156:桐江の答え
唐突に始まった今回の事件。最初から事件に関われなかったからこその厄介な展開ではあったが、何とか状況を収めることが出来た。
その大きな事件のおかげでつい忘れてしまっていたが……元々あの日は、凛から桐江に関する相談を受けていたところだったのだ。
そのことを思い出したのは、私が自宅まで戻ってきてからのことだった。
家に帰ってきた私を出迎えたのは、困った表情で眉根を寄せる初音だったのだ。
「おかえりなさい、仁。あの……凛さんが、その……」
「ただいま、凛が来ているのか?」
「うん、ちょっとね。見て貰ったら分かると思うけど……」
困った表情のままの初音は、私の手を引いてリビングの方へと足を進める。
そこにあったのは――
「…………」
「いや、その。凛様、あれはですね」
「ええと、赤羽としては、その……」
――いかにも不機嫌であると言わんばかりに顔を顰めてソファでふんぞり返っている凛と、その前に正座して並ぶ刀祢と桐江の姿だった。
あの事件の後、無事に現場から脱出できた凛は、刀祢達と合流する前に火之崎の本家に呼び戻されていた。
事件の際に標的にされてしまったことも理由の一つではあるのだが、あの時は本家の方でも凛の力を必要としていたのだ。
姉上が魔法院の仕事で出ているため、宗家クラスの高火力を必要とする仕事が滞っていたのである。
流石に父上や祖父だけにそのような仕事を任せる訳にもいかず、現場となったこの街から引き離すという理由もあり、凛は数日程この街から離れていたのだ。
つまるところ、あの事件の後で凛が刀祢達と顔を合わせたのはこれが初めてであり、その数日の間だけでは凛も感情の折り合いが付けられなかったということなのだろう。
「いつ頃からこんな調子なんだ?」
「一時間ぐらい前かな。桐江さんを連れて刀祢さんを訪ねてきて、それからずっとあんな感じ」
「……全く、あいつは」
凛は少々我がままで気が強いが、決して愚かな人間ではない。
今回の件において、刀祢達の赤羽家としての判断に間違いが無かったことは理解しているだろう。
それを納得しきれていないのは凛の心の問題であり、その折り合いが付けられないからこそああして黙りこくっているのだろう。
そんな凛の姿に苦笑し、私は彼女たちの方へと近づいていた。
「戻ってきたか、凛」
「……ええ。お邪魔してるわ」
「お前ならいつ来てくれても構わないが……流石に、リビングを占拠されるのは困るな」
苦笑交じりにそう告げると、凛はバツが悪そうな顔で眉根を寄せていた。
本人も自覚があるのだろう。今の己が抱いている思いに道理が無いということは。
それでも納得しきれていないのは若さ故か。ある意味では、先日相談した桐江の抱く思いと似たような感覚なのかもしれない。
そうであるとするならば、これは凛にとって一つの成長となるかもしれない。
そんな思いを胸裏に抱きながら、私は沈黙して凛の言葉を待つ。
彼女は――小さく嘆息して、ゆっくりと口を開いていた。
「……謝る必要はないわよ。アンタたちは正しい判断をしたし、その上で生き残って見せた。文句のつけようもないわ」
「凛様? しかし――」
「あの、凛様はやっぱり納得はされていないのでは――」
「そりゃしてないわよ。出来る訳がないでしょう!? あたしが敵を倒すどころか、ただの足手纏いにしかならなかった! もっと魔力制御を極めていれば、あの場でも戦えていたかもしれないのに!」
凛が苛立ち交じりに放った吐露に、私は肩を竦める。
実に火之崎らしい憤りの仕方だ。呪うのは誰かではなく、己の弱さ。
凛は、あくまでも己が戦えなかったことに怒りを覚えているのだ。
確かに、凛が父上や姉上ほどの制御力を手にしていれば、あの場でも戸丸と戦うことが出来たかもしれない。
尤も、あの戸丸相手には流石に分が悪いと言わざるを得なかっただろうが。
「全く、ほんと腹立つわ……仁、後で付き合ってくれない?」
