155:真意を抱いて
真の姿を現した《王権》の力を使い、戸丸が持ち込んできた古代兵装を破壊して数日。
どうやら、あの古代兵装は計算機のような代物であったようだ。
簡単に言えば、現代で言う数術機の古代兵装版と言った所だろう。
高度な術式演算を術者の代わりに行ってくれるという代物だ。
そう考えると、古代兵装の割にはリスクも少なく、効果も大きい、かなり便利な代物だろう。
そこに『無貌』の術式が存在していなければ、の話だが。
『この古代兵装に対して『無貌』が仕掛けていたのは、ある種の強い暗示のような術でした』
破壊された古代兵装の残骸を前に、大精霊たる八尾様がそう口にする。
その残骸には、最早『無貌』の術式どころか本来宿っていたはずの術式すら欠片も残っていない。
私の放った《魔王之理》によって、跡形もなく破壊されてしまったからだ。
《王権》の最大の力たる《魔王之理》は、私が認識した特定の存在を破壊する力を持っている。
今回で言えば、私は『無貌』による企みそのものを狙ってこの力を解放したのだ。
その結果、《魔王》の持つ銀の炎はこの古代兵装そのものと、そこに宿る術式、そして……彼を巻き込んで、破壊の力を解放したのだ。
『持てば使いたくなるという思いを強めるもの。それも、より上役の存在に使わせようと思わせる暗示です』
「……それだけ、ですか? あの『無貌』の仕込みにしては随分と少ない上に単純ですが」
『ええ、今までにあった出来事と比べれば静かで小さな騒動と言えるかもしれません。ですが……あの男がそれ以前に仕掛けていた悪質な仕組みを加えると、より危険な状況となります』
この大精霊を以て悪質と断言するような仕組みとやらに、私は思わず眉根を寄せる。
『無貌』のことだ、まともな仕込みである筈がない。
そんな私の危惧を肯定するかのように、巫女の体を借りた大精霊は小さな嘆息と共に続けていた。
『『無貌』の仕込みとは他でもない、あのクルーシュチャ方程式です』
「は? あの、例の術式が、奴の仕込みであると?」
『ええ。そもそも、あの術式を開発したのは彼自身です。クルーシュチャ方程式の存在は、彼が意図的に世界に広めたのですよ』
大精霊によって告げられたその言葉に、私は顔を顰めていた。
元より、先生からは危険な代物であると、決して手を出してはならないと釘を刺されていた存在。
それが『無貌』によって作り上げられたものであったとは……私は驚愕と同時に、納得もしていた。
奴ならば、そんな悪質な存在を造り上げることも不可能ではないだろう。
「……あの方程式は、一体どのような効果を持っているのですか? 記録からすると、解き明かした人間が力を得ていたのは事実のようですが」
『ええ、その記録に間違いはありません。あの術式を解き明かせば、その者は大きな力を得られることでしょう。尤も、その術者の精神と引き換えに、ですが』
「精神? 何かしらの代償を求められると?」
『代償を払う必要はありませんが、強制的に与えられるのですよ。『無貌』の持つ記憶と嗜好をね』
その言葉に、私は絶句していた。
記憶と嗜好を強制的に与えられる――つまるところそれは、人格の書き換えに他ならない。
非常に高度極まりない術式であるため、解き明かせる者がいるとすれば、それは間違いなく世界トップクラスの魔法使いだろう。
奴は、そんな人間を労せずして手に入れることが出来るのだ。
解き明かした人間が強い力を得るというのも納得だろう。奴の記憶があれば、高度な魔法を操れるようになったとしても不思議ではない。
奴はそうして、自らの戦力を集めていたということか。
『尤も、全ての人格を完全に上書きするという訳ではなく、『無貌』の記憶と嗜好を持った別人が生まれる、という訳なのですが……どちらにせよ、あの愉快犯に近い存在が生まれることに変わりはありません』
