして、魔法が発動する。

 術式に注ぎ込まれた魔力は、その術式の定める法則に従い、強力な水流を発生させていた。

 初音のちいさな両手の間から放たれているそれは一直線に進み、そして僅かに弧を描きながら、正面にあるオフィスビルへと激突する。

 その外壁には僅かに刻印術式が浮かび上がっており、初音の術を防いでいたが、それで問題はない。

 騒ぎになれば、それだけで十分なのだ。

 《掌握ヴァルテン》で術式の綻びを修正し、そして余剰な魔力を散らしながら、術式の維持制御を続ける。

 やがて、周囲からざわめきの声が大きくなった頃――初音の、初めて発動させた魔法は、ようやく収束していた。

 一度に多くの魔力を深く集中しながら使ったためか、初音は疲労感の滲む表情で力を抜き、私の体に寄りかかる。

 だが、彼女の表情の中には、確かな満足感が存在していた。



「仁……わたし、やったよ」

「ああ、確かに見ていた。素晴らしかったぞ、初音」

「うん……!」



 嬉しそうに頷いた初音を背負い、私は立ち上がる。

 子供の体では彼女を抱え上げるのも一苦労だったが、疲れ切った初音をこのままになどしておけるはずがない。

 何とか初音を背負い、私は屋上を後にしようと歩き出す。


 ――爆発音が聞こえたのは、その直後であった。



「な……ッ!?」



 思わず、目を見開く。

 状況が動くにしても早すぎる。

 今の初音の魔法は、相手からしても予想外の出来事だったはずだ。

 状況把握のため、しばらくは動きが鈍ると踏んでいたのだが――一体、何が起こったというのか。

 舌打ちし、私は初音を背負ったまま、元来た道を急ぎ駆け戻っていた。

 屋上で事を成した以上、敵がこちらに向かってきている危険もあったため、千狐に索敵を頼みながら、靴を脱いで階段を駆け下りる。

 幸い、まだこちらに向かってきている者はおらず、私は元の階まで到着していた。

 出迎えたのは、同じく困惑した様子を見せる婦長だ。

 私たちの姿を見て安堵した表情を浮かべた彼女に、私は鋭く問いかける。



「婦長、状況は!?」

「分からん。今の君達の魔法は見ていたが……あれを見てから何かが起こったにしても早すぎる。いや、むしろ……君たちが魔法を使う前に、既に状況が動いていたのか?」

「――――っ!」



 その言葉に、私は思わず目を見開き、そして咄嗟に踵を返していた。

 だが、素早く動いた婦長が、私の手を即座に捕まえる。



「待て、仁。君は何をするつもりだ!」

「あの時点で状況が動くとしたら、それは連中が凛か姉上を確保しようとした時だ! この用意周到な相手では、凛たちが逃げられる可能性は低い!」

「ならばこそ、君が行って何になる! 先ほどは私もいたし、屋上はまだ安全だったから良かったが、今度という今度は認められないぞ!」



 確かに、婦長の言うことは正論だろう。

 私が同じ立場でも、このような子供に一人で行かせるようなことはありえない。

 だが、それでも私はここで立ち止まるわけには行かない。



「ならばあなたが行きますか、婦長。敵に戦力を把握されている貴方に、それこそ何が出来るというのですか」

「それは……ッ!」

「何事も無ければそれでいい。けれど、凛たちに危険が及ぼうとしているのであれば、ここで待つことなどできるはずが無い。婦長、言って下さい。貴方に出来るのであれば、私は何を投げ打ってでも貴方に協力を願い入れる」



 私の言葉に、婦長は渋面を作って押し黙る。

 できるはずが無いだろう。婦長の扱う錬金術は、術自体はかなり高度であるが、戦闘においてそれに見合う効果を発揮することは難しい。

 火之崎を狙おうとする以上、相手には一流の戦力が存在すると考えても過分ではないだろう。



「……確かに、私では状況を打破できない。だが、それは君も同じはずだ」

「いえ。出来ますし、やってみせる。奴らに狙われている私だからこそ、そして奴らに戦力を把握されていない私だからこそ、出来ることがあります」



 精霊魔法スピリットスペルの力は強大だ。

 ただそれだけで、一流の魔法使いすら凌駕してしまうほどに。

 だからこそ婦長は困惑する。本当にできるのではないかと、そう考えてしまうのだ。

 その逡巡を逃がさぬよう、私は言葉を重ねていた。



「そこの男が目を覚まして抜け出したとすれば、私や初音ではその男を抑えることもできません。婦長……凛たちを助けるのは、今この場では私にしか出来ないことです」

「っ……全員で移動するべきだ」

「その状態の初音を連れて、ですか?」



 今の初音は、仮に動けたとしてもほとんど逃げることも叶わない。

 そんな状態の彼女を連れて行くことは難しいし、かと言って一人だけ置いて行くこともできるはずが無い。

 それを理解しているのだろう。苦し紛れの言葉を発していた婦長は、うめくように声を絞り出していた。



「私は……何も、出来ないのか」

「いえ、一つだけ、できることがあります……聞いて貰えますか、婦長」



 私の言葉に、婦長は困惑した様子で視線を私に向ける。

 その中に含まれた疑問に、私は真剣な表情と共に一つの提案を発していた。





















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