「仕方ないな。属性魔法の制御にはあまり助言出来ないとは思うから、それほど期待はしないで欲しいが」
「別にいいわよ。練習を見ていて欲しいだけだし……はぁ、とりあえずあたしの件はこれでいいわ。それよりアンタよ、桐江」
「は? わ、私ですか?」
唐突に話を向けられ、桐江は目を白黒させる。
そんな彼女へと向けて、凛は胡乱げな半眼を向けつつ声を上げていた。
「今回の件でのアンタの活躍、しっかり聞いたわよ。精霊魔法使いの特級魔導士を相手に足止めをして見せたんでしょう? 本当に大した戦果だわ」
「は、はい……ありがとう、ございます?」
「ええ、本当に大したもんよ。ただ、あたしが理解できないのは……それだけのことが出来るくせに、何でそんなに自信が無いのかってことよ!」
「ふぁっ!?」
大きく叫び声を上げて眦を吊り上げる凛に、桐江は驚きの声を上げながら仰け反っていた。
そんな彼女へと畳みかけるように、ソファに背を預けていた凛は体を起こして前のめりになり、顔を寄せるようにしながら続ける。
「良く分かっていないみたいだから改めて言うわ。特級魔導士って言うのはこの国の中でも上位一握り、それこそ分家当主クラスの実力者がゴロゴロいるような階級よ? しかも精霊契約者となれば、実力はさらにその上位、四大宗家に匹敵すると言っても過言じゃない!」
「……改めて聞くと、とんでもない相手と相対してましたね、僕ら」
「ええ、そういうことよ。正直に言えば、生き残ったことが奇跡みたいなものなのよ。だというのに、アンタは未だに自分に自信がないとか、自分が弱いから納得できないとか、そういうことを言うつもり?」
「わ、私は……でも、それでも刀祢よりは弱いままで――」
前々から分かっていたが、色々と拗らせているようだ。
私は一度瞑目し、小さく嘆息して、困ったように眉根を寄せていた刀祢へと目配せしていた。
私の視線に気づいた刀祢は、僅かに苦笑を浮かべつつ口を開く。
放つ言葉は、まぎれもなく桐江に対する本音だろう。
「桐江。僕では、あの男には手も足も出なかった。それは君も分かっているだろう?」
「それは……!」
「君は僕に劣っている訳じゃない。君はむしろ、僕では不可能なことをやってのけたんだ。護衛としての任務だって、僕よりも君の方が果たせているだろうさ」
それに関しては申し訳ないと言うべきか。
私はとにかく頻繁に危険に首を突っ込んでいるし、その状況下においては刀祢には護衛を頼めていない。
まあ、相手が悪すぎるというのもあるのだが、もう少し彼に頼るべきだろうか。
私としても、彼は身内だ。性分からして、危険に晒すことには強い拒否感がある。
しかし、赤羽としての彼の意思は素晴らしいものであるし、それを尊重したいとも思っているのだ。
何とも匙加減の難しい所である。
「基礎的な能力では、確かに僕の方が高いかもしれない。だが、君にはいくらでもそれを補う力があるだろう? あの男を抑えられたことからも明らかだ」
「……私は、貴方に勝てないのに?」
「勝ちの目なんて幾らでもあるだろう。無論、僕だって負けるつもりは無いが……戦いの展開次第では僕が負ける可能性は十分にある。単純に、君が僕を意識しすぎているだけだ。冷静に考えれば、僕に対する対抗策なんて幾らでも思い浮かぶだろう?」
刀祢の場合は、純粋に腕の立つタイプ――即ち、姉上と同じような性質の魔法使いであると言える。
逆に桐江の場合は、私のような一芸に特化したタイプ。心理戦を得意とし、先読みと戦いの運び方によって相手より優位に立つ。
まだ未熟であるためにその戦術が完成しているとは言い切れないが、極めれば非常に強力な戦術だとも言える。
まあ、極めるのは非常に難しいスタイルだ。彼女自身の今後に期待、と言った所か。
「本気で、言ってるのよね」
「無論、実力に関して嘘は言わない。火之崎に連なる者として、それは保証するよ」
