157:最後の古代兵装
第9章 黄衣の風神
白銀の機械仕掛けと化した右腕を降ろし、私は小さく嘆息する。
先日の事件から一週間が経ち、私はその間、ずっと《王権》の習熟を続けていた。
大精霊の力を受けたことで私の身に適合し、ついに力の全てを使用できるようになったこの力。
だが、使えることと使いこなせることはまた別だった。特に、先日の事件の際に使った最後の力たる《魔王之理》。
私の認識するものを焼き尽くす白銀の炎は、とてもではないが細かく制御できるようなものではなかった。
一度放てば周囲にその力をまき散らし、細かく狙いをつけて放つことも困難だ。
先日使った際に戸丸を死なせずに止められたのは、正直なところ幸運以外の何物でもなかった。
『それに関しては発動できるだけでも大したものじゃ。味方を巻き込むことはあり得んのだし、余り根を詰めすぎるべきでもなかろう』
「確かに、それは不幸中の幸いではあったんだがな」
《魔王之理》は、私が破壊したいと思ったものみを綺麗に破壊する。
その制御は困難だが、私の深層心理までも反映しているのか、決して私の護りたいものを破壊することは無かった。
あの時戸丸が無事だったのも、恐らくはそれが原因だろう。心の底で、私は確かに彼を助けたいという思いを抱えていた。
とは言え、完全に制御できている力という訳でもなく、安易にその機能を信頼しすぎるのも危険だとは思うが。
中で回る歯車が動きを止め、ゆっくりと元の肉の体へと戻ってゆく右腕。
相も変わらず不可思議で――けれど、どこかしっくりとくるこの変化。
この力は、この変化は、一体いかなるものなのか。私は一体、どうなろうとしているのか。
『案ずるな、あるじよ』
「千狐?」
『それは既にお主の力。お主に害をもたらすことはあり得ぬよ。その機械の腕は、お主自身の望みの在り方を示しておる。まあ、それがいかなるものなのかは、妾にも分からんがな』
「私の望み、か」
そう指摘されて、私は先ほどの機械の腕を思い浮かべる。
あの形が私の望みを反映したものであるというのならば、私は機械であろうとしているということなのか。
或いは、もっと他に、自分でも気づいていないような意味があるのか――考えても、思い当たる節は無かった。
だが、どこか心の底で納得できている部分がある。自らの腕が変貌していることに対し、私は違和感すらも覚えていなかったのだ。
「……まあ、いい。確かめる術も無いなら、今はどうしようもないからな。それより、リリ。調べはついたか?」
「ん、ある程度は分かった」
右腕を降ろして部屋の隅へと視線を向ければ、そこにはいつの間にか給仕姿のリリが姿を現していた。
しばらくの待機任務であったが、それでもただ座して待つつもりもなく、私は例によってリリに偵察を頼んでいたのだ。
相手が魔法院であるため、流石にあまり派手な動きをする訳にもいかなかったが、本気で隠密をしたリリを捉えることは至難の業だ。
目論見通り、彼女は十分な成果を上げて戻ってきたようである。
未だ謎の多い《王権》のことは一度思考の隅に置き、私はリリを傍まで呼び寄せていた。
「聞かせてくれ、リリ。何が分かった?」
「ん……魔法院の作戦は既に最終段階。古代兵装と一緒に相手組織も一網打尽にしている」
『やけに時間がかかっていたのはそれが理由か。悠長なことじゃな』
「魔法院は動員できる人数が多いからな。下手に手を出して一部を逃すよりはその方がいいだろうさ」
『八咫烏』だけで動いていたら決してできない方法だ。
我々は少数精鋭であるが、それ故に数に頼った戦術を取ることは出来ない。
優秀な人材を数多く抱え、尚且つ動員できる人数も多い魔法院ならではの方法だろう。
アフターケアもやりやすく、どちらかというと私としてはその方法の方が好ましい。
魔法院に対して少しだけ羨望の念を覚えつつも、私はリリに先を促していた。
「作戦の最前線にいるのは火之崎朱音。他にも四大の一族の構成員が複数。魔法院も本気のメンバーを動員している」
「……やはり、ここの所姉上がいなかったのはそれが理由だったか」