「それを解き明かせる古代兵装が、国の上層部に持ち込まれていたら……」
『間違いなく、この国は乗っ取られていたでしょうね。下手に回収していたら逆に危なかったでしょう』
しみじみと呟く大精霊の言葉に、私は無言で頷いていた。
奴によって国を乗っ取られるなど、冗談にもならない。
そんなことになれば、間違いなくこの国は破滅していたことだろう。
以前の二つの事件ほど派手なことにはならなかったが、影響範囲だけを見れば今回が最も危険だったと言える。
本当に、厄介なことを企んでくれたものだ。
『貴方が設置式の時空結界に囚われた時は肝を冷やしましたが……何とかなったようで安心しました。貴方の部下は優秀ですね』
「ええ、自慢の護衛です。しかし、時空結界ですか」
『非常に高度かつ希少な術式です。どうやら、『無貌』はかなり高位の術者を味方につけていたようですね』
「あれを張ったのは『無貌』自身ではないのですか?」
『時間を掛ければ彼にも可能でしょう。しかし、向こうが私の動きを読んだとしても、準備時間が足りません。誰かしらの術者を頼ったか、或いは精神を侵食した者の中にそういった技能を持つ者がいたか……何にせよ、対策は立てておくこととしましょう』
どうやら無能に上手を行かれたことが納得できなかったのか、若干低い声で大精霊はそう宣言する。
アレに対策を立てられるものなのかどうかは良く分からなかったが、彼女は我々よりもよほど高度な知識と技術を持っている。
それに関しては、期待してもいいだろう。
内心で感心しながら頷いていると、彼女は気を取り直すように咳払いをし、声を上げる。
『ともあれ、此度の事件を解決できたのは、貴方たちの尽力あってのことです。大義でありました』
「ありがとうございます、八尾様。しかし、私は彼のことを――」
『良いのですよ。恐らく、あれが最も良い結末だったのでしょう』
後ろから飛び込んできたがために、銀の炎に飲み込まれた戸丸白露。
今回の功労者は、間違いなく彼であったと言えるだろう。
彼以外が古代兵装に触れていれば、それが国の中枢まで持ち込まれることを防げなかったかもしれない。
裏切者どころか、彼のおかげで悲劇を回避できたと言っても過言ではないのだ。
強引に私と敵対しようとしてまで事態を収めようとした、彼の献身には頭の下がる思いだ。
『貴方も、彼も、本当によくやってくれました。貴方たちのことを、私は誇りに思います』
「……光栄です」
『次が最後の古代兵装です。正しく《王権》を扱えるようになった貴方に、『無貌』がどのような攻撃を仕掛けてくるか、それは分かりません。ですが、今まで以上に苛烈で危険な戦いになることは間違いないでしょう……今は、ゆっくりと体を休めることです』
「承知いたしました」
彼女の言う通り、次が本番だと言っても過言ではないだろう。
奴が次に何を仕掛けてくるのかは、想像することすらできない。
今はとりあえず、戦いに備えて新たな力の習熟に努めるべきだろう。
「次も必ず、奴の思惑を打ち砕いて見せます」
『期待していますよ、灯藤仁。貴方の勝利を願っています』
大精霊の激励を受けながら、私は頭を下げて退出する。
――背中に、大精霊から体を返された巫女の視線を感じながら。
社の戸を閉め、建物から離れ、私はようやく一息つく。
まだ大精霊の知覚内ではあるだろうが、それでも直接目に届く範囲から出られればある程度緊張も解れるものだ。
「さて……」
無事に事件を解決できたとは言え、色々と面倒な事後処理は残っている。
大精霊によって命ぜられたという大義名分があるとはいえ、組織の方針に背いて動いたことは事実だ。
まあ、咎められることこそなかったが、各方面への調整はどうしても必要になってしまう。