「……そう」
僅かに顔を伏せ、桐江は黙考する。
事実として実績があるのだ。これまで言葉の上では納得できなかったことも、事実を元とすれば否定しきれるものではない。
これまではひたすら否定し続けてきた桐江も、頭ごなしに否定することは無かった。
そんな彼女の様子に小さく笑みを浮かべて、私は凛へと目配せする。
凛は、桐江が従者としてあることを認めている。であれば、この先は凛が言葉をかけるべきだろう。
私と視線を合わせて軽く息を吐き出した凛は、苦笑と共に声を上げる。
「……桐江。アンタは、鞠枝さんですら出来ないかもしれないことをして見せたわ。アンタみたいな能力を持った人が護衛に就いてくれるのは、とても心強い。これからもお願いするわ」
「凛様……良いの、ですか?」
「あたしが言ってるんだから、いいに決まってるでしょ! 断言するわ、アンタは宗家の護衛として相応しい人間よ。誇りを持ちなさい、桐江」
「は、はいっ!」
桐江は、凛の言葉に目を見開き――そして、彼女の前に跪いていた。
相変わらず、堅苦しさは抜けない様子の彼女ではあったが、その雰囲気は以前ほど張りつめている気配はない。
桐江はいい緊張感を保ったまま、凛に対してその言葉を告げていた。
「私は……まだ、自分に自信を持ち切れる訳ではありません。ですが、凛様がそう仰って下さるなら、私はあなたの剣になれるよう、全力を尽くします」
「……ええ、期待してるわ、桐江」
その答えは、凛が望んでいたものとは少しだけ外れているだろう。
だがそれでも、桐江が前を向けるようになっただけでも大きな前進であると言える。
凛は僅かながらに不満げな気配を残しつつも、笑みを浮かべてその言葉を受け入れていた。
ここまでくれば、後は打ち解けるのも時間の問題だろう。
視線を合わせながら微笑みあう二人の様子に安心しつつ、私は気配を消したままその場から離れていた。
一緒に付いて来た刀祢と苦笑を交わしつつ、私は横目に凛たちの様子を見ながら声を上げる。
「ご苦労だったな、刀祢。苦労を掛けたし、良く生き延びてくれた」
「仁様が望まれることは、よく知っているつもりです。守ることも、生きて帰ることも、私の仕事ですよ」
「ははは。自慢の部下だよ、お前は」
こうもこちらの意思を汲んでくれるような部下は、前世でも出来たことはない。
これこそが、赤羽の従者教育ということなのだろう。以前はあまり重要視していなかったが、こうやって目の当たりにすればその有用性を実感できる。
赤羽家の積み重ねてきた経験と実績には頭の下がる思いだ。
「ともあれ、凛の悩みも何とか解決できたか。こうも大事になるとは思っていなかったが」
「仁様の場合、何事も話のスケールが大きくなりがちですからね。僕もある程度覚悟して臨んでいますよ」
「……言ってくれるな。まあ、否定は出来んが」
刀祢の言葉を聞いて空中で笑う千狐をじろりと睨みながら、私は深々と嘆息を零す。
今回は中々肝を冷やした。あまり派手ではないように見えて、裏側で動いていた悪意は今まで以上だったからな。
殆ど被害なく状況を終息させられたのは僥倖であると言えるだろう。
尤も、根本原因である『無貌』を何とかできた訳ではないのだが。
「次で最後、か」
「仁様? どうかなさいましたか?」
「いや。備えておかねば、と思ってな」
『無貌』が何を仕掛けているのかは分からない。それこそ、想像することすら難しいだろう。
だがそれでも、出来る限りの対策を取らなければ。
何しろ、次は最後の古代兵装。奴がこれまで以上の盛大な演出を用意している可能性は十分にある。
一筋縄ではいかないのは当然だが、どれだけ厄介な状況にされるのか分かったものではない。
これまで以上に、覚悟を決める必要があるだろう。
「――必ず、貴様の姦計を打ち砕いて見せる」
――右の拳を握り締めて、私はそう呟いていた。