先日から、火之崎の家には姉上の姿が無かった。
母上からは魔法院の仕事だとしか聞いていなかったが、やはり古代兵装の事件に充てられていたようだ。
個人的には止めて欲しい所ではあるが、納得の人選だとも言える。
姉上は火之崎の魔法使いとして完成形に近い存在だ。その実力は火之崎家全体でも五本の指に入るレベルだろう。
事が古代兵装となれば、それほどの実力者を遊ばせておく理由はあるまい。
「しかし、いかな姉上でも古代兵装の相手は少々厳しそうではあるが」
「ん。でも、相手はその古代兵装を使ってきていない」
『む? そやつら、扱えておらぬのか?』
「そういうことらしい。というか、そもそも人間に扱える古代兵装の方が少ない」
「確かに、今までのもほとんど扱い切れてはいなかったからな……」
今までの連中は、殆どが使っていたと言うよりも暴走していたと言った印象だ。
今回に至っては暴走させることすら出来ていないということか。
まあ、それならそれでありがたい話ではあるのだが……果たして、あの『無貌』がそんな中途半端な事をするだろうか。
奴が関わっている以上、それほど単純に話が終わるなどあり得るはずがない。
何かしかけているのは確実だろう。
「……まあ、姉上も奴の存在については認識しているからな。油断することは無いだろうが」
『お主の両親は、どちらもあ奴を警戒しておったからな。姉君も承知しておろう』
そう口にしたものの、気休めでしかないことは己自身が理解していた。
『無貌』の仕掛けはそう甘いものではない。
例えその全貌を知っていたとしても、防ぎきれる自信がないほどの物なのだ。
姉上の実力は本物だが、それでも『無貌』とは比べるべくもない。せめて、姉上に危険が及ばなければいいのだが。
「……それで、リリ。その古代兵装は、一体どんな品なんだ?」
「品物自体は……剣。風を操る、剣」
「ふむ?」
リリの語った内容と、その歯切れの悪さに、私は思わず眉根を寄せる。
私の認識では、古代兵装とはもっと特殊で危険な性質を持った品だ。
だと言うのに、リリが語った内容は非常に単純明快。正直なところ、あまり古代兵装らしい性質であるとは思えない。
まあ、単純に出力が違うという可能性もあるが、それだけ単純な性質ならば対処もし易いだろう。
しかし――そうであるならば、リリがこれほど深刻そうな様子を見せることはあり得まい。
「リリ、何か思い当たる節でもあるのか? 今は少しでも情報が欲しい、何かあるなら教えてくれ」
「ん……風を操る剣の古代兵装には、一つとても有名なものが存在する。私が生まれた時代よりも前から存在している、神代の古代兵装……それがこんな所にあるとは、思えないけど」
普段の口調を維持できず、どこか焦燥を感じさせる口調でリリはそう告げる。
その様子に、私は嫌な予感を覚えて視線を細めていた。
リリは、かなり古くから存在する禁獣だ。そんなリリが、さらに古い時代からと告げるその古代兵装は、一体どんな存在なのか。
思わず喉を鳴らし、私は、その言葉の続きを待つ。
リリは――意を決したように、顔を上げてその名を口にしていた。
「風塵剣。古き王の一角……《黄衣の王》、《邪悪の皇太子》と呼ばれる存在の持つ、世界すらも斬り裂く風の剣。あの方が、手放す筈は無いと思うけれど……」
口にすることすら恐ろしいと、そう言うかのように――リリは、唇を震わせながらそう呟いていた。
* * * * *
「――【集い】【連なり】【貫け】!」
火之崎朱音の言葉に従い、出現するのは無数に連なる炎の槍。
一切揺らめくことも無く、槍そのものであるかのように固められた炎の槍は、深紅の火線を宙に描きながら空気を斬る音すらも焼き尽くして飛翔する。
朱音の放った炎の槍は、侵攻する朱音を止めようと立ちふさがった敵の盾を、防御魔法を、そして金属で補強された壁すらも貫いて焼き尽くしていく。
散発的に飛んでくる反撃も、槍の軌道を制御して撃ち落とし、そのまま反撃とばかりに攻撃してきた相手に反撃の槍を撃ち込んでいた。