今回の件は特に影響範囲も大きかったし、大精霊の後押しもあるから、何とかこちらに有利に進められているようではあるが。
「上司とは言え、室長には面倒を押し付けてしまっているな……」
部下の面倒を見るのが上司の仕事とはいえ、少々オーバーワークなってしまっていないかは心配だ。
まあ、下っ端の立場では心配する以上のことは出来ないのだが。
彼女の仕事は私に手伝えるような領域にはない。今は大人しくしておくことが彼女にとっての支援となるだろう。
今はピリピリしているし、余計なことは言わぬようにしようと心に極めつつ、私は地上へと戻る通路へと足を進め――その向こう側から、こちらに近づいてくる気配を察知していた。
その姿に、私は小さく笑みを浮かべる。
「どうやら、調子は悪くなさそうだな」
「お陰様でね。感謝するよ、灯藤君」
そこで姿を現したのは、一人の青年。他でもない、戸丸白露その人だった。
私が《魔王之理》を発動した時、吹き上がった銀の炎。
解き放たれたあの力に、彼もまた巻き込まれていた。
古代兵装すら破壊した、圧倒的な力。それに巻き込まれればひとたまりもないと思えた。
しかし、あの炎は見た目こそ炎であるが、本質は異なる。
あの銀の炎は、私が狙った特定の概念の身を破壊するものだ。今回の場合で言えば、私は『無貌』の姦計そのものを狙って能力を行使した。
その結果、あの炎は、戸丸を蝕んでいた術式のみを破壊していたのだ。
「あの力の情報から、不可能ではないとは思っていたが……ぶっつけ本番で上手く行ったのは望外の幸運だったよ」
「あの機を逃せば、次のチャンスは無かったかもしれないからね。それに、僕は死ぬつもりで君と戦う道を選んでいた。だというのに、こうして生きてこの場にいられるんだ。本当に感謝している」
そう言って、戸丸は淡く微笑んで見せた。
その表情は、初めて会った時の酷薄な印象とは異なり、彼自身の生の感情を感じ取ることが出来る。
どうやら、この言葉は本音を口にしているようだ。
とは言え――
「最早、お前は表舞台に立つことは出来ないだろう。『無貌』のせいとは言え、少々心苦しい結果だ」
「気にしなくていいさ。死んで当然の状態だったし、仮に生き残っても処刑されて当然の所業だった。例え行動を制限されても、この場にいられるだけで嬉しいよ」
銀の炎が戸丸にかけられていた術式を破壊した時、私は咄嗟に彼を《旅人之理》でこの場まで転移させていた。
恐らくこちらを観察していたであろう『無貌』に、術式のみの破壊と言う結果を見せたくなかったこと、そして戸丸を死んだと見せかけることを理由とした判断だ。
精霊契約者である彼の戦力は貴重だ。それに奴の思惑が働いている今、奴の意識の外にある戦力には千金の価値がある。
これに関しては室長も同意見であったようで、私の案に賛同してくれたのだ。
それに……巫女の少女には頼まれていたからな。そう胸中で呟いて、私はふと、一つ思いついた疑問を口にしていた。
「……戸丸。お前が今回体を張ったのは、本当に八尾様への忠誠心からか?」
「おや、他に何かあるとでも?」
「……いや、聞いてみただけだ」
脳裏に浮かぶのは、戦いの前に彼を案じていた巫女の言葉。
消耗品とまでは行かないが、本来個人としての感情など殆ど持たぬはずの巫女が放ったあの言葉。
もしも戸丸が、一人の少女としての彼女に入れ込んでいるのであれば――わざわざ、それに口出しすることも無いだろう。
彼は聡明な青年だ。分かり切ったことを、いちいち指摘することも無い。
「では、私は行くとするよ」
「ええ。貴方の行く末に、幸多からんことを」
「そちらも、しかと務めを果たしてくれ」
私の告げた言葉に、彼はニコリと笑みを浮かべる。
本当に嬉しそうな彼の表情にこちらも笑みを浮かべつつ、私は精霊殿を後にしていた。