敵わないと悟った敵組織の構成員たちは、既に瓦解して敗走しかけている状態だ。
しかし、逃げ場などない。魔法院は入念な調査を行い、全ての逃走経路をマークしているのだ。
これは既に勝敗の決まった戦い。故に、朱音は淡々と視界に入る敵を仕留め続けていた。
「畜生がああああああああッ!」
「甘いわね」
横手の通路から奇襲を仕掛けてきた相手の魔法を素手で打ち砕き、真紅の魔力を纏う拳で殴り飛ばす。
瞬間、発生した小規模な爆発が、男の上半身を丸ごと消滅させていた。
流動する魔力を纏った朱音は、その結果を確認することも無く、軽く嘆息しながら先へと足を進めていた。
「やっぱり《纏魔》は難しいわね……お父様もお母様も、何であんなに長時間維持できるのかしら」
魔力の流動する右腕を見下ろしながら、朱音は軽く肩を竦める。
両親であれば全身に展開したまま長時間維持し続けられる《纏魔》。
今の朱音では、それと同じ真似をすることは不可能だった。
しかし、片腕だけであれば戦闘しながらある程度維持することも可能であり、朱音は防御魔法代わりにこの技術を利用していたのだ。
格下の敵であるが、難しい技術の訓練がてらであればちょうどいい相手だと言わんばかりに蹂躙していたが――そんな敵の姿も、そろそろ見かけなくなってきている。
「……幹部の連中は逃げたってことかしらね」
つまりは、これまで相手にしてきたのは体のいい捨て駒の時間稼ぎ。
魔法使いの世界では有名な、火之崎当主夫妻の技術を一身に受けて育った次期当主、火之崎朱音の姿があったのだ。敵わないと見て逃げ出すのも無理はない話だろう。
とはいえ、既に逃げ道はどこにもない。捕えられるのも時間の問題だろう。
それよりも気にすべきことは、回収対象がどうなっているのかということだが――
『――こちらI103、目標を確認。当初の観測地点と同じです』
「A011、そちらに向かうわ」
先行していた偵察部隊の報告を聞き、朱音は足早に目標の地点へ向けて歩き始める。
一応周囲の警戒は続けているが、既に人の気配は殆ど無い。結局、朱音は道を遮られることも無く、目的地点まで到達していた。
辿り着いたのは研究室の様相を呈した大部屋。幾人もの研究者風の人間が拘束されているのを横目に、朱音はその奥へと足を踏み入れる。
既に数人の魔導士たちが辿り着いたその場所の中央には、金色に輝く一振りの剣が安置されていた。
「これが……」
「あ、お疲れ様です、あか――A011。目標はこの通りです」
「ふぅん。持ち去ろうとはしなかったのね」
「どうにも、全く扱えなかったようですしね。まあ、研究者の一部は何とか持ち出そうとしていたようですが」
「そんなおめでたい連中は全員纏めて縛り上げられた、と」
縛られて呻いている研究者たちに嘆息しつつ、朱音は改めて剣の方へと視線を向ける。
柄と刃が一体となった、まるで一枚の金属から削り出されたかのような一振り。
柄から刃に至るまで複雑な紋様が描かれている。まるで文字のようであったが、朱音にはその意味は全く理解できなかった。
あまり実用品のようには思えない拵えではあったものの、刃そのものからは鋭く重い威圧感のようなものを感じる。
「……赤羽の家で感じた感覚ね」
息を飲みながら、朱音は小さく呟く。
それは正しく、数々の戦場を渡り歩いてきたことによる凄味とでも呼ぶべきもの。
その感覚から、朱音はこの剣が美術品ではないことを直感的に理解していた。
「……連中が使いこなせなくて良かったわ。手に余るわよ、こんなもの」
「貴方でもですか……とりあえず、回収部隊が来たらすぐに回収しましょう。そんなおっかないものをいつまでも警備していたくないですし」
「ええ、それには同意するわ」
同僚の女性職員の言葉に嘆息交じりに頷き、朱音は剣から視線を外して部屋をぐるりと見渡して――
「――――っ」
――部屋の片隅に佇む、白い仮面の姿を目にした。
それが何者であるのか、朱音は瞬時に理解して――その、刹那。
「しま……ッ!」
――安置された剣より、膨大な魔力が吹き上がっていた。